気まま日誌α

「気まま日誌」は2011年6月をもって「気まま日誌α」になりました(笑)

帆立とトマトのゼリー寄せ

2008-07-27 21:15:20 | 料理
 

ちょっと夏らしく冷たい一品でも。

トマト、オクラ、帆立をコンソメスープと混ぜてゼリーにして固めてみました。

トマトは皮を剥いて一口に、オクラは軽く湯通しして3mmぐらいに切ります。

スープは300ccで写真と同じ大きさが4個作れます。
味付けは塩、胡椒、少量のお酒。
若干、濃いかな?ってぐらいで丁度いいと思います。

ゼリーの元は種類によって分量が違うので確認してみてください

柔らかすぎると固まらないし、固すぎると食感悪いし・・・難しいところです

帆立は水煮の缶詰を使いましょう。あの汁がいいダシになるんだよね~
冷蔵庫でひんやり冷やして前菜にでもどうぞ。

じゃらんの森 歌とギターのコンサートⅢ

2008-07-23 21:11:09 | 雑記

先日、 じゃらんの森 にて開催された"歌とギターのコンサートⅢ"に行ってきました。
昨年、ちょっとしたご縁があって繋がりを持たせてもらった方が企画しているコンサートなのですが今年で3回目。
遠くは仙台で活躍している方々も出演されてとても楽しい一日でした。 


トップバッターは福の神さん。

オリジナル楽曲を主に聞かせてくれる方なのですが、今回はオリジナルに加え、世界一周音楽の旅なる趣向で、中国、ブラジル、アメリカなど各国の楽曲を演奏、歌って下さいました。
因みにブラジルは何だろうと聞いてみると井上陽水さんの「コーヒールンバ」

なるほど!ブラジル=コーヒーで「コーヒールンバ」ね♪

福の神さんとは僕が馴染みにしているお店で昔から何度か顔は見たことがあったのですが去年のライブが切っ掛けで交流させて頂いている方です。
ギターの腕も素晴らしいのですが、何と現在はピアノの特訓中との事!
先日、聞かせてもらったのですが凄いです。

色んな"音"に挑戦し続ける福の神さん。本当に音楽が好きな方です。



続いてはトムエルさん。

去年の冬にペーパームーンさんで行われたライブで初めて聞かせてもらい、その時はスピッツの楽曲を歌って下さいました。

たしか、その時の記事のコメントにスピッツではチェリーが特に好きなので・・・と、さり気無く次回のリクエストをしていた覚えがあるのですが・・・。

なんと一発目に歌って下さったのはスピッツの「チェリー」!
あら♪ちゃんとメッセージが届いていたのかしらん(^m^)
続いてH2Oの「想い出がいっぱい」
この歌も凄く好きなのです。

トムエルさんの選曲は僕のハートを高い確率(笑)でキャッチしてくれるので嬉しくなっちゃいます。


Kei&Mさん

前回のじゃらんの森コンサートでも出演して下さった方々です。
キータンさんの美しい歌声とマーベリンさんの素敵なギター、そして夫婦漫才のような(笑)ノリのいいトークが特徴のユニットです。

あ、夫婦じゃなかったんですよね(^m^)

今回はキータンさんもギターでの演奏を披露して下さり、マーベリンさんとのギターとの素敵なハーモニーを聞かせてもらいました。


そしてKei&Mさんと一緒にコラボしてくれたダンディーなオジサマ

仙台で唄屋さん というお店を経営されているSANNYさん。
 
この方のギター演奏、ハンパねっす!
ハートにビンビン響きました!めちゃくちゃカッコ良かったです


約2時間のコンサートはあっという間に時間は過ぎてしまいました。

僕のように全然、音楽の世界に繋がりのない人間でもチョットした縁から身近な所で気軽に生の音楽が楽しめる機会があるというのを知ることが出来て今回も見に行くことが出来ました。

じゃらんの森の皆さん。そして出演して下さった皆さん。お疲れ様でした。

来年も第4回目のコンサートが開かれることを楽しみにしています。





7月19日 一関 音楽イベント情報

2008-07-19 00:00:23 | 雑記

来る7月19日(土)一関にある"じゃらんの森"という喫茶店でギターと歌のコンサートが開催されます。

コンサートの詳細はコチラから(※PDFです)

入場無料
14時開演(途中からでも自由に入ることができます)

偶然にもこのブログをみたアナタ!

