中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京南東部-537」 汐留 汐留シティ

2022-02-24 08:56:42 | 東京中心 北

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

汐留シティ

時代を動かすランドマーク ─── 汐留シティセンター。

銀座、新橋を徒歩圏に持つビジネス拠点、巨大複合都市・汐留シオサイトの玄関口に位置する“汐留シティセンター”。
グローバルビジネスに求められる全てに応えるために、先進性、快適性、利便性、安全性に磨きをかけています。

汐留シティセンター
所在 東京都港区東新橋1丁目5番地2号
都営大江戸線「汐留」駅、新交通ゆりかもめ「新橋」駅:徒歩1分
都営浅草線「新橋」駅:徒歩2分
JR線、東京メトロ「新橋」駅:徒歩3分
主要用途 事務所、店舗
鉄骨造、鉄骨鉄筋コンクリート造
敷地面積 19,708.33㎡(B街区全体)
延床面積 210,154.24㎡(63,571.66坪)
総貸付面積(事務所) 106,219.57㎡(32,131.42坪)[コア内3,132.12 ㎡(947.46坪)]
地上43階、地下4階、塔屋1階
最高高さ GL+215.75m
2003年1月
ケビンローシュ・ジョンディンカルー・アンド・アソシエイツ
共同設計 日本設計
竹中工務店
プロジェクト・マネジメント 三井不動産
アルダニー・インベストメンツ、三井不動産
駐車台数 443台(汐留シティセンター分)
エレベーター設備(乗車)





(人貨用兼非常用)
層:24人乗×7基(1F4F-12F)
層:24人乗×8基(1F・13F-22F)
中高層:24人乗×8基(1F・23F-32F)
層:24人乗×7基(1F・33F-40F)
(※各バンクのうち1台はB1F着床)

 

 

 

 

20170120 東京南東 史跡
東京都港区東新橋
            汐留界隈
 汐留(しおどめ)は、東京都港区の地区名・旧町名。現在ではおもに、汐留地区に建設された巨大複合都市“汐留シオサイト(siosite)”を指す。 かつての汐留(汐留町)は、現行行政地名では、東新橋の大部分と、海岸一丁目の一部にあたる。
  2004年(平成16年)には、13棟の超高層オフィスビルが建ち並び、4つのホテルや数多くのレストラン、ショップなどが地下通路とペデストリアンデッキでつながる6万人の複合都市として生まれ変わった。東側には浜離宮恩賜庭園をはさんで東京湾、西側は新橋駅から虎ノ門・神谷町・霞ヶ関の官庁街があり、銀座・築地・臨海副都心にも近く恰好のビジネスロケーションといえる。

 

 

20180427 東京南東 ツツジ
東京都港区東新橋
汐留 日本通運近辺
   当社は、かねてより東京都港区で新本社ビルを建設しておりましたが、このたび完成し、7月11日竣工式を執り行いました。
 新本社ビルは、汐留地区で再開発された「汐留シオサイト」に建設されたものです。鉄道発祥の地である汐留地区は、当社の事業の原点ともいえる地で、グローバル企業としての当社の新たな顔となるべく、「知的創造性を生み出す空間づくり」「人と環境にやさしい建物」「周辺地域への貢献」をテーマとしています。
 「知的創造性を生み出す空間づくり」では、IT技術の進展に対応した情報インフラの整備や、快適で健康的なオフィス環境の実現を目指しました。
 「人と環境にやさしい建物」では、環境保全を企業経営の重大なテーマととらえ、省エネルギーによる環境負荷低減と、周辺街区との調和と緑豊な外部空間づくりを心がけました。
 「周辺地域への貢献」では、武道場や物流資料館などの文化交流施設を設け、地域の皆さまへご利用いただく予定です。また、十分な耐震性を備え、地域での防災拠点としての対応も可能になっています。
hpより

 

 

 

