『タイプ論』誤読ノート

2006-10-21 15:45:37 | Notebook
       
今年の9月はユングの『タイプ論』(みすず書房)を読み返していた。とは言っても、この本を通読するのはたいへんなので、ときどき拾い読みする程度だ。それに、ちゃんと理解しているとは言い難い。しかしそれでもわたしにとっては、さまざまな収穫がある。あまり本を読めないわたしにとって、数少ない、たいせつな本のひとつだ。

これは、いささか幼稚なノートだけれど、わたしはこの本をいまのところ以下のように読んでいる。われながら、おかしいと思うところがいろいろあるし、たぶん間違っていると思うが、それでも誰かにとっては、なにかのお役に立てるかもしれない。そんな気持ちでこれを公開する。間違いを細かく考察して修正していたら、また10年ちかい年月がたってしまうからだ。きっと専門家の方々のお叱りを受けることだろう。



いつも思うのは、この本を学ぶところから始めないと、人間のことは何一つ分からないのではないか、ということだ。

たとえば、わたしはどうやら内向的直感型のようだ。この仮定のもとに考察することで気づくことが多くあった。
わたしの心は、躊躇、不安、予感、気苦労で満ちている。目の前の物を手にとるだけでも、それがわたしにとって良いことなのかどうか、いちいち「自分の胸に訊く」ようなことをしている。イメージトレーニングなしにはバットも振れない。これは意識してやってるわけではないから、タイプ論を読むまで自覚できなかった。みんなそういうものだと思っていたからである。

誤読による間違いをおそれずに言うならば、わたしは「内向的世界」に住んでいる。普通のひとがめったに降りてこない、心の底の井戸のそばに年中いるようなものだ。だから、目の前の現実に具体的に向かうことが、なかなかできない。豊かな内面世界にいるものだから、目の前の現実が、あまりに遠く、薄っぺらく、実感としてつかめないのだと説明すれば、分かってくれるだろうか。ふつうの人間の逆の世界に生きていると言えばいいだろうか。

ふつうは、ひとは夢のなかで心の底へ降りていく。しかし目が覚めて現実に戻ってしまえば、夢の世界へ戻っていくことは難しい。見た夢を思い出すだけでも、かなりの精神力を消耗してしまう。わたしの場合は、これが反対なのである。
わたしの場合は、目の前の仕事にとりかかるだけで、かなりの精神力を消耗する。目の前のものを拾うだけで、疲れ果てる。床屋へ行って髪を切ってもらうだけで、くたびれはて、その日は何もできなくなる。

世の中には、決められた時間に決められた場所へ行くだけで、精神力を使い果たしてしまうタイプの人間がいる。その理由は、彼らにとって、「決められた時間」という現実が、かげろうのように希薄な存在にすぎないところから来ており、ある種の内向的な心が原因になっている。希薄な夢の世界で活躍しろと言われても、たいていのひとは消耗してしまうだろう。

こういうひとは、部屋を掃除することができない。まじめなくせに学校へ通うことができない。就職しても勤まらない。無理をして通勤していれば病気になってしまうだろう。本人も辛いし、周囲も辛い。原因がまったく、かいもく分からないのである。

しかも、こういう内向的な人物に、外向的な頑張り方をさせるのは逆効果だ。
むりやり外へ連れ出して、むりやり働かせて元気を出させようとしても、たぶん次の日には寝込んでしまうだろう。久しぶりに活動的な一日を終えて、本人も喜んでいる。よし明日も元気に、がんばろうと思う。しかし、たぶん次の日は死んだ魚のようになっているだろう。

それほど疲れているわけでもないのに、気力が出ず部屋でごろごろしている若者がたくさんいるのは、このあたりの対処の仕方を根本的に間違えているのではないだろうか。鬱病やノイローゼ、自閉症など、いろいろな場合があるだろうが、わたしのように内向的直感型から来る病いであるとするならば、まず自分のタイプを知ることが先決となる。

彼らに必要なのは、自分が内向的な世界に生きていることに気づかせることだ。それから、その「躊躇、不安、予感、気苦労」を手放しても、世界は終わらないのだということを悟らせることである。しかし、これはたいそう難しい。それが本人の世界の、すべてだからだ。

引きこもりの学生の場合は、たった一冊の味気ない教科書を開いて読んでみることが、その学生にとって「かけがえのない美しい現実」であり、「唯一の、そして豊かな現実そのもの」なのだということを悟らせることだ。そして、それ以外の「自分と世界そのもの」をいったん捨ててしまうコツを掴ませることだ。しかしこれも至難の業というべきだろう。
瞑想の才能があるものは、「いったん死んで無に帰り、心の底の井戸のそばで、教科書を開く、そして、それがいかに豊かな輝きに満ちているかを観想する」という瞑想をしてみるのもいいかもしれない。そうすればやっと、現実の教科書を開くことができるかもしれない。大げさかもしれないが、内向的な人間というものは、それくらいやっかいな世界に生きているものだ。

外向的な人間は、「まず行動する」ということができる。これが内向的な人間からみると羨ましい。しかし、外向的な人間はある部分で、とても薄っぺらい生を生きていることがある。内向的直感型のわたしの目に彼らは、心ない言葉でひとを傷つけ、気に入らないひとを捨てて顧みない人物に見えることさえある。

そのうえ、外向的な人間は内向的な人間のことを、いささか誤解している。内向的な人間がいつも「躊躇、不安、予感、気苦労」に取り憑かれているものだから、とても「暗い、陰気な、いらいらするような人物」に見えることがあるのだ。また独特の圧迫感、緊張感のようなものも身にまとっている。気難しい人間に見えることがある。

さらに外向的な人間は、内向的な相手のことを「疫病神」と感じることがある。それは、内向的な人間が、外向的な本人の代わりになって「心の底から来る予感」をもたらすことから来ている。自分の心をあまりに顧みない本人の代わりに、そばにいる内向的な人間が彼の「予感」を感じ取ってくれるのである。この「予感」のなかにはもちろん「嫌な予感」も含まれるし、その嫌な予感が当然、当たることだってある。このため、内向的な人間は外向的な相手から「鬼門」とか「疫病神」のレッテルを貼られるのだ。「妻といっしょにいると、いつも調子が狂い、嫌なことが起きる」などと誤解している夫は、自分をよく顧みる必要があるかもしれない。



