この運命こそが、わたし自身であるということ

2012-08-30 00:31:45 | Notebook

まだ18歳のころ、当時30歳ほどの女性と出会った。きっかけは京王八王子駅の窓口で、定期券を買おうとしたのに所持金が足らず、すぐ後ろに並んでいたその女性が声をかけてくれて、用立ててくれたのだった。

そのひとは、いまでいうシングルマザーで、幼稚園に通う女の子が一人いた。住んでいるのは池袋だが、週に何度か、はるばる八王子までやってきて、リトミック教師の資格をとるために教室に通っていたのだ。

わたしは後日、池袋までお金を返しに行き、なにかの絵画展にお誘いした。それから映画に誘ったり、食事に誘ったり、いろいろな話もした。彼女に惹かれていたことはもちろんだが、それ以上に、それまで出会ったことのない人物に興味を抱いていた。それに、当時のわたしには友人は一人もいなかった。いっしょに池袋の西武百貨店のなかを歩いているとき、「ベートーベンのソナタってねえ、すごくきれいなのよ」と彼女は言った。

わたしは当時は酷いノイローゼで、うつ病をわずらっていたと思う。浪人していたが、ノートを開くこともできず、勉強はしていなかった。予備校に通うための定期券も、ほとんど使わなかった。友人に会うこともなく、いつも一人だった。

一人でいるのは苦にならなかったが、いまにして思えば、ひとに会うことが負担に感じるほど気分が沈んでいたのだろうと思う。しかしまったく自覚がなかった。わたしはただ途方に暮れていて、自分のことがなにひとつ分かっていなかった。

わたしは当時から、社交的とはいえないものの、おだやかな会話の才能があり、さりげないユーモアで相手を笑わせることもできた。だからなおさら、自分がノイローゼだということさえ、よく分からなかったのだろう。
その女性が当時、どれほど孤独で、そして懸命に生きていたのかさえも、よく見えていなかった。

あるとき、その女性が一冊の本を貸してくれた。それはある十代の青年が、自らの性欲について、赤裸々に綴ったものだった。
すこししか読まなかったが、わたしにはその本が、なにか汚らわしいものに思えた。脆弱で不安定な自我しか持たなかったわたしを、不愉快にさせたのだ。見ず知らずの青年の、自慰の告白など読みたくもなかった。

そして、もともとノイローゼで不安定だったわたしは、すっかりバランスが崩れてしまった。いまだによく理由が分からないのだが、それが相手に対する怒りに代わった。それほど病んでいたということなのだろう。その怒りの裏には、わたしが彼女に対して密かに抱いていた性的な思いもあったのかもしれない。しかし当時はまったく気づいていなかった。

また別の側面からみるならば、性の問題は、それほどに当時の若いわたしの急所をついていたのだろうと思う。そうかんがえると、その女性がどんな気持ちでその本を貸してくれたのか、わたしをどんな目で見守っていてくれたのか、さまざまな場合が考えられて、いまでは身の縮む思いさえする。

しかし当時のわたしには、その本だけではなく、その女性までもが汚らわしく感じられるようになり、内容はよく覚えていないが、その女性に対して、とても酷い内容の手紙を書いてしまった。

たしか、その後本を返すために一度だけ会ったような気がする。そのときだったか、いつだったか、覚えていないが、彼女はわたしの手紙に対してすこしも怒っておらず、ただひとこと、目をふせたままこう言ったのを覚えている。
「せっかく、お友達になれると思ったのに」



あのとき、わたしに何が起きたのか、不思議でしょうがなかった。まったく理由が分からないのだ。わたしは何を怒ったのか、何が気に入らなかったのか。ずっと分からなかった。

それから8年ほどしたころ、その女性に電話してみた。なぜか急に会いたくなったのだ。電話には、彼女の老齢のおかあさんが出た。一度もお会いしたことがない。それなのに名前を告げると、すぐに「ああ、覚えていますよ」と、やさしい静かな声で言われたので驚いた。

そうしてわたしたちは、8年ぶりに会って食事をした。おたがいに8年のあいだに起きたことを、いろいろ話した。その女性が意外なほど再会を楽しんでくれているようで、ほっとした。

写真をたくさん見せてもらった。わざわざ持ってきてくれたのだ。写真のなかで、あの幼稚園の女の子はすっかり成長していた。そして、その女性はいまでは立派なリトミックの先生になっていて、いくつか教室をもっているようだった。
一度だけしたことのある海外旅行のことや、結婚しようと迷ったことのある男性の話までしてくれた。そして海外旅行のときのお土産だといって、一冊のアドレスブックをもらった。

わたしなんかに、そんなものをくれる、その女性が、いじらしく、また寂しく、わたしの胸を打った。

それでは、また会いましょう。そう言って、わたしたちは別れた。しかし、もう会うことはなかった。

あのアドレスブックを、わたしは大切に使っていた。しかし何年かしたのちに、どうしたわけか、無くしてしまった。とりかえしのつかないことをしてしまったような気がして、しばらくのあいだ乗り越えられなかった。



あの18歳のころの、怒り。
まったく理不尽で、理由の分からない怒り。
偏狭で、神経が細くて、脆弱な怒り。
それがずっと長い間、こころのなかに引っかかっていた。

その後、何人かの女性との別れがあり、いくつかの破局があった。
しっかりと地に足がついているような女性との付き合いには疲れ果て、自我の弱い、病んでいるような女性には安心し、しかしそのどちらも最後には破局をむかえた。

父親のいない女性との交際に安心するようなところもあった。逆に、父親によって酷く傷つけられているような女性とも縁ができた。どれも問題をはらんでおり、別れることとなった。

わたしは冷淡になることもあり、怒りにふるえ、相手を罵倒し、そのまま別れたこともあった。まったく致命的なことに、わたしの怒りはいつも、いちいち理にかなっていた。だから救いようがなかった。
そうして、気持ちがおさまると、よく、あの18歳のころのことを思いだした。あのときの自分と、いまの自分は、なにかが同じだ。なにが同じなのだろうと、いつも考えていた。

仕事上にも問題があった。誰もとくに問題にはしなかったが、わたしはずっと神経症的だった。わたしは厳しすぎ、潔癖すぎるくせに、神経の細い、脆弱な社会人だった。仕事が忙しくなるほどに、半日は寝込むような日々が続いた。



それらのすべてが、あの、18歳のころの、あの青年にこそ相応しい人生なのだということに、気づいたのは、ずいぶん後のことだ。50歳のいまになって、やっと分かったのだと言っていい。

50歳のいまごろになって、あの30歳の女性が、18歳のわたしを、どんな目で見てくれていたのか、やっと分かったのだ。

そして同時に、わたしのこの数十年の運命は、まさにあの18歳の彼に相応しい、それ以外には有り得ない運命なのだということを、さとった。
「この運命こそが、これこそが、わたし自身なのだ」
わたしはこれを、しぶしぶ認めなくてはならない。



