昨年の大河ドラマ「義経」でも有名になった奥州平泉
観光地としても有名な中尊寺に武蔵坊弁慶の墓があるのはご存知だろうか。
写真の大きな岩、実はこれはいわゆる石碑で本当の墓はこの裏手にある松の木の下にある小さな石とされています。
武蔵坊弁慶といえば京の五条大橋で牛若丸(義経の幼名)との決闘に敗れ、その強さに惚れこんだ弁慶が義経の家臣となり、
義経最後の戦いとなった藤原勢との戦いでは義経を守るため体に無数の矢を浴びながらも最期まで仁王立ちのまま息を絶えたとされいるが、歴史上その詳細には謎が多く存在自体が伝説的な人物でもある。
義経について
平治の乱で平清盛に破れた義経の父、義朝。
その後、兄の頼朝が打倒平家の為、兵を挙げると義経は参じ合戦を経て悲願の平家打倒を果たす。
最大の功労者である義経であったが十分な褒美をもらえないどころか自分の所領の一部を没収されたことを恨み兄頼朝と対立。
奥州藤原家を頼りこの平泉に来た義経であったが朝廷命令で義経討伐を強いられた当主藤原泰衡によって攻められ衣川にて自害しその障害を終える