南十字星の軌道  “SOUTHERN CROSS ORBIT”

サッカー日本代表と浦和レッズのサポーターで料理する事、映画鑑賞、スポーツする事が好きな45歳の子持ちのオッサンの独り言

プロは結果が全て・・・

2005年03月31日 21時43分42秒 | サッカー
 勝ちゃイイんです勝ちゃ!!昨日のワールドカップ最終予選対バーレーン戦1-0で辛勝だった。相手選手のオウンゴールでの決着だが、勝ちさえすればいいんです勝てば。「勝てば官軍」て、言うでしょう。今後このパターンで全勝したってワールドカップに出れるんですから、出られればいいんです、出られれば。評価なんてサポータがする事じゃないです。選手は監督が評価し、監督は協会が評価する。サポーターはチームを応援する。それでいいんだと思います。プロなんですからまずは「勝って何ぼ」の世界だと思いませんか。
 でも、さすがに最終予選だなと、つくづく感じました。どの試合も2点以上入らない。逆に2点取れば勝てる試合ばかりです。緊張感で一杯のゲームはやっぱり興奮しますね。このドキドキ感が本番より予選に限るんです。麻薬みたいなモノかも・・・。
 次は6月ですね。けが人が出ないように、ZICOが選手の選抜に困るくらいJリーグが盛り上がって欲しい。残り3戦出来れば全勝で行って欲しいが、贅沢は言いません。とにかくドイツへ行こう!!!

ドイツに向かって

2005年03月29日 22時05分36秒 | サッカー
 明日は絶対に負けられない、ワールドカップ予選のバーレーン戦です。今度はホームです。全国民が一丸となって代表を応援しましょう。
 前回たくさん書いたら負けたので今日は簡単にして明日に備えます。
 ニッポン!チャチャチャ!

4月と言えば・・・

2005年03月28日 22時13分54秒 | ボウリング
 自己紹介にもある様に、25歳から私はプロボウらーの研修生として某ボウリング場で社員として勤務しながらプロテスト合格を目指しボウリング漬けの生活を送っていました。(多い日は朝10時から20時位まで練習していたんです。)大学時代にボウリング部に所属して学生では関東地区でそこそこの成績だったので、プロの世界で自分を試したいと、プロを目指す世界に飛び込みました。
 4月の第1月曜日から4日間がプロテスト第一次試験の期間なのです。だから今でもこの時期はその頃を懐かしく感じる季節なんです。
 プロテストは、1次試験4日間1日15ゲームトータル60ゲームでアベレージ190ピン以上(当時のボーダーラインです。現在は少し上がったらしい)で合格。但し2日目終了時点でアベレージ185ピン以下の受験生は3日目に進めないと言うレギュレーションでした。そして2次試験は5月の連休明けから今度は東京で1日(15ゲーム)、翌週大阪京都で2日間(各15ゲーム)、その翌週東京で1日(15ゲーム)。つまり3週間かけて東京と関西往復して60ゲーム(今度は2日目のカットはなし)でアベレージ190ピン以上でで実技合格となり、3次試験の筆記、面接と続き(ここで落ちた人の話を私は知らない)晴れてプロボウラーとなれるのです。
 1日15ゲームって想像出来ますか?朝9時開始で昼休憩をはさみ、夕方4時位までかかります。精神的にも体力的にもかなりきついですが、トーナメントではないので他の受験生の成績は関係無い為自分との戦いのみの15ゲームは一度経験すると病み付きになる程の緊張感で今でも私の体に染み付いているある種の「快感」を感じることが出来ます。
 私のテストの成績ですか?それを聞くのは野暮ってモンです。合格してたら営業マンなんてやってませんよ。でもボウリングをやってて良かったことは、今でも全国にボウリングで知り合った友達がいます。もう20年近い付き合いの連中ですが。それと最も良かったことは妻と知り合えた事ですね。私が学生時代にバイトしていたボウリング場(上記の就職した所ではない、別の所)の御客様として来ていたんです。(御客様に手を出した従業員って事は気付かないで良いですから。)
 もうすぐ、プロテストシーズンです。元受験生としてもっとボウリングがスポーツとして認知されてメジャースポーツになって欲しいと思います。なんてったって、日本で国民がもっとも多くやってるスポーツは“ボウリング”なんですから。

