読書の記録

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出雲世界紀行 生きているアジア、神々の祝祭

2023年02月22日 | 旅行・紀行・探検
出雲世界紀行 生きているアジア、神々の祝祭
 
野村進
新潮文庫
 
 出雲地方といえば神々のホットスポットだ。毎年10月は神在月。日本中の神様がここに集まってサミットを開く。
 その中心になるのは出雲大社。いまや出会いや恋愛成就祈願のパワースポットにもなっていて、東京駅からは今や希少な夜行列車が定期便として発着している。女子たちに大人気という。
 
 なんで島根県のこんなところ(と言ってしまっては失礼極まりないが)にそんなすごい聖地が出現したのか。

 古事記や日本書紀をひもとけばけっこう巻頭に近いところからこの地は文献として登場する。記紀によれば出雲の地は大国主命なるリーダーが治めていたが、天照大神ひきいるヤマト政権といろいろあってついには国譲りしたということになっている。初期ヤマト政権は順次領域拡大中だったはずで、出雲に限らず隼人だ熊襲だ蝦夷だとヤマト政権に対立する部族はたくさんいたわけだが、出雲の地だけがいろいろ気を使われた記述がされたり今だ聖地として特別視されているのはやはりそれ相応の理由があるはずだ。
 
 たしかに、現代においてなお出雲の地はタダゴトではない。出雲大社だけでなく、いわくありげな神社や遺跡がたくさん存在する。風習や行事といった無形文化の面でも特筆すへきものがある。さらには妖怪の第一人者水木しげるを輩出したのもこの地だ(厳密には出雲とは中海を挟んで対岸にある米子地方の生まれだが)。
 その出雲の神社のたたずまいや舞踊様式のありようが、なんとバリ島に通じるというとんでもない観点で切り込んでいくのが本書である。
 読みながら思わずなんじゃそりゃとつっこんでしまったが、実は根拠があるそうな。出雲地方は風土的には日本海側の厳しい気候で冬場は激しく雪が降って冷え込むものの、一方では対馬海流の影響もあって海洋文化が栄えたそうである。出土品を調べると、環日本海域圏(岸を伝っていけば本州島北部、対岸は朝鮮半島)と相互流通があったことがわかるそうだ。さらに、遠く沖縄や南洋のほうからも交易があったことが判明している。出雲には大和政権とは完全に異なる世界相があったのかもしれない。一説によると人種としてのDNAも出雲と大和では異なるともされている。神々の島と称されるバリ島の独特なヒンズー教と一脈通じていてもおかしくはないわけだ。
 
 本書は、そんな聖地出雲地方の訪問記だ。とくに石見地方の神楽、水木しげるの妖怪観と境港市の水木しげるロード、そして出雲に縁を願う「神社女子」たちのインサイトにフォーカスし、出雲にまつわる人々の根底にある「多幸感」にせまっていく。
 神々が息づく地、妖怪が跋扈する地はなんと幸福の地なのである。
 
 ずいぶん以前に読んだ妖怪に関する本では、妖怪とは各アカデミズムそれぞれの中心地から遠く離れたものに形象を与えたものという理解を得てなるほどと納得した。人間や自然がおりなす事象や現象でありながら、社会学からも地理学からも心理学からも生物学からも化学からも周辺扱いされるものーーこれが妖怪の土壌になる。いわば学問の辺境地帯で境界線があいまいなところに跋扈する森羅万象、これが妖怪だ。したがって最近のように生理人類学とか発達社会心理学とか環境共生社会学みたいに学問も細分化されて開拓されてしまうと、妖怪の居場所もなくなってしまうだろう。
 しかし何もかもが分類されて因果や構造を明らかにされることと、果たしてそれが幸せなことかどうかというのはまったく別のことである。妖怪に関しての別の観点として、自分の力ではどうしようもないことに遭遇した際の心のセーフティネットとして妖怪は機能した、というのもある。今日ではなにか災害や事故があったとき、なにかとすぐに他人や行政の責任を求めようとする。しかしそれで被害者や遺族の心が救われるかというとそんなことはなく、むしろ永遠と恨みと呪いの澱に沈んでしまうことになる。かつて妖怪の仕業とされた時代、それはそれで人知の届かぬ「あきらめ」という心の作用もあったのではないか。分類の罠から逃れるために妖怪は存在したと言ってもよい。
 
 現代とは分類をかいくぐる生活でもある。あれは違う。これも違う。それとこれはここで区別する。あれは正しくこれはよくない。あちらにあってこちらにないもの。あの人にあってわたしにないもの。あちらが上でこちらが下。現代生活とは区別と分別と類別と識別と選別、そして差別の中を生き抜く生活ともいえる。あたかも最適な組み合わせは一通りしかないように、至上の組み合わせを求めて人は生きていく。それ以外の道に入り込んでしまうと、もう救いはなくなり、他人や社会を呪うだけになる。我々はいつのまにか一神教的なロジックの罠におちていく。
 
 「多様性」の重視が呼ばれて久しい。しかし最近の「多様性」と、出雲が持っていた八百万の神々の精神はまるで違う。最近キーワード化している「多様性」がダイバーシティの訳語としてあてられているように、そして水無田気流がそれを「黒船語」と称して日本人の心身にいまひとつしっくり腹オチしていないことを指摘するように、「ダイバーシティ」は心よりもまず頭を働かせなければならないものになっている。境界を超えるには努めがいる。克服すべきものとして覚悟や気合の精神がつきまとっている。
 だけど、世の中を森羅万象をあるがままに受け止めるという行為は、本来はもっとナチュラルなものではなかったか。分類とか境界というものはそもそも便宜的なものに過ぎなかったのではないか。老若男女がこだわりなく行き交う石見神楽の多幸感、水木しげるにとって自分、家族、仲間、故郷、世界すべてがエゴの枠だったとされるその「太古に通じるおおらかさ」の多幸感、170体以上の妖怪ブロンズ像にいつでも触れる無料の楽園水木しげるロードの多幸感、現代の類型とは超越したところに凛とたたずむ出雲の神社に見る多幸感、「なんでも大事にしようぜ」という八百万の多幸感には、ダイバーシティ論とは異なるもう一つの多様性の幸福のヒントがあるのかもしれない。

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