断 捨 離
カミさんが入院している間、いろいろなものを探して持ってくるように頼まれた。例えば、「クローゼットにある右側のタンスの、上から2番目の抽斗」というように指示され、その都度よく覚えているものだと感心していた。同時に、よくこれだけため込んだものだとも感心していた。
奥さんに先立たれたわたしの友人が、フライパンを一つ残しただけで、鍋の類は全部捨てたという話をしていた。わたしもカミさんの留守中に使用したのは、鍋二つとフライパン1枚だけであった。流しの下に積み上げられた鍋は、何故こんなに集められたのかと感じた節がある。
しかし、これはわたしの側から見ての話であって、カミさんの方から見れば、わたしの回りには不要なものが山積しているのであろう。
カミさんが脳梗塞を発症したのを見て、わたしにもいつそんなことが起きるかわからないと感じるようになり、身辺整理をもっとまじめに考えなければと思うようになった。
延命治療不要のリビグンウィルはずいぶん前に作ってあるし、公正証書の遺言書も作成して、遺言執行人との契約もすませてある。入れる墓も整備した。
しかし問題は、身辺にあるもろもろのモノである。
わたしは愛書家でも読書家でもないので、書籍の類は大した量ではないが、身辺にあるモノの量としては最大である。引っ越したり、職場が変わったり、退職したりした時にだいぶ整理したが、なんとなく未練で残したものがだいぶある。おそらく8割方は処分しても差し支えがないものであろう。
今日の朝日新聞に、小説家の町田康さんが『本の整理 破滅への一本道』と題するエッセイを書いている。あれこれ試行錯誤の後に、人から贈られたものを除いて、ほとんどの本を処分したという。
要はやっぱり決断であろう。
子どもや孫に、要る本があったら持って行くように期限をつけて連絡し、売るか捨てるかして処分することにしたい。年内が目標である。
レコード、CD、DVD、アルバム、楽器、衣類、その他の雑貨も同様である。
わたしと同年代で最近引っ越した方は、しかるべき業者を呼んでモノを整理し、すっきりしたといっている。第三者に介入してもらうのが早道かもしれない。
せっかくここまで書いた。結果がどうなるか。ブログで報告できるとよいが。
保有している打楽器の一部。棺桶には入り切りそうもない。
STOP WAR!