20180427 東京南東 ツツジ
東京都港区東新橋
汐留 電通ビル近辺
 電通本社ビル(でんつうほんしゃビル)は、東京都港区東新橋にある超高層ビル。汐留再開発地区の東側に位置し、南側は浜離宮庭園に面する。大手広告代理店の電通が本社機能を置くほか、低層部と高層部にはレストラン街や劇場がある。
  築地や銀座、聖路加ガーデンに分散していた本社機能を集約するべく、電通は1997年に国鉄清算事業団が実施した汐留貨物駅跡地の公開入札に応募。2位の香港の企業と僅差で落札した。1999年秋に着工、約3年の歳月をかけ、2002年11月1日に竣工した。オフィス棟はフランスの建築家ジャン・ヌーヴェル、商業施設部分はアメリカの建築家ジョン・ジャーディがデザインを担当した。周囲の景観およびビルで働く約6000人の社員がウォーターフロントを眺められるよう、浜離宮庭園に面した南側を曲面とした、ブーメラン状の断面が採用された。その南側は東から西に向かって白からグレーにグラデーションがつけられ、西側の角は白く彩られている。   

 

 

 

20180427 東京南東 見学・ツツジ
東京都港区海岸                牡丹・藤
旧芝離宮恩賜庭園
  小石川後楽園と共に、今東京に残る江戸初期の大名庭園の一つです。回遊式泉水庭園の特徴をよくあらわした庭園で、池を中心とした庭園の区画や石の配置は、非常に優れています。
明暦(1655~1658年)の頃に海面を埋め立てた土地を、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領しました。
忠朝は屋敷を建てるにあたり、藩地の小田原から庭師を呼び庭園を造ったと言われています。庭園は「楽壽園」と呼ばれていました。
  庭園は、幾人かの所有者を経たのち、幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となりました。明治4年には有栖川宮家の所有となり、同8年に宮内省が買上げ、翌9年に芝離宮となりました。離宮は、大正12年の関東大震災の際に建物や樹木に大変な被害を受けました。
翌年の大正13年1月には、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市に下賜され、園地の復旧と整備を施し、同年4月に一般公開しました。また、昭和54年6月には、文化財保護法による国の「名勝」に指定されました。 hpより   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20180427 東京南東 像・薔薇・噴水
東京都港区東新橋
ラ・トゥール汐留
      イタリア公園
  「日本におけるイタリア2001年」を記念し、同国から寄贈された、面積3,660.02平方メートルの街区公園です。本格的なイタリア式庭園の外観と、イタリア製の彫刻、噴水が特徴で、汐留イタリア街に隣接し、汐留地区に美しい景観をつくる空間の一つになっています。公園の東西は、首都高速都心環状線とモノレールに、南北は高層ビルに囲われた、大都会の中のオアシスです。
 公園全体のデザインは、イタリア人の設計による、トスカーナ・ルネッサンス様式のイタリア式庭園となっています。14世紀から16世紀にかけて、イタリア郊外で発達したイタリア式庭園は、丘の中腹にある隠れ家のような敷地の中に、軸線(ビスタ)を通し、左右対称に構成し、人工物を配置することで、訪れる人々の目を楽しませるものです。港区hp 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埼玉・茨城から東京を楽しむたび
古河・上尾カルチャーセンター「お江戸巡り⑭」
第40回新橋~築地界隈を楽しむたび
和食・老舗(築地田村)
平成29年11月14日(火)10時新橋駅北口(SL前)
新橋駅-汐留(日本テレビ・シティセンター・旧新橋停留所等見学)-浜離宮「見学」-朝日新聞-築地中央卸売市場「散策・昼食(田村)」-築地界隈「築地本願寺・聖路加病院等見学」-佃大橋-佃島「散策」-月島「もんじゃストリート」-佃島駅
つきぢ田村 築地店(つきぢたむら)3500円+税代々引き継がれる伝統の味。五味調和
つきぢ田村では、旬の食材のみにこだわらず本当にいい食材を、ご堪能頂ける様厳選しております。冷たいお料理は冷たいうちに、温かいお料理は温かいうちにと、創業の心を受け継ぎ、1階〜5階の各フロアに、それぞれ厨房を備えております。


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散策 「東京南東部-536」 篠原風鈴本舗

2022-02-23 21:32:05 | 東京 南東部

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篠原風鈴本舗  03-3670-2512
*名称の由来*

 儀治は先代から受け継いだガラス風鈴を、昔の東京すなわち「江戸」で、
江戸時代から作られていたことから 昭和40年頃、「江戸風鈴」と名付けました。

 ですから、江戸風鈴という名称は儀治のブランド名と思ってください。
そのため、儀治の承諾を受けた裕、正義、そして、その一門が江戸風鈴の名称を使用出来るわけです。
 それまではガラス風鈴,あるいはビードロ風鈴などと呼ばれていました。

