鎮魂

2008-08-23 17:14:32 | Notebook
     
孤独な画家が、隠された感覚を明るみに出す作業は救済に似ている。

松井冬子さんが描いた死体の絵をくりかえし見つめながら、わたしはそんなことをおもった。
美しい死体の絵。それは腐敗の途上にあり、その「途上」は描かれることで、永遠に「途上」にある。永遠にあるその「途上」は、つねに光に晒されることで清められ、救われ続ける。

そこで救われているのは描かれたとおりの、死体と腐敗でもあるのかもしれないが、むしろほんとうに明るみに出され客体化されているのは、その死体と腐敗によりそった、生者のうちにひそむなにかの感覚なのだろう。それらを掬いあげる力を、描く人自身がナルシシズムと呼ぶのは、なるほど的を射ているのだろう。つよく、つよく光のもとに晒すために、あますところなく成仏させるために、そのナルシシズムはつよくあらねばならないのだろう。

描かれた死体の、うつろな目がこちらを見つめている。その目に映っているものこそが、いま救われているのだ。

*画像は『松井冬子・一』(エディシオントレヴィル発行・河出書房新社発売)より