ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

あの頃ビア・ハウス:第5話:「しゃれこうべと大砲」

2018-02-04 10:45:08 | あの頃、ビアハウス
2018年2月4日        
  
    
♪ 大砲のうえに しゃれこうべが
  うつろな目を開いていた              
  しゃれこうべが ラララ 言うことにゃ 
  おふくろにも 会わずに死んだ

春が来て 夏がすぎても
だれも花をたむけてくれぬ
しゃれこうべが ラララ 言うことにゃ
人の愛も知らずに死んだ
     
なんという歌!と思う人もいることでしょう。この歌はイタリア・パルチザン(革命・戦争などのため、一般民衆によって組織された非正規軍)の歌であるとともに、シシリー民謡とも言われています。
      
題、歌の内容とも、少しどぎつい感じはするけれども、メロディーはいたって明るく、アコーディオンにタンバリンを入れて、さらりと歌い流します。わたしの持ち歌で、この歌のファンがしっかりといたのを、実は最近知らされたのでした。

インターネットの醍醐味のひとつは、私の場合、とあるコミュニティのメンバーと毎晩チャットルームでとぐろを巻いて愉快な話ができることではあったけれど、もうひとつ、ある日偶然に検索にひっかかって、どういうわけか古いなじみにぶつかったりすることです。
これは海外にいて、なかなか人との連絡がとれにくい生活条件のなかでは、とても嬉しいことです。
      
さて、上記の話にもどって、ある日、かつてのアサヒビアハウス常連のコミュニティ掲示板でびっくりするカキコミを目に下のであります。「ん?あれ?そ、そでさん?しゃれこうべと大砲?」と。

アサヒビアハウス梅田でわたしは二通りの愛称で呼ばれていまし。たおじさん連中からは「ゆうこちゃん」、同年代もしくはちょっと敬意を払ってくれる連中からは「そでさん」と。

おじさんたちのガードが固くて、若い男性客がいっぱいいたと言うのに、ビアハウス内での恋愛沙汰とは無縁の時代ではありました。また、この頃はアメリカ移住のための費用を必死で貯めていた時代でもあります。

 
その書き込みを読んでみると、なんと投稿者はその当時独身で「しゃれこうべと大砲」のファンでだったと告白しているのであります。
「アサヒ広しと言えども、そでさんのこの歌を今でも憶えているのはこのわたしだけ!」と、自慢までしていらっしゃる。(笑)
今にしてみると、直接ではないけれど、人を通して時々この歌のリクエストが入ったのを思い出すのでした。

聞けば、わたしが歌っていた1970年代後半の梅新アサヒビアハウスは、現在は「スーパーアサヒドライ梅田」と、ビルが改築されたのを機に変身してしまったけれども、70年代のビアハウスのファンは根強く、ついに彼らは同好会を立ち上げ、このスーパーアサヒドライの一室を占領し、月に1度、第2土曜日には昔と同じように、あのころの雰囲気そのまま、今でも集っているとのこと。
       
みな、歳を重ねてはいるでしょうけれど、このわたし同様、心は今でも「あの頃、ビア・ハウス」のまま^^次に帰国した折には、是非わたしもその同好会とやらに参加したいと、またひとつ夢を持つにいたっているのです。     

今日も読んでいただき、ありがとうございます。