 一個一個が手作りですので、同じ形・同じ柄でもそれぞれ異なる音がします。

*江戸風鈴の製造所*
 現在、篠原風鈴本舗、篠原まるよし風鈴の合計2カ所だけです。

江戸風鈴には様々な種類があります。
(数値はあくまでも平均的なものです。手作りのため、個体差に多少ばらつきがあります。
左から 小丸(直径約8cm×高さ約7cm)
**江戸風鈴の中で一番基本的なサイズです**
中丸(直径約10.5cm×高さ約9cm)
大丸(直径約12cm×高さ約11cm)
「ひょうたん」(直径約8cm×高さ約12cm)
「しんすい」(直径約8cm×高さ約10cm)
「小丸」(直径約8cm×高さ約7cm)
「すずらん」(直径約4cm×高さ約5cm)

 

 

散策 「東京南東部-535」 十思公園 小伝馬町牢屋敷展示館

散策 「東京南東部-534」 松尾芭蕉 深川

散策 「東京南東部-533」 新橋から日本橋

散策 「東京南東部-532」 新橋演舞場

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散策 「東京南東部-530」 森下文化センター

散策 「東京南東部-529」 深川江戸資料館

散策 「東京南東部-528」 神田アート七福神

散策 「東京南東部-527」 清澄・森下界隈

散策 「東京南東部-526」 清澄長屋

散策 「東京南東部-525」 清澄白河近辺 「清澄白河」周辺を散策

散策 「東京南東部-524」 聖路加タワー

散策 「東京南東部-523」 石町時の鐘 今川橋跡 家内喜神社

散策 「東京南東部-522」 仙台堀川公園  

散策 「東京南東部-521」 浅草見附跡  

散策 「東京南東部-520」 善養寺  

散策 「東京南東部-519」 善養寺影向のマツ  

散策 「東京南東部-518」 袋物参考館  

散策 「東京南東部-517」 大鵬部屋・大嶽部屋 

散策 「東京南東部-516」 第5福竜丸展示館

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散策 「東京南東部-512」 築地本願寺 

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散策 「東京南東部-510」  中央区築地川銀座公園

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散策 「東京南東部-508」 月島 

散策 「東京南東部-507」 佃島 

散策 「東京南東部-506」 品川宿交流館 

散策 「東京南東部-505」 東海七福神巡り 

散策 「東京南東部-504」 東急プラザ銀座 

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散策 「東京南東部-500」 東京国立近代美術館フィルムセンター

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散策 「東京南東部-497」 東京都水の科学館

散策 「東京南東部-496」 東京都水の水族館

散策 「東京南東部-495」 東京都中央卸売市場・食肉市場「お肉の情報館」

散策 「東京南東部-494」 東京湾クルーズ

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散策 「東京南東部-489」 日本橋(東京都中央区)

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散策 「東京南東部-485」 日本橋三越 

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深川飯「深川宿」 門前仲町から下町散策,  両国の相撲部屋を巡るたび 熊谷カルチャーセンター 第5回 熊谷から行く東京散策② 

散策 「東京南東部-479」 法乗院(深川えんま堂) 

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散策 「東京南東部-535」 十思公園 小伝馬町牢屋敷展示館

2022-02-22 08:34:20 | 東京 南東部

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参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

十思公園   小伝馬町牢屋敷展示館

十思公園(じっしこうえん)は、東京都中央区日本橋小伝馬町にある公園。

江戸時代、このあたり一帯は伝馬町牢屋敷であったことから、公園内には処刑の合図となった石町時の鐘(もとは同じ日本橋の石町にあった)があるほか、そこで処刑された吉田松陰の石碑もある[1]。隣は十思スクエア(旧:十思小学校)で、隣接する同別館には小伝馬町牢屋敷展示館がある

 

