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ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

あの頃ビア・ハウス:第12話:「すみれの花咲く頃」

2018-02-21 10:11:49 | あの頃、ビアハウス
2018年2月20日        
    
       
♪春すみれ咲き 春をつげる
 春なにゆえ 人はなれを待つ 
 楽しくもなやましき春の夢
 甘き恋 人の心甘く酔わす
 そは すみれ咲く春

 すみれの花咲く頃~ 


ご存知、「宝塚歌劇団の歌」として広く世に知られている「すみれの花咲く頃」のイントロです。おそらく誰もがこの歌を耳にした記憶があるのではないでしょうか。宝塚歌劇「パリゼット」の主題歌として取り上げられ流行しましたが、もとはといえば、オーストりアの歌がシャンソンとして歌われていたとも言われます。

このイントロで「すみれのは~な~咲く~ころ~」と歌が始まる時には、ビアハウス場内がみな一斉の合唱になるのでした。春を待ち焦がれる者と、遠き春をしのぶ者と、馳せる心は皆違うだろうが、それぞれの思い入れがこの大合唱からうかがわれるのでした。
「アサヒ・ビアハウスは人生のるつぼである」とわたしは言う。

ここは恋あり歌ありの人生劇場で、ビアホールを訪れる多くの客を目の当たりにし、少なからず数編の恋物語をビアハウスで読んだ感がわたしにはある。

ここで出会って別れた人たち、出会ってハッピーエンドに結ばれた人たち、苦しい恋をずっとここでひきずった人たち。さまざまな歌の合間合間に、アサヒ・ビア・ハウス人生劇場の登場人物たちが思い出の中でフラッシュ・バックするアサヒビアハウス梅田はその魅力で未だにわたしをとらえて放さない。そして、我が先輩、宝木嬢が歌う「すみれの花咲く頃」は、素晴らしかった。


宝木嬢

わたしよりずっと年上である彼女は当時すでに40代半ばを過ぎていたと思う。その独身の彼女と一回り以上も年下の男性、マックとの恋は周りをドキドキ冷や冷やさせながら、数年間は客たちの話題をさらっていました。

ビアハウスのバイトが終わると、わたしはその二人と連れ立って、梅田地下街あった京美人の姉妹が営む小さなカウンターの食事処に腹ごしらえに誘われて行ったことも何度かあります。

アメリカ移住の夢を放り出し急遽アリゾナから日本に帰国し、その後、ポルトガルに嫁いだわたしは、2度ほどの一時帰国中、堺にある宝木嬢の家に、幼児の息子を伴い数ヶ月滞在しながら、ビアハウスでカムバックしては歌っていましたが、この時期、宝木嬢と恋人マックが同居している中に加わったのでした。


一時帰国中のバイト歌姫復活時。往年の常連たちと店長(後ろ真ん中)、H大病院の外科医中川先生、そして息子。

少し面白い同居人構成ではありましたが、宝木嬢の自宅は、上空から見ると、ひしめき合った民家の中で、そこだけ緑がこんもりとしていると言われるほど、結構広い自然体の庭があったのです。そして、その庭たるや、何匹もの猫たちが住人でもありました。ネコ好きのわたしも息子も大いに数ヶ月の滞在を楽しんだものです。

恐らく未だに同居していると思われるのだが、あれから四半世紀以上を経た今、果たして宝木嬢とマックの恋の結論はどう出たのだろうか、と、春まだ浅い頃には、この歌に思いを馳せるのです。

「すみれの花咲く頃 今も心ふるうよ
忘れ君 我らが恋 すみれの花咲くころ」

この恋物語だけは、未完なのです。


追記:高齢の宝木嬢のこともマックとの恋の行方も気になり、ここ数年訪れていなかった堺の彼女宅を昨年訪ねてきました。このエピソードは次回に続きます。