「死にたい。」と朝3時にお寺に電話があったのは、平成17年の秋ごろ
話しても話してもただ「死にたい」「どうして死んだらだめなの?」
それから毎日のように電話がなる。
こちらまで参ってしまいそうだ。申し訳ないが電話に出ないときもあった。
そんな方からお寺に写経が届きました。
本寿院では、毎朝7時に朝のお勤めをしていますが、その時に奉納されたお写経を一巻ずつ読み上げています。
偶然、今朝読み上げた写経がその方のものでありました。
毎日毎日一生懸命に写経されているのがその文字から読み取れる。
読み上げた後、何だかうれしくなりました。よかった。よかった。
あんなこともあった。こんな事もあった。今は、少しづつでも前に向いて歩いておられる。
私の好きな言葉に「結果よりがんばった自分」というのがあります。
失敗したっていい。いつも前を向いて歩いていきたい。
今日は、いい日になりそうです。
6月21日・22日と親戚の法事があり、兵庫県相生市に来ています。
やっぱり田舎はいいですね。
瀬戸内のやさしい海風がほほにあたって、のどかな時が過ぎていきます。
宿泊先は、ホテル万葉の岬
とても絶景のホテルですがなんだか様子が変です。
メールも携帯もだめ。ヒエー。
携帯がつながらないと大変だ・・・と心配しましたが、それは諦めるしかありません。
まあ しかたがない。と諦め、携帯やメールから離れたとき、なんだか自由になった気分でもありました。ちょっと楽しくなってきます。
すべてを放棄して、絶景を眺めながらお風呂につかる。「極楽・極楽」
心の洗濯が出来ました。
5月15日
京都嵯峨野に来ています。
五月晴れのすばらしい天気の中、嵯峨野を散歩するのはとても気持ちがいいです。
独特の気が漂っている場所ですね。
まず、常寂光寺に参拝 次に、二尊院
二尊院とは、阿弥陀様とお釈迦様が並んでおまつりされていることから付いたそうです。
受付で、「お坊さんですか?」と聞かれ、「そうです」と答えると、「どうぞお参りください」と無料で入れてくださいました。ありがとうございます。
そして、目的の愛宕念仏寺へ
ここは、私の尊敬する故西村公朝先生が住職を勤められていたお寺です。
当時は、荒れ寺であったそうですが、西村先生が羅漢さんを彫ることを進められ、1200体の羅漢さんが一般の方々の手で完成されました。
仏さんを作ることは、仏さんに近づくことであります。
楽しくなるような羅漢さんが並びます。
5月1日 お寺ネットに死にたい死にたいと書き込んだ相談者が本寿院へ遊びこられました。
今回は、ちょっと心配しておりましたが、会って話してみると安心しました。
男前でかっこいい青年です。
しかし、人には理解してもらえない病気があってつらいことでしょう。
私は、話を聞いてあげることしか出来ないかもしれませんが、ありがたい事にたくさんのプロフェッショナルな友人知人がいます。
そんな方々にも協力してもらい、NPO法人を運営しています。
どうぞ、いつでも遊びに来てください。本寿院は朝9時から18時までいつでも開門しております。私が不在でも別の僧侶がお話をお聞きします。
小さなお寺ですが夢は大きく・・・・
4月23日 サンライフカルチャーのつちぼとけ教室を、ホテル サンライフガーデンにて行ないました。
参加者には、今日が母の初七日なので供養のために・・・と一緒に作らせていただきました。
午後からは、ヒューマンセレモニー専門学校で講師を務めております。
今年初めての授業
生徒との対面も初めてですので、だいぶ緊張しています。
13時20分から16時30分までの長丁場。教室は生徒との戦いです。
特には昼食後ですのでねむーくなる。しかも内容は「仏教」。
どうすれば眠らすことなく授業に集中させ、立派な社会人に送り出せるのか!
