護国寺|真言宗豊山派大本山文京区大塚にある真言宗豊山派寺院
真言宗豊山派寺院の護国寺は、神齢山悉地院と号します。護国寺は、真言宗豊山派大本山で、5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建されました。1200石の御朱印寺でした。御府内八十八ヶ所霊場87番札所、江戸三十三箇所観音霊場第13番、東京三十三観音霊場24番札所です。
護国寺は、5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建、江戸幕府から寺領1200石の御朱印状を拝領、真言宗豊山派の大本山です。
護国寺は、天和元年(1681)2月、5代将軍綱吉が、生母桂昌院の願いを入れ、高田薬園の地に寺院を創建したのが始まりである。本堂は桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観音菩薩像である。堂宇は天和2年(1682)完成した。同3年には桂昌院が初めて当寺を参詣された。
現在の観音堂(本堂)は元禄10年(1697)正月、新営の幕命があり、約半年あまりの工事日数で完成した。同年8月落慶供養の式典が、盛大に挙行された。元禄時代の建築工芸の粋を集め結実した大観音堂であり、その華麗さ雄大さは都下随一と賞されている。
将軍綱吉も、生母桂昌院とともに参詣し、寺領も1200石に加増された。その後、桂昌院は三十数回にわたり参詣し、そのつど境内の建造物が完備されていった。
明治16年、大正15年と火災で堂宇のいくつかを失った。しかし、観音堂(本堂)は元禄以来のもので、薬師堂、大師堂、仁王門、惣門、鐘楼など、創建当時のものと考えられる。(史跡さんぽ平成10年度実施報告書より)
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