男は目

2006-03-28 10:20:28 | Notebook
     
よく考えてみると、美男美女というのは不思議なものだ。たまたま知り合った女性が、たまたま美女だったというだけのことなのに、足取りが軽くなってしまうのは何故なのか?(笑)
どちらかというと美女は苦手なわたしでさえ、このていたらく。じつに不思議なことではないか。

ところで、こんなに狭いクニのなかにも、美女の多いお国柄というのがあるらしい。その土地を訪れると、美女ばかりが街中をうようよ歩いているのだそうだ。しかしそんな話を聞くと、わたしは戦慄をおぼえる。
なぜか。美女ばかりということは、ようするに、不美人が「淘汰」されたということではないか。つまりその土地では、不美人は生き延びることができなかったということになる。美人ではなかったというだけのことで、むなしく命をうしない、消えていった女たち。あとに残るのは美女ばかり。なんとも、おそろしい。

岡山の男性には、四角いサイコロのような顔立ちが多いと聞いたことがある。あごもしっかりしていて、横に縦に四角い頭をしている。なるほど、わたしの知っている岡山の男性はみなそんな頭をしている。これは岡山出身の女性が言っていたことだが、むかしむかし、岡山には「度を超した色好み」のお殿様がいて、そんなお殿様がまるでタンポポのように子種をお飛ばしあそばせられたのだそうだ。だから岡山で生まれる男性のほとんどが、そのお殿様と同じ頭のかたちをしているのだという。へんな話だな、じゃあ、ほかの男性はどうなったのだろう? 岡山は美女が多いというが(その女性も美女だ)、お殿様は面食いだったのだろうか。不美人たちの運命はいったい、どうなってしまったのだ。なんとも奇怪な話ではないか。犯罪の匂いすらしてくるではないか。

ところで男の値打ちはどこで決まるのだろうか。まあ美男であったほうがいいかもしれないが、美醜で決まるようなものでもないような気がする。
男を判断する基準はひとつしかない。そう言った女性がいて、とても印象に残っている。彼女は聡明で愛嬌のある人気者だった。彼女が言うには「男は目」なのだそうだ。

男は目、よ。だって、それ以外じゃ判断のしようがないじゃないの。そう彼女は言ったのだ。
目、ですか? そうよ、目よ。
目だけ、ですか? そうよ、目だけよ。
仕事だけじゃ見えない、生き方だけでは見えない、服装でもないし顔立ちでもない、表情でもない、言っていることはどこまで本当か分からない。だから、目よ。

そのころわたしは、ちいさなちいさな事務所に勤めていて、そこへ彼女が遊びに来た。彼女はおなじ業界の人間だったから、社長にも紹介して、すこし仕事の話などもしたと思う。
その社長は、いつもきちんとした身なりで、人当たりもよく、周りからも信頼されていた。あの男についていけば大丈夫、とまで太鼓判を押すひともいた。そうそうたる男たちが、みな信頼をよせていた。
ところがその女性は、たった1度その社長に会っただけで、こう言ったのだ。
なによ、あの男。シンちゃん、あんな社長で大丈夫なの?
なにか失礼があったのかな?
ぜんぜん。とても優しくて、いい感じだった。でも、あの男はダメよ、シンちゃん。

それからほんの3か月後、その社長は会社の資金を使い込んでいたことが発覚して追放された。
そうそうたる男たちが、みんな騙されていたのだが、まだ当時は20代だったその女性の目はごまかせなかったというわけだ。

男は目。
しかしよく思い返してみたら、女もそうだな。女も目。いまさらそう気づいて膝をたたく、そんなわたしは修業が足りなさすぎて、なんだか馬鹿みたいである。

100年

2006-03-27 13:50:13 | Notebook
     
26日に誕生日をむかえて、家族と食事をした。だいぶ傷んだ両親と、あいかわらずな妹と雛鳥のような姪。
あんた何歳になるの? と母に訊かれて、44だよと答える。そうして息子のほうから冗談で「あれから44年にもなるなんてねえ」と添える。産まれた本人は知りもしないはずの「あれから」。

