彼女はウィリアム・ブレイクを好んでいた。その読み方はまるで求道者のようだったが、素晴らしいことに、迷信めいたところがなかった。彼女と話をすると、その水晶のように澄んだ精神に洗われるようだった。あのシュタイナーの話をするときでさえ、空疎な霊学に埋没することもなく、なにか良質な文学の話を聴いているような気持ちになった。
わたしは一度だけ、こう訊いたことがある。それは彼女と会うようになって、すでに2年ほどの年月がたっていたころのことだ。
「あなたは、何になりたいの?」
職業の話ではない。彼女はわたしの質問のニュアンスを瞬時に理解して、すぐにこう打ち明けた。
「なにか宗教的な修行をしたいの、そういう生き方をしたいのよ」
こたえを聞く前から分かっていたような気がした。それに、分かっていなければ、できない質問だ。
ところが、その答えを聞いたときにわたしが感じたのは、意外なことに、まったく別のものだったのである。彼女のこころに宿っている、誰か男性の存在。ずっと年上の。それは恋人じゃない。たぶん彼女の父親だ。
わたしは彼女の父親がどんなひとなのか知らないし、顔も知らない。すでにお亡くなりになっていることは知っている。しかし彼女がほんとうに見ているのは「修行者になる運命」ではなく、「父親という愛し愛される存在」なのだという気がした。なぜ唐突にそう感じたのかは分からなかった。いまでも分からない。同時に、彼女はきっと修行者になど、ならない、と思った。そして、修行者になどなってはいけない、とも。
彼女は修行者にはならない。きっといつか、素敵な中年男性と休日のドライブに行ったり、美味しいものを食べたり旅行に行ったりして過ごし、やがてプロポーズされることだろう。そうして遅い結婚をして、家庭をもち、吉野から熊野へのバス旅行のことなど思い出さなくなるだろう。そうならなければいけない。そんな気がした。わたしはそのとき、自分が彼女にとってどういう存在なのかを悟ったのだった。なんのためにこうして会っているのかを。
彼女のなかにみた、その存在。それは、触れてはいけないものであるような気がした。それを理解するのは簡単だったかもしれない。しかし、理解するよりも、そのままにしておくべきものがあるのだ。解釈するのも簡単だったろう。しかし、解釈してしまったら、なにかを壊してしまうような気がした。
わたしはそれっきり、その話題には触れないようにした。見ようともしなかったし、さぐりを入れるようなこともしなかった。おなじ質問は二度としなかったし、父親のことを訊ねるようなこともしなかった。それが礼儀なのだという気がした。しかしいつも、それを意識するようになった。なにをしてあげられるのかと、考えることもあったが、できることはなさそうだった。
ある晩、W.B.イェイツの作品を読んだ。そのなかに冒頭に挙げた言葉がある。それは違ったふうにわたしの心に響き、べつのかたちをとり始めていた。この言葉から気持ちが離れず、いつまでも頭のなかで鳴り続けていた。
つぎの日、彼女から電話があり、またいつものように待ち合せをした。むかしアサガヤの街にあったシュガーローゼという喫茶店だった。いまも同じ名前の店があるが、それとは別の場所の、もっとひろい店だった。
彼女の顔を見たとたん、わたしのなかでその言葉が生まれかわり、はっきりとしたかたちを取り始めた。そして、それをいま言葉にするべきだと悟った。
それは彼女に聴かせるべき言葉。彼女に聴かせることこそ、ふさわしい言葉。わたしの霊感がそう教えてくれた。わたしは生まれかわったばかりの言葉を、いそいで頭のなかに書き出し、みじかく朗読してみせた。
「……精霊は、そのひとを最も愛する人物を通じて、運命を授ける。幸運も、不運も。
そのひとをいちばん愛しているひとを通じて、与えるべき運命をもたらすのだ。
おそろしい不幸と、うつくしい幸福の両方を」
彼女の目が、あかるく見開かれた。
「ああ、いい詩だね。そうだね。運命を授ける……」
彼女はおだやかな笑顔を見せた。あたたかくて気持ちのいい笑顔だ。
「……最も愛する人物を通じて、……精霊が、……」
逸らした視線を遠くへ投げやるような目をして、繰り返していた。
「誰の詩なの?」
そう訊かれて、わたしは嘘をついた。
「W.B.イェイツ、「月の沈黙を友として」。国書刊行会から出版された「世界幻想文学大系」というシリーズの『神秘の薔薇』という本のなかにあるんだよ」
彼女の、黒蜜色に輝く瞳の中で、内なる父親が微笑んだような気がした。あるいは精霊のしわざだったのかもしれない。