わたしのように内向的直感型の人間ばかりが世の中に増えたら、この世界は機能しなくなるだろう。時計の針は止まり、都市機能は麻痺し、世界は終焉を迎えるかもしれない。
しかし、外向的な人間ばかりの世の中になったら、それはまるで、書き割りのなかで演じられるホームドラマのように薄っぺらい世界になってしまう。豊かな味わいのない世の中ができあがるだろう。

内向的な人間と外向的な人間は、お互いを必要としているのだ。たとえば、内向的な人間同士が結婚すると、かえってうまくいかないことがあるらしい。内向型、外向型の正反対の気質をもつ夫婦が、お互いにいらだちながら、お互いをけなしながら、なんとかいっしょに生活を営んでいたほうが、ずっと収穫のある人生を送ることができるというケースも、あるらしい。

そして、この視点を知らないと、じつは人間のことを具体的には何も分かっていないことになってしまうのではないか。目の前の友人を誤解しつづけることになってしまうのではないか。ユングの『タイプ論』を読み返すといつも、そう思うのである。この本を翻訳してくれた林道義さんに、わたしはとてもとても感謝している。

以上、わたしの書いたことはいろいろ間違っているかもしれないが、何かのお役に立てるところもあるかもしれない。
また時間をつくって読み返したいと思う。そして、またあらたな発見をし、ここに書いたことの間違いを訂正できる日が来れば嬉しいと思っている。

腐肉

2006-10-20 00:28:22 | Notebook
      
数年前に『オリジナル・サイコ』(早川文庫)という本を読んだ。これはアメリカの犯罪史上もっとも凶悪と言われた殺人鬼、エド・ゲインという狂人の伝記だ。彼の犯罪はヒチコックの『サイコ』や、のちの映画『羊たちの沈黙』などのモデルになっている。
しかし、この本を読むと分かるのだが、現実の事件のほうは映画の描写をはるかに上まわって悲惨であり、これにくらべたら、映画のほうは子ども向けに何倍も穏やかにまとめたように見える。いやそれどころか、スプラッター血みどろ映画すら可愛く見えてくる。まったく、シャレにならない。お話にならない。それほど酷い事件だったのだ。被害者の数を特定することさえ不可能だという。

これを読んだ当時、わたしはかなりのショックを受け、この忌まわしい本が部屋のなかにあることが耐えられず、しかし所有していたい本でもあったので(よく書けている良書だった)、玄関の靴箱の中に置いていた(笑)。そして読み返したくなると(めったにないけど)、箱のなかから引っ張り出してきて読む。読み終わると、忘れずに靴箱のなかに封印する。そんなふうだった。でも、やがて飽きてきて捨ててしまった。

わたしにとってとても印象的だったのは、まず、エド・ゲインの母親も、彼自身も、かなり信仰心があつかったということだ。彼はふだんとても真面目な、大人しい、善良な男だったそうである。
それから、彼は母親を崇拝しているふしがあって、そんな母親に押しつぶされ台無しにされてしまった男に見える。閉鎖的で没交渉的、保守的な街のなかで、母親しかいない生活。毎日聖書を読み、神に祈りを捧げながら育てられた。
そんな神のような存在の母親から、「若い女たちは悪魔なのよ、近寄っちゃだめ」などと言われて育ったら、わたしだって狂人になっていただろう。殺人犯にはならないと思うけど、かなりアブない青年になっていたと思う。うーん。考えたくもないが(笑)。そういう意味では、彼は母親の犠牲者だったのだと言うことはできるかもしれない。

エド・ゲインは、母親と死別するあたりから狂ってくる。このあたりの展開は分かりやすい。
たしか彼の最初の犯行は、母親の墓を掘り返すところから始まる(うわー)。
それがやがて、同じような別の中年女性の死体を掘り起こし、陵辱するという犯行へと発展していく。そうして彼はその死体の内臓や部分を切り取って持ち帰ったりする。このあたりから、かなーり狂気のほうへ旅立って行ってしまっている。片道切符でね。
彼は死体の皮膚を剥がして、それをジャケットにして着てみたり(ひーっ)、性器を切り取ったものをコレクションしたり(わーっ)、といった行為におよぶ。その人体パーツのコレクションがまた膨大で、さまざまな種類があり(えーん)、まさに阿鼻叫喚。狂気というものは、こんなにすさまじいものであったのか。そうして彼の行為はどんどんエスカレートしていく。やがてついに、生きている女性を次々手にかけるようになっていく。

といっても、彼は24時間営業の殺人鬼さんではなくて、ときどき発作に襲われて犯行におよんでいたらしい。このあたりの彼の葛藤は気の毒ですらある。手許に本がないので引用できないが、
「もうけっして、あのような忌まわしいことをしなくてすむようにと、わたしは必死で祈りました。毎晩わたしは祈りました」
というようなことを言っていた。彼なりに、犯罪行為に手を染めたくなくて、努力はしていたということだろう。しかし夜になると発作がやってきて、気がつくと墓を掘り起こしていた、と本人は言っている。その後悔の念もすさまじいものであったらしい。このあたり、毎晩赤ちょうちんを見たとたんに自分が分からなくなり、のんだくれて他人に迷惑をかけては、次の朝には悔恨の涙を流している常習酔っぱらいの方々は、身につまされるところもあるだろう(笑)。

整理したい。
エド・ゲインはどうして狂っちゃったのだろう?
1)もともとそういう素因があったのか?
2)母親の精神的「虐待」のせいか?
3)彼をとりまく社会のあり方も関係あるのか?
4)(みなさんの記入欄)
有名な事件だから、いろいろな専門家が、すでに、さまざまな考察をしていることだろう。

ここでわたしなりに、はた、と気づいたことがある。

この伝記を読むかぎり、彼の育った環境にも、母親から受けた教育や引き継いだ信仰(with 精神的虐待)にも、どこにも「肉」や「死」がない。そんな印象を受けたことだ。
これを日本人風に言うと「ケガレ」のようなもの。つまり「肉体的なケガレの感覚」がなさすぎるのだ。それは具体的に言うと性欲だったり、人格のなかの悪い部分であったり、まあ誰でも持っている、けがらわしい部分だ。
彼がうけた教育も、思想も、それがまったく欠落していて、奇妙にクリーンな気がするのである。そう、まるでニホンの街みたいに。汚いものに蓋をしたような思想。いや蓋どころか、その存在すら失念しているような精神状態。それを感じたのだ。
小学校の運動会で、子どもたちに徒競走をさせておいて、順位をつけないですますような、そういう「きれいなだけ」の思想。それに近いものを、彼の人格から感じたのである。