小伝馬町牢屋敷展示館

時代劇でお馴染みの「伝馬町牢屋敷」は現在の中央区日本橋小伝馬町3~5番を占めていました。面積は2,618坪(8,637平方メートル)。周囲に土手を築いて堀を巡らし、土塀に囲まれていました。その牢屋敷の内部の模型を展示しているのが日本橋小伝馬町5番にある十思スクエア(旧十思小学校)に隣接する「十思スクエア別館」内にある『小伝馬町牢屋敷展示館』です。
牢屋敷の獄舎は身分によって区分けされていました。大牢と二間牢は庶民、揚屋(あがりや)はお目見以下の幕臣、大名の陪臣、僧侶、医師。牢屋敷は現在でいえば未決囚の収容所で一時的に留置しておくためのものでした。したがって取り調べをする穿鑿(せんさく)所や拷問蔵もあり、模型にもそれらの場所が明記されています。

 

 

20150414  東京南東・碑・史跡
東京都中央区日本橋小伝馬町
          十思公園 
  伝馬町牢屋敷跡につくられた公園。園内には、銅鐘石町時の鐘(どうしょうこくちょうときのかね)・伝馬町牢屋敷跡・杵屋勝三郎歴代記念碑・吉田松陰終焉の地碑など、歴史を物語る史跡が豊富に残されている。石町時の鐘
 江戸市民に親しまれた時報鐘のひとつ。現在の日本橋室町4丁目付近にあった。近くにオランダ人の定宿、長崎屋があったため、「石町の鐘はオランダまで聞こえ」とうたいはやされた。高さ1.7m、口径93cmの和鐘である。
吉田松陰終焉の地
 兵学、洋学に通じた幕末の長州藩士・吉田松陰は、幕府の条約調印に関して閣老間部詮勝の襲撃を謀ったとして捕らえられ、安政6年(1859)伝馬町牢屋敷で処刑された。松陰直筆の辞世の歌が刻まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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散策 「東京南東部-534」 松尾芭蕉 深川

2022-02-21 06:47:30 | 東京 南東部

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松尾芭蕉 深川

深川の草庵へ http://intweb.co.jp/miura/myhaiku/basyou_fukagawa/0fukagawa_no_basyou.htm

 芭蕉は、俳諧の宗匠として一門の確立を目指していて、其角や嵐雪などの優秀な門人も増え、これからという時に、芭蕉は当時新興住宅地でまだ草原の多かった川向こうの深川村に引っ越してしまう。芭蕉は、なぜなのか理由もはっきりしないまま、「書き役」、俳諧指導・添削料、点者による生活から、門人らの喜捨による「深川隠遁」といわれる生活に切り変えてしまう。
 芭蕉は、俳諧点者(俳諧の優劣を判定して添削料をいただく人)や座敷乞食といわれるような生活(出張指導・添削指導・太鼓持ち的な対応)に嫌気がさしていた。そして、新しい俳諧、「風雅の誠」を攻め悟るために自分の生活スタイルを自らいう桑門・俳諧「乞食」、隠遁生活へと変えてしまった、ということが一般的な理解である。

発句也松尾桃青宿の春

 芭蕉は、俳諧の宗匠として我が世の春を謳歌していたのではないか。

 だが、この解釈は理屈としては理解できても、どうもいまひとつ腑に落ちない。
 芭蕉は、日本橋では、小沢太郎兵衛家に仕えて給金をもらうとともに、俳諧の宗匠として立机し、門人・弟子も大勢でき、俳諧万句の興行を行って名を挙げ、順風満帆の勢いにあったのではないか。芭蕉も宗匠として名をあげ、一門を構えることを望んでしたはずだ。それがどうして、俳諧宗匠の地位も門人も収入も投げ出し、深川の草庵に隠棲し、桑門乞食の生活に入らなければならなかったのか。
 芭蕉が生涯をかけて追い求めた「俳諧の誠」を疑うものではまったくないが、この時、「俳諧の誠」を極めるためにのみ、日本橋での生活を放棄したのだろうか。「この一筋」とはいえ、芭蕉は自らにそんな試練を課したのだろうか。


 日本橋の芭蕉は、「なでつけ頭」・「散切り頭」だったらしい。「なでつけ頭」は、今でいうオールバックで、山伏・易者・儒学者に多かったという。虚無僧や医者、俳諧師も「なでつけ頭」が普通の髪型だったようだ。芭蕉の上の絵のような「俗にして髪なし」の坊主頭は、深川隠棲以降のようだ。芭蕉の僧形は、俳諧師の制服のようなものであったにしても、俗世間から離れたところで生きているという矜持のようなものかもしれない。「桑門乞食」の俳諧師芭蕉は、4つの身分制を離れ、生活のための俳諧をきっぱりと捨て、己の求める俳諧の誠の道に踏み出すことにした。
 何がそうさせたのか。絵のようなツッパリ禿げ頭の僧形の芭蕉をみると、何かをあきらめたようにも、何かを悟ったようにも見える。芭蕉の新しい俳諧表現にかける静かな想いと意気込みのようなものが伝わってくる。