何も予定がなく家でゴロンとする予定だったアナタ

普段、縁がないと中々聞くことの無い生演奏による音楽を美味しいコーヒーや軽食を食べながら楽しんでみませんか?

じゃらんの森はコチラから。

沢山のメニューがありますが先日、管理人はチーズケーキを食べて凄く美味しかったですv(^^)v

そして今ならナント!"気まま日誌"を見たと注文の際に言って頂いた方先着10名に・・・、10名様に・・・何かあると面白いなぁと思ったので次回までに交渉してみますかぁ(笑)

注※。今、思いつきで勝手に書いてるだけなので間違っても注文の際に何か催促しないように(汗)

お一人でも、ご家族、友達、恋人とご一緒でも。
多くの方に生の音楽の魅力を味わって頂きたいと思います。


冷え冷えキムチスープと冷やし雑炊

2008-07-16 23:10:57 | 料理

久々の料理ネタです。
毎日、毎日暑いので今回は火を使わないでお手軽なのをいってみましょう~。

〈材料〉
材料A・・・キムチの元、麺つゆ、水(一人前200cc)、和風だしの元、塩(少々)

材料B・・・キュウリ、大根、豆腐

〈作り方)
材料Aを全部混ぜます。(分量は適当なので味見しながらお好みで)

キュウリは棒で叩いて軽く崩してから一口大に、大根は千切りに、豆腐はサイコロ状に切ります。

切った材料Bを材料Aに混ぜ合わせて冷蔵庫で1時間ぐらい冷やして出来上がり。

あれば盛り付け時にシソの葉なんかを添えるとサッパリしていいですよ~。


冷ごはんと卵黄を加えた名づけて"冷やし雑炊"

今回は徹底して火を使わないぞ!って決めたので冷ゴハンですが、麺類を入れて冷麺風にしてみても良いかと思います。

しかし、白ゴマを切らしていたので代わりに黒ゴマを振ったら・・・これ・・・なんかスイカのタネにしか見えないね



広島 平和記念公園

2008-07-13 22:38:28 | 旅行


広島旅行最終日。最後に訪れたのは平和記念公園です。
皆さんご存知の通り広島は世界で始めて原爆が投下された街でもあります。

原爆により多く尊い命が失われてしまいました。


慰霊碑 

こちらには過去帳と呼ばれる原爆の被害に合われた方々の名簿が納められています。碑を囲む家型に作られたドームは犠牲者の霊魂を雨露から守りたいという思いがこめられているそうです。


平和の鐘

こちらの鐘の表面には「世界は一つ」を象徴する国境の無い世界地図が浮き彫りされているそうです。
予備知識が無かったので気がつきませんでした。もしも訪れる機会があればじっくりと見てみてください。
そして池には遺跡から発掘された2000年も前の種を発芽させた大賀ハスが植えられています。
これは被爆時にハスの葉を傷口にあてて痛みをしのいだという被爆者の霊を慰める為だそうです。


原爆の子の像

こちらには各地から送られた千羽鶴が納められています。
世界平和の念をこめられて折られたであろう鶴。
その鶴は厳重な箱の中に入れられ管理されています。

数年前、この千羽鶴が燃やされた事件があったのをご存知ですか?
犯人は大学生だったらしいです・・・。

実はこのモニュメント建造にあたりモデルとなった人物と悲しいエピソードがあります。


佐々木貞子さん

サダコさんは2歳の時、原爆の被害に合い被爆してしまいました。
幸い奇跡的に無事に生き延びたサダコさん。
終戦から数年、今後75年は草木も生えないと言われていた広島の町も徐々に復興の
兆しをみせはじめ、サダコさんも今まで大きな病気もせず成長していました。