彼に欠けていたのは、こういった「肉のケガレ」「汚いもの」だったのではなかったか? それから「死」。そう考えると、彼が墓をあばいて死体を狙ったのも、被害者の肉体をコレクションする行為にしても、それはなにかが屈折した代償行為なんかではなくて、じつはとてもシンプルな行為であって、直接必要なものをただ採取し手にしていたのだ、という言い方ができるのではないか。

そう、彼は「肉」「死」そして「腐肉」を手にすることで、やっと母親の呪縛から解放されて「人間」に戻っていたのではないか? 肉と死のケガレまでいったん下りていくことで、悪魔でもあり神でもあった彼のなかの母親が浄化され、救われる、というような現象が起きていたのではないか。

たぶん、このテーマを掘り下げると、すごく大切なことがいろいろあるような気がしている。すくなくとも、「肉」と「死」、そしてこの二つからなる「腐肉」は、人間にとってとても重要なメタファーだ。
しかし、やれやれ。気持ちがわるくなっちゃったよ。

三元九星と恋

2006-10-19 13:27:52 | Notebook
      
二十歳のころ、三元九星をつかった「四番掛け」という占いが大好きで、かなり習熟していた。
占うときの、年・月・日・時、4種類の九星盤を用意して、それぞれの位置関係から星の相生・相克をみて森羅万象を占う。この占いと四柱推命があれば、だいたいの用に足りる。友人の申し出に応じて占うこともあったが、たいてい占うのは自分のことばかりで、わりあい当たっていたと思う。当時から占い師を職業にしておれば、かなりの財産をつくることができたかもしれない。

九つの星から、森羅万象をイメージするというところが、とても好きだった。たとえば八白土星は、細かいものを積み上げる現象や山にちかいものがすべて対象となる。それから、繋ぐという意味もあるので、乗り継ぎ駅のホーム、電話の中継地点のアンテナなどを暗示する。ひとつの星をみただけで、無限のイメージがひろがり、それがほかの星のイメージとの間にどういう関係があるのかをみていく。さらに目についた特徴をパズルのように組み合わせて、いちばん起こりそうな出来事を予測する。素材は隠喩であり思考も隠喩だ。とても詩的で、芸術的なセンスが必要なのだ。意外なことに。デザインのイメージを探す作業とよく似ている。



わすれられないエピソードがある。
わたしがヘナヘナでフラフラでスカスカの専門学校生だったとき、学校で友人たちといっしょにいて、ある女の子の話題が出た。それは学園祭から数日後のことで、いつもは元気なその女の子がどうしたわけか学園祭以来姿を見せない。当時はまだ携帯電話というものがなかったし、貧乏な学生のなかには電話も持っていないものもいた。その女の子は仲間のうちでもとくに貧乏で、パン屋さんから廃棄扱いの食パンの耳をもらって、それを主食にして生き抜いているような子だった。たまに買い物をしても、もやし1袋と、玉子2個入りパックしか買うことができない。もちろん電話など持っていない。しかし驚くほど体力があって明るく根性が太く、男よりもさっぱりとしていたから、みんなの人気者だった。いつも湯上がりのようにすっきりとした表情をしていて、高潔で浮世離れした田舎者で、ふしぎな魅力があって、彼女を好きな男も多かった。だから彼女の不在を、みんな心配していたのだと思う。

その日も退屈しきっていた友人は、わたしに、ちょっと彼女のことを占ってみたらどうかと提案した。わたしはそのころすでに三元九星に習熟していたから、あたまのなかで「四番掛け」の盤を組み立て、瞬時に複雑な占いを行なうことができた。
そうして出た答えは、彼女はとても困っているというものだった。たぶん体調をくずしているのだろう。それがどのくらい緊急を要するかは、微妙な解釈で変わってくる。わたしには判断がつきかねたが、出た暗示を信頼して妥当な判断をするならば寝込んでしまっている。かなりたいへんなことになっている。
もちろん、これは間の抜けた話で、そんなことぐらい、わざわざ三元九星を持ち出さなくても予想できそうなものだったが、ようするに、当時のわたしはそれほどナイーヴな青年だったのだ。

だが友人は信じなかった。
あいつが寝込んでるって? ちょっと考えられないな。むちゃくちゃ体力があるやつだぞ。どんなことがあっても、這ってでも出てくるんじゃないのか? どうせバイトが忙しいんだろう。友人がそう言うのも無理はなかった。

旅行中の丹後半島で、大雪が降り、彼女を乗せた列車が止まってしまったことがあった。彼女が実家のある鳥取に帰郷するときのことだった。天橋立までいっしょにいたわたしたちは、彼女を心配して、列車の止まった駅に電話をした。ホームに女の子がいませんか? しかし駅員の答えはノーだった。お客さんたちはみな列車を降りて、タクシーに分乗して行ったが、道は途中までしか通じていないという答えだった。もうすこし先の駅にいるかもしれない。しかし、どの駅も、どこへ電話しても彼女はつかまらない。当時は公衆電話だったから、わたしたちはお金をくずして10円玉を大量に確保して夜遅くまで電話をかけつづけた。しかし彼女を見つけることはできなかった。
次の日、やっと彼女と連絡がとれて分かったのだが、1メートルちかい積雪に埋もれた国道をひと晩中、素足にスニーカーだけの足で、実家のある鳥取まで歩いていったのだった。しかも彼女は笑いながら、いやー楽しかったから、また歩きたいねえ、と言っていたのだ。わたしたちは拍子抜けして、あいたくちがふさがらなかった。



ここまで読んでくださったかたには、すでに予想がつきそうなものだから、ここから先は駆け足で述べるが、わたしはその日、彼女のアパートを訪ねた。やはり彼女は寝込んでいて、もう数日のあいだ水を飲んでももどすというありさまで、脱水症状を起こしていた。わたしはすぐに医者へ連れて行ったのである。はじめて訪れる、知らない街のことだった。もう日が傾きかけていて、まだ開いている病院を見つけるのも苦労した。それがとんだ藪医者で、彼女は妊娠しているに違いないという診断をくだしたが、間違いだった。あなたはボーイフレンドなの? と訊かれて、首を横にぶんぶん振っていた。薬はもらえなかった。
ひと晩かけて、なんとか水を飲ませたり、手当てをしているうちに、彼女はみるみる元気になっていった。あれがどういう病いだったのか、いまだによく分からない。