人生は、その運命は、そのまま、まるごと、そのひと自身なのだ。
わたしたちは、これを覚らなくてはならない。
不運も、幸運も、なにもかも。

わたしはその運命を生きた。そして、それはいまでも続いている。

ユング思想なるもの

2012-06-29 23:13:06 | Notebook

ひとの意識を、無意識の海に浮かぶ小島のようにかんがえ、その小島の外側に、自我とは別の「セルフ」という存在を仮定したユングの思想は、思想としてはなんら新しいものも、みるべきものもないが、人間にとっての宗教というものをみなおし、また宗教が人間に与え続けてきた「生きる意味」をみなおすうえでは、有用であると思う。

ユングとは、すでに死んでしまった宗教を、現代人のなかに、よみがえらせた思想家だったのだ、というのが今のわたしの解釈だ。とくに、神の子が人間から産まれるという教義によって、旧約の神から新約の神へと、神と人間の認識を深めるに到った経緯を描いた『ヨブへの答え』は圧巻である。

わたしは、ユング派の医者が言うことなど信じないし、ユング思想を「幸せになるための思想」などと紹介する嘘つきの学者をも信じない。学問という側面からみるならば、ユング心理学なるものは、最もいかがわしい。夢占いで病気を治そうとする霊媒のようなものだ。しかしその値打ちは別のところにあって、ユング思想とは現代的な宗教復興であり、その意味においてのみ値打ちがあるのだ。

わたしは、ほんとうの敬虔さや、畏怖の念、神への崇拝というものを、ユング思想を手がかりにして、自分の夢のなかから、じかに手に入れてきた。二十数年をかけて。
それは、わたし一人の宗教であり、同時に、とても現代的な宗教でもある。

宗教は、紙に書かれたものから学ぶことはできない。記憶することもできないし、教えてもらえるものでもない。まして講義などで学ぶことのできるようなものでもない。教会で与えられるものでもなく、お寺で叩き込まれるようなものでもない。瞑想や禅の技法によって体得できるようなものでもない。

自分のなかから、あたらしく生みだすしか、ないものなのだ。
わたしにそれを教えてくれたのが、ユング思想なのである。

だからわたしは、ユングが好きなひとたちや、ユング派のひとたちとは、まず話が合わない。ユング教で頭がいっぱいになってしまったひとたちとは、付き合えないのである。

そのかわり、あらゆる宗教人たちの、その敬虔さや、神聖さに、共感できる感受性を持つことができた。まさにユングがそうであったように。

それは、いったん「ユング教」に染まってから、それをまた脱色するような作業だった。
わたしは夢のなかの大切な女性を、アニマと呼ぶことを、やめることにした。
ある存在を、「セルフ」と呼ぶのを、やめることにした。
そうして、わたしの信仰は、さらに成熟していったのだ。

それは、わたしだけのものになった。

そもそも、すべての宗教が、もともと、たった一人のものであったように。

それから、すべての信仰が孤独であるように、夢は、孤独なのである。だからこそ値打ちがあるのだ。

神秘好き

2011-09-10 20:53:24 | Notebook
 
神秘思想や宗教について話をしたいというひとには、まず最初にクギをさすことにしている。

「宗教や神秘思想なんかに興味を持ったところで、けっきょく損をするだけだよ。人生を捧げ、全財産を放り出して、誰よりも多くの不幸を背負う勇気がある?」
「すくなくとも、何も求めない勇気が、きみにはあるの?」

すこしでも、深い瞑想の戦いをしたことのあるひとならば、わたしの言っていることが冗談ではないと気づくだろう。
そういう意味で、「出家」を説く仏教は、とてもフェアだ。出家とは死のメタファーなのだから。全部捨てて、死んでしまえ、話はそれからだ。正直にそう言ってのけているのが、仏教だ。

ところが、宗教や神秘思想に興味をもつひとの多くが、驚いたことに、「なにか特別のもの」を欲しがっている。なにか人生に意味をあたえてくれるようなもの。いや、意味をすら超えているもの。この世で最高の秘密。秘儀。
そういう意味で、彼らはほかのどんな人種よりも貪欲だ。これはクリシュナムルティのファンでさえ、そうなのだから、まったく救いようがない。

それから、オカルトが好きなひとの多くは、神秘に取り憑かれている。彼らは、風変わりで面白い、そして珍しい、めったに聞けないような話が大好きだ。そして、その情熱と関心の分だけ、頭のなかは空疎にできている。空疎な魂をいっぱいにするためのヴィジョンを、いつも求めて歩く必要があるのがオカルト好きのひとたちだ。たとえば、「ルネ・ゲノンの思想は、ユングなんかよりずっと面白いし、本物だね。ああ、でもシュタイナーは捨てがたいかな」などといった話を、彼らは際限なく続ける。何千年続けても、なにひとつ生みだすことのない、空疎なおしゃべり。彼らは、まったく空っぽなのだ。

彼らが求めている、この世の最高の意味なるものに、すこしでも近づくためには、まずその「神秘」を捨てなくてはならない。これは実にまっとうなことに、仏教もクリシュナムルティも繰り返し言っていることだ。「それ」は知識ではない、ひとから貰えるようなものではないと、クリシュナジーは繰り返し説いている。それなのに彼らは、この肝心な部分を聞かなかったふりをして、べつのなにか都合のよいものを欲しがり、その汚れた手をずっと差し出し続けている。

これがもうすこし俗っぽい人間の場合は、「神秘」などには興味を示さず、「成功」「幸福」「安心」「健康」を求める。その宗教を信じることで、人生がうまく運ぶというわけだ。たとえば難病には罹らずにすむなどと、彼らは信じ込む。信じておれば、どう間違ってもガンなどには罹らないと、彼らは泣いて感動する。
しかし、もしも、ほんとうに宗教に触れることができたとしたら、彼らは尻尾を巻いて逃げ出すことだろう。ほんとうの宗教はむしろ、ときには彼らが欲しがっているものを与えるのではなく、奪いあげ、悲惨な運命をこそ与えるからだ。

さらにもっと即物的になると、神秘からは完全に離れてしまい、宗教などには洟もかけない。そして身体意識にとどまり、たとえばマクロビオティックや気功や、最近でいえば脱原発などの信仰にかぶれていく。

オカルト好き、神秘好きのひとたちは、こういう俗っぽい、即物的な連中を軽蔑するが、とんでもない。神秘好きの連中のほうがずっと重症で精神病に近い。

ある神秘好きの人物と話をしたことがある。おなじように特別のものを欲しがっていた。だからわたしはクギをさしておいた。そして違う話をした。神秘好きという欠点を除いては、とても善良で、素晴らしい人物だった。わたしは彼と友人になりたいと思った。

しかし、それから数か月後、彼が夢のなかに現れた。そしてあろうことか「カネを払え」と言うのである。わたしになにか貸しがあるらしい。そして手を差し伸べてくる。しかし、その要求が理不尽なものだと感じたわたしは、支払いを拒否した。そこで目が覚めた。
はじめは、どうしてこんな夢をみるのか分からなかった。気さくで無欲な現実の彼と、夢のなかの貪欲で偏屈な彼は、まったく別人のようだった。なんども考え続け、ある日やっと分かった。夢で見た彼の姿は、彼の魂のほんとうの有りようを見せてくれたのだ。(※追記あり)