終戦から10年後、サダコさんの体に異変が起きます。
検査の結果は白血病。
余命1年を宣告されてしまいます。

死の恐怖と闘うサダコさん。
病室に名古屋の高校生から送られた千羽鶴。

鶴を千羽折ったら願いが叶う。

サダコさんはこの言い伝えを聞いて自ら鶴を折り始めます。
頭が痛く起きているのも辛い日も。毎日、毎日折り続けました。

「げんきになりたい」

ただ、これだけを願い折り続けました。

しかし、そんな願いも届かず12歳という若さで命の火は消えてしまいました。

そんなサダコさんの死に衝撃を受けた同級生達が全国の原爆被害で亡くなったすべての子供達の為に慰霊碑を建てようと全国に呼びかけ全国3100校の生徒たちと世界9カ国の支援により建造されたのです。


原爆ドーム

1945年8月6日8時15分
人類史上初の実戦で投下された原爆がここ旧広島産業奨励館のほぼ直上600mの空中で爆発しました。
まさに一瞬だったことでしょう。辺り一体が焦土と化し約20万人の命が一個の爆弾により消えてしまったのです。


当初、この廃墟となった建物をみると戦争の悲劇が思いかえされるという意見もあり、取り壊しの案もあったようです。
しかし、戦争の悲劇を後世に伝えるべきとの強い要望で国内外から沢山の基金があつまり保存工事を着工。

そして原爆ドームして、戦争、原爆の悲惨さを伝える為に残されているのです。



昨今の日本では毎日の様に残酷な事件がニュースで報じられていますが多くの人々は平穏な日々を過ごしている事でしょう。

平和記念公園とは、戦争を経験していない我々に伝えられるメッセージそのものだと思います。



世界の国には核爆弾を所持している国もあります。
それは言わば武力としての"脅し"世界の均衡を保つ為の手段なのかもしれません。

昨年は九州、長崎の平和記念公園にも行きました。
広島平和記念公園も今回紹介した場所だけでなく他にも沢山のメッセージがあります。

原爆を落とされた唯一の国、日本

このメッセージを多くの人たちに感じて貰えたらと思います。



                               ~おわり~



広島 宮島を歩こう ③

2008-07-09 17:26:23 | 旅行

太陽が沈み一日が終わる。
夕日が沈む時間というのは実は凄く早い。

夕暮れ時

そんな時間を楽しみたくて今日は少しだけ何もしない時間を過ごしてみた。


水面を黄金色に輝かせ、こんなにも綺麗な景色をみせてくれるのに

君は直ぐに居なくなっちゃうんだよね。



ほらね。君は直ぐに消えちゃうんだ。
一日の名残がほんの少しだけ明るさを保っている

まるで子供達を家に帰す一時の猶予であるかのように。


早く帰らなきゃ。今度は夜がやってくる。
夜は大口あけて周りをのみこむから。

帰り道が判らなくなるよ。


だから灯りをつけてあげる。

灯りが消える前に帰らなきゃ。


さぁ。帰ろう
また明日が来る前に。


                                  つづく                      
















                    ↓


                    ↓


                    ↓ 

 
                   ↓











あれ。

ここまで来ちゃったの?

しょうがないなぁ・・・



チョットだけオマケだよ。




この日は、あれから宮島を出て、また広島市街に戻ったのね。

まぁ、また美味しいもの食べて。

たらふくお酒ものんで・・・

正直、ちょっと飲みすぎたなぁって思ってたのよ。

それで明日もあるしホテルに帰ろうかなぁと外にでたんだ。



                      ↓
 

                      ↓


                      ↓




ワシ・・・。アホじゃけぇ道に迷ってしもうた。

見知らぬ土地で道に迷うてしもうた。


と、言うわけでしばらく翻弄した挙句、諦めてタクシーで帰りましたとさ。


                          チャン、チャン♪




                            最後につづく。



広島 宮島を歩こう ②

2008-07-07 14:56:50 | 旅行

宮島で最も有名な見所といえば、やはりこの大鳥居ではないでしょうか。
事前に予約をしていれば写真の様に船に乗って鳥居を潜れるみたいです。

「あ~、ちくしょ~乗りたかったなぁ~~」
などと思いながら写真撮ってました。


厳島神社
満潮の時は、まるで海の上に建っている様に見える神社でもあります。
これが見たくて広島行きを決めた様なものです。


境内も朱色の柱がとても美しいです。


朱色というのは厄災を防ぐ意味があると昔から言われているそうです。
なので神社の入り口など神聖な場所の入り口にある鳥居は朱色に塗られているのだとか。


実はちょっと見たいものがあって少し長居するつもりで来たのです。
辺りを散歩しながら日が沈むのを待っていました。


                                つづく









広島 宮島を歩こう ①

2008-07-06 11:47:28 | 旅行

さて、さて。お次は宮島へとやってきました。
宮島とは本州からフェリーで10分程の場所にある小さな島で、宮城県の松島、京都の天橋立(あまのはしだて)と並んで日本3景の一つです。