講師は責任重大です。(そういう私は大学時代いつも寝ていました)
2月23日
というのも、円宗院の高木院主さんが病気でダウン。
急遽、私が伺うことになりました。
円宗院は、1時間おきに予約を受け付けておりますので、完全に個別で水子供養法要を執り行います。
小さなところですのでゆっくりとお参りの方々とお話が出来ます。
数年前からお参りしたかったのだが様々な事情があって遅くなってしました。案ずるより・・・本当に来てよかったです。
6ヶ月の赤ちゃんをつれてお参りになった方は、遠いところに住んでいるのですが、こちらでご供養していただき本当によかったです。
等々、感謝のお言葉を頂戴し、坊主冥利につきるというか、一生懸命法要してきてよかったなととてもうれしくなってきました。
小さな小さな庵ですが、毎日たくさんの方々がお参りいただきます。
お地蔵様と一緒にお迎えしております。
ふっと玄関をみますと、桜とすいせんが咲いていました。春ですね。
10月19日 フジテレビ「ハピふる」で本寿院つちぼとけ教室が紹介されました。
放映後、電話が鳴りっぱなし。やはりメディアの力はすごいですね。
最近は、仏教を求める若い女性が多いと聞きますが、どうしてでしょうと取材を受けました。
どうしてなんでしょう。実際 教室は女性がほとんどです。最近は10代~30代の若い女性も・・・
物質が豊かになる一方、心の歯車が乱れだしている。
何かを求めているのですが、いったい何を求めているかがわからない自分がいる。
そんな心の渇きを仏教がいやしてくれるのでは・・・と考えます。
先祖・水子供養のために・・・自分のために・・・家族のために・・・
理屈よりも、仏と向き合う。そして自分と向き合う。これが第1歩ですね。
10月13日 横浜にある「永代供養墓 ありが塔」の合同法要です。
今日は、とても天気も良く、気持ちがいいぐらいです。
このお墓は、宗派を問わず、どなたでも受け入れている合祀墓です。
きっと数万柱入るのではないでしょうか?
いろいろな活動をする中で、お墓に入れない。お墓をもてないといった方々が多くなりました。
中には、経済的事情があって納骨できないかたは、免除制度を設けており、無料でお預かりし、ご供養しております。葬儀社や福祉の関係から依頼されることもあります。
入壇の方々のご供養法要を、毎年春と夏 2回必ず厳修しております。
また、ユニークなのは、自分で作った骨壺で納骨することもできます。
私の父はすでに納骨されています。いずれ、私も家族もここに眠る予定です。
死を見つめ、死ぬ準備をしておくと、どうしてこんなにすっきりした気分になれるのでしょうか?
自分の墓が決まっているというのもいいですよ。
死を見つめると、生が輝き出す。
良かったら、ご一緒に眠りませんか・・・
平成20年は、4月6日と10月18日です。
4月21日
お寺に一本の電話が入る。
「父が亡くなったのですが、生活保護を受けているため、葬儀も出来ずお骨にしました。
しかし、母があまりにも不憫で不憫で毎日涙している。どうすればよいのでしょうか?」
という相談です。
最近、葬儀を行わずに荼毘にふすかたが多くなってきていると聞きます。
どうして葬儀をされないのでしょうか?
お布施の問題?信仰の問題?
やらないと言う信仰であればよいのですが、やる必要ないという方が多くなりました。
本当に葬儀はやる必要がないのでしょうか?
いや、葬儀はやるべきであると考えます。人間がこの世に生をうけ、様々なご縁を頂戴し、その最後を皆さんで偲ぶ。
まさに人生の区切りであります。
それと共に、残された遺族が結束するときでもあります。
普段あうことのない遠い親戚でも葬儀に参列し、自分たちの知らなかった思いで話など聞くことが出来る。故人の別な姿が見えてきます。
加えて言うなれば、葬儀を行う方が楽である。
葬儀を知らなかった方が、どうして教えてくれなかったと言われたり、お悔やみに自宅へお越しになったり、死んだことを知らずに手紙が届いたり、・・・・
つちぼとけの生徒さんで、うつ病になった奥様がおられます。
葬儀を行わず、散骨をしたのですが、本当によかったんでしょうか?といつも考えているとのこと。
主人は浮かばれているでしょうか?と私に聞いてこられます。
葬儀を行わなければ、49日法要も1周忌や3回忌お盆・彼岸などもどうすればよいかわかりません。というよりやれないでしょう。
散骨すればお仏壇もお墓もなく、どこに向かって故人に手を合わせればよいのか?
ということになります。
結論を言うなれば、葬儀はやるべきである。お骨は少しでも残しておくべきである。
後はお布施の問題。
お布施には決まった額はございません。どうぞ、和尚さんに相談されてみて下さい。
○○万円以上でなければうけられません。というような和尚さんであれば、さよならなさることです。
どんな相談でも受け付けて下さるお寺様がたくさんおられます。私もたくさん知っています。どうぞ、相談してみて下さい。
費用のことより供養が先と、ちゃんと戒名を授け、葬儀を自宅で執り行い、納骨もいたしました。お母さんから涙を流しながら御礼の言葉を頂戴しました。今日からゆっくりと眠ることが出来るとおっしゃっておられました。合掌