南十字星の軌道  “SOUTHERN CROSS ORBIT”

サッカー日本代表と浦和レッズのサポーターで料理する事、映画鑑賞、スポーツする事が好きな45歳の子持ちのオッサンの独り言

A君を想う・・・

2005年06月17日 21時11分52秒 | 友達の話
 6月12日は学生時代に知り合った同い年のA君の命日です。96年に享年31歳で夭逝されたので今年は10回忌だった。

 学生時代にあるグループで知り合い、私は文科系で彼は理科系と全く畑違いだったことが幸いしたのか、不思議と馬が合い仲良くなった。もう1人N大法学部のE君(彼と私は浪人時代同じ予備校だった)と3人でよく遊び歩いたものでした。

 私達3人は偶然にもA君5月17日、E君7月17日、私9月17日とちょうど2ヶ月違いの17日生まれです。だからなんだ、と言われればそれまでだが、これに気がついた時はちょっとびっくりしたのを憶えています。3人とも同じ年生まれで浪人経験者(私だけ1年多く浪人しましたが・・・)と言うことで結構学生時代は、みんな違う大学なのに遊びまわってました。

 学生時代、A君と私は車で15分程の所に住んでいました。A君は自由が丘のアパート住まい、私は世田谷の実家だった。E君はS県の実家に住んでいた。結果的にA君のアパートが溜まり場でした。

 夏のある夜、E君から電話があり「A君の所に行くけど、行くか?」との事だったので迎えに来て貰いA君のアパートへ。すると電気は点いてないし、いる気配もない。E君に聞いてみると「約束はしてないけど、居ると思ったからさ。仕方ないから待とう」との事。
 A君の部屋は1階の角部屋だったので、もしかしてと窓を動かしたらなんと“開いた”んです。そこから入り玄関を空けて中で待ってました、留守番として。
 A君が終電位で帰ってきた時は流石に私達が中に居たことにびっくりしてました。
そしてA君が「僕が女連れで帰ってきたらどうするつもりだったんだ?」携帯電話のない時代らしいのんびりした思い出です。

 ある勉強会に参加していた時そこの主宰者が「Eは注意しても聞いているのかどうか解らない、Aは注意したら内側に溜め込んでしまいそう、O(私)は注意しても悩まないタイプだから一番怒りやすい」と3者3様を評してました。

 そんなA君に私はいつも励まされて生きて来たように思えます。
彼が亡くなる少し前に転職した時も「頑張れ」と応援してくれてました。
そして今もA君は何時でも私達を見守ってくれています。
「しっかり頑張らなくっちゃ!A君に笑われてしまう」と 毎朝、出勤の時空を見上げているんです。
「今日も頑張るから、ヨロシクな」と呟きながら・・・。