島に到着すると鹿ちゃんがお出迎えしてくれました。
ってか、なんか夢中でムシャムシャしてたので、近づいても反応なし・・・

奈良の鹿バリに人なれしてます。


宮島には世界遺産にもなっている厳島神社というのがあります。

有名な神社あるところに、表参道あり。
商店が立ち並ぶ風景は、何だか楽しそうでワクワクしてきます


蒸篭で蒸された美味しそうな竹輪。


広島といえば牡蠣も有名です。
焼きたてのアツアツを食べちゃいます。


オネイさ~~ん。これちょうだ~い。
商店街の醍醐味は買い食いと、つまみ食いにありますね(笑)


時にはマッタリと店内でお茶でもすすりながら・・・。


世界一大きなギネスにも載っている「しゃもじ」
こんな大きなしゃもじ、一盛りで一体何人分のご飯がよそれるんだべ~って思っちゃいます。
しかし、そのためには世界一大きな"おひつ"と世界一大きな"ちゃわん"
そして世界一大きな"おかん"が必要ですが(笑)


ここ宮島では"もみじ饅頭"っていうお菓子も有名でして。
そこらかしこにお店があるんですよ。

沢山あって迷うなぁ・・・と思っていた所に、ちょっと表から外れてひっそりと佇むお店を発見。

クンクン僕はねぇ。美味しい物に対しては結構鼻が利くんです。


こちらが、"もみじ饅頭"

あ・・・

因みに"もみじまんじゅう"と聞いて真っ先にB&Bが浮かんだ人はいますか?

・・・

まっ。

どうでもいいけどねぇ~ヽ(´ー`)ノ

と、脱線してしまいましたが・・・。
とっても美味しかったです。特に餡が甘すぎず上品で好みでしたね。

店先でお饅頭とお茶を頂いているとお店のご主人(おじいちゃん)に話しかけられました。

「旅行かい?」
「どっから来たの?」

とニコニコしながらおじいちゃんは話しかけてきました。

少し離れた表通りでは多くの人たちが行きかう中、静かにゆっくりとお茶をすすりながらお話しする時間。なんだか温かかったです。

あ~やっぱり"当たり"のお店だと思いました。



色々と美味しいものも"つまみ食い"して腹ごなしもしたことだし、いよいよ肝心の"景色"の方でも見にいきますかぁ~~。


                                  つづく






広島 海軍と造船の町 呉(くれ) ③~大和ミュージアム2~

2008-07-02 22:29:44 | 旅行

ここ、大和ミュージアムには戦艦「大和」以外にも戦闘機などが展示されています。
「零戦」ゼロ戦という呼び方が広く伝わっていると思いますが正式名称は「零式艦上戦闘機」という名前なので「レイ戦」と呼ぶのが正式の様です。

零戦の最大の特徴は機体の軽さにあります。(普通の戦闘機より1t以上軽い)
徹底的に軽量化された機体は当時、世界最大の航空時間と飛びぬけた旋回性能(動力性能)、そして並以上の火力を武装。

当初、卓越したパイロットの技量とあいまって零戦は無敵の戦力を誇り数々の戦績を残していった。


しかし、無敵と言われた零戦の栄光は長く続いた訳ではなかった。

パイロットよりも飛行機を大切にしていた海軍は次第にパイロット不足を強いられることになる。

零戦とは比類なき動力性能を得る代わりに防御力を捨てた機体でもあり、有能なパイロットの操縦があってこそ性能を発揮出来る機体だったのでした。

逆を言えば並みのパイロットでは性能を持てまし防御力の無さから直ぐに命を落とす機体・・・。

敵国の圧倒的な物量と、日本海軍のパイロット不足。
戦況は悪化していきました。

そして、最後に零戦が行き着いた運命は「特攻機」となること。
250キロ爆弾を抱え片道分の燃料だけ積まれ敵艦へ突撃するという悲しい運命を辿った飛行機なのです。
この事により多くの青年の尊い命が消えたことは言うまでもありませんね。