さらにありふれた展開で恐縮だが、この出来事がきっかけで、わたしと彼女は恋人になった。だから、いまではすっかり、すれっからしになってしまって占いをばかにしているわたしだが、三元九星にだけは恩義を感じているのである。わたしたちは同じ歳で、21歳のときから25歳までいっしょだった。宮野真一という映画監督がむかし撮った、みじかいみじかい8ミリ作品のなかに、当時の彼女の姿が映っている。わたしはまだこの映画を観たことはない。



わたしが女の人といっしょに生活し、じぶんの子どもを育てたいという考えを確かにもったのは、この時期が最初で最後というわけではないが、その気持ちを別れたあともずっと、後々まで長く持ち続けることができるような、そんな関係をもつことができたのは、これが最後だった。

あんなふうに強く、ながく、ひとりの女性を思い続けることができたわたしは幸運だったと思う。ずっとそれを不幸だと感じていたが、いま振り返ってみると幸運だったと思うのだ。あの光が、その後のわたしをどれだけ救ってくれたことか。しかしこの救いも、ずっとあとになってからやっと悟るようなことである。

とんでもなく間違っていたと、いまさら知ることがある。それは当時のわたしが、それから先いくらでも、そんなふうにべつの女性を愛することができるし、いくらでもそういうチャンスがあるものだと思っていたことである。もちろんそう思うべきだし、たしかにチャンスはあったし、すばらしい女性に恵まれ、すばらしい女性に育てられてきた人生だったが、あんなふうに愛することは二度となかった。どの恋愛も唯一無二であり、どの女性も二人といないという、あたりまえのことを悟るのに、わたしは何十年も生きなければならなかったわけだ。

いまのわたしは愛するということを少しは知っていると思う。学んだからだ。生身の女を犠牲にしてまで、高すぎる法外な授業料を払ってまで学んだからだ。女の心に咲く花がどういうものかを知っているとは言わない。だが見たことはある。それに対してどう敬意を払い、どう扱うべきかをすこしは知っていると言ってもいいかもしれない。しかし、それをまったく理解していなかった、あのころのわたしを、逆に乗り越えられないでいる。皮肉なことだと思う。



墓場までもっていける恋。最後の瞬間に、それがすぐそばにあれば、女の一生は大往生だったと言えるのではないか、と言った女性がいる。当時25歳の矢野絢子さんだ。

では男の場合はどうなのだろうか? わたしはいま、あの光を一つ一つ手にとって、それを持って行けるかどうかを考えている。さいわいなことに、それはいまもあそこにあって、変わらぬ光を放っている。

まったくそれが色褪せていないことを、わたしは秘かに誇りに思っている。懐かしむのではなく、振り返るのでもなく、ましてや過去に生きるのでもない。その光を褪せさせず、失わないためには、独特の生き方が必要であり、思想が必要であり、洞察力が必要であり、才能も必要であり、努力も必要だ。わたしはそれを「成し遂げた」のだ。だから誇りに思っている。

内向的直感型のわたし

2006-10-18 10:04:37 | Notebook
      
たぶん内向的直感型のわたしは、さまざまなイメージと「ひらめき」の世界に生きていることが多い。だから、こういういいかげんなエッセイでよければいくらでも書ける。物語だって、どんどん思いつく。詩を書けといわれたら、いくらでも書ける。デザインのアイデアだって、どんどん浮かぶ。

しかし苦労する。なにに苦労するかというと、それらのイメージはだいたい、現実からズレているからだ。内側から生まれてきたイメージを、現実とすり合わせて、一般的にふつうのひとが読むに値するところまで、ととのえる作業に苦労する。さらに、できれば普遍性をもたせるために、表現を変えたりする。このあたりですでに、自分がなにを書こうとしていたのか分からなくなってくる。
デザインのアイデアも、それが商売として通用するところまで持っていくのに苦労する。アイデアをそのまま仕上げると、かっこ良すぎたり、過激すぎたり、なんかヘンなのだ。どこがヘンなのかに気づくまでの時間のほうが長い。スポーツカーをあれこれいじって、一般車道を走ることのできる車に改造するような作業だ。こういう車のことをストリート・リーガルというそうだ(でも、どうせ相手はなにも分かってないんだから、もうどうでもいいかも、などと思ったりする今日このごろ)。

ふつう「隠喩」と呼ばれる世界に、わたしは住んでいる。中学生のころわたしが書いた詩を思いかえしても、意味不明な隠喩ばかりが並んでいる。あのまま詩を書いていたら、さぞいい詩が書けたと思うが、人間的には困ったことになっただろう。ますます内向世界へ入り込んで、ろくなことになっていなかったと思う。とちくるって作家など目指さなくてよかったと思う。もし成功でもしていたら、とんでもないことになっていただろう。おなじような理由で、画家や芸術家を目指さなくてよかったと思う。いまごろは頭がおかしくなるか、かなり問題のある人格ができあがっていただろう。

そう考えると、いまデザインの仕事をしているのはじつに運命の不思議というか、神はわたしに、いちばんちょうど良いものを与えたもうたのだ。
内向的直感型の気質が、与えてくれるイメージを、カタチにする。それについてクライアントが破壊的で暴力的でナンセンスな意見をあれこれ言う。すべてがぶちこわしになる。キーッとなりながら、重い足を引きずって、作り直す。さめざめと涙にくれながら、デザインをやり直す。内向的直感型のわたしにとって、これほどの悲劇はない。わたしにとって世界のすべてですらある内的イメージの「お部屋」に、他人が土足で入り込み、たいせつなお部屋を勝手に模様替えして帰っていったようなものである。昨日買ったばかりのベージュのワッフル生地のカーテンが、毒々しい原色の、表情のないコワイ顔をしたキティちゃんの模様に替えられている。戸棚のなかにあった「京みやげ 稚児餅」が、食べたくもない「うまい棒」に替えられている。
まったく悲劇以外のなにものでもないが、そうすることで、わたしは、いちばん自分に合ったやり方で「他人」や「世界」とかかわっているわけだ。

そして、今日わたしは仕事が終わってしまって、とほうに暮れている。もう仕事がない。あてもない。この不遇は、この10年ほど、わたしが部屋に籠もりがちになって、あまりに自分のなかに引きこもりすぎたことの代償でもある。わたしの運命が、「もっと外に出てひとに会い、苦労せよ」と言っているわけだ。いやあるいは「もうこれでおまえの運命も終わりなんだよ」と言っているだけかもしれないが、それはもうじき分かることである(笑)。

もしわたしが大成功して、有名デザイナーにでもなってしまったら、依頼主は恐縮して、なにも注文をつけなくなるだろう。ちょっとヘンかな、などと、気に入らないところがあっても、彼は偉い先生(わたしのことだ)にむかって、あまり注文をつけることができない。ほんの2、3ほど、遠慮がちに要望を言うくらいだ。しかしわたしは胸を張って、その要望を「却下」するだろう。
こうして有名デザイナーになってしまったわたしは、「他人」や「世界」と出会う機会をうしなっていく。頭がどんどんおかしくなり、いまごろはUFOと交信でもしていたかもしれない。

わたしはつくづく思う。ああ、貧乏で悲惨なデザイナーで、よかった、と……。ありがとう、生活苦よ……。

もうこの話はこれでおしまい!