対イラン戦1-2

2005年03月26日 12時53分51秒 | サッカー
 残念でした。でも全てが終わったわけじゃないです。あと4試合で勝ち点10(3勝1分け)~勝ち点8(2勝2分け)あげれば良いんですから。でもイランの2点目は防げたかな~、もう少し頑張れたんじゃないかな~、と思ってしまう試合でした。でも選手は頑張ったと思います。次は、30日バーレーン戦、埼玉スタジアムです。必ず勝ち点3をとりましょう。
 しかし、イラン人男性10万人ってすごい迫力ですね。イラン人はアラビア系でもモンゴル系でもなく、アーリア人といってヨーロッパ系の人種だからのぶとい声なんですよね。あの声を黙らせたかったな~。次に対戦する時は8月17日で、予選最終戦です。予選突破が決定して対戦する事になる(!)ので、心置きなく粉砕してやりましょう。
 97年の予選の時も、危ないところから這い上がって予選突破したのですから、今回もここから来年のドイツに向かってきっと日本代表は頑張ってくれると思います。

決戦前夜は物静かです。

2005年03月24日 21時30分06秒 | サッカー
 いよいよ、2006ワールドカップドイツ大会アジア最終予選第2選対イラン戦が約24時間後に迫りました。26日の5日後、3月30日には埼玉スタジアムで対バーレーン戦があり、この2連戦が今回の予選の全てを決めると言ってもいい2試合だと思っています。
 全部で6試合戦4カ国中上位2カ国が予選突破で3位はプレーオフになるのですが、2位以内で是非決めて欲しいものです。1位にならなくてもいいのが気楽かもしれませんが、反対に2位でもいいなんて考えたら危ないと思うので、何とか1位通過して欲しいものです。
 勝ち点13(4勝1分1敗)なら2位以内は確実なのですが、多分2位が勝ち点11(3勝2分1敗)位になるのではと予想しています。だからこの2試合は1勝1分なら万歳できると思うし、2分でも十分でもし2勝したら予選突破確実前祝を執り行います。1分1敗でもまだ大丈夫なので日本代表には頑張ってもらいたいです。
 でも前回は開催国特権で予選免除だった。予選と言えば、前々回98年フランス大会はジョホールバルの感激があり、94年アメリカ大会の時はドーハの悲劇があった。私はもっと前82年大会から予選は見ているが、本大会よりも予選のほうがドキドキ感は比べ物にならない位大きいと思っています。やっぱりワ-ルドカップは予選がないと何か物足りないと感じるのは私と愛妻だけでしょうか?
 代表戦の日は何とか仕事を早く終わらせて、後は試合に集中です。スタジアムに行けなくても、テレビの前ではスタンドにいる気持ちで応援しましょう。(代表戦の応援は第4の国民の義務だと心得ております。)