ほぼ半世紀の年齢の方々ならお分かりだと思うが、これくらいの年月を生きてくると、50年くらいの年月というものが、だいたいの感覚として掴めてくる。それは多分に幻想をふくんではいるけれども、自分の生い立ちと照らし合わせて、だいたい、そんなもの、というふうに感じられるようになってくる。情報化社会のさまざまな影響のおかげで耳年増になっているせいもあるだろうが、50年前の知らない世界のことが、想像可能な世界のようにみえてくる。

こうして50年間が感覚的に掴めてくると、今度は100年くらいの年月が、かなり具体的に把握できるようになってくる。50年がこんなものだから、100年はそんなもの。そう思えてくる。100年という時間が、なんとか手をのばせば触われるような、そんなふうに感じられる。

そうすると、西暦2000年と聞いても、えっ、そんなものだっけ、などと思うことがある。
把握可能な(気がする)100年が、たかだか20回。悠久の年月が、移行可能な範囲内にみえてくるから不思議だ。40歳でこうなのだから、80歳、100歳の方々はどうだろうか? 移行可能どころか、もっと身近なご近所のように感じられるのかもしれない。だとすると、すでに生きながらにして仙人のようなものではないか。ひとによってはボケも手伝って、いい感じの桃源郷に住んでいるかもしれないな。2000年を行ったり来たりの自由自在。

妹がふと、男のひとの厄年って何歳だっけ? と訊く。知らないと答えると、彼女は尊敬すべき素敵なお兄さまにむかって「でもシンちゃんは毎年厄年みたいなもんだね」と言って、ひきつったように笑う。やれやれ、なんなんだ? おだやかで暖かく素朴な性格のくせに皮肉がきつくて、ひとを見る目がつめたいことがある。相手の気持ちがまったく見えていないのは父親ゆずりで、これは父方の血筋のようにみえる。何度か会ったことのある叔父さんも、人情があつくて感じやすいくせにデリカシーを欠いていて、おなじものを感じさせた。おしつけがましくて、独りよがり。そういう強い性質がじっさいに子どもたちに引き継がれて、現実に家族を壊し不幸を生んでいるのだから、まったく笑い事ではないのだが、なぜ誰も気づいていないのだ? わたしは自分のそういうところをすこし直すだけでも、そうとうの苦労をしたものだ。

わたしの母がじつは自殺をかんがえていた時期がある(目を見てすぐにわたしは悟った)ことにもまだ気づいていないのだろうか、父よ? わたしの母が異常な潔癖性になり、その後うつ病のような状態になっている、その理由のひとつが自分にあることにさえ気づいていないのだろうか、父よ? やれやれ。
わたしはかつて、妹の夫にこう言ったことがある。へんな家族ですみません。その言葉の意味もまだ気づいていないのだろうか? あのときあなたの夫はとても失望していたのだぞ。なんにも反省しないまま離婚してしまったのだろうか、妹よ? そうでないことを祈るが。

やれやれ。

父方の血筋のなかの、こういう性質はいったいいつごろから始まったのだろう。曾祖父は五島列島の漁師だったそうだ。でも船酔いする漁師だとか(笑)。網元をつとめていたこともあり、造り酒屋をいとなんでいたこともあったらしい。祖父は満州で満鉄に勤めていた。
父の血は、いったいいつからこうなのだ? 200年前から? それとも300年? その背景にはそれぞれの時代と、五島列島の風俗と、家族が貧乏だったことや、いろいろな原因があるのだろうな。だとしたら、もっと以前から続いている性質なのかもしれない。わたしは500年、1000年をさかのぼっていった。無数にいらっしゃるご先祖さんよ、なにか反省し残したことがあるんじゃないの? 正直に、お言い。あなたたちのご子息とその娘さんは、たとえ目の前で他人が泣きながら腹を立てていても、へらへら笑っているような人間ですよ。あなたがたの目の前で家族が泣いたことはありませんか? あなたといると悲しくなると言われたことはありませんか?