たとえば、まじめに「ヨブ記」を読み、その意味を瞑想しているひとや、まじめに「般若心経」に心をそそぎ、その意味を汲みあげ続けているひとびとは、まったく何も求めていない。求めた瞬間に、すべては水泡に帰し、地獄に堕ちるからだ。だから彼らはただ自らの宿命と、運命に導かれて、そうしているだけだ。どちらかというと、御利益どころか、むしろ損をしているひとたちだ。わたしが宗教について語り合いたい人物は、こういうひとたちだけである。


※追記
夢にはつねに複数の意味がある。彼がわたしに「貸し」があるというのには、じつは別の主観的(内面的)な意味があって、ほかでもない、貪欲で偏屈な彼の姿は、かつてのわたし自身でもあるということだ。彼は、過去のわたしそのものなのである。その事実に目を向けよ、その事実に対して、まだ精算がすんでいない。まだ、すべきことがある。夢は「貸し」という言葉で、この点を突いているのだ。

坊やは煙草に火を点ける

2011-03-29 02:07:58 | Notebook
     
「坊や」という歌がある。大きくて、小さくて、ふしぎな歌だ。矢野絢子さんのアルバム『ナイルの一滴』で聴くことができる。しかしこれは彼女の作品ではなく、池マサトさんという方が書いた歌だ。
ある時期のわたしは、この歌ばかりを繰り返し、繰り返し聴いていた。いま久しぶりに聴き返しても、まるではじめて聴いたように聞こえる。


  静かやね、十二月やのに
  静かやね、足音もせん

  季節の街に、あふれかえした
  どこもかしこも、自転車ばかり
  横断歩道、一歩手前で
  坊やは煙草に、火を点ける

  静かやね、十二月やのに
  静かやね、真っ昼間やのに


煙草に火を点ける瞬間は、ほんの一瞬であると同時に、永遠でもある。またそのひとの人生の、ほんのひとときであり、同時にすべてでもある。永遠のなかでは、誰の魂もみな若造であり「坊や」だ。


  胸のボタンの取れたコートで
  頼りない夜に坐り込み
  強い涙の一歩手前で
  坊やは煙草に火を点ける


破産、失業、難病などの、なんらかの理由で人生から蹴落とされたものたちは、身の置き所もなく、張り裂けそうな心をかかえて街をさまよう。そして知るのだ、自分が「坊や」であることに。しかしその感覚こそが、人生の味わいそのものなのだ。かれらは人生を失ったからこそ、逆に強烈にそれを感じとっている。喪失したからこそ、わたしたちはそれをほんとうに得ることができるのだ。

失われた愛情、失われた家族、失われた生活、失われた夢、失われた希望、失われた財産、失われた明日こそが、強くつよく魂に刻み込まれる。それは個を超えており、死者たちがあの世へ持っていくことのできるものだ。わたしはそれを偉大なる書物と呼んだことがある。それこそが詩だ、と言ったひともいる。そしておそらく世界は、生者たちの側ではなく、喪失の側に、死者たちの側にある。ただしそれでも、生は、この肉体は、そんな世界の果実であり、そのまま祝福なのだ。だから生者は命あるかぎり、飲みかつ歌い、笑い、愛し、思う存分この世で遊び呆けるべきだ。そして死の闇は、そんな生者の光を必要としているのだ。供養とは、その一形態にすぎない。

そして、すべての死が犬死にであり、野垂れ死にであるように、すべてのひとは路上で孤独に行き倒れる。野垂れ死にこそが、まっとうな死であり、生の美がそこに集約された瞬間だ。残された者たちの手前勝手な祈りも、儀式も、死とは無関係であり、その美をそこなうことはできない。

「坊や」の作者が、その自らの魂と孤独を見つめぬき、張り裂けた心のなかから生みだした歌が、そのまま孤独な魂たちの胸にとどいている。そして矢野絢子さんの若い閃きは、それを綺麗に歌うのではなく、がなりたてるように、上へ上へと、遠くへ遠くへと、孤独な魂たちの胸に、時空を超えて届かせようとする。

目の前の小さな小さな、マッチの火のように小さな生への、深い共感が、深くあればあるほど、大きな永遠へと通じていく。そしてわたしは驚くのだ、わたしたちの誰もが、最初からそれを知っているということに気づいて驚くのだ。なぜなら、それが生きることだからだ。空気を呼吸しながら、いつも感じているのがそれであり、誰もがそうであるからだ。わたしたちはみな、胸のボタンの取れたコートを着て、頼りない夜に坐り込み、強い涙の一歩手前で、煙草に火を点けているのである。


ここにいるのは何だろう?・補足

2010-10-14 11:38:48 | Notebook
     
先の文章「ここにいるのは何だろう?」に、凜さんという方からコメントをいただき、お返事を書いているうちに、立派に新しい文章に仕上がってしまったので、ここに載せてみます。凜さん、ありがとう。



>凜さん

そうです。そんな感じです。なんか難しくてすみません。それは感情というよりも、感情以前のモトみたいなものですが。

親父の供養のために般若心経を誦んでいたとき、ひとはそれに直接はたらきかけているんだなあと気づいたので、こんなものを書きました。
そして、般若心経を誦むとき、ひとは「それ」を、かなり良いほうへ修正しているようなんです。清めているというか。神棚などに手を合わせているときも、そうです。

しかしこれは特別な行為によらなくても、ふだん、ひとが生きながら、泣いたり笑ったりしながら、やはり良くも悪くも、「それ」に働きかけているんだろうなあと思います。
きっとわたしたちの生は、わたしたち個を超えているんだけれども、ふつうに生きて悩んだり苦しんだり笑ったりしたことが、ちゃんとその大きな何かに通じているんだなあという気づきです。そのために孤独な個があるんじゃないかと。

その大きなものに振り回されている個の人生は、凜さんの言うように「やるせない人生」ですが、しかし肉体を通してこの世で生きているひとだけが、その「なにか」に働きかけることができる。ここに人間が生きる値打ちがあるのだろうと思います。泣くことも、笑うことも、絶望することも、ちゃんと大きな意味があるということですね。

それから重要なことは、人生はきっと、たぶん個のもので終わらないということです。これはまだ考えの途中ですが。
そして、ひとの生よりも、その「靄のようなもの」のほうが本当の存在であると仮定するならば(あくまで仮定です)、この個人の人生で失われたものや、絶望も、そして幼くして死んでしまった子どもたちも、その「靄のようなもの」への認識と働きかけを深めるという意味では、生を超えた働きをしている、とかんがえることができます。つまり、この世の生で失われたものは、べつの世界ではむしろ存在し続けるという、昔ながらの宗教的な考え方が、ここで生きてきます。ここに大きな救いがあると思います。(これは生者のための「救い」にはなりませんが)。