彼岸が過ぎて

2005年03月23日 01時02分53秒 | 家族の事
 今年の1月31日に父方の祖父が亡くなった。1903年12月生まれ(明治何年だろう)の御年101歳だった。祖父は鹿児島県は徳之島(興味のある方は地図をご覧下さい。奄美大島に程近い島です)生まれだ。明治生まれの九州人、薩摩隼人だけに頑固なじいさんだった。私は長男の長男で初孫と言うことで結構可愛がってもらった。
 私の祖父祖母は父方母方共に数年前まで健在だった。生まれて物心つき成人して結婚子供が生まれると言うところまで祖父祖母が両方とも健在だった私は幸せ者なのだろう。従って私の娘は曽祖父曾祖母各二人に赤ちゃんの頃抱っこしてもらっているのだ。そんな母方の祖父祖母も今世紀に入った頃2年余りの間になくなり父方の方だけとなってしまっていた。
 当家は先祖代々神道の家系なので、当然葬儀は神式である。焼香はせず榊を供えるのだ。葬儀は参列することもあるが、神式の葬儀には参列したことがない。おまけに当家では昭和20年に私の曽祖父が亡くなって以来60年間葬儀を出していない。よって父をはじめ親戚たちも実質はじめての葬式だった。
 そして3月21日で50日祭を迎えた。神道では49日ではなく50日祭と言う。この50日間は喪中で神社仏閣に足を踏み入れてはいけないのだそうだ。私が就職で実家を離れ頃(約15年前)の祖父はまだ元気だった。だから私にはその印象が一番強い。その後入院したり寝たきりになったりだったが、元気だった記憶で止まっているように感じられる。ガキの頃はよく叱られそれに反発してたりしたが、今はいつも見られている、見守られているから悪い事は出来ないし、もっとしっかり仕事しないといけない。今度は夢の中で叱られそうだ。
 実家には祖母が元気にしている。確か93,4歳のはずだ(もっとかもしれない)。ゆっくり長生きして祖父と同じ都知事、内閣総理大臣からもらう100歳の御祝いをもらうまで元気でいて欲しい。そしてギネスに長寿で申請出来るくらい長生きして欲しいと思う。子供、孫、曾孫の囲まれて何時までも元気でいて欲しいものだ。
 私は今年40になる。祖父に追いつくまで今から還暦分生きることになる。今までの1.5倍だ。のんびり行こうか、全力疾走か今夜ゆっくり寝てから考えよう。
 天国のじいさんへ「そっちでゆっくりしてください。そして残ったこっちの一族がそっちへ行く時の受入準備をゆっくりやっといて。ゆっくりでいいよ、慌てたり呼びつけたりはしなくていいから。そしてみんなを見守ってください。」

コンサートに行ってきました

2005年03月21日 00時21分50秒 | 家族の事
 三宅島復興祈念チャリティーコンサートが“パルテノン多摩”(京王線京王多摩センター下車徒歩数分)大ホールで行われた。吹奏楽団のコンサートで我が娘が小学校の吹奏楽団でユーフォニアムを吹いていることと、このコンサートが高校生主体で運営されていて高校吹奏楽会では知らない人はいない超有名な大阪府立淀川工業高校吹奏楽部の丸谷先生が招かれて高校生や社会人の吹奏楽団が演奏するチャリティコンサートと言うことで妻と娘を連れ片道電車で1時間とちょっと3人で約¥1500かけて行って来ました。
 小学生~高校生までの混成バンドや高校生吹奏楽団、プロクラリネットアンサンブルなど6つの楽団の演奏の後、この日のために編成された“丸谷スペシャルバンド”の演奏がクライマックスなのです。が、このバンドなんと総勢200人の超ビッグバンドなのだ。決して小さくないホールのステージに溢れんばかりに人がいる。いすに座って演奏するにしても隣が邪魔じゃないかと思うくらい思い切った編成でメンバーも下は小学校5年生がいて、そこそこのオッサンもいた。東京大学大学院生や山形や長野から自費でやってきた普通の社会人もいる。しかし演奏はしっかり揃っているしみんな楽しそうだ。ここにいることがうれしいと感じ丸谷先生の指揮で演奏したいとの思いで集った人たちばかりなのだろう。その迫力たるやちょっとそこいらでは聞けないものだった。
 どの吹奏楽団も素晴らしい演奏を趣向を凝らした選曲で聞かせてくれて楽しかった。クラッシクのマーチや、エリック・クラプトンのメドレー、レコード大賞受賞曲のメドレーもあったしそれぞれにジーンとくるものがあったと思う。何より演奏者が真剣なのだ。だからそこに引き付けられて行くのだろう。
 帰りに娘が「来年は200人バンドのオーデションを受けたい」と言ってアンケートに記入していた。チャレンジすることは大切だしもし間違って参加できたらそれはそれでものすごい経験と言う財産になるだろう。また来年今度はもしかしたら演奏者の親としてここに来るかも知れない。楽しみが一つ増えたかも・・・。
 チケットの問い合わせやよやくの受け付けは全て実行委員の高校生が授業の合間を縫ってやっていたようだ。その高校生たちの電話での対応がすごくしっかりしていて好感が持てた。今時の高校生もなかなかやるじゃないかと感じたのだった。