こんなことを考えていたら、わたしはなんだか、ひどい目眩におそわれたような気分になった。悠久の過去へのバッドトリップ。やれやれ、すてきな誕生日。恍惚の痴呆桃源郷にたどりつくのはまだまだ先のようである。

そんな感じ、そのとおり。

2006-03-24 20:48:37 | Notebook
      
こうして文章を書いていて、それを読み返してみて、まず思い知らされるのは、自分の頭のなかがいかに奇妙で偏っているかということ。おれって、へんなやつなんだな。そう思い知らされるだけでも文章を書く価値はあるのだろう。推敲するという行為は自分のためにあって、それは文章を磨くというより、自分の頭を磨く行為に等しい。

読んでくださっている方のほうが気づいておられると思うが、わたしの思考回路は「知性」をあまり使っていない。筋道を立てて考えを述べるというより、なにかを感じ取り、それを伝えようとしている文章だ。感覚をそのまま伝えようとするような。

つまりは、それがわたしの気質であり、わたしの世界観でもある。わたしは「なんとなく」世界をみて「そんな感じ」を伝えようとしている。その豊かさと不確かさが、そのままわたしの文章の持ち味と欠点になっている。こういう文体は、たとえば詩や文学を書くには適しているが、事実を伝えるのには適していない。もしも新聞記者にでもなっていたら、さぞ辛い人生を歩むことになっていただろう。まともな記事が書けない記者。

じっさい、わたしの人格は事実にたいしてとても無頓着で、ついさっきスーパーで買った品物の金額すら覚えていない。長年かよった店の、毎日のように飲んでいた飲物の金額すら知らなかった、というような人物である。知ろうとも思わず、興味ももたなかったから、そうなっている。
わたしに言わせると、新聞記者は事実にこだわりすぎている。事実を信じすぎていると言うべきか。逆にわたしは事実をないがしろにしすぎている。

ところで、こうした気質の違いを知るには、そうとうの修業が必要だ。かなりの才能と努力がなければ、自分の気質を知ることはできない。わたしはこのことを、とても残念に思っている。
ごく早い時期に、少年時代からこれを悟っておれば、その後の人生設計に大きな利益があったと思うと残念でならないのだが、それはまず不可能なことだ。

子どものころ、わたしは社会科の教科書を理解できなかった。いまならその理由が分かる。わたしはいつも教科書の文章を「感じようと」していたのだ。ただ年号を覚えればいいものを、事実にまったく関心がなかったわたしは、年号や年表を暗記するという行為がそもそも理解できない。成績がわるかったのも無理はない。信じられないことだが、詩を読むように教科書を読もうとしていたのだから。

国語の先生はわたしを偉人のようにあつかってくれたが、歴史の先生は幽霊でも見るような目でわたしを見た。数学の先生はおもしろがって、わたしを天才とからかった。中学に入学したばかりのころ、平面の図形に交わる線は何種類あるか、という問題で正解したのはわたし一人で、それは三次元の空間から立体に交わる線をいくつか含んでいる。先生は小学校を出たばかりの子どもたちを、からかうための余興でその問題を出したのだが、わたしが答えたので驚いたのだそうだ。しかしわたしが強かったのは、ひらめきを問われるような問題だけなので成績はわるかった。

わたしは中学で「国語と美術のシンちゃん」として知られていたが、たんに「国語と美術のシンちゃん」じゃなくて、「感覚型の気質を持っている」と言ってくれれば、その後の人生にどれほどプラスであっただろうかと思う。そうすれば、はじめから「知性」のほうはあきらめて、あるいは、そのつもりで、それなりの生き方を選択できたのに、と思う。

この世のなかを、ぐるりと見渡してみて、いまさら驚くのは、自分の気質とは正反対の生き方をしているひとがとても多いことだ。「感覚の人」ほど、自分を知的な人間だと勘違いしている。また逆に「知性の人」が、自分を感覚のひとだと思いこんでいる。人間とは不思議な生き物で、自分に欠けたものを生きることに興味を持つ傾向にある。つまり、成りたい職業が適職じゃないことがとても多いのだ。