生が個で終了するものであるとすれば、絶望はそのまま絶望であり、喪失はそのまま喪失でしかありません。しかし、どうやらそうではない。その絶望と喪失がこの「何か」に働きかける効果のようなものがあります。そして、その「何か」のほうが大きく、ひとの生の根幹のようなものであるとすれば、(それはたぶん、死の世界の側にあるんでしょうけれど)、多くの宗教が言っていることはつじつまがあってくるような気がしているんです。

でも宗教的な言葉で語りたくないんですよ。だって、いまふつうに生きているひとが、そのまま、オーケーなんだもの。それに教義というものは必ず狂信に通じていきますから、宗教観念から入りたくないんです。たとえば仏教のお坊さんが、
「亡くなられた方は、あの世では逆に誕生するんですよ。だから戒名は、あの世で生まれて生きていくための名前なんです」
などと説明してしまうと、それはわたしがここに書いたことをそのまま見事に言い表しているのですが、しかし大きく間違ってしまうんです。

なぜなら、それはこの世を超えた話であって、この世の言葉で表現することじたいが、かなり間違っているからです。教義になってしまった瞬間に、その認識は消えてしまうんです。この、おそらく本当の宗教的精神や認識は、「彼岸」を信じることや、仏教教義を信じたり、あの世の誕生を信じることとは、根本的にまったく違うことなんです。すべての宗教教義は、狂信にすぎないんですよ。わたしたちは宗教の教えをすべて捨てて、最初から自分の胸のなかに発見しなくてはいけません。それもふだんの生活の、苦しみや喜びのなかで。そのために生きてるんですから。

あくまで人間の苦しみの側に立って、なんら出来合いの観念に頼らず、自分の感性や胸の声や絶望だけを頼りに世界に立ち向かおうとするような、たとえば文学的な営みや芸術、そして音楽のほうが、はるかに宗教教義を超えている場合があるということです。

ですからわたしも、あくまで「ここにいるのは何だろう?」という人間の問いかけに、立ち戻り続けたいと思っているんですよ。

ここにいるのは何だろう?

2010-10-03 11:44:18 | Notebook
     
いま死ぬとしたら、ここにいるのは何だろう?



それは青年の、ひ弱な問いかけではなく。

何者、ではなく、何?
わたしは? ではなく、その生き物は、でもない。

わたしはとうに過ぎ去っているのだから。

さまざまな思いを成してきたもの、しかしそれ自体は気持ちや気分でもなく、まだ靄のようなもの、その色合いや味わいを、わたしたちは手から手へと受け渡してきた。

涙と苦しみのようなもの。しかしまだそれは涙も苦しみも結んでおらず、うつろいやすい影のような色をみせる。ぞっとするような、しかし陶然とした、冷たい夜の匂い。

あたたかい希望のようなもの。しかしまだそれは喜びも快楽も生んではいない、椅子にのこされた、誰かのぬくもりのようなもの。



遠いとおい時と場所の人物が、この世のなかにたたずんで、不運の風に吹かれ途方に暮れるようなもの。その行き場のない無念が、まだ無念という気持ちさえ結ばないまま、ひとからひとへと受け渡される。

その無念の色あいをおびた、靄のようなもの。それをはるばる身に受けてしまった父親から、さらに受け渡されてしまった娘が、その暗く、冷たい色あいに染められる。それは生まれる前からの、まだこの世に彼女が存在しない前からの受難。

彼女は冷たく未熟な男に魅せられては、失望をくりかえす。怒りですべてを終わらせてしまうこともある。不当に誰かを軽蔑したり、恐れたり、不安になることもある。彼女に宿った靄のようなものは、希望のない愛にしがみつかせ、稚拙なかんがえに支配させる。

ある朝、彼女は目が覚め、ふいに気づく。わたしが不幸になったのは父のせいだと思っていたが、そうじゃなかった。もっと微細な、こころの色あいのようなものだ。それも一つではなく、混ざり合っている。そのうちのいくつかがわたしの気持ちを沈ませ、なにかを歪め、くせのある見方をさせていたのだ。この色あいのいくつかは、父とそっくりだ。しかし父ひとりの責任ではない。いったいどこから来たのだろうか。こんな運命をになっているわたしとは、いったい何だろう?

彼女は生を超えた靄のようなものを、知らず知らず生きる苦しみを通して見ているのだ。般若心経を誦えるものたちが、じかにそれを見つめるように。聖書の言葉が、死者たちの流儀を示すように。すべての苦しみが、そのまま誰かを救っているように。

わたしたちは太陽の光の美しさを見るように、生きる苦しみをとおして死者たちを見つめる。あの美は、死なのだ。



もしもいま死ぬとしたら、ここにいるのは何だろう?

由来

2009-12-30 23:01:32 | Notebook
     
わたしはその眼球のことをよく知っている。
それは緑内障と白内障を患っており、彼はもうずっと長い間、ある鍼灸師と、ある眼科医の手当を受けてきた。
彼がその眼を守るために、どのような目薬をさしてきたか、どういう生活をしてきたかを、よく知っているのだ。

彼の耳にはめられた、その小さな補聴器のこともよく知っている。
どの店で、どのようなひとに手入れをしてもらっているのか、わたしは知っているのだ。

彼が着ている、そのすっかり古びてしまったパジャマが、どういうものかよく知っている。むかし伊勢丹で買った、値段の張るものだった。
彼がかぶっている、手編みの帽子がどういうものか、知っている。なぜそんなものをかぶっているのかも、よく知っている。

どのように自分の体を守り、自然のものを食べているかを知っている。どのように体を動かし、どれほどまじめに生活してきたかを、よく知っている。

むずかしい病気と闘っていたときに、先生たちが、どれほどよくしてくれたかを、知っている。
そして最初の病院の、あの看護師さんたちがどれほど心配してくれて、どれほど暖かく、よくしてくれていたかを、知っている。とりわけ彼の担当だったあの看護師さんには、驚くほど親身に世話をしていただいたと、彼がどれほど感謝しているか、よく知っている。

彼のたのしみのいくつかを、わたしは知っている。
畑の作物を育てること。孫の顔をみること。ある店の焼き餃子。ある街の立ち食いそば屋。相撲の名勝負。巨人軍が負けること。

彼の願いのいくつかを、わたしはよく知っている。
彼の悲しみのいくつかを、わたしはよく知っている。
彼が何に失望し、何を悲しみ涙を流していたかを、わたしはいくつか知っている。

彼がどんな気持ちで退院したのか、どんな気持ちで、これから一緒に仲良く生活しようと言ったのか、わたしはよく知っている。

退院してから、彼がどんな気持ちで食生活をすこし変更し、なぜ飲みつけない牛乳を買ったのか、わたしは知っている。彼がどんな気持ちで、弱った体をいたわろうとしてきたのか、わたしは知っている。

たくさんの由来を、わたしはよく知っている。

生きるひとが、日々いとなみつづける、由来。
それらの由来は、今日も、明日も、つづいていく。今日は晴れてよかったなあとか、雨が降って悲しいとか、暖かいとか、寒いとか、さまざまな想いをともないながら、ひとは空を見上げ、そして生きていく。由来は歴史となり、そして明日へと続いていく。



