すぐれた歌い手はみな詩人であるということ

2006-11-04 11:52:21 | Notebook
      
インターネットで知り合った友人のおかげで、矢野絢子さんの貴重な音源をいろいろ聴くことができた。ありがとうございます。すでに品切れになっている彼女の自主制作CD。ほとんどが1999年から2001年のもので、矢野さんがまだ20歳前後のころのものだ。彼女が音楽活動を始めたのがたしか17歳ごろのことだそうだから、まだキャリアは3年前後だ。

彼女の魅力はいろいろな意味で涙のような歌声。それから、きわめて多彩、多産でスケールが大きいこと。デビュー前の時点で、よりすぐりの自作レパートリーが200曲を越えていたらしい。
そして、このことを言うひとがまだあまりいないけれど、すぐれた詩人であるということだ。

すぐれた歌手であるということは、すでにすぐれた詩人であるということなのだが、これは意外と認識されていないことだ。ひとは文字の詩人をかいかぶりすぎる傾向にある。

今回聴くことのできたCD、とくに『アカリトリ』や『青い鳥』を聴いてみて驚いたのは、歌を歌い始めて3、4年の時点で、彼女のかずかずの名作がすでに完成していたこと。あのヒット曲「てろてろ」も完成していたし、「一人の歌」も「クローバー」も、みな現在とほぼおなじ姿で録音されている。だから詩人としてもすでに出来上がっていたのだということになる。

彼女の作品は多彩なので一概には言えないことだけれども、たとえば暗喩や擬人化による表現には独特の作法のようなものが感じられることがある。
そういった種類の歌の場合、彼女の視線にはいつも、生きることへのまっすぐな共感があって、それが表現を通してひとの心を揺り動かす。悠久の時の流れと、命のはかなさ。出会いと別れ。死。生きることへの畏れと喜び。そういった世界観が彼女の歌にはあって、それが言葉に普遍性をもたらす。
それから、いつも自然から霊感を得ているところが、都会で書かれるものと違っている。彼女が高知を離れたがらない理由がそこにあるのだろう。

ここにあげる「街灯」という作品(これもすでに2001年の時点で完成されていた)では、どこの街でも見られるような街灯が擬人化されている。ここでも彼女のテーマが顕われている。あの名作「吉野桜」にも通じている世界観だ。


あなたが生まれたとき、ぼくは街灯だった
真っ黒の夜の下、ぼくだけが青かった

木の影が地面にはりついて
とても美しい模様をつくっていた
誰かが歌っていた
「こんばんは、
ありがとう」

あなたが死んだときも、ぼくは街灯だった
澄みきった青の下、ぼくだけがうつむいていた

強いつよい風が
音をたてて過ぎていった
誰かが歌っていた
「さよなら、
ありがとう」

月はいくつ?
太陽はいくつ?
星はいくつ?

空は?

こんばんは、
ありがとう

さようなら、
ありがとう