責任感のない人間ほど、重責を負いたがり、医者や教師になりたがる。
ちっぽけな人間ほど「豪快な生き方」や「冒険家」をめざす。知的じゃない人間ほど「思想家」や「学者」にあこがれる。ふだんから何も感じていないような、凡庸な感覚しかない人ほど「文学者」や「詩人」になりたがる。あるていど優秀で、いい学校を出たひとほど、そういう傾向にある。そうしてみすみす、人生をおかしくしている。

この問題はそのうち、校をあらためる必要がありそうだ。

欠点を愛する

2006-03-23 02:42:08 | Notebook
    
わたしはその若者の、欠点を愛している。そう自覚したときは信じられなかった。このわたしが、ひとの欠点を気に入るなんて。

ときどき受け答えが的はずれで、とんちんかん。言っていることがときに、すこしずつずれている。かなり年上のわたしにたいして、おやと思うような言葉づかいをすることもある。
表向きは穏やかな人格だが、波に揺られるボートのように不安定で、気が短かったり長かったり、見かけよりは気が強かったり、脆かったり。きっと怒るべきでない相手に腹を立てたりするのだろう。傷つけてはいけないひとを傷つけるのだろう。意味もなく、しょんぼり死にたい気持ちにも、なるのだろう。

自信のない未熟な若者はときに、まっすぐで誠実であるほど、自分の能力を実際以上に見積もっているみたいな頑張り方をする。だからもちろん失敗をする。でも誠実でいい失敗のしかただ、とひそかにわたしは思っている。
公の発言と私の発言がいつも混ざっていて、はらはらさせられることもある。わたしが上司だったら、たまったものではないだろう。

しかし目をこらすと、その欠点のかずかずの、その先に、豊かな運命がみえてくる。長所より短所のほうに将来性があるなんて、奇妙な話だが、わたしがその若者から感じているものが、まさにそんなふうなものなのだ。いや欠点というものが、そもそもそういうものなのかもしれない。
青あざ、赤あざ、つくりながら、いろんな涙をながしながら、すごく大きな綺麗な花が、のびのびと空いっぱいに広がるようすが、みえてくる。

おだやかな日射しを浴びて、欠点で育てられた花が、ふわふわ笑っている姿がうかぶ。
日に灼けた写真みたいに、光をいっぱいにふくんで、未来から笑いかけてくれる。

2006-03-17 14:24:30 | Notebook
     
本のデザインなんて、やめてしまおうかな、値段も廉いし、ばかばかしいし。たった1度だけ、そう言ったことがあった。そばには当時の恋人がいて、とたんに彼女の顔がゆがんだ。いまにも涙がこぼれそうだった。しかしその顔はすぐに無表情になり、なにも言わなかった。わたしは、その悲しそうな顔にショックを受けた。そしてそれっきり、2度とそういうことは言わなくなったし、考えもしなくなった。

彼女がわたしにたいして、どのような幻想を見ていたのかは分からない。どのような夢を見ていたのかも、分からない。つまらない勘違いをしていたのかもしれないが、それでもかまわない。
いまふりかえってみて、人生設計という観点からのみ見るならば、本のデザインの仕事なんか早く手放しておれば、もうすこしなんとかなったのにと、そう思わないでもない。しかし不思議なことに後悔はない。たとえ失敗で終わったとしても。それは、当時の彼女の真心が、ほんものだったからだ。うまく説明できないが、だれかの真心のおかげで、人生が救われることがある。たとえ失敗だったとしても、それでいいと思えるくらいに。

いまから10年ほど前に、ちいさなお店がオープンした。たったひとりの店主が、ひとりで始めたお店。きれいな料理に、きれいな味。あるとき、そのお店に、南の風に乗って、渡り鳥みたいな女性がやってきた。そして彼女はこう言った。「夢がいっぱい詰まったお店」。何年かのあいだ、その女性は店にいたけれど、やがて去っていった。ふわりと風をいっぱいにふくんで、空に飛んでいくみたいだった。