花束

2006-10-17 00:21:29 | Notebook
      
先週はお袋の誕生日があったので花束をプレゼントした。
はじめはもうすこし違うものにしたいと思い、あれこれ考えたのだが、いままで花束を贈ったことはなかったのだと気づいて、よし今回は花にしようと思った。

今回は、と書いたが、昨年はプレゼントなんかしなかったし、一昨年もしなかった。数年に一回きりのことである。
うちの家族は誕生日にプレゼントするという習慣がなくて、めったに贈り物はしない。よそよそしくて、あまりあれこれ話さない。
小さな姪には毎年なにか贈っているが、その親からお礼を言われたこともない。わたし自身はなにももらったことがない。

これはたぶんに親父の性格が影響している。親父にもプレゼントをしたことがあるが、それは数年たって返却された。とても喜んでくれていたのだが、なぜそういうことを彼がするのか、いまだに分からない。

「女というのはねえ、馬鹿な生き物なんだよ」
「おまえの母親は、頭がおかしいんだ」
ぞっとするような猫なで声で、にやにや笑いながら、そんなことを言う親父だ。このあいだもそう言っていた。なんでそんなばかなことを言うのか、子ども心にも分からなかった。いまも分からない。しかしそんな親父が知らないうちに、わたしたち子どもに、家族というものにたいする不信感のようなものを植え付けていたことは間違いない。妹の離婚の遠因は父親なのだと思っている。



数年前のこと、親父が故郷を旅行したいと言いだして、いっしょに来てくれないかと言われた。そのとき彼は何度も気が変わって、旅行の日程が毎日のように変わった。待ちかまえていた親戚は呆れていただろう。出発の前日になって、親父は女のような声でこう言いだした。ねずみが囁くみたいだった。
「日程が何度も変わったのは、シンちゃんの仕事の都合で変わったということになっているから、そのつもりでいてね」
いまに始まったことではないので、わたしは驚かなかったし腹も立たなかった。当然のことながら、はじめて会う従兄弟とはあまり打ち解けることができなかった。はじめは予定を合わせていたであろう彼の子どもたちに会うこともできなかった。

しかしそんな親父でも、かなり年をとるにしたがい、穏和になってきた。わけのわからないことで怒鳴り散らしたり、行く先々で奇怪な行動をとるのは相変わらずだが、お袋のことを気違いだなどと罵倒する頻度が減ってきた。

やがて姪が産まれると、孫に会いたいために口実をつくって、家族の誕生日が来るごとに食事に誘われるようになった。真心がこもっていないわけではない。しかし、あの偽善的な、ぞっとするような猫なで声で「誕生日おめでとう」と言われると、いつも気持ちが萎えてしまい、話したことを後悔する。が、それでも以前の奇怪な父親よりはましになったと思う。

歳をとり、元気がなくなり、さまざまな諦めや、絶望や、もうこれで最後か、という気持ちで子どもに会うことや、身体の不安などでいっぱいになる。そういう生活が、親父をすこし変えてくれたのだろうと思っている。親父を見ていると、老いと喪失が救いになることもあるんだな、と感じることがある。

ことわっておくが、わたしはそんな親父にとても愛されて育った。なんだかヘンなことに、父親じゃなくて母親みたいな愛され方をした。生涯を通じてずいぶんたすけてもらった。たいへんな恩恵を受けているし、さまざまな美徳をもらった。感謝しているなんて言いたくないが(笑)、まあ感○して○る。せめてもっと正気であったら、もっとよかったのにと思う。お袋はノイローゼ気味でやや病んでいるが、あのひとといっしょにいたら、誰だっておかしくなっただろう。



しかし気の毒な男ではある。十代の終わりごろに植民地でむかえた敗戦によって、彼の人生は二つに分裂して、そのまま元には戻らなかった。「二つに分裂」そして「まだ少年のときに死んでしまった母親」「世界への不信感」というキーワードで彼の人生と人格を見つめると、すんなりと謎が解き明かされていく。わたしたちは戦争の被害者なのだと覚ったのは、つい数年前のことである。

親父と話していると、彼の言葉にはときどき、まったく正反対の意味が含まれていることに気づいて、恐ろしくなる。これは付き合いが長くないと気づかない。たぶん、わたししか気づいていないと思う。本人も気づいていない。「天気で良かったね」という言葉には「雲が出てきて雨が降りそうだ」という意味がふくまれる。「わりあい近いね」という言葉には「思ったより遠くて残念だ」という意味がふくまれる。彼と話していて、わたしはほんとうに、恐ろしくなることがある。
ひとの言葉にはつねに、複数の意味がある。そして言葉どおりの意味をもつことは案外すくない。しかし、父の言葉はときに、まったく正反対の意味をもち、彼のこころが真っ二つに分裂している。穏和な彼の顔の下から、まったく違う険しい顔が浮かび上がる。それはとても恐ろしい光景だ。ばっくりと割れた傷口を見せられているような、すさまじいものを感じる。

わたしのお袋の人生も、戦争のせいで父親に愛される機会を失ったということを、とうとう乗り越えることができないでいる。人生を始めることさえできないような状態のまま来てしまったのだろう。その人格のあやうさ、希薄さが、扱いやすい女として、わたしの親父のように脆弱な人格にはちょうどよかったのだろう。とくに愛してはいなかったが、楽な相手だった、といったところだろう。そうして何年も、だらだらと交際を続けているうちに、やがて玉のように可愛い男の子が産まれた(笑)。たぶん「しまった」と思ったであろう親父は、可愛い赤ちゃんの顔を見たとたん(ふふ)、ぜひ育てたいと思ったのだそうである。そして式も挙げないまま籍を入れた。彼らしい脆弱な経緯だと思う。



