熱き専門学校理事長の仕事

「日本一学生を幸せに出来る専門学校を創る」という夢に向かって奮闘する経営者のひとり言

一枚の写真が表現するもの。ジョー・オダネル「焼き場に立つ少年」

2008年02月09日 12時39分36秒 | 我思う
写真は、ジョー・オダネルという人。

すでにこの世にはいない。

アメリカ空爆調査団の公式カメラマンで、第二次世界大戦後の日本を約7ヶ月

にわたり記録したという。

去年のいつだったか忘れたが、テレビでこの人の撮った写真が紹介されていた。

、、、

「焼き場に立つ少年」



おそらく小生にとっては、一生忘れられない一枚になると思う。

、、、

やや長く、孫引きだが、以下の文を読んでみて欲しい。↓

ジョー・オダネル氏がこの写真について語ったインタビュー内容だ。

「焼き場に立つ少年」

1945年9月—佐世保から長崎に入った私は
小高い丘の上から下を眺めていました。
10歳くらいの少年が歩いて来るのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられます。
しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちに、
5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男たちがおもむろに近づき、
ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。
この時私は、背中の幼子がすでに死んでいるのに
初めて気づいたのです。
(中略)
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、
直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に
血がにじんでいるのに気がついたのは。
少年があまりきつく唇を噛みしめているため、
唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。

Joseph R O'Donnell(インタビュー・文 上田勢子)
「写真が語る20世紀 目撃者」(1999年・朝日新聞社)より抜粋

、、、

一枚の写真の表現力。

この一瞬を捉えた写真の過去と未来に想いを馳せる。

そしてその過去はあまりにも凄惨で、原因は根深い。

人間の業が作り出した不幸。

世界各地で繰り返されるこの不幸。

昨年、特に戦争について家族で大いに考えた一年だったが

これからも考え続けていきたい。

この写真の意味することを忘れず、、、。

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