昨年、わたしの人生を変えた歌、矢野絢子さんの「ニーナ」という作品を聴いていて、いつも思い浮かぶのがそのお店だった。歌のなかで、わかい夫婦がお店を始めて、やがて子どもが生まれる。そのお店は木の匂いがして、それは現実の、わたしが知っているお店の匂いをおもわせた。やがて歌はクライマックスをむかえ、そのお店に置かれていた椅子(椅子が主人公の歌なのだ)が回想するシーンがある。椅子はこんなふうにそのお店のことを思い出す。

カフェの常連
大きなおしり
夫婦の笑い声、喧嘩の声……

このとき、わたしは急に悟ってしまった。あの女性が言っていた「夢がいっぱい詰まったお店」という言葉の意味。彼女がなにを見ていたのかを、やっと知ったような気がしたのだ。どんな夢を見ていたのかを。そして、なんということだろう。店主はそれをまだ、ちゃんと分かっていないのだ。いままでも分かっていないし、いまも分かっていない。わたしは気づいてしまったのだ。彼は真心を、受け取りそこなっていたのだ。かつてのわたしみたいに。

夢は、まごころをいっぱいにふくんで、ほんものになる。それがひとを救うことがある。しかしひとはたいてい、あとになってから気づくのだ。自分がいかに救われていたかを。
その、まごころは、いつまでも消えずに、そこにある。そのひとを救いつづける。

思いは伝え、依存はしない

2006-03-16 06:10:55 | Notebook
    
淡交という言葉がある。さらっと淡い、きれいなおつきあい。

あえて言わない、という節度は美しいとおもう。伝えてしまったために壊れてしまうものへの感受性をたいせつにしたい、とも、おもう。

過剰に伝えたがるこころのなかには別のものが入り込む。それはたとえば依頼心だったり欲望だったり。わざわざ与えてくれるひとは、だれよりも欲しいひとだという場合がある。

賞讃が殺すものもある。ぎりぎりのところにいることは、とてもたいせつだ。だいじょうぶですよ、と言ってあげたとたん、だめになることはとても多い。

はるばる来てくれるひとがいる。それはとても素敵なことだ。しかし、はるばる、という行為のなかに、そのひとの病いが潜んでいることもある。


しかし、それでもあえて、思いを伝えることにしよう。できるだけ淡いかたちで。なかなかできることではないけれども。
「あなたのしていることは、とても、素晴らしい」
いまこの瞬間にも、孤独にちからをうしない、崩れ落ち、こわれていくひとがいる。

会社の夫

2006-03-14 12:24:23 | Notebook
   
ある晩おそく、お蕎麦屋さんでのこと。隣の席に30代前半くらいの女性と、まだ20歳そこそこの若い男の子が2人、いっしょに麦酒を飲んでいた。彼女たちの話が聞くともなくきこえてきた。気さくで愛嬌がある顔立ちの、小柄でよく働きそうな、落ち着いて話す女性。生まれたばかりのように色白の、若いわかい青年2人。彼らはアルバイト先の仲間のようだ。
「ごめんね、もうちょっと、つきあってよ。おごるからさ。なんでも食べてよ」
「いいです、いいです、おれたち暇だし」
「まだ家にいるみたいだけど、もうすこししてから顔出そうかな。まだ盛り上がってるころだとおもうんだよね」
「はあ、そうすか」
彼女の携帯が鳴った。すこし話をしてすぐ切った。
「まだ来ないの? って言われちゃった」
そう言って彼女は笑った。しかしまだまだ帰るつもりはなさそうだ。そしてこうつけくわえた。
「だんなが偉そうにしてるのを見るのって、いやなんだよね。わかる? そういうの」
「はあ」