わたしがこんなふうに二人をみていることなど、彼らは知らないし、話してみたところで理解できないだろう。わたしは二人の人格の向こう側に、二人が育った満州と樺太の地を見つめている。失われた土地が、失われた人格といっしょに、いまもそこにあるのだ。それはわたしのなかに、生きている。

子どもには、親が実現できなかった人格が憑依することがある。幽霊みたいに。その幽霊は見つめられ理解されることで魔力をうしなっていく(名前を言い当てられると消えてしまう魔物のように)。このことを昔の信仰の言葉で言えば、供養して成仏してもらう、と表現する。わたしの夢のなかに、彼らの秘密が入り込んできたことがある。本人しか知り得ないはずの秘密。わたしはそれでやっと覚ったのだ、わたしは自分の人生ではなく、彼らの生を歩んでいたのだということを。
なにも祖霊信仰など持ち出さなくとも、お袋も親父も、そのまた両親たちも、すべてここにいる。わたしのなかに生きている。それを自覚し見つめるのは良いことだ。

わたしの花束は、さあ、どこへ届いたのだろうか。お袋といっしょに、なにを祝福したのだろう。こんな花束ひとつが、お袋の手から、その父母の手へ、さらにそのまた父母の手へ、手渡されていくのを見たような気がした。

クレメンテと音楽

2006-10-16 11:13:43 | Notebook
     
フランチェスコ・クレメンテ(1952~)というイタリアの画家が油彩について面白いことを言っていた。しかしわたしが彼のこの言葉を読んだのは大昔のことで、例によって手許に資料もないが、記憶にしたがって間違いをおそれずに書いてみたい。だいたい以下のようなことを彼は言っていた。

「オイルペインティングはつねに間違いをはらんでいます。それはある世界観によって描かれるものだからです。あらゆる世界観、世界へのまなざし、視点というものは、かならずどこかが間違っているものです。ちょうど人間がそうであるように。
人間の視点・世界観がつねにどこか間違っているように、油絵の具はつねに間違っているのです。
だから、わたしは油絵の具を愛しているのです」



クレメンテの作品に「音楽」という連作がある。意味が分からなかった。
大地の上に裸の男がひざまづき、両手を高くかかげて合掌している。その男の身体が、斜め後ろから見た構図で画面いっぱいに描かれている。あまり大きい絵じゃなかった。とおくには地平線。はるかな山の稜線が、男の身体のすきまに小さく、窮屈そうに描かれていた。大地にも山にも、生き物の気配はない。土をむきだしにした原初的な光景だ。男の身体も土色をしていて、原始的に見える。なにかを祈っている原始人の肉体のようだ。それがなぜ音楽なのか?

昨年の秋に、橋口瑞恵さんというヴァイオリニストのコンサートを観に行った。音楽のことがまったく分からないわたしは、その価値をよく分かっていない。それなのに、身体中が揺さぶられるような体験だった。そして、演奏家の気持ちや、それを作曲した大昔の音楽家たちの思想が、見えない想念になって、こちらの胸によみがえってくるようだった。手に取るように、その想念の一つひとつを観ることができた。わたしは時空を超えて、音楽家たちに会っていたのだ。バッハの部屋にいるようだった。

ひとの想念は残るのだ。そして美しいことに、音楽は、そのひとの肉体以上に、そのひと「そのもの」なのだ。そんな考えがよぎった。能書きや観念が通用しない分、それはある意味で宗教教義よりすぐれた救いだった。それはまったく圧倒的で、よく言われるような感動というような次元じゃない。もっと存在そのものに突き刺さってくるような体験だった。こちらの存在に直接はたらきかけ、ゆさぶりをかけてくるような体験だった。

コンサートの帰りに夜の街を歩いていたら、わたしのなかに、クレメンテの絵が浮かび上がってきた。あの「音楽」という絵。もうずいぶん昔に観た絵のことを、急におもいだしたのだ。

音楽は祈りであり、その人間そのものなのだ。それは原初の時代から、わたしたちの身体にやどり、滅びない。祈りの言葉がひとからひとへ伝わるように、音楽の想念は伝わっていく。まったく信じられなかった。わたしはクレメンテのその絵を、たぶんすこしは理解したのだ。



ところで、クレメンテは、水彩絵の具についても面白いことを言っている。
水彩絵の具というものは、ぼかし技法や、にじみ、などのテクニックをつかって描く。細密画を描くには向いていないと言っていいだろう。写実的な絵を描きたいひとが選ぶ画材じゃない。
ところがクレメンテは水彩について、
「もっとも正確な線を描くことのできる絵の具」
と言うのである。これは先の、油彩はかならず間違っているという考えと、なんだか近いところにあるような気がする。

救いがたい人間として、ありつづける

2006-10-15 00:39:24 | Notebook
      
※先日のトピックに、awayさんがコメントをくださいました。それで以下のようなお返事を書いたのですが、かなり長文になってしまったので、あらたなトピックとしてここにアップしたいと思います。先日のコラムの補足として読んでいただけると嬉しいです。ふだんは「おすましさん」なわたしの問題発言も(笑)。awayさん、ありがとう。

※このコラムは最初「宗教よりセックスのほうがマシ」という、わたしのなかのいちばん救いがたい部分を全面に出したタイトルにしたのですが、そのせいか、へんなトラックパックが増えて困ったことになりました。そのため、たいへん不本意ですが、すこし穏やかなタイトルに変えました。



>awayさん

コメントありがとうございます。
ブログは議論の場としてふさわしくないし、ブログに書くコラムは、たいていワンテーマでまとめているものです。ここに書いているのは、ある重要なこと(わたしが重要だと思っていること)の一面をとりあげ、強く際立たせて表現しているものです。だからちょっと補足しますね。

「人生というのは、けっして幸せのためにあるんじゃないんだ」
という、自我を超えた視点を与えてくれるのは宗教ですが、同時に、
「なにがなんでも自分が幸せになるんだ」
という自我の視点も必要なんですね。これは人間にとって最も絶望的で、かつ大切な「矛盾」です。これをおろそかにしてはいけません。

1)健全な自我を持つこと
2)自我を超えた世界観に目覚めること

の2つはときに正反対のことです。が、この両方を行ったり来たりしながら生きなければならないのが、人間です。兵士はひとを殺して報酬を稼ぎ自分が幸せにならなくてはならず、同時に、その立場を超える視点を持たなければ救われない。そのどちらにも安住できないのが、人間です。ひとは、そのどちらを生きることもできないのです。自我を軽んじるひとは不思議なことに、血液の病気になることが多いような気がします。