 

 

 

 

 

20180911 東京南東 碑・見学

東京都江東区常磐

江東区芭蕉記念館  

 芭蕉は、延宝8年(1680年)それまでの宗匠生活を捨てて江戸日本橋から深川の草庵に移り住みました。そして、この庵を拠点に新しい俳諧活動を展開し、多くの名句や『おくのほそ道』などの紀行文を残しています。この草庵は、門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったところから「芭蕉庵」と呼ばれ、芭蕉没後、武家屋敷内に取り込まれて保存されましたが、幕末から明治にかけて消失しました。 大正6年(1917年)9月の台風の高潮の後、常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。江東区は、このゆかりの地に、松尾芭蕉の業績を顕彰するため、昭和56年(1981年)4月19日に芭蕉記念館を、平成7年(1995年)4月6日に隅田川と小名木川に隣接する地に芭蕉記念館分館を開館しました。当館は、真鍋儀十翁等が寄贈された芭蕉及び俳文学関係の資料を展示するとともに、文学活動の場を提供しています。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

20161119 東京南東 史跡
東京都江東区清澄
              萬年橋
 萬年橋(まんねんばし)は、東京都の小名木川にかかる橋で第一橋梁である。江東区道第3124号線(萬年橋通り)を通す。北岸は江東区常盤一丁目、南岸は江東区清澄一丁目と二丁目を分かつ。当橋のすぐ西側で小名木川は隅田川と合流、東側には新小名木川水門が設置されている。
  萬年橋が架橋された年代は定かではないが延宝8年(1680年)の江戸地図には「元番所のはし」として当所に橋の記載がある。江戸時代初期、この橋のすぐ北側に小名木川を航行する船荷を取り締まるために「川船番所」が置かれていたものの、この番所は明暦の大火後の江戸市街地の整備拡大に伴い、寛文元年(1661年)に中川口へと移されたため、付近が「元番所」と呼ばれていたことに由来する。慶賀名と考えられる「萬年橋」という呼称となった時期などは不明である。
  北岸は松尾芭蕉が居を構えた場所で、隅田川と小名木川の合流地点付近の住居跡は芭蕉歴史庭園として整備されている。また近隣に江東区芭蕉記念館がある

 

 

 

 

 

 

20190510 東京南東 史跡
東京都江東区深川
            採茶庵跡
松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅へ出発した地
 元禄2年(1689)に松尾芭蕉は、ここから『おくのほそ道』の旅へ出発しました。採荼庵は、芭蕉の門人である杉山杉風の別荘でした。正確な地点は明らかではありませんが、仙台堀川にかかる海辺橋付近にあったといわれています。これにちなんで、海辺橋の橋台地には濡縁に腰掛けた旅姿の芭蕉像が設置されています。   
芭蕉の門人鯉屋杉風は今の中央区室町1丁目付近において代々幕府の魚御用をつとめ深川芭蕉庵もその持家であったがまた平野町内の三百坪ほどの地に彩茶庵を建てみずからも彩茶庵と号した芭蕉はしばしばこの庵に遊び「白露もこぼさぬ萩のうねりかな」の句をよんだことがあり元禄2年奥の細道の旅はこの彩茶庵から出点した。昭和33年(1958)10月1日江東区第7号

 

 

 