どうやら彼女の夫が、会社の同僚や部下を数人呼んで、家で酒を飲んでいるらしい。彼女の声のようすからみて険悪な雰囲気はないから、仲が良さそうだ。やさしい夫なんだろうな。彼女が言うほど威張り散らしているわけでもないだろう。
わたしはぼんやり想像していた。
夫はたぶん、張り切っているのだろうな。部下を家に連れてきて、おくさんに会わせたいと思っているくらいだから、仕事もうまくいっているのだろう。自分がどんなふうに働いているか、どんな部下がいるか見てほしいのかもしれない。職場での自分を、すこしは知ってほしいのかもしれない。

ああ、以前にも同じようなものを見たことがある。そう思ったが、うまく思い出せなかった。張り切って会社の人間関係を披露した夫と、それを見て関心すら示さない妻。
なんで興味を示さないのかが、気のいい夫には分からない。なぜ妻が不快そうな顔をするのか腑に落ちない。
そんな光景を以前にも見たことがあるなあ。そう思った。わたしも腑に落ちなかった。その男とおくさんは、うまくいってないのかしら。たしかそんなことを考えたものだ。見当はずれだった。当時のわたしにも分かっていなかったのだ。夫の会社でのふるまいを見て、妻はショックを受けていたのだということを。

もしわたしが、もうすこしまともな人生をおくっていたとしたら、いまごろは部下の一人や二人くらいいたかもしれない。そうしたらたぶん、気づかなかっただろう。たったひとつの乱暴な言葉で部下を右から左へと動かし、どうでもいいような用事をさせても何とも思わなかっただろう。果物の皮くらい自分でむいてやって、せっかく来てくれた部下をもてなせばいいものを、逆に部下に全部やらせてふんぞりかえるような男になっていたかもしれない。相手のデリケートなところに土足で上がり込むような話し方をしていたかもしれない。ほとんど初対面の青年の社員にむかってまで、えらそうな態度をとっていたかもしれない。
もちろん、そういう関係にはそういう関係の気づかいもあって、ちゃんと示すべき男気とか、責任感とか、いろいろなものがある。でも、それにしたって、そんなに偉そうにしなくてもいいじゃない? はい、そのとおりです、奥さん(笑)。

しかし、そういう夫の姿をみて、頼もしいとか、男はこうでなくちゃ、などと思うような女よりはずっとまともで、いい奥さんだな。わたしはそう思った。酔いがまわったのか、白かった彼女の顔が急に赤くなった。しあわせそうに微笑んでいた。

女のこころが宿す男

2006-03-10 03:32:02 | Notebook
     
既婚者の男性のなかでも、とくに勘のいい方なら、うすうす気づくことがあるだろう。
自分が結婚した相手がじつは、女性ではなかったということに。
いや、じっさいには女性ではあるけれども、どうやらそのなかに、誰かべつの、見知らぬ人間が棲んでいるということ。そしてその見知らぬ人間は、どうやら男性であるらしいということに。

その女性の父親というのとも違う。誰かべつの男性というのでもない。あえて言えば、そうしたさまざまな男性のエッセンスを混ぜ合わせて、彼女自身が独自につくりあげた、亡霊のような存在。たいていの女のなかには、そういう男の幽霊が棲んでいるものだ。しかしそれはたいてい、誰も知らない。本人がいちばん知らない。そして肉親も知らない。夫も気づかない。ところが不思議なことに、まったくの赤の他人の目には、はっきりと認識されることがある。ほんとうの秘密というものは白昼堂々、ひと目に晒されているものなのだ。人間の真実に限って言うならば。

この亡霊の姿がはっきり見えれば、その女をほとんど理解したと言っていい。
この見知らぬ男とうまくやっていけそうだと思ったならば、あなたはその女性と結婚したほうがいい。しかし、そう思わなければ、その結婚はやめておいたほうがいいかもしれない。これはとても重要なカギなのだ。