人間魚雷「回天」
読んで字の如く、この中に人間が入り魚雷として敵艦に魚雷として突撃する特攻機。この特攻機に搭乗し命を落とした人数は100人余り。
しかし、その100人の命全てが敵艦へのダメージへと変ったかというと、そうでは無かった。
実際には、たった数発しか敵艦への致命打とならなかったそうです。



特殊潜航艇「海龍」
頭部に600キロの炸薬を搭載し人間魚雷「回天」と同じく特攻機として開発された。
昭和20年3月   海流突撃隊が編成される
昭和20年5月下旬 具体的特攻目標が設定される

昭和20年8月上旬 八丈島の観測所より敵大艦体発見を受け初の実戦出撃準備

しかし、これは「誤報」と判明

昭和20年8月15日 終戦

かくして「海龍」は実戦で使用されることなく終戦を迎えたのでした。

建造された「海龍」は後にアメリカの手により2機を残し全て破壊されたそうです。
そして、その2機もアメリカが自国へ持っていくのでした。

ここで、もう一度「海龍」の写真を見てみて下さい。
船体横に小さな羽根が着いているのが判りますね。

実はこの「海龍」以後、世界中の潜水艦が全てこのような「羽根」が付けられるようになったそうです。
それまでは潜水艦には「羽根」は付いていなかったのだとか。

それは現在の潜水艦にも続く技術で日本で開発された「羽根付き」がアメリカの手に渡り研究され世界中に広まったそうです。
この羽根があることにより急降下、急浮上が高速で出来るようになるそうです。

因みに零戦は本物の図面を元に復元されたレプリカですが、「回天」と「海龍」は正真正銘の本物だそうです。
「海龍」は世界に2機しか現存しないので相当に貴重な代物ですね。


さて、ここでもう一度、「大和」の話に戻りたいと思います。
「日本技術の結晶」、「浮沈艦」と言われた「大和」ですが終わりがあったのです。

昭和19年10月25日
サマール海戦において戦艦「武蔵」を始め大多数の戦艦を失った連合艦隊は事実上の壊滅状態となっていた。

そして昭和20年4月1日
米軍が沖縄上陸したことから「大和」に最後の出撃命令が出されたのだ。

「水上特攻部隊」

日本技術の全てを集結した浮沈艦「大和」も特攻の運命を強いられるのでした。

同月7日
米艦載機386機による総攻撃を受けた「大和」は九州坊ノ岬沖90海里の地点にて乗組員2498名と共に海底深くに沈みました。


「特攻」の出撃というのは「死」を前提とした出撃である為、燃料は最低限、敵の懐にたどり着ける分だけ。つまり「片道分」が鉄則でした。

しかし、「大和」にはこんな密かに囁かれるこんなエピソードがあります。

「大和」には実は特攻出撃した時、往復分の燃料が積まれていた。

正式な記録には片道分2000tの重油を積載と記されているらしいのですが、現場である軍需部の独断で「武士の情けを知らないようなことは出来ない」と手押しポンプにて残り2000tの燃料を空タンクの底からかき集めて入れられていた。と。


「大和」は今も尚、引き上げられることなく海の底に沈んでいます。

今まで、戦艦「大和」について全くいいほど知らず、大して興味を持つこともありませんでした。
しかし今回、大和ミュージアムにて触れた「大和」の歴史はとても衝撃を受けるものでした。

実は、このミュージアムにはボランティアで説明をしてくれる人がいます。
僕はそんなサービスがあるとは知らず訪れたのですが、何となくに耳を傾けて話を伺っているとドップリと話の中に吸い込まれてしまいました。

ただ単に資料を眺めるよりも何倍も衝撃を受けます。

皆さんがもし、大和ミュージアムを訪れることがありましたら探して見て下さい。
人だかりの中心で熱心に話をされている方がいます。

是非、聞いて下さい。
絶対に損はしません。


尚、今回は説明文が殆どほとんどになってしまいましたが、自分の聞いた記憶とネット上のあらゆる情報を参考(牽引)して書いています。
ですので誤った情報もあるかも知れませんのであしからず。


                                 つづく