埼玉・茨城から東京を楽しむたび
古河・上尾・小山ルチャーセンター「お江戸巡り⑳」
第60回  平成31年9月10日(火)
隅田川の支流、仙台堀川を巡る旅 
    10時30分門前仲町・深川不動お清め前集合
100本のスプーン
門前仲町-芭蕉の道-伊能忠敬住居跡-清澄公園-深川界隈散策(正覺寺・淨心寺等)-ワイルドシルクミュージア-ブルーボトルコーヒー 清澄白河ロースタリー&カフェ-福富川公園(木場の香り)-福富川公園(木場の香り)-木場公園-100本のスプーン-木場公園-木場親水公園-木場駅      
芭蕉俳句の散歩道近辺
江東区内には"松尾芭蕉"ゆかりの旧跡や句碑が数多くあり、 仙台堀川に架かる海辺橋南西詰めの"採荼庵"(さいとあん)跡(深川一丁目)もその一つです。採荼庵は芭蕉の門人の杉山杉風の庵で、芭蕉は元禄二年(1689)ここから舟に乗り隅田川を経て千住に向かい、そこで舟を降り"奥の細道"の旅へ出発しました。海辺橋から西方へ次の清澄橋間の水辺の散歩道(南岸)に"芭蕉俳句の散歩道"が作られ、 奥の細道の代表的な18句が木製ではありますが句碑として行程順に並んでおり楽しむことが出来ます。

第60回 隅田川の支流、仙台堀川を巡る旅 仙台堀川(福富川親水)を確認してみましょう 古河・上尾・小山カルチャーセンター 「お江戸巡り⑳」 案

第60回 隅田川の支流、仙台堀川を巡る旅 仙台堀川(福富川親水)を確認してみましょう 古河・上尾・小山カルチャーセンター 「お江戸巡り⑳」 記録        

100本のスプーン 東京都現代美術館内 第60回 隅田川の支流、仙台堀川を巡る旅 仙台堀川(福富川親水)を確認してみましょう 古河・上尾・小山カルチャーセンター 「お江戸巡り⑳」 食事記録

 

 

 

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散策 「東京南東部-533」 新橋から日本橋

2022-02-20 06:54:03 | 東京中心 北

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

20170120 東京南東 史跡
東京都港区東新橋
            汐留界隈
 汐留(しおどめ)は、東京都港区の地区名・旧町名。現在ではおもに、汐留地区に建設された巨大複合都市“汐留シオサイト(siosite)”を指す。 かつての汐留(汐留町)は、現行行政地名では、東新橋の大部分と、海岸一丁目の一部にあたる。
  2004年(平成16年)には、13棟の超高層オフィスビルが建ち並び、4つのホテルや数多くのレストラン、ショップなどが地下通路とペデストリアンデッキでつながる6万人の複合都市として生まれ変わった。東側には浜離宮恩賜庭園をはさんで東京湾、西側は新橋駅から虎ノ門・神谷町・霞ヶ関の官庁街があり、銀座・築地・臨海副都心にも近く恰好のビジネスロケーションといえる。

 

 

 

埼玉・茨城から東京を楽しむたび
古河・上尾カルチャーセンター「お江戸巡り⑭」
第40回新橋~築地界隈を楽しむたび
和食・老舗(築地田村)
平成29年11月14日(火)10時新橋駅北口(SL前)
新橋駅-汐留(日本テレビ・シティセンター・旧新橋停留所等見学)-浜離宮「見学」-朝日新聞-築地中央卸売市場「散策・昼食(田村)」-築地界隈「築地本願寺・聖路加病院等見学」-佃大橋-佃島「散策」-月島「もんじゃストリート」-佃島駅
つきぢ田村 築地店(つきぢたむら)3500円+税代々引き継がれる伝統の味。五味調和
つきぢ田村では、旬の食材のみにこだわらず本当にいい食材を、ご堪能頂ける様厳選しております。冷たいお料理は冷たいうちに、温かいお料理は温かいうちにと、創業の心を受け継ぎ、1階〜5階の各フロアに、それぞれ厨房を備えております。


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熊谷カルチャーセンター
                          熊谷から行く東京散策③
                                  東京(江戸)の街を違った角度から散策してみませんか

            第3回 新橋から「築地」・佃島を楽しむたび
  「新旧の江戸を楽しみ移転前の市場を楽しむ旅」

平成25年6月10日集合 集合:新橋駅10時(蒸気機関車前)
                       解散:佃島駅15時

新橋駅-汐留(日本テレビ・シティセンター・旧新橋停留所等見学)-浜離宮「見学」-朝日新聞(見学)-築地中央卸売市場「散策・昼食」-築地界隈「築地本願寺・聖路加病院等見学」-佃大橋-佃島「散策」-月島「もんじゃストリート」-佃島駅

 

 

 

 

 

 

「かんの」海鮮丼等  新旧の江戸を楽しみ移転前の市場を楽しむ旅

 

 

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