人格のすぐれた女性であるにもかかわらず、どこか狭量であったり、どこか人生観がゆがんでいたり、不安定だったり、なにか腑に落ちない、という感情を抱いたことはないだろうか。そんなときは周囲を見渡して、彼女にどのような男性が棲みついているかを嗅ぎつけるようにしたらいい。彼女の人格だけをいくら見つめても、見えてこないもののほうにカギがあるのだ。試みに、彼女がどんなふうに父親のことを語るかを、じっくり観察してみるのもいい。そこに彼女の男性観の影が見えてくるからだ。それが、からりと明るくて、暖かくて、ひろびろとしていれば、その女性は間違いがないだろう。女性の男性観はそのまま世界観や人生観に通じていく。


おなじことを男にも言うことができる。

たとえば、わたしは病いをかかえている。人格が縮小し、精神のエネルギーが衰弱し、まったく頭も体もうごかなくなる、という病いが高校生のころから始まった。そうしていまも、この病いに苦しんでいる。しかしあとになって分かったのだが、これはほんらい、父と母の病いだった。わたしが家を出たとたん、母はほとんど料理も何も手に付かなくなり、外に出るのもおっくうにになり、うつ病のような生活をするようになってしまった。父は急に胃潰瘍を患った。その意味を理解するまで、わたしは20年以上もの年月をかけなければならなかった。わたしはかれらの病いを生きているわけである。べつに親を恨むわけではない。わたしはかなり愛されて育ったから、なんの不満もない。

わたしの恋人たちは昔から、わたしのなかにそうした病いの片鱗を嗅ぎつけて、わたしの生活感の希薄さや、ときおり見せる影の薄さに不安を覚えた(こんなふうに言語化できるまでに相当な思索と苦悩を重ねている)。しかし彼女たちがわたしのなかに見ていたものは、母と父の姿だったのだと言っていい。彼女たちは、わたしが宿していた、いわば母親と父親のエッセンス、あるいは亡霊を見ていたのである。それはひとりの、できのわるい女性の姿をしているはずだ。質のわるい女性を宿す男は、やはり質がわるい。もちろんこれはわたし自身のことを言っている。たとえどんなに素晴らしい男性であったとしても、だめな女を宿している男は質がわるい。
おなじように、だめな男を宿している女性は、質がわるい。

こうしたことは、先祖伝来といっていいほどの長い歴史のなかで培われた、人間の未熟さ、ずるさ、おろかさ、などの性質から来ている。心がけのわるい先祖を持つと苦労するという警句は、こういう意味で真実なのだということを、わたしは40歳をすぎてやっと悟った。しかしこれは宗教家や占い師がかんたんな言葉でもっともらしく語るほど単純なものではない。こうしたことを単純化して語るものは、たぶんほとんど分かっていないのだと思ったほうがいい。わたしは知ったかぶりの宗教家と占い師をかなり憎んでいる。かれらのおかげでずいぶん遠回りをしたからだ。

かえすがえすも残念なのは、こんなにたいせつなことを理解し伝えてくれるような先達に出会わなかったということだ。この世の先達たちはほんとうに、口ほどのこともない。できそこないばかりだったのだと、すこしばかり恨みがましく思っている。女を女としてしか見ない、男を男としてしか見ないということは、まったく何も見ていないにひとしい。

そして、わたしはいまもいい年をして、こういう無駄なことばかり考えている。なんのために? あえてヒンドゥーの言葉をつかうならば、父と母のカルマを精算するためにやっているのだ。どうやらわたしは父と母の無意識と、その病いを生きることだけで人生の大半を終えようとしているらしいが、まあ世間ざらのことではある。しかし、この作業はもうすぐ終焉を迎えつつある。だからこうして文字に書き表すこともできる。

背筋をのばす

2006-03-03 03:47:13 | Notebook
     
いまから10年ほど前、ある宗教団体が凶悪な犯罪を次々と犯したことがあった。サリンという毒ガス兵器を東京のあちこちで撒き散らしたり、教団にとって邪魔なものを殺してしまったりと、ずいぶんひどい事件だった。やがて、こうした犯罪を指示したとされる教祖や、それにかかわった信者たちが次々逮捕された。教祖の裁判はいまも続いている。