お彼岸です

2005年03月19日 23時12分04秒 | 世の中を見て
 昨日、池袋東武デパート食品売場に行ったときのことです。お彼岸なので和菓子売場で牡丹餅でもと思い売場へ。しかしそこでは何故か秋のお彼岸に食べる『お萩』が売られていました。
 言うまでもなく、牡丹餅とお萩は全く同じもので、春の牡丹の季節に食べるから『牡丹餅』で秋の萩の季節に食するのが『お萩』なんです。おまけにある店のおばさん店員はそのことをお客に問い質されて「これはお萩です。牡丹餅と言うのはもち米が入っていないのを言うんです。」と自信満々に言っていた。結局、お萩として売っている物を買っても仕方ないので洋菓子を買って帰ったのでした。
 実は某お弁当チェーン店の店頭パンフレットにも「お萩」の記述があったので、お客様センターに電話をして見たのですがそこでは「食品業界全体で一年中お萩と呼ぶ事が通例となっている」との回答だった。
 日本には四季があり、それぞれの季節にそれぞれの食べ物が伝統としてのこされている。これはすばらしく他国に自慢出来る文化だと思う。その食文化を、食文化の担い手である食品業界が破壊しようとしているとしたら、大変な問題だと思う。「牡丹餅とお萩が同じようなものだから、お萩で統一」とういのなら「春と秋は同じような気候だから、春で統一」と言っているのと変わりない事だと思う。
 日本の文化を疎かにして西洋文化のみに感化されているのではなく、もっと日本文化を考えるべきではないだろうか。そういえば、学生時代アメリカの学生と話していた時、「日本人は何故民族衣装を持っていないのか。自分たちは民族衣装といえるものがないから着たくても着れない。日本人は素晴らしい民族衣装があるのに殆どの人は持ってない。why?」と言っていた。私は返事が出来なかった。まず自分が持っていないし、その時までそんな事考えもしなかったからだ。その後から時に触れ考えてきたつもりだが、日本人は外国の文化優先に考えすぎた結果だと思っている。だからまず、「牡丹餅とお萩」からでもいいと思う。ちゃんとした日本の文化的発想をしっかり身に付けるべきだと思う。また季節季節にこういう事を親が教え学校でも先生がしっかり話すべきだと思う。そうしないと日本は日本文化をなくした西洋文化のコピーに包まった日本人の集団になってしなう気がする。
 そうそう、オリンピックの開会式に男性選手は紋付羽織袴、女性選手は振り袖か訪問着で入場行進するなんて素敵だと思いませんか?(牡丹餅とお萩からえらく話が大それた話題になってしまた・・・)

部活の同期会

2005年03月17日 20時36分34秒 | スポーツ
 私は高校時代ラグビー部に所属し、副将を勤めておりました。一昨年卒業以来17年振りに同期会を行ないました。言い出しっぺの私が幹事として企画したのですが、何せ17年間何にもしていなっかったのでまず連絡が一苦労でした。
 卒業アルバムの住所に連絡したのですが、女子マネージャーは皆結婚していたので電話に出るのはお父様かお母様。「こいつ誰や。怪しいな」という感じでしたのでこちらの連絡先を伝え、連絡頂ける様にお願いしたのでした。当日本人に確認すると「○○(私の名前)とか言う怪しい奴から電話あったが知ってるか?」という感じだったそうです。
 そして当日、監督(72歳:当時)にもいらっしゃって頂き、1次会から37歳なのに気分は高校生的に盛り上がったのでした。そして「年中恒例にしたいので、来年の幹事を・・・」と私が言ったところ、監督が「○○(私の名前)お前が幹事やればいい。毎回選ぶより君がずっとやりなさい」と、言ったのです。ご存知の通り、体育会の上下関係は一生モノです。監督と選手はたとえ無礼講で飲んでいても上下は上下。「ハイ、かしこまりました」ここで一同拍手。
 やりましたよ、去年も。そこでもまた「来年の幹事は・・・」と言う言葉を遮る監督のお声「お前がやるの、永久幹事に任命するから。」
 そして今年、そろそろ同期会の季節となります。もう店は昨年末から決めてあるので、後は連絡のみ。遠い奴は浜松からやってきます。三年間同じ釜の飯を食った辛さも楽しさも共有している同期11人の男8人女性3人(1人音信不通者有り)が1日だけ高校生に戻れる日を全員楽しみにしているのです。だから幹事もヤリガイがあるってもんです。