119番に電話しながら、わたしは彼の首にそっと手をあてる。そして、か細い腕を持ち上げ、それが痩せた鶏のもも肉のように冷えて硬直していることを確かめた。パジャマ姿で、毛糸の帽子をかぶって、めがねをかけたまま、胎児のような格好で床に横たわる、その白濁した眼球をのぞき込んだ。

彼はもう、餃子を食べることはない。立ち食いそば屋に行くこともない。
もう相撲をみることはないし、巨人が負けても喜ばない。
暑いなあとも、寒いなあとも想わない。

かぞえきれないほどの由来の一つひとつが、永遠に絶たれてしまったのだ。
残されたひとは、その死よりも、その不在よりも、絶たれてしまった由来の深さ、長さ、膨大さを前にして、途方に暮れる。

彼が父親だからではなく、血のつながりがあるからでもなく、その死は、骨身に応える。絶たれてしまった膨大な由来の数々が、こちらの生をも圧倒し、強く揺さぶりつづける。
それは悲しみよりも強い力で、物理的に、生理的に作用する。わたしの心臓を締め上げ、血管を細くし、視力を弱め、歯をもろくする。

わたしたちは、その由来の一つひとつが、どういうものだったかを確かめようとする。彼が何を考えていたのかとか、そのときに何を感じていたのかを、さぐろうとする。

それから、絶たれてしまった由来の一つひとつを、べつの何かで埋め合わせようとする。たとえば自分の思いや、自分の生のいとなみの、自分の由来で、埋め合わせようとする。
そして、とても埋め合わせることなんかできないと気づき、暗然とする。

しかたなく、やりようもなく、わたしは手をあわせる。花をたむけ、そして、たどたどしく般若心経を誦える。
一つひとつの骨を拾うように、一つひとつの由来を、わたしは拾い上げる。
そして、それを空へ放り上げ、わたしはこう呟く。

「親父よ、この青い空のようになれ!」

ただ風が止んだだけ

2009-11-27 05:17:15 | Notebook
     
街でいちばんの繁華街。その一角で、夢にあふれて開業した肉屋さん、八百屋さん、美容室。みんな二十代だった。開店当初はずいぶん繁盛していたらしい。

しかし時代は変わり、近所にスーパーが出来て、もっと駅に近いところには新しい商店街が出来て、お客さんが減ってしまった。たちまち商売が立ち行かなくなった。

店は古びて、一角はだんだん寂れていく。一軒、一軒と店じまい。余所へ動こうにも、身動きがとれない。肉屋さんはすでに店を閉めている。八百屋さんと美容室は、いまも営業を続けている。

店の家賃は5万円。八百屋さんは店舗が広いから、すこし高くて7万7千円。それぞれの家族が、そこで身を寄せ合うようにして生活している。さいわい大家さんはこれまで、店舗を建て替えようとはしなかった。しかしほんとうのところは、ビルでも建てて儲けたいというのが本音かもしれない。

その月々5万円からの家賃を、毎月毎月集金に行っているのが、わたしの父親。7千円の手数料目当てに、ずっと管理を引き受けているらしい。いまは彼が入院しているため、わたしが代わりに集金に行っている。振り込みで済むものを、毎月わざわざ集金に行って、その手数料をもらっているわけだ。

「あなたのお父さんとは、もう50年の付き合いなんだよ」

肉屋のおやじさんが、そんなふうに言う。心のなかに、すっきりと背筋がとおっている印象。けれども、すこし気むずかしそうだ。根性が太い顔つきなのに影がうすく、漂白されたみたいに白い。とっさに泣き顔が目に浮かんだ。
おかみさんにも会ったことがある。第一印象は岩のように閉じていて、話しかけるのが難しい。でも話し始めると、目がずいぶん優しい。しかし二人とも、なにか隠れ家に隠れるようにして暮らしている。電話をしても、出ない。だからこちらも、特別のメッセージを届ける使者みたいにして重々しく訪問する。

八百屋のおやじさんは、ずいぶん体力がありそうで、年齢よりずっと若い。老人のはずなのに顔はつやつやしていて、わたしより若いと思う。子供みたいに無邪気で、話が好きだ。だから集金に行くと、つい話し込んでしまう。とはいえ、ほとんど相づちを打っているだけなのだが(わたしは生来、かなり聞き上手なほうだと思う)。
八百屋をやっているひとは、子供みたいに無邪気なひとが多いものだなあと思う。このおやじさんは、それにつけて明朗で、ねじれたところがないから、いい八百屋さんだと思う。こちらも、たまたま立ち寄ったみたいに、軽々しい感じで訪問する。

美容室の女性は、ふつうに息子が来たことを喜んでくれている感じがする。ひょっとしたら、若い男性(わたしのことね)が訪ねてくるのをおもしろがっているのかもしれない。
店に飾られている絵がすごく良いので、それを褒める(八百屋や肉屋では考えられないような会話だ)。しかし、お店のひと自身がこの絵のことをあまり意識していなかったみたいで拍子抜けする。雲をつかむような会話。むしろ「このごろ○○が美味しくなってきましたね」とか、そういう庶民的でかわいらしい会話のほうが良かったかもしれないと、あとで気づく。



「夢を追う・夢をあきらめる」
「勝ち組・負け組」

という言葉が、嘘っぽく思えるようになったのは、いつからのことだろう。

この3つの店舗のひとびとは、勝ち組でもないし負け組でもない。夢を実現したとか、夢に破れたとか、そういうこともできない。なぜなら、その有りようがそのまま、生きることだからだ。

生きることを、変えようがないのは言うまでもない。肉屋さんが、肉屋をやるのは、それが生きることだからだ。やむをえず肉屋を店じまいしたのは、続けられなくなったというだけのことで、夢をあきらめたわけでもないし、負けたわけでもない。それは夢ですらないし、勝ち負けでもない。生き方の風向きが変わり、自然に止まったのだ。

生き方が、風がやむように止まるということが、この世にはあって、それは勝ち組とされるひとの身の上にも普通に起こることだ。ひとはそれに直面して途方に暮れるけれども、それを表現する方法を知らないから、言葉にできない。孤独になるばかりなんだろうと思う。

ただ風が止んだだけ。またいつか吹くかもしれない。笑って酒でも飲んでおれ。それを悟るまでに、どれほどの年月と、涙が、必要なのだろう。

再三すれば汚る

2009-10-21 00:30:38 | Notebook
     
つい先週のこと、あるひとがイタリア旅行から帰ってきて、こんなことを言った。

「厄払いの旅でしたよ。
僕は自分の文学作品のなかで、夢の世界にかかわりすぎていたんだ。それをいったん清めるためにイタリアへ行ったようなものでした。
僕は向こうの文化のなかで自分をつくってきた。だからイタリアは自分と精神そのものでもあります。その土地を巡ることで、僕は厄払いをしたんですね。
しかし、これでもう大丈夫。ひとつの円環が閉じられたような気持ちです」