しかし祈りの瞬間にしか、この矛盾は解消されません。そしてこの瞬間は瞬間にすぎず、時間と空間のなかに生きているわれわれは、この瞬間を「生きる」ことなどできないのです。「救いがたいからこそ救われるんだ」というキリスト教徒の言葉の意味がここにあります。わたしはこれを「人間は祈りの瞬間にしか人間として完成しないのだ」と言いかえています。

ついでに言うと、「洗礼は一回きりでよい」というのは、洗礼は「瞬間」だからです。瞬間は同時に「永遠」でもあるからです。祈りも「瞬間」であり「永遠」です。だから彼らは、たった一回の洗礼、たった一回の祈りで救われる、と言うわけです。そしてこのことは「繰り返し洗礼する必要がある」「繰り返し祈る必要がある」ということと、おなじことを言っているのです。それが「瞬間」だから、時空に生きるわたしたちはそれを繰り返す必要があるというわけです。正反対のことを言っているようで、じつは同じことを言っているわけです(しかも、どちらかの意見を取り下げると弊害が起こります)。
どちらにせよ、人間は祈りの瞬間にしか救われない。その瞬間にしか人間として完成しないというのは、宗教でもなんでもなくて、人間の現実として、あたりまえのことです。

awayさんの言われるように、現世利益的なものを希求する宗教はかなり間違っています。そんなものを求める自我はそうとう病んでいるし、自我を超えた価値観さえもたらさない。宗教としてみたら、まったくひどいものです。かつて伊勢修験の行者は、祈願をしませんでした。彼らが神に祈るのは修行の成就だけです。

しかし、そう言い切ってしまうと、同時に人間の真実の半分を切り捨ててしまうので、やっかいなんです。きっとわたしは、自分が難病にかかったら、現世利益信仰に走り、病気平癒を祈願することでしょう(笑)。いや、インフルエンザにかかっただけで祈るかも(笑)。ついでに「美人の看護婦さんとの出会いがありますように」とまで祈願してしまうかもしれません(笑)。「お見舞は花束や果物などではなく現金が多めに入りますように」とか(笑)。まったく、ずうずうしいものです。しかし、これは人間の真実です。

どうか、ちっぽけな幸せを最優先する生き方を低く見ないでくださいね。そこにはとても重要な人間の真実が示されているものです。どういう真実かというと、人間はちっぽけで罪深く、愚かだという真実です。どうか、たくさんバカなことをやって、欲に目が眩んだ生き方をたいせつにして(笑)、がめつく稼いで、エッチなこともたくさんやって(笑)、大いに煩悩にまみれて生きてほしいと思います。そうして人間のバカさかげんを、おおいに体験してほしいと思います(責任は持てませんが・笑)。

それから、自我を超えた宗教的な生き方が、ときにはとても病んでいることに注意してほしいと思います。ひとが、愚かな人間以上のものや聖なるものを希求するときは、たいてい、ろくでもないことがそのひとのなかで起きているものです(心理学の言葉で、これを「自我インフレ」といいます)。もし友人が何か、出家をこころざしたり、洗礼を受けようとしているときには、とりあえず「がらじゃないだろう」とバカにしてあげて、止めてあげたほうがいいと思います。すこしでも宗教的な真理に近づくとか、悟るなどということは、とんでもないことです。すくなくとも、わたしはそんなことよりも、女性を抱いていやらしいことをしていたほうがマシです。いや大まじめに言っているのですよ。宗教的と言われるのもいやです。

ある若い仏教徒が、瞑想の途中で狂ってしまい、そのまま重症な分裂病になってしまったことがあります。わたしは彼を2回しか見たことがありませんが、いつも「おれは女が欲しかったんだよ」と言いながら道の真ん中でさめざめと泣いていました。そうしてやがて暴れだし、取り押さえられ、病院へ運ばれていきます。たくましい、とびきりの美青年でしたから、なおさら哀れでした。彼は狂うことでやっと人間に戻ったのですよ。もっと見込みのない、狂うほどの正気すらないひとは僧侶になります(笑)。

「良くなろうとするひと」はたいてい「何かがダメになろうとしている」ものです。宗教家より犯罪者のほうがずっと、ときには人間としてまっとうで、人生と宗教に近いことさえあるのです。

くりかえしになりますが、ひとは祈りの瞬間にのみ矛盾から解放され、聖と悪のどちらをも捨てることなく、ひととして完成します。これは宗教や宗派の違いには関係のないことです。しかしこのメカニズムをいちばん上手に表現しているのはキリスト教であると思っています。
あの十字のシンボルは、とても重要な意味を持っています。ふたつの世界の矛盾が、どちらを否定することなく、あそこで交差され融合されているわけです。まさに、救いがたい生き物だからこそ。そしてイエスは、わざわざ人間の身体から産まれることで、人間のなかの上と下を結びつけようとしているのです。この教義はじつに見事で、芸術的ですらあります。そして宗派を超えています。それは人間の現実と真実にふかく届いているからです。

ヘッセと易経

2006-10-11 15:36:45 | Notebook
       
もうずいぶん以前の話だが、ある占い師が雑誌のなかで「ヘルマン・ヘッセは易を認めていた」というようなことを語っていた。文豪のヘッセも易を信じていた、だから易占いは迷信じゃないのだ、当たるのだ、というような話だった。わたしは、うんざりしてその雑誌を閉じた。占い師という人種はどうしてこうまで、みな凡庸なのだろう。

ミゲール・セラノ『ヘルメティック・サークル』(みすず書房)のなかで、ヘッセは著者にむかってこう言っている。
「易経は、運命を変えるのです」
この言葉に註釈はないから、どういう意味でヘッセがこう言ったのかは分からない。



低俗な占い師がよくつかう能書きに、未来をあらかじめ知って対処するというものがある。なるほど、占いがたまたま当たって、運命をあらかじめ知って対処するということができる場合もある。しかしこれは、人生にとってかなりの損失となる。人生にとって必要なのは幸運でもなく、不幸を避けることでもなく、人生を体験し人間として成熟することなのだ。不幸をあらかじめ知って、それを避けていたら、体験などできないだろう。

