ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

人生色々:対称的な二人の90歳代女性

2018-01-14 12:49:16 | ポルトガルよもやま話
2018年1月14日

安楽死が法律で許可されている国は、それなりの条件があるのですが、世界にオランダ、ベルギー、アメリカのオレゴン州を初めとする4州、これに近年カナダ、オーストラリアのビクトリア州が加わったそうです。

この問題に関してはわたし自身の結論が出ていないので、今日はそれについて書くことを避けるのですが、以前こんな二つの話を耳にしたのです。

ーベルギー、アントワープに住む93歳の安楽死を希望する女性が、法律的にその希望が受け入れてもらえず、ハンガーストライキに入った。93歳のこの女性は、病気をしているわけでもないのだが、
「もう生きているのがイヤになった」のだと言う。ー

すると、同じ頃、ポルトガルのラジオ番組で、ポルトガル南部、アルガルヴ地方に住む91歳のアンゴラ(アフリカ系)女性の話が話題にのぼりました。アンゴラからの移民で苦労のしづくめ。学校へ行くこともなくずっと文盲で来たところ、一念発起、小学校1年生から勉強を始めるのだそうです。

91歳の女性が、果たして小学校での勉強にちゃんとついて行いけるのか、体力面で継続できるのかなどの疑問は別として、わたしはこの二つの話に、なんと言う人生のとらえ方の違い!としばらくの間、考えさせられたのであります。
そして、わたしが時々、いっちょ前に人を励ますときに使う例え話を思い出したのでした。

自分の好きなスピリッツ(精神とお酒の二つの意味がありますね)が3分の1入ったグラスを手にして、「あと三分の1しか残ってない」と見るか、「あと3分の1も残ってる」と見るか。

これは、物事をネガティブにとらえるかポジティブにとらえるかの違いでしょうか。どちらのとらえ方をするかによって、人生もまた大きなうねりを見せて違っていくような気がします。

アントワープの女性については、もっと詳しい情報が入ってこないのでなんとも言いがたいのですが、ふと、この女性は子供とか孫とかの家族は、愛する人はいないのだろうか、これまでどんな人生を送
って来たのだろうか、と、苦労の連続の人生だったであろう、ポルトガルのアンゴラ女性のそれよりも、わたしは興味を覚えてしまいます。

夫の母は14年間寝たきりで、後半の7、8年は流動食も飲み込むことができなくなり、鼻チューブを通して栄養をとり、家族が話しかけても反応がなく、意識がないようで眠る月日でしたが、時々そういう義母のことを知っている人が言うのには「それは生きているとは言えない。死んだほうがましかも知れない。」

言うことが分からないわけではありませんが、ただ、それに対してわたしは思ったものです。本人は言葉を発することも、なにかの意思信号を送ることもできないのだから、彼女の本心は周囲のわたしたちには分からない。

意識がなく眠っているだけだと思っているのは周囲の人間の思い違いであって、実際には周りで何が起こっているのか、周囲の人間がどんな話をしているのか、彼女は全て知っているのかも知れない、と義母を見ながらわたしは思ったものです。

わたしたちは毎日生きているには違いないけれでも、確実に日々死という未来に向かって時間を刻んでいるのもまた事実です。彼岸のことは、誰一人として帰ってきた者がいないので、「死」が果たしてどういうものであるかは、想像だにできない。このニュースは、安楽死を望むベルギーの93歳の女性のことが、なにかと頭をよぎっては離れない対照的な二つのニュースではありました。

spacesisさんはどっちのタイプかって?う~ん、その身になってみないと分りませんが、多分、「どれ、孫も一人前になったところで、経済的に余裕もできたし、念願の大学へでも行こうかいな?」てなことも、言い出しかねないかしら。

おっと、その前に孫がいなければならないのでしたっけ(笑)

本日はこれにて。