このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。 コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。
現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。
参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ
雑司ヶ谷霊園
明治政府の自葬禁止(1872(明治5)年6月28日)、神葬地設定(1872(明治5)年7月13日)、火葬禁止(1873(明治6)年7月18日太政官第二百五十三号)、旧朱引内 [1]の埋葬禁止、墓地令(1874(明治7)年6月22日)等の法令・布告・布達にともない共葬墓地の必要が生じ、東京府が東京会議所に命じて雑司ヶ谷旭出町墓地を造営 [2]、1874年(明治7年)9月1日に開設。
1876年(明治9年)に東京会議所から東京府が管理事務を引き継ぎ、1889年(明治22年)に東京市の管轄となったのち、1935年(昭和10年)「雑司ヶ谷霊園」に名称変更。現在は東京都公園協会が管理している。
ジョン万次郎、小泉八雲、夏目漱石、島村抱月、竹久夢二、泉鏡花、東條英機、永井荷風、サトウハチロー、東郷青児、大川橋蔵など著名人の墓が多くあり、夏目漱石の小説『こゝろ』の舞台にもなっている。
法明寺(ほうみょうじ)は、東京都豊島区南池袋にある、日蓮宗の寺院。山号は威光山。飛地境内に鬼子母神堂がある。
法明寺鬼子母神堂
「新編武蔵風土記稿」によると建立は天正六年(1578)五月三日であるが、そののち寛文四年(1664)松平安芸守光晟の室、法名自昌院英心日妙大姉が寄進して、今の本殿を造営した。
拝殿と弊殿(相の間)は元禄十三年(1700)に建立されたことが、昭和五十一年におわれた昭和大修理において発見された墨書や銘文によって確認されている。
本殿は桁行6.04m、梁間5.77m、一重、流造、桧皮葦形銅板葦、相の間は桁行6.06m、梁間6.04m、一重、両下造、とち葦形銅板葦。拝殿は桁行17.86m、梁間11.816m、一重、入母屋造。厨子は一間厨子、入母屋造、軒唐破風附本瓦形板葦
雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ
イチョウ(銀杏・公孫樹)は一属一種のイチョウ科に属する、裸子植物の落葉高木である。耐寒耐暑性があり、社寺の境内樹・公園樹・街路樹などに広く植栽されている。中国原産といわれ日本へは遣唐使の帰国によって
もたされたという説もある。雌雄異株で、四月に開花し十月に種子(銀杏)は成熟し、黄葉する。
樹高30m、幹周8mの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永年間(1394~1428)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来「子授け銀杏」と言われ、戸張苗堅の
「櫨楓」によると、婦人がこのイチョウを抱く光景がみられ、注連縄(しめなわ)を張るようになったのは、文政年間(1818~29)の頃という。
第7回 熊谷カルチャーセンター
池袋から寺院・自然園を
巡るたび+雑司ヶ谷七福神
平成26年1月10日(金)
池袋ヤマダ電気入り口10時集合
池袋-都電:雑司ヶ谷駅-「雑司ヶ谷七福神」-雑司ヶ谷霊園「著名人の墓・参拝」-雑司ヶ谷下町散策-護国寺「参拝」-(春日通り)-東京教育大各-小石川植物園-円乗寺(八百屋お七の墓)-白山神社「参拝」
大黒天 鬼子母神堂 豊島区雑司ヶ谷
恵比寿 大鳥神社 豊島区雑司ヶ谷
毘沙門天 清立院 豊島区南池袋
吉祥天(寿老人の代替) 清土鬼子母神堂 文京区目白台
弁財天 観静院 豊島区南池袋
布袋尊 中野ビル 豊島区南池袋
福禄寿 仙行寺 豊島区南池袋
20150210 東京北
東京都豊島区雑司ヶ谷
雑司ヶ谷霊園
都立雑司ヶ谷霊園は豊島区南池袋、都電雑司ヶ谷駅東口からすぐ。地下鉄有楽町線東池袋駅より徒歩約7分。池袋駅からも徒歩約20分の都立霊園です。
園内に入ると緑が多く静かに感じられますが、目線を上に向け見渡すと高層ビルが視界に入り都心にある希少墓地であることを再確認できます。
都心、池袋に立地する墓地でありながら広い土地のゆとりある設計で、夏目漱石、泉鏡花、ジョン万次郎をはじめ、著名人の墓所が多くあり、現在でも多くの方がお参りに訪れてます。
散策(案内)25 「東京中心部北 563」 雑司が谷旧宣教師館
散策(案内)21 「東京中心部北 559」 国際子ども図書館
散策(案内)20 「東京中心部北 558」 高田馬場駅前広場・まつ川公園
散策(案内)16 「東京中心部北 554」 旧東京音楽学校奏楽堂
散策(案内) 「東京中心部北 550」 神田川界隈④⑤ 関口~高田馬場①②
散策(案内) 「東京中心部北 549」 花園神社 がらくた市
散策(案内) 「東京中心部北 547」 下町風俗資料館付設展示場(旧吉田屋酒店)
散策(案内) 「東京中心部北 543」 宇宙ミュージアムTeNQ 東京大学総合研究博物館