一駅手前から・・・

2005年03月16日 22時31分05秒 | 健康
 最近、会社から帰宅する際、一駅手前で降りて約20分歩いて帰宅するようにしています。どうもお腹周りが成長期に入ってしまっているので、余計な脂肪を少しでも燃焼させるために毎日(雨の日も)頑張っています。その駅からだと途中に結構な坂道があり、ゆっくり歩いていてもかなり汗ばんでくるので「効果ありかな」と続けています。
 この町に住むようになって3年ですが近所のことは小学校5年の娘のほうが良く知っています。だから毎日少しづつコースを変えて町探検をしながら(といっても20時~22時頃なので回りは真っ暗ですが)「こんなところにこんな店がある」とかここを通ったら近道だ」等いろいろな発見があります。
 しかし今日前を行く自転車の主婦が自宅に入ろうとしながら、私を不信そうに見ていました。なんとその道はその方の家の先が行き止まりだったのです。つまり向こう三軒両隣の人しか入ってこないはずの路地に見知らぬオッサンがのこのこ入って来たもんだから「こいつなんだ?」と思われていたようです。慌てて引き返しましたが、一人夜の町探検も程々にしてないと自宅近くで不審者か痴漢と勘違いされたら末代までの恥さらしになってしまいます。
 それでも、一駅手前で下車して20分歩き少しでも健康になれれば安いモンです。汗もかくから減量の手助けにもなると思います。そして何より帰宅後のビールがおいしくなりました。汗かいた後の一杯はやっぱりいいものです。でも“かいた汗分以上飲んでいるんじゃないか”って?だめですよ、そこに気が付いちゃ。まさにそのとおり一歩進んで2歩下がってます、ハイ。

良い食い物屋とは・・・

2005年03月15日 21時34分53秒 | 食事
 昼御飯を食べに、とある食堂に一元さんとして入った。昼前でまだ混んでいなかった。オーダーしたら程なく運ばれてきた「チキンカツ定食」。少し早くないか?と、思いつつ食べたらやや冷めている。むっとしながら、食べ終えて会計へ。税込料金と思っていたら、表示価格は税抜きだった。わずか数十円だが食べた物が冷めていたこともあり、「二度と来ないな」と心に決めて店を出た。
 おいしい、おいしくないは仕方ないと思う。人それぞれだから。しかしカツが冷たいと「客を何だと思っているのか」と思ってしまう。
 そういえば、昨年の土用の牛の日に鰻を食べに言ったら客(私)の目の前で鰻をレンジに入れて温めたものを出した店があった。せめて客の見えないところでレンジに入れて欲しい、と思う。自宅で冷凍の鰻を食っているのではない。「おまえら客から金取ってんだろう。ちゃんとやれよ」と思う。
 二度とそんな店には行かなければ言いのだが、期待した分失望も大きい、と思う。自分も人に何かする時は、相手に少なくとも失望はさせないようにしようと、改めて感じた。“一期一会の精神”とはこういう事なんだろう。仕事でもプライベートでも、この気持ちを再度考え直そうと感じたのでした。