だしぬけにこんなことを言われたら、ふつうは面食らうのかもしれない。しかしわたしは、その方が何をおっしゃっているかよく理解できたので、すぐにこういう話をした。

「『易経』のなかに『再三すれば汚る』という言葉があるんです。
それはたしか『山水蒙』という卦のなかにある言葉なんですが……」

彼は「易経」にはまったく興味を示さなかったが、
「サイサンスレバケガル」
という言葉の音に惹かれたようだった。

「……『再三すれば汚る』というのは、ふつうは、『おなじ質問を、繰り返し占ってはいけない』という意味です。
くよくよ迷って、おなじ問題について何度も占ってしまっては、易が汚れてしまう。そんなふうな意味です。じっさい、易の解説書をみるとそう書かれてあるし、占い師たちもそう解釈しています。

しかし、わたしは、これは違う意味なんじゃないかと思っているんです。

これは、ちょっと飛躍して言えば『夢を濫用してはいけない』ということなんですよ。

占いをする行為は、ようするに自分の無意識を覗き込むことです。この無意識を覗き込むということは、危険なことでもあります。つまりは濫用してはいけないんです。無意識を濫用すること、それはそのまま『汚れ』なんですよ。

わたしは、この『再三すれば汚る』というのは、ほんとうはこの問題について警告しているんじゃないかと思っているんです。実感として。

だって、子供じゃあるまいし、『おなじ問題を何度も占ってはいけませんよ』なんて、変じゃありませんか。わざわざそんな幼稚なことを『易経』が警告するものでしょうか。またそれを、文字どおり受け取って信じるというのは、いかがなものでしょう。

夢を濫用すること、それは汚れなんです。たぶん、この問題について、こういうふうに表現する占い師はすくないでしょうけれども、わたしはずっと以前から、こういうふうに思っているんです」

その方は、最初はすこし戸惑っておられたが、わたしの話の意図を察してくださったようだった。

そしてふかく頷き、古い革製の鞄から、ひらりと手帳を取り出してペンをとった。
「ええと、『サイサンスレバケガル』でしたね、再三、それからケガレは穢れでいいんですか、どう書くのでしょう?」

文体というメガネ

2009-10-07 01:05:26 | Notebook
     
かなり以前のことになるけれども、さる著名な整体師の本を読んでいたら、
「風邪をひいたときは風呂に入ったほうがいい」
というようなことが書かれてあった。

感心したわたしは、風邪をひいたときにこの言葉を思い出し、さっそく風呂に入ってみた。すると次の日には体調が改善し、2日ほどのうちに治ってしまった(そのあとまた、ぶり返したような気もするがよく思いだせない)。

ところが風呂に入っていたときに、わたしがぼんやりとかんがえていたのは、まったく意外なことで、
「これは、まんまと騙されたということだなあ」
という感想だった。

「風邪をひいたときには風呂に入ったほうがいい」と言おうが、
「風邪をひいたときには風呂に入らないほうがいい」と言おうが、
どちらも正しい。
どちらも、それなりに根拠(のようなもの)があって、それなりに場と条件に合うことがあるだろうし、合わない場合だってあるだろう。
そんなあたりまえのことに、あらためて気づいたということだった。

風邪にはアイスクリームが効くという場合もあるだろうし、アイスクリームが体を冷やし、弱った胃を荒らしてしまうことだってあるだろう。

風邪ぐらいで横になっていないで、働いたほうがいいと言っても正しいし、いやゆっくり休養をとったほうがいいと言っても正しいだろう。

そもそも、体は海のように深く広く、深淵なものなので、ひとつの文体で把握すること自体がナンセンスなのだということなのだろう。

海は蒼い。海は碧色。海は灰色。海は水色。海は白い。海はまぶしい。海は暗い。……どれも当たっているように、体について何を言ったところで、どうせ当たらずといえども遠からず。そんなものではないか。

このごろのお医者さんたちは、かならずしも「風邪をひいたときには風呂に入らないほうがいい」とは言わないのだそうだ。その根拠は、「入ったほうがいい場合もある」ということらしい。

昔のお医者さんは、みな一様に「入らないほうがいい」と言っていた。広くそう信じられていたからだ。つまり、悪い言い方で恐縮するが、いまのお医者さんにくらべると、むかしのお医者さんのほうが「風邪と風呂の関係」についてはすこしだけ「無知」だったということになる。

むかしのお医者さんが、あえて強く「入らないほうがいい」と指導していたのは、ようするに無知だったということであって、悪気があったわけではない。これがいまのお医者さんによる指導だとしたら、ウソをついているということになってしまう。

その整体師も無知だったのかもしれない。真相は分からない。しかし、わたしは根性がひねているので、その整体師は何もかも分かっていたにちがいない、という印象をもったのだった。彼の信者たちが、これを金科玉条のように受けとめ、ますます彼に依存するであろうことまでお見通しだったに違いない。そう感じてしまったのだった。どちらにせよ、わたしは、うっかり自分の体を、わけのわからない薄っぺらな文体に預けてしまっていたのだ。

これまで正体不明の「健康」やら「自然」やら「ノンストレス」やら「無農薬」、「玄米で病気が治る」、「癒し」、はては「母なる地球」などの、あふれるばかりの粗末な文体に、くりかえし自分を預けてしまってきたように。生まれてこのかた何十年も、こんな軽薄なことばかりやって生きてきたような気がする。

おいしい魂

2009-09-04 20:12:52 | Notebook
     
ある霊能者のおばあさんから教えてもらったのだが、縁談の相談をうけたときに、おもしろい方法で占うことがあるそうだ。

相手の名前と生年月日を小さな紙切れに書いて、油揚げの上に載せる。
そしてお祈りを捧げながら、それを火にくべる。
すると、キツネの姿をした精霊たちがたくさん現れて、その油揚げを食べるために集まってくるんだそうだ。

キツネの姿をした精霊たちにとって、油揚げは好物だから、喜んで集まってくる。
ところが、載せられた紙に書かれた生年月日と名前が、あまり美味しくない場合は、精霊たちはよりつかない。その人物の魂に、なにか問題があるというわけだ。

魂がおいしい人物の場合は、精霊たちは喜んでたくさん集まってくる。そういう相手であれば、だいじょうぶ。きっと幸せになれる。
しかし魂がおいしくないと、精霊たちにも嫌われてしまう。そして、そういう相手との縁談は良くないということだった。

せっかく本物の油揚げなのに、それに、おばあさんのような一流の霊能者が祈りを捧げているのに、まずくても我慢して食べる、ということはないらしい。
わたしは精霊たちの、そんなふうに素直で正直というか、現金な姿を想像して、心のなかでちょっと笑ってしまった。

おばあさんは、それ以上のことをあまり話してはくれなかったけれども、久しぶりにいま思い返してみると、いろいろ考えさせられることがある。

たとえ知性がすぐれていたとしても、心が稚拙で、自分の気持ちばかり優先しているとか、嘘をついても平気でいるとか、目の前のひとの気持ちを踏みにじるとか、ちょっと気に入らないことがあると相手を悪くいうとか、浅薄であるとか、酷薄であるなど、なにか人格に問題がある場合は、そのぶん魂がおいしくないということに、なるのかもしれない。

