4月21日
お寺に一本の電話が入る。
「父が亡くなったのですが、生活保護を受けているため、葬儀も出来ずお骨にしました。
しかし、母があまりにも不憫で不憫で毎日涙している。どうすればよいのでしょうか?」
という相談です。
最近、葬儀を行わずに荼毘にふすかたが多くなってきていると聞きます。
どうして葬儀をされないのでしょうか?
お布施の問題?信仰の問題?
やらないと言う信仰であればよいのですが、やる必要ないという方が多くなりました。
本当に葬儀はやる必要がないのでしょうか?
いや、葬儀はやるべきであると考えます。人間がこの世に生をうけ、様々なご縁を頂戴し、その最後を皆さんで偲ぶ。
まさに人生の区切りであります。
それと共に、残された遺族が結束するときでもあります。
普段あうことのない遠い親戚でも葬儀に参列し、自分たちの知らなかった思いで話など聞くことが出来る。故人の別な姿が見えてきます。
加えて言うなれば、葬儀を行う方が楽である。
葬儀を知らなかった方が、どうして教えてくれなかったと言われたり、お悔やみに自宅へお越しになったり、死んだことを知らずに手紙が届いたり、・・・・
つちぼとけの生徒さんで、うつ病になった奥様がおられます。
葬儀を行わず、散骨をしたのですが、本当によかったんでしょうか?といつも考えているとのこと。
主人は浮かばれているでしょうか?と私に聞いてこられます。
葬儀を行わなければ、49日法要も1周忌や3回忌お盆・彼岸などもどうすればよいかわかりません。というよりやれないでしょう。
散骨すればお仏壇もお墓もなく、どこに向かって故人に手を合わせればよいのか?
ということになります。
結論を言うなれば、葬儀はやるべきである。お骨は少しでも残しておくべきである。
後はお布施の問題。
お布施には決まった額はございません。どうぞ、和尚さんに相談されてみて下さい。
○○万円以上でなければうけられません。というような和尚さんであれば、さよならなさることです。
どんな相談でも受け付けて下さるお寺様がたくさんおられます。私もたくさん知っています。どうぞ、相談してみて下さい。
費用のことより供養が先と、ちゃんと戒名を授け、葬儀を自宅で執り行い、納骨もいたしました。お母さんから涙を流しながら御礼の言葉を頂戴しました。今日からゆっくりと眠ることが出来るとおっしゃっておられました。合掌
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