花粉症が・・・

2005年03月14日 23時23分06秒 | 自分の事
 くしゃみか止まらなくなります。目が痒いです。何故人間の鼻と目は取り外せないのでしょう?それが出来れば鼻と目を水荒いできてこの季節を快適とは行かなくとも少しはましに暮らせるのに・・・。
 花粉が飛ばない杉が開発(?)され植えられているそうだ。だが今の杉と取って代わるのは娘の孫の代くらいだろう。その頃は“花粉症撲滅成功”などと言うニュースが出て過去の遺産になるのだ。そしておばあちゃんになった娘が、孫たち(私のひ孫達)に「おばあちゃんのお父さんはこの時期になるとくしゃみが出て大変だったんだよ』と話して聞かせたりするのだろう。娘よ、その時はカッコいいお父さんだったと話すんだぞ!
 花粉症と言うのはおなかの中に虫(カブトムシやテントウムシではない、念のため)、目黒駅近くに世界で唯一の博物館のあるあの虫を飼っていると発症しにくいそうだ。虫の排泄物が人体内で抗体の役割をするらしい。薬事法では認められていないが試したい方は自己責任でどうぞ。当ブログは一切関知致しません。
 最近青空が幾分黄色がかった青に見える。そろそろ末期症状なのか・・・。数年前には花粉症のくしゃみで肋骨にひびが入ったことがある。こうなるとくしゃみの度に胸に激痛が走る。脂汗タラタラもんだ。笑い事ではありません、生死の問題です(大袈裟ですね)。わからない人にはわからないこの時期の辛さ。花粉症対策のマスクやめがねをしているとどうも見栄えが悪い、街中で笑われたりする。この格好を笑う奴一歩前出ろ、花粉が充満している密室に放り込んでやる、わかったか!(取り乱しまして申し訳ありません)
 あと1か月と少しじっとおとなしく我慢します。え、お前が大人しくしている訳ないだろうって、ごもっともで御座います。

6年生を送る会

2005年03月13日 23時56分11秒 | 学校の事
 私は娘の通う小学校の“父親の会”と言うのに所属しており今年度は力不足ながら会長をやらせていただいています。この父親の会のことは別に機会に話しますが、今日3月13日は『6年生を送る会』と言うイベントを行いました。
 1日6年生と一緒にカレーを作ったり様々な種目のスポーツをやって「クラスみんなで最後の思い出を作ってもらおう」と言うコンセプトのイベントです。
 リレーやサッカーバスケット、ドッジボールをやって最後にメインイベントとして『大縄跳び10回』チャレンジをするのです。クラス全員1列または2列になってお父さんたちが回す大縄を10回飛ぶんですが、最初はなかなかうまくいかない。引っかかったら文句をいったり、責めたり。でもだんだん子供たちの目つきが変わってきて、引っかかっても責めなくなる。次第に一人一人が一つの列となって飛んでいるようになる。そして“今度こそ”と言う感じが全員から感じられてくる。そして3クラスとも10回クリアするのですがそこで止めようとしないで、11回12回と飛んでいる。周りで見ている子達も、見ているもではなく一緒に飛んでいる様に応援している。
 こういう、助け合う一つになってみんなで汗をかく事を最近の子達は体験する事が少なくなっている様に思う。遊びはゲーム、塾通いという環境の中で仕方ないのかもしれないが、今日の校庭、体育館には少なくとも忘れられた素晴らしい物が満ちていたように思える。
 このメンバーで大縄跳びをすることはもうないと思うが、みんなで10回飛んだことの自身と達成感はきっと彼らの今後に役立つと信じている。
 子供たちの一生懸命な姿に自分も頑張らなければと改めて感じた1日でした。
 来年、わが娘も卒業だ。今度は一緒に飛ぶ番だ。娘が10回飛んだ時、彼女は何を感じるのだろう?その姿を私はどんな思いで見るのだろう。

もう一人(?)の家族

2005年03月12日 08時12分51秒 | 家族の事
 私の家には、ペット(?)がいます。普通ペットは1匹2匹と数えますが、我が家のは、“1羽”なんです。
娘が近所の神社のお祭りで買ってきたひよこがすくすくと3年ほど育ち立派な成鶏になりました。毎朝鴇の声を張り上げ近所の方には早朝からお騒がせしております。しかしこれが雌なら“卵のおすそ分け”で勘弁してもらえるか、とも思いますが、立派な雄鶏なのでそれもままなりません。
 芸をする訳でもなく、檻から出せば、くちばしで威嚇し“庭一番の暴君?”として君臨するのです。しかしこのピースケ(御紹介が遅れました、こやつの名前です)も餌をくれる人(基本的には義母)には決して攻撃しないのです。ここに生命維持の神秘と言うか「こいつは自分にとって有益か?」ということを判断しているのかと思うと不思議と可愛くなります。
 我が家で最強の生物ですが、我が家の癒しに一役かっているようです