とくにここで問題にされているのが「正しい」でもなく、「立派な」でもない。「おいしい」であるところが、とても新鮮に感じられるけれども、なんだか妙に納得させられるような気がする。

おいしい魂の持ち主こそが、ひとを幸せにする。

おいしい魂とは何か、はっきりとは分からないなりに、長年をかけて、くりかえし考えるに足る、鏡のような謎の言葉。

慈悲

2009-08-17 16:17:13 | Notebook
     
きのうも夏らしい一日だった。夕暮れ時に広い草地に坐っていると、気持ちのいい風を感じることができた。空気中には陶然とした蝉の声が満ちている。

たぶん大学生らしい男女のグループが走りまわり、つかみかかったり、逃げまわったり、転げまわるようにして遊んでいた。あれはどういうゲームなのだろう?
おそらく歩き始めたばかりの赤ちゃんを歩かせているお母さんもいる。
老人の夫婦らしい二人連れが、静かな顔をして歩いている。
日灼けした6、7歳くらいの女の子が、毛玉みたいな子犬を連れて嬉しそうに歩いている。子犬は懸命に短い脚を動かし、ずいぶん一所懸命に歩いている。

風を感じながら、風についてかんがえていた。空の上の、風が吹いてくる方向を見やる。どこから吹いているのだろう? この風は、どれほど多くの場所に吹いているのだろう? どれほど多くのひとの髪を揺らせているのだろう? よくよく見ていると、この小さな風が、とても強い力でここへ運ばれていることに気づく。絵筆を走らせたような白雲が棚引いていた。

周りには甘い草のかおりがあった。蟻が腕のうえを伝って歩く。小さな蠅もやってきた。なにかの匂いをかぎ分けるようなしぐさをしていたが、まもなく飛び去っていった。

それを頭のなかで考えるのではなく、イメージするのではなく、直接それを見てみよう。味わってみよう……。

風が吹いたり、雲が流れたり、気持ちがよかったり、草の香りを感じたり、陶然とした蝉の声で空気がはち切れそうに満ちていたり、若者が走っていたり、彼らの健康そうな筋肉が動いていたり、思い思いの服をまとっていたり、日に灼けていたり、色白だったり、それぞれの声色をしていたり、べつべつの顔立ちをしていたり、べつべつの体つきをしていたり、親密だったり、よそよそしかったり、蟻が歩いていたり、蠅が飛んできては飛び去ったり、薄黄色の蝶が漂っていたり、女の子の細くて小さな体が跳ねるように歩いていたり、長い髪が風のなかを流れていたり、赤ちゃんが立ち上がったり、老人が連れ立って歩いていたり、……。

ひとはいつも、圧倒されるのだ。この世界があまりにも、とてつもない世界だから。それは驚嘆すべき場所であり、過剰な豊かさ、豊潤さをもっている。

どんなに悲嘆に暮れていても、たとえ絶望していたとしても、たとえいま息をひきとろうとも、取り返しのつかない過ちを犯したとしても、誰かを台無しにしてしまったとしても、人生をまるごと殺してしまったとしても、この「過剰さ」「とてつもなさ」「驚嘆すべき世界」はいつもここにあって、これは一人一人のなかに、圧倒的な力で吹き込まれていく。それは人が期待するような「救い」などではなく、「救い」以前の時点で、すでに人を、大きな力で満たしている。わたしの腕は動き、脚は大地をふみしめ草を踏みしだく。この強度近視の目はあの傾いた夏の陽をぼんやり見つめる。気まぐれな心臓はなんとか動き続け、痛風気味の血液は体を満たす。これらの驚異的な力は、風をおくる強い力と、おなじように力強い。

きっと老人は、小さな子供たちが駆けまわる姿を見て、圧倒されることがあるに違いない。なぜなら、彼がもう何十年も、長い長い人生を生きたというのに、あとからあとから新しい命が生まれてくる。そうして人生をまた繰り返す。その事実に、そのとてつもない現象に、老人はきっと圧倒される瞬間が、あるに違いない。彼はそのとき、とてつもない世界の、とてつもない力に気づいているのだ。その驚嘆すべき力を、人類は「慈悲」と呼んできた。それを「愛」と呼ぶひともいる。

小さな子供が転んで泣く。しかしそれを見て老人は微笑むことがある。愛らしい姿に感動するからだ。そのとき老人は、気づいているのだ。その子がどんなに泣いていても、どんなに悲嘆に暮れていても、世界中から祝福されているのだということに。

慈悲とは、おそらく優しさのことではなく、哀れみのことでもない。それは気分や感情のことではなく、風のように圧倒的で、力強いものだ。それは小さな風のように、ひとの頬に触れる。

永続する思考

2009-08-11 10:32:35 | Notebook
     
肉体が死んだあとに、そのひとの精神だけが残る。
それはそのひとが生前おこなったことが、この世に残した痕跡であったり、ひとに与え感化させた影響であったり、その影響の連鎖であったりする。
そして、よくよく考えてみると、その「精神」のほうが、肉体をともなった彼(彼女)よりも、より「人間」そのものではないか。

……という考え方が、わたしの考え方です。これはすでにこのブログでも書いていることなのですが。

そして、その「精神」とその「影響の連鎖」のことを、わたしは「偉大な書物」と表現したことがあります。これもここに書いたことがあります。

さらに、この考えを発展させて、ひとの肉体と一生が、いろいろな苦難を味わいながら、この「精神」を磨いていく。そして亡くなったあとは、一生によって磨かれたこの「精神」の輝きだけが残る。ひとの一生というものは、そのためにあるんじゃないか。そんなふうに思っています。

ちなみに、わたしは自殺を否定していません。どんな苦難や試練も、その精神を磨くために与えられたのだから、とにかくそれを生きるべきだ、とは思っていますが、やみくもにその原則を貫くべきだとは思っていないのです。そこまで原初的じゃないんですね(なにごとについても、原初的な思想や解釈について、かなり疑っているところがあります)。だから、たとえば「葉隠」が示すような死に対する考え方も、それなりに立派な考え方だと思っています。

こうしたわたし自身の考えは、長い年月のあいだに、まぎれもなく、わたし自身のなかから生まれ、磨かれてきた考えです。そういう意味ではオリジナルの考えですが、そもそもこの世界にオリジナルのアイデアなど存在するはずがないということも、また一方の真実でもあります。

ですから、自分と同じ考えに、思いがけず出逢うことが、まれにあります。先日もそうでした。



ある本を読んでいたら、こういう一節がありました。

「わたしたちは重要じゃない。
わたしたちの人生とは、それでもって
永続する思考を引っ張りまわしている、たんなる糸、
思考はそのようにして、時を貫き旅をする。」

ああ、これはわたしと同じ考え方をしている。
ここでいう「永続する思考」とは、わたしが「偉大なる書物」と言っているのと同じことです。

この本は、アメリカインディアンの言葉をまとめた有名なもので、ご存じの方も多いと思います。原書は『Many Winters』という素晴らしいタイトルがつけられていますが、残念ながら邦訳のほうは、『今日は死ぬのにもってこいの日』という、大仰でもったいぶったタイトルがつけられています。

