南十字星の軌道  “SOUTHERN CROSS ORBIT”

サッカー日本代表と浦和レッズのサポーターで料理する事、映画鑑賞、スポーツする事が好きな45歳の子持ちのオッサンの独り言

深夜の出来事

2011年04月26日 00時31分10秒 | 世の中を見て
 遅れて納品された商品も何とか片付き、取り敢えず「一息つこう」と言う事になった矢先、「私にとっての悲劇」は起きました。

電車が動かず「朝まで店で過ごそう」と話していたHさんとIさんと私。
そこに“一本の電話”が入りました。Hさんの御嬢様からでした。
「JRはダメだけど、私鉄は何とか運転再開した」と言う内容でした。

 当店の最寄り駅はJR横須賀線西大井駅ですが、東急大井町線戸越公園駅も近くあります。
そこから乗り継いでいけば、2人は自宅に帰る事が出来ると、喜んでいそいそと帰宅準備に取り掛かり始めました。

 2人は明日の土曜日は休みです。特に時間の制限無く帰る事が出来ます。
ところが私は明日も仕事。今から帰っても何時に帰り着くか解りません。
おまけに明日、出勤しなければならない事を考えると、店に留まるしかありません。

 私は帰宅する2人に「裏切り者」との思いをぐっと仕舞い込み、「気を付けてね。電車止まっていたら店に帰ってきていいよ」
と声を掛け見送りました。

 さて夜勤のK君とW君の2人は黙々と仕事をしていますが、本来なら明日の朝する仕事をしてしまうと深夜の1時頃。
お客様は宵の口頃に比べると少なくなりましたが、相変わらず普段の金曜日の深夜に比べると多く来店されています、。
制服を脱いで、私服で店内を回ってみます。
(普段でもやる事なのですが、お客様の視線になって店を見る事で店の良い所悪い所が判ってくるのです)
弁当、サンドイッチ、惣菜、麺類、パスタ、菓子パン、惣菜パン、食パンと見事に無くなっています。
さっきは気が付きませんでしたが、缶詰もあらかたなくなっています。
カロリーメイト類も無くなり、「カップラーメンは無いの?」と言うお客様が残念そうに帰って行かれました。
 勿論、おでん、中華まん、ホットスナック(アメリカンドッグ、あら挽きフランクソーセージ等)はずっと前に完売しています。
「食べられる物ないな~」と思いながらB/Rに戻ると電話が鳴りました。
本部のFCのYさんから「納品が満足に出来なくなってしまう。材料が殆ど入ってこない様子」との連絡です。
この時から“食品が殆どない”状態のコンビニになってしまいました。
 この為に翌土曜日12日の昼頃大変な事になるのです。

 時計も1時半頃となりする事も特に無いので、「寝よう」と思ったのですが、コンビニのB/Rに寝る為のスペースや設備はありません。
仕方ないからデスクにうつ伏せて寝ていたらK君に「邪魔なんですけど・・・」と起こされる始末。
 冷蔵庫前のスペースにダンボールを敷いて冷蔵庫内で作業する時用のコートと自分のコートを掛けて寝る事に。
「ここは仕事で通る事が多いから邪魔だろうな。でも今日は仕方ない。諦めて貰おう」と開き直って就寝しました。

翌日は翌日でまた大変な1日だったのですが、取り敢えずお休みなさい

夜になって・・・

2011年04月20日 00時37分17秒 | 世の中を見て
 3月は春、といっても夕方5時を過ぎると、外は暗くなってきます。

夕方と言うよりは夜と言う感じになってもお客様は増える一方です。
おまけにトンでもないハプニングが発生しました。

 電車が地震の影響でストップしたために、社用車、タクシーで帰宅する人が増えたために道路が至る所で大渋滞。
この結果、配送車両が時間通りの運行をする事が出来なくなってしまいました。
本来ならば5時半頃店着する筈の、雑貨や加工食品(カップラーメン等)が「大幅に遅れます」との連絡。
更に「到着時間は不明です。何時になるか解りません」

 これには流石に参りました。
食べ物を求めてやって来るお客様は増える一方。次々に大量に買っていきます。
次第に棚の上から商品が“消えて”いきます。

 19時前にはお弁当、惣菜、麺類、パスタ等主だった主食副食類は完売状態。
おでんも「70円均一セール」並みに次から次へと仕込まないと間に合いません。
この仕込みは私の得意な仕事ですから「一手に引き受け」です。「これからはおでん屋の親父と呼びな」と言う状態です。

