読書の記録

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コンサルが「最初の3年間」で学ぶコト

2023年02月26日 | ビジネス本
コンサルが「最初の3年間」で学ぶコト
 
高松智史
ソシム
 
 もうすぐ社会人30年目にもなろうとしているロートルがいまさら何読んでるんじゃとセルフツッコミしつつ、自分自身の棚卸と水漏れチェックを兼ねて。
 
 ぼくの職場はコンサルではないが、本書指摘するところの“コンサルはなにをやっているのか?”で示された「インプット→考える→アウトプット」という意味ではまったく同じである。僕も、Google先生のお世話になり、パワーポイントをぐりぐりする仕事を何年も続けている。
 で、本書によれば、上記をスマートにやるプロセスが、「ロ→サ→T→ス→作→ア」だそうである。ろさてぃすさあ?
 論点→サブ論点→TASK→スケジュール→作業→アウトプット、ということだ。改めてこのように考えたことはないが、さすがに30年会社員やってると、確かになんとなくこのフローに収れんされてきたようには思う。個人的に肝だと思うのは、「サブ論点」と「スケジュール」なのではないか。
 
 「サブ論点」という本書の表現はちょっとピンときにくいが、「今回のアウトプットで真に求められている要素は何か」を書き出したようなものとでも言おうか。ここではクライアントが抱えている背景とか、「お題」に込められている裏の意味とか、あえてうちらが競合社には無い強みを出せるものは何か、という作戦方針みたいなものが如実に反映される。サブ論点どころか真・論点だ。これがないと、クライアントにフィットしたアウトプットが出せず、ただの情報提供で終わってしまう(それでは感謝されない=報酬が望めないのである)。
 
 スケジュールも重要だ。これをたてないと、アウトプット提出の瞬間そのときぎりぎりまでずっと手をいれなければならなくなる。人生は仕事だけではないのだ。
 
 しかし、言うはやすく行うは難し。しばしば計画通りにはならない。状況がかわる局面がやってくる。クライアントの事情がかわる。これは言えなくなった、こういうことにも触れてほしい、予算が減った、プレゼン日が変更になった、実は裏で別の会社にも依頼していた、役員の最終報告の前にいっかい現場で確認させてほしい、というのが途中にしばしば入ってくる。しかも敵はクライアントだけではない。上司や上長がコメントをいれてくる。「上司は思いつきでものを言う」のは宿命だ。本書では「Nice to have」という言葉が出てくるが、上司が無邪気に言ってくる「●●もあったほうが良くない?」というやつだ。「あったほうが良くない?」という問いの答えはそりゃ「あったほうが良い」のであって、その場合の論点は「なくても差し付かえないか」であり、作業時間や作業負荷とのトレードオフで図るべきものなのだが、作業するのはその上司ではなくてこちらなのでトレードオフにならず、単なる非対称性の暴力である。いかん、ボヤキになってきた。
 
 なので、30年近く会社員やっていると、むしろ提案内容の「正しさ」よりも人間模様の機敏をどう味方につけ、敵を抑制し、一粒で10美味しい効果を探り、徒労を回避するかに長じるようになる。まじめに書くとこの世の中は機械システムではなく生態系なのである
 
 本書は、そういったハックもきちんと紹介されている。「辻褄思考」「テンションを2℃上げる」なんてハックが示されていて、その代表例だ。
 「辻褄思考」というのは、矛盾や不条理にまみれたときに、これはこれで先方にも事情や立場というものがあってしょうがないなんだな、と思える「優しさ」のことであり、むしろこれをうまく先方への「貸し」にするという、「狡さ」の思考のことである。世の中は贈与と返礼でまわっているのは文化人類学的には自明だ。田中角栄は「贈与」と「貸し」を醸し出して人を惹きつける天才だったと言われている。血気盛んな若者は「それって何の意味があるんですか」と言ってくるが、自分にとってうまく意味にしたててみせるのがサバイバル技術であろう。
 
 「テンションを2℃上げる」は、要は「明るくいけ!」だ。処世術としてこれを身に付けているのはやはり女性たちだ。それだけサバイバルを強いられているのだと思うが、この効果はまったく馬鹿にできない。同じことを言うのでも、ビジネスライクなトーンで言うのと明るく元気に言うのでは、先方の信頼と好感を勝ち取る程度がまるで違う。これは会社生活30年で実感していることである。
 さらには「感情が王様、ロジックは家来」「ロジックの反意語はストーリー」など、本書ではハックともスタディともつかぬもなのが次々と紹介されていちいち膝をうつ。
 
 こういった相手の歓心に付け入るキーワードとして、本書では「チャーム」「セクシー」といったカタカナ語が用いられる。こういった感覚知を表す言葉がいちいち外来語というところが意味深だ。脱日本企業文化を黒船的態度で外部から持ち込むことこそがコンサルの真骨頂なのである。
 でも黒船語は、日本人の身体にまだ腹落ちしていないことでもあると看破したのが社会学者兼詩人の水無田気流だ。実際はこういう技術は古来から日本にも存在していたわけで、ここは意地であてはまる日本語を思い出してみる。
 「腹芸」という言葉がある。「忖度」という言葉に取って代わられて死語化したが、本当は忖度よりも戦闘意識のある言葉だ。
 それから「粋(いき)」。九鬼周造いわく「意気地」と「諦め」と「媚態」のブレンド。こういうノンバーバルなところて信頼を得るのは日本のお家芸。日本の企業の経営者にはこんな感じで接するとよい。いや何の話だっけ?

 というよりも、本書をして浮かび上がらせたのは、コンサルのやつら、やっぱりロジック積み立てのしたり顔の裏で、いかに合コンで落とすかのようなこんな作戦感たててたんだな、ということだ。うすうすそうじゃないかと彼らの顔を眺めながら思ってはいたわけだが、縦横2軸の図もフェルミ推定もすべては感動のクライマックスにむけたストーリー演出(それは4コマ起承転結ならぬ9コマのパーツで構成されている)の小道具なんである。

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