たとえば産まれる前の時点でエイズをうつされて、苦しんでいる気の毒な子どもの、その体験のなかになにがあるか。そこには、彼、彼女なりの人生の体験がある。そこには彼をとりまく無数の運命の連鎖がある。その苦しみのなかに、世界がある。そこには両親の人間性や、やるせない運命や、それを育んだ社会や、先祖の代から受け渡されてきた何か、とりかえしのつかない失敗や、悔恨、怒り、諦め、人間の本性など、ありとあらゆる体験が息づいている。ここから、ひとの目は拓かれていくのだ。あのホロコーストによって殺されたユダヤ人たちの経験でさえ、彼らは当時の世界でもっとも重要な何かと向き合うことを生きていたのではないか。そういう体験を人生と言わずして、なにが人生なのだろう。

ところが、安易な宗教を信じることで安心している人々の人生には、こういう世界すら存在しない。彼らの人生はことごとく骨抜きになってしまっていて、無難ではあるかもしれないが幽霊のようだ。かれらは体験と成熟から遠く離れてしまっている。占い師にとっても、安易な宗教で救われている人々にとっても、人生はなにか、理念や観念、あるいはカゲロウのようなものにすぎなくなってしまっている。これは不幸な人生よりずっと、救われない。隣りのひとが癌で死んだ。つぎにもし癌で死ぬひとがいるとしても、すばらしい信仰をしている自分ではないだろう。そう思うような精神は、悪魔より忌まわしい。もちろん神からはずっと遠い。もし神に会いたかったら、彼らの教会ではなくガス室へ行ってみたほうがいいかもしれない。



わたしは中学生のころすでにタロットカードの占い師だった。その後四柱推命などに親しんだが、いまでは占いからはすっかり遠ざかってしまっている。ここに十代のころやった四柱推命のメモがある。それによると、わたしは肝臓を患うのだそうである。それに中年以降、かなり体重が増える、とある。就職はあまりうまくいかず自営業を選ぶことになるだろう、とも書いてある。

当時のわたしは笑ったものだ。このおれが太るって? 身長が168センチなのに、なにをやっても体重が52キロを越えず、太らなくて困っているのに? それに自営業を選ぶとは思えない。そんな気はさらさらないからだ。
ところが、この占いはことごとく当たっていたということになる。その後わたしは突然変異のように肥満体となり、肝臓をわずらい、不本意ながら自営業者となった。なるほど、四柱推命は恐ろしいほど当たるものだと言うことができる。

しかしわたしは、この占いのことを忘れていてよかったと思う。

太って体調を壊す体験も、社会的に問題のある人格のせいで自営業を営むことになる経緯にしても、ほとんど破産したみたいな現在の境遇も、どの体験にしても、わたしなりの人生がぎっしり詰まった、切れば血の出るような経験のたまものである。ひとつの運命には、百万の必然がある。それに気づくことが体験であり成熟なのだ。
この体験のおかげで、わたしの人格はそれなりに成熟してきている。もし占いなんかにこだわっていたら、この成熟は得られなかっただろう。いつまでも人生を夢見る子どもと変わりがない。そういう人種は、新興宗教団体の事務所にでも行けばたくさん見ることができるが、ひと目見ておけば十分である。



ではヘッセはなにを言っていたのだろうか?
易占いで卦(か)を立てると、ある視点から運命を見ることになる。火風鼎なり天山遯なり、水雷屯なりの、易独特の世界観と暗示から、目の前の事象を見つめることとなる。このときひとは、自分の視点を離れてものを見る。
そのときに、ひとは、それが間違いであるにせよ正しいにせよ(易占いが当たろうが外れようが)、ある種の認識を得ることになる。自分の視点つまり計らいを離れた「認識」である。ある種の「気づき」を得るのだ。
あらたな認識を得ること、気づきを得ること。その時点でそのひとの人生は、その質が変わっている。ここには成熟のカギもある。運命が変わるということは、そういうことなのだ。思いかえせば、ヘッセの『デミアン』は成熟と認識の物語だったとは言えないだろうか。
もちろん、これはわたしの解釈である。間違っているかもしれない。

欺瞞

2006-10-09 04:51:27 | Notebook
      
「あなたを愛している」という言葉を、とおい昔に言ったような気がする。最後に言ったのがいつだったのか思い出せない。

なにかが欲しくて言ったのかもしれないし、なにかを無理強いするための言葉だったかもしれない。取り引きの言葉だったかもしれない。契約の言葉だったかもしれない。求められてもいないものを、求められてもいない場所で、押しつけようとしていただけかもしれない。
どちらにせよ、それは正確な言葉じゃなかったはずだ。もしそれが適正な時と場所で、適正な意味をもち、そして真実をついていたとしたら、その言葉は成就していたはずだからだ。わたしの人生は愛に失敗している。だからわたしのその言葉は、なにかが不適正だったということになる。

愛とまではいかなくとも、たまたま出会ったひとのために、最善を尽くしたこともある。誠意をもって。しかし、それがほんとうに誠意からの行動なのか疑問に思うところもある。可愛らしい娘さんだったから、なにかを期待して誠意ある行動をとったのかもしれない。あるいは自分の良心に気兼ねしただけかもしれない。相手が男性だったら、電話をかける回数がもっと少なかったかもしれない。

わたしよりずっと年上で頼りがいのある男性だったから、なにか役に立ってくれそうな相手だから、依頼心から礼儀正しくていただけのことかもしれない。
あるいは、そんな自分がいやだから、純粋な好意というものをやってみたくなって、ほとんど面識のない青年のために、頼まれてもいないのに無料で仕事を仕上げてやったのかもしれない。
そんな自分がいやだから、そういう自分の心が透けて見えたときは、あえてチャンスを見過ごすような行動をとるのかもしれない。欠席したパーティ。出さなかったお礼状。わざとタイミングをはずした訪問。

ひとは自分の顔を見たら、もう生きてはいけない。しかし見てしまったのだから、観念するほかあるまい。あるいは、まだ見ていない顔や忘れている顔がたくさんあるから、生きているのかもしれない。

きのう『カポーティ』という映画を観た。とくに好きではないが素晴らしい映画だった。狡猾に相手を利用しているのに、同時に相手を必要とする矛盾を生きている男の映画だった。弱々しく、いやな男だが、憎めない。いや人間らしくて善良で愛嬌さえある男だった。わたしよりずっと人間的かもしれない。

その主人公が、映画のなかで「愛」という言葉を言ったような気がする。言ってないかもしれないが、忘れてしまった。彼のような男のくちから出る「愛」という言葉はゾッとする。たしかそんなふうな言葉を彼が言って、ゾッとした覚えがある。