 店頭の公衆電話には順番待ちで並ぶ人の列が。
携帯がつながらず有線の電話が連絡手段の「頼みの綱」でした。

 徒歩で帰宅を試みる方でしょうか、「トイレを貸してください」と言う声が普段の3倍以上ありました。
交換したばかりのトイレットペーパーがあっという間に瘦せ細っていきます。
 こういう方々の購入品は「温かいお茶、中華まん若しくはホットスナック」と言うのが定番でした。
しかしこんな事態を想定して商品発注はしていません。
 通常よりはるかに多いお客様に対応出来る数が在庫されているわけも無く、中華まんもホットスナックも21時前には完売。
ホットドリンクも温まる野に必要な時間をウォーマーの中で過ごす間も無くお客様の手の中に・・・
きっと生暖かくもなっていないコーヒーやお茶を手にされた方もいらっしゃるのではないかと思います。

 19時を回った頃、すでに勤務を終えて帰宅したはずのY君の姿が・・・
忙しい合間に「どうしたの?」と声を掛けると
「山手線、横須賀線、湘南新宿ライナー、私鉄全て運休状態と言うのを電話で伝えようと思ったのですが、
電話が繋がらないので伝言に来ました」との事。
「ありがとう」と答えましたが、Hさん、Iさんと私はこの結果『帰宅する手段が無くなった』事を知ったのです。
私以外の2人は明日の土曜日は、休み、です。
しかし私は出勤予定、近くのホテルも空いてない。
 多くのお客様を接客しながら、頭の中は「今夜どうしよう?何処で寝ようか?」と考えていました。

 気がつくと常連のお客様が来店している事が多くなってきました。
「無事だったんですね、お顔を見る事ができてホッとしました」なんて会話は今日何回しただろう?
「地震のときどうしてました?」が挨拶代わりになったのはどのお客さんからだろう?なんて感じです。
「水道橋から6時間かけて歩いてきました」と言う常連の女性の方。
「今日は会社に泊まります」と言う近隣の工場の方や会社の営業マン。
私が通っていた病院の看護師さんは「帰りの手段が無いので院長先生の自宅にみんなで泊まらせてもらいます」と
お菓子やジュースを購入。

 その頃実は先ほどやってきたY君、制服に着替えてレジに入っていました。
「あんまり大変そうだから」と言いながらお客様の対応をしてくれています。
総勢6人でひたすらレジを打ち中華まんやホットスナック、おでんを出してとやってる22時頃夜勤の2名が到着。
「まだ雑貨や加工食品は来てないんだ」
と連絡。
すでに弁当等は跡形も無く、カップ麵も棚を売っている状態。
お菓子も殆ど無く、食べ物最後の砦は「健康食品」。カロリーメイトやソイジョイ等だけになっていました。
当然おでんやホットスナック、中華まんは完売。
携帯電話の充電器や電池、シャツや下着、生理用品、歯ブラシ歯磨き等もほぼ売り切れ状態。
そんな中22時半頃、雑貨や加工食品を乗せたトラックが到着。
 
 帰宅可能なITさんと応援してくれたY君は取り敢えず帰宅。家がとても近いHO君と帰宅不可能なHさんIさんと私の4人で手分けして検品して品出し。
夜勤の2名がレジを打って、私たちが必要に応じてレジも手伝う、こんなフォーメーションで24時過ぎ頃品出しが完了。
 
 帰宅不可能なHさんIさんと私の3人は「このまま店で夜明かししよう」と話していました。
そんな矢先、またも私に大変な事が起こりました。

どうなるんだろう・・・

2011年04月17日 23時34分10秒 | 世の中を見て
 夕方5時に夕勤のスタッフが来ます。
3月11日金曜日はHO君、ITさんが来る事になっています。
しかし、地震の影響で電車は運転見合わせ、携帯電話は通じない。
こんな状態ですから、2人が昼間外出していて戻る手段が無いとしたら、と心配が募り出したのが16時頃でした。

 そんな心配等関係なく16時頃からお客様が増え始めました。
停電に備えて懐中電灯や電池を買う方。
帰宅出来なくなった為、会社に泊まる事となって、携帯の充電器、Tシャツや下着類等、歯ブラシ歯磨きを買う方。
おにぎりやパン、弁当類やカップ麵お菓子を買って宿泊に備える方。
そういったお客様が次第に増えてきました。