「日々が祝福されていますように」

2009-08-10 02:21:27 | Notebook
     
土曜日に、国立市の病院へ行って、親父のガンの病状についていっしょに説明を受けた。



すでに数日前から、できるだけ穏やかな言葉を選びながら、親父には少しずつ現実を伝えておいた。

先月の手術で分かったことは、膀胱内のガンが、検査で認識していたよりずっと多かったこと。だから、ガンだけを切除して膀胱を活かすことは無理だということ。

想像力のない親父のことだから、これだけの現実を突きつけられても、なんとなくピンとこない部分もあるだろうと予想して、むしろそれを幸いに、穏当な表現をつかっておいた。じわじわと日数をかけて現実に気づいていくほうが本人にとって良いだろうと想像したからだ。そして腹が決まったあたりで、正式に先生の説明を受ける。それがちょうどいいだろう。

しかし先月の手術直後に、そもそも最初に、わたし一人が先生から説明していただいたときの表現は、もっとキツイものだった。
「膀胱が、ガンだらけなんですよ」
「ちょっと酷かったねえ……」
「尿道の入り口もやられているんです」
こんなふうに言われたのが現実なのだが、しかし、こういう表現はいっさいつかわないことにした。予想よりもガンが多かったため、おそらくは膀胱をとらなくてはいけない。それだけ説明しておけば十分だろうと判断したのだった。



うちに帰ってきたとたん、親父が、激しい口調で、
「手術は受けない」
と言ったときは耳を疑った。てっきり手術するものと予想していたからだ。

生涯にわたって、なんでもかんでも、程度の低い他人の意見に簡単に自分を預けてしまってきた親父のことだから、今回もよく考えもしないまま、先生の方針に従うものと思っていた(そもそも他人の意見にすぐ自分を預けてしまうひとは、往々にして程度の低い=分かりやすくて単純な意見に取り憑かれるものだが)。しかし、それが今回ばかりは、さすがに自分の頭でものを考えたのだろう。良い傾向だと思った。

と同時に、彼の激しい口調が心配になった。自分の頭でものを考えたひとは、ふつうは激しい話し方はしない。たんに彼は怖じ気づいているだけのことで、ようするにショックを受けているのだ。そのショックのまま思考停止して「手術を受けない」と言っているのだとしたら、これはまた別の意味で良い判断とは言いかねる。

わたしが最も恐れているのは、金剛石(※)のように頭が硬い親父が、たったひとつの考えに取り憑かれて、そこから一歩も出られなくなって、まったく判断の融通がきかなくなる事態だ。彼の人生のためにそれだけは避けたいと思っているのだ。

わたしは親父の肩に手を添えて、「まだ時間があるから、よくかんがえてみよう」とだけ話した。手術の予後についても、再度くわしく確認することを勧めてみようと思っている。



夜になって、親父に時計を贈ろうと思った。残念ながらお金がないから安物だけれど。
この先どれだけ生きるか分からないと覚悟している親父に、時間をプレゼントするという、まったくベタな発想なんだけれど、きっとあのひとは気づきもしないだろう。しかし、まあいいだろう。贈り物に添えたメッセージは、
「日々が祝福されていますように」


(※)仏教用語で、ダイヤモンドのこと(笑)。

幻想は体に悪い

2009-07-29 22:20:36 | Notebook
     
ヨガにはとくべつ興味がないけれども、若いころにハタ・ヨガの解説書を読んでいて、これは果たして「健康法」になるんだろうか? と首をかしげたことがある。

べつに健康法としてヨガをやるのは良いけれども、もともとハタ・ヨガは宗教的修行のために身体をととのえるための技法だった。宗教的修行のためには心をととのえ鍛える必要があり、そのためにはまず身体をととのえなくてはならない。

ハタ・ヨガの技法をあれこれ見ていると、どれもこれも、「身体意識」を緻密に深くしていく技法であることに気づいてくる。

わたしは生来の怠け者なので、「屍のポーズ」とか「火の呼吸法」くらいしか試したことはなかったが、この二つの技法だけでも、身体意識を深める効果はあったと思う。

屍のポーズというのは、ただ仰向けに寝転がって、身体から力を抜いていくだけの技法だ。こんなにラクな修行は他にないだろうというくらい、簡単である(笑)。
しかしここで重要なのは、ちゃんと意識して力を抜いていく。
まず、つま先に意識をおいて、徹底的につま先の力を抜く。つぎに足首、ふくらはぎ、膝、腿、腰、というぐあいに、力を抜いていって、ついに頭頂まで完全に脱力する。ほんとうに「完全脱力」しちゃったら、えらいことになりそうだが、まあこれはイメージなので、安心して力を抜く。そうして心を平安に保ち、その充足した状態を味わえばいい。

ヨガの話題が出るごとに、
「屍のポーズだったら、まかしておいてください!」
とよく冗談を言っていたものである。

火の呼吸法とは、床の上に結跏趺坐して背筋を伸ばし、意識を丹田に置く。そして片方の鼻孔を手でおさえてふさぎ、あいたほうの鼻孔だけで激しく呼吸をする。このとき下腹部をつかって「フイゴのように」つよく呼吸をする。速く強く。しばらく激しい呼吸をくりかえしたら、次には、いま呼吸をしていたほうの鼻孔をふさぎ、それまでふさいでいたほうの鼻孔で呼吸をする。こうして交互に鼻孔を入れ替えながら、激しい呼吸をする。

これを人前でやったことはないが、ビジュアル的にいかにも「わたしヨガの修行してます!」という感じがする技法なので、ひそかに気に入っていた。鏡の前でおのれの姿をうつし、そのヨガ行者みたいな様子にウットリするのもいいかもしれない。

言うまでもないが、火の呼吸法はほどほどにしておかないと、身体にわるい。じっさい過呼吸になるため、一種のランナーズハイみたいに、頭もボーッとして、なんだか酔ったような陶然とした状態になってくる。飲み代に困ったひとは火の呼吸法でウットリしてみるのも、お酒の代わりになっていいかもしれない。

この火の呼吸法でも、独特の身体意識がひらいてくる。身体感覚がとぎすまされてくる。こんなふうにヨガ行者みたいなやり方で、とことん身体とつきあい、未知の身体意識を探求する日々を送るというのも、なかなかオツな生き方かもしれない。



しかし、このハタ・ヨガを「健康法」として実践してしまうと、この身体意識に曇りが生じてくる。ハタ・ヨガの眼目はあきらかに健康のためのものではなくて、身体意識を高め、深めているところにあるのだから、
「これをやっていたら痩せるワ」とか、
「ガンにかからないかも」
などと思っていると、身体意識からズレてしまう。

意識を身体にあずけ、その感覚を深めていかなくては、なんにもならない。ここでよけいな「御利益」を期待している心には、身体意識は開いていかないのだ。

「健康志向」は、あんがい身体に悪いものかもしれない。それは幻想であり、幻想は目を曇らせ、あきらかに身体意識から遠ざけてしまうからだ。