日劇のダンサーだったある女優も、信者のなかにいた。彼女は教団の教えに目がくらんだのだろうか、自分の娘を騙して無理矢理に入信させようとしたことがあったらしい。監禁して脅すという強硬手段に出て、覚醒剤のようなものを使用したという証拠もあり、彼女の行動はのちに法に裁かれることになった。
彼女は元女優できれいな女性だったから、ちょっとした注目を受けることとなった。わたしもこのことをテレビなどの報道で知った。

わたしの耳に、彼女の育ての父親の言葉がずっと残っている。

これから法廷で裁かれる娘さんにむかって、なにか言ってやりたいことはありますか。テレビのレポーターが、そんなことを彼女の父親に訊いていた。なんだか、痛ましい質問だ。
その父親は、テレビカメラを一瞥すらせず、横を向いたままの姿で、しかし毅然としてこう答えた。たしかこういう答えだったと記憶している。力強い声だった。

「犯罪者であろうが、どんなやつだろうが、人間というものは、つねに背筋をのばして堂々としていなきゃいけないんだ。そう言ってやったよ」

いまでもその声を、よく覚えている。
つよい違和感。犯罪者が背筋をのばして堂々とするとは、いったい、どういうことだ? わたしには意味がよく分からなかった。わたしがその女優の立場だったら、身の置き場のないような気持ちで小さくなっていたことだろう。背筋をのばして堂々とするなんて、思いもよらない。

しかしその後何年も経ってから、ある経緯があって、わたしは急に気づいてしまった。正しいかどうかは分からないが、この言葉の意味をわたしなりに理解した。どういう経緯だったかは、ここでは語らない。


なにもかも失ったと思うひとは、背筋をのばしてみるといい。そうして空をあおいでみるといい。
とりかえしのつかない過ちで、自分自身をすっかり台無しにしてしまったひとは、堂々としてみるといい。きっと分かるだろう。
手のひらが空っぽで、足の下には地面しかない、頭の上には空しかない、ポケットには砂。そんなひとがもしいたら、背筋をのばしてみるといい。堂々としてみたらいい。深呼吸をしてみるのもいいだろう。
そうすれば、あの父親の言っていたことが分かるだろう。

地面の上に這い上がり、生きるということは、そういうことなのだ。

そして、こういう言葉をかけてやれる人物は、めったにいない。
犯罪者の人権とか、共感とか、人間らしさとか、いろいろ、あれこれ、知ったようなことを言うひとは大勢いるが、生きるということを、ここまで噛みしめた言葉を吐けるひとには、それほどお目にかかれるものじゃない。

わたしのようなものが、そういう人物になれる日が来るだろうか。そういう言葉をかけてやれる人間になれるだろうか。きっと、なれない。出来が甘すぎて、なれるわけがない。しかし忘れないでいようと思う。

あなたがそこにいるだけで

2006-03-01 20:19:15 | Notebook
     
そのひとの存在そのものが、わたしの支えになってくれている。そんなひとがいる。
べつに恋をしているわけでもない。あいたいというわけでもない。どこかで元気でいてくれて、笑っていてくれればそれでいい。元気に歩いていてくれればいい。

つらいことがあったとき、そのひとだったらどうするだろう、とかんがえる。
どうしたらいいか分からないとき、そのひとだったらどうするだろう、とかんがえる。
そうしてすこし、正気にもどる。

そのひとにたいして、わたしには何ができるだろうか。よくよく考えてみれば、考えてみるほど、何もしないほうがいいのだということを知る。

実体以上に高く見れば、たぶんそのひとを損なうだろう。真実よりも低く見れば、そのひとを辱めることだろう。
きたない部分もふくめて、愚かな部分もふくめて、ありのままに見つめることができなければ、そのひとを駄目にするだろう。

いま自分がいる場所で、遠くから見つめる。できるだけ精確に見ようとする。鏡に写し取るように。それがいちばんの、相手に対する礼儀なのだということを知る。

わたしがここに立っていて、できるだけ正気であろうとすること。自分らしくあろうとすること。できるだけ背筋をのばしていようとすること。それがいちばんいいことだと知る。