 そんな頃、オーナーから電話が入りました。
「店長(私)や従業員は大丈夫?店は?」との問い合わせでした。「なかなか通じなかったから心配で…」
店の状況を説明して無事である事を伝えると「電車が動かず帰宅出来ないのであれば近所のビジネスホテルを使ってもいいです」
とのお言葉。
「ありがとうございます」と電話を終わらしたのですが、「固定電話が通じるなら自宅にも連絡出来るんじゃないか?」と
自宅の固定電話に店の固定電話から掛けてみる事に…。
何とかかんとか繋がり、家族の無事を確認しました。
その後スタッフ達も自宅に電話してお互いの無事を確かめられました。
幸運にも全員の家族が無事との事。不幸中の幸いという所でしょうか。

 その後近所のビジネスホテルに電話しましたが、すでに満室。仕方ないか、と思っていた所にHO君、ITさんが到着しました。
2人とも徒歩で出勤するのですが、自宅にいたので電車の影響は無かったという事でした。

 この頃から店前の通り徒歩で帰る人が増え始めて、ホットドリンクや中華まん、ホットスナックが売れ始めるようになりました。
中華まんはふかす時間が間に合わない位になって来ました。
 
 まだまだ状況は悪くなる一方の様です

あの日から・・・

2011年04月14日 18時55分11秒 | 世の中を見て
 3月11日14時46分は、別段変わりない時でした。

本来夕方勤務のアルバイトYくんがこの日は朝から勤務、本来朝から勤務のIさんは午後からの勤務だった事をのぞいて。

Yくんは15時で上がりの予定だったのでそろそろあがって貰おうか、なんて考え始めた頃でした。

「地震!!」と言ってお酒の棚を押さえ始めたベテランスタッフのHさん。
デカイな、と感じてドアを開放していた私。
Hさんのフォローしに行ったY君。
レジを「怖いんですけど…」と言う顔をしながら守ってくれたIさん。

でも、「早くレジ打ってよ(怒)」って顔をしているお客様も1名。(揺れが収まるまで待って頂きました。)

何とか収まったものの、暫くして余震が発生。
「大変な事なんじゃないか、こりゃ」とバックルーム(BR)で携帯のテレビをつけました。

そこに映っていたのは、あの大津波の映像でした。

「映画じゃないよね、でもそうであって欲しい…」
私の率直な思いでした。

その時から、電話が鳴り始めました。

コンビニ本部の当店担当から「大地震で大変な事になってます。買占めが起こるかも知れないので注意してください。」
って言われても『何を注意すればいいんだ??』という状態。
店内はそれ程お客様多くないし、ウチは大丈夫だろう、位の認識。

取り敢えず自宅の愛妻、愛娘の安否はと電話しても携帯電話は不通、固定電話もかからない。
この際、仕方ない後でゆっくり掛けよう、とまだこの頃はそれ程重大な事いうと認識はありませんでした。

Y君は帰り、夕方からのHO君、ITさんが来るまでの間、次第に状況が変わってきました。
客数が増え始めました。
店前の通りの車が増え始め、電話が鳴る回数が増え始めました。

山手線不通、私鉄もストップ、最寄り駅の横須賀線は情報入らず。

長い夜の始まりでした

久々ですが・・・

2011年04月13日 00時32分51秒 | 世の中を見て
 前回から5ヶ月が過ぎてしまいました。

昨年中、1つではない不幸が親族以外の近親者にあり、年が明けて妻方の叔父が亡くなると言う不幸がありました。

その直後にあの大震災、そして先日叔父に49日が終わってこのブログを再開する事と致しました。


 私はコンビニに勤務しています。
あの日(3月11日)以来、世界が一転してしまった感じです。

 当日は15時位から大混乱の店を仕切りました。
なにせ16時~24時の売り上げが、チョッと売り上げの悪い日1日分位の売り上げでした。

食品(弁当や中華まんからカロリーメイト等まで)、電池、携帯充電器、シャツや下着、そう言った物が売れたと言うより
店から無くなった、と言う感じで売れていきました。

 徒歩で帰る方から道を聞かれましたが、普段耳にしないような地名ばかり聞かれました。
「目黒は?」「都立大学駅は?」遠くは「溝の口ってどうやって行けば…?」(因みに当店は品川区西大井にあります)
説明仕切れませんでした(聞かれた方、ゴメンナサイ)

 当日は帰宅できず店に泊まりました。夜勤のバイトが「俺んちで寝てて良いですよ」と言ってくれましたが、
やはり緊急時です。
何も出来なくても、寝ていても店に居た方がいい、と言うより「今夜は店にいるべき」と思い店泊を選択しました。

この話はものすごく長くなりそうなので、何回かに分けてお話します。

今はただ、亡くなられた方々の御冥福をお祈りすると共に、被災された方々が1日も早く平穏な生活に戻れる事を心から祈るばかりであります。