背筋をのばす

2006-03-03 03:47:13 | Notebook
     
いまから10年ほど前、ある宗教団体が凶悪な犯罪を次々と犯したことがあった。サリンという毒ガス兵器を東京のあちこちで撒き散らしたり、教団にとって邪魔なものを殺してしまったりと、ずいぶんひどい事件だった。やがて、こうした犯罪を指示したとされる教祖や、それにかかわった信者たちが次々逮捕された。教祖の裁判はいまも続いている。

日劇のダンサーだったある女優も、信者のなかにいた。彼女は教団の教えに目がくらんだのだろうか、自分の娘を騙して無理矢理に入信させようとしたことがあったらしい。監禁して脅すという強硬手段に出て、覚醒剤のようなものを使用したという証拠もあり、彼女の行動はのちに法に裁かれることになった。
彼女は元女優できれいな女性だったから、ちょっとした注目を受けることとなった。わたしもこのことをテレビなどの報道で知った。

わたしの耳に、彼女の育ての父親の言葉がずっと残っている。

これから法廷で裁かれる娘さんにむかって、なにか言ってやりたいことはありますか。テレビのレポーターが、そんなことを彼女の父親に訊いていた。なんだか、痛ましい質問だ。
その父親は、テレビカメラを一瞥すらせず、横を向いたままの姿で、しかし毅然としてこう答えた。たしかこういう答えだったと記憶している。力強い声だった。

「犯罪者であろうが、どんなやつだろうが、人間というものは、つねに背筋をのばして堂々としていなきゃいけないんだ。そう言ってやったよ」

いまでもその声を、よく覚えている。
つよい違和感。犯罪者が背筋をのばして堂々とするとは、いったい、どういうことだ? わたしには意味がよく分からなかった。わたしがその女優の立場だったら、身の置き場のないような気持ちで小さくなっていたことだろう。背筋をのばして堂々とするなんて、思いもよらない。

しかしその後何年も経ってから、ある経緯があって、わたしは急に気づいてしまった。正しいかどうかは分からないが、この言葉の意味をわたしなりに理解した。どういう経緯だったかは、ここでは語らない。


なにもかも失ったと思うひとは、背筋をのばしてみるといい。そうして空をあおいでみるといい。
とりかえしのつかない過ちで、自分自身をすっかり台無しにしてしまったひとは、堂々としてみるといい。きっと分かるだろう。
手のひらが空っぽで、足の下には地面しかない、頭の上には空しかない、ポケットには砂。そんなひとがもしいたら、背筋をのばしてみるといい。堂々としてみたらいい。深呼吸をしてみるのもいいだろう。
そうすれば、あの父親の言っていたことが分かるだろう。

地面の上に這い上がり、生きるということは、そういうことなのだ。

そして、こういう言葉をかけてやれる人物は、めったにいない。
犯罪者の人権とか、共感とか、人間らしさとか、いろいろ、あれこれ、知ったようなことを言うひとは大勢いるが、生きるということを、ここまで噛みしめた言葉を吐けるひとには、それほどお目にかかれるものじゃない。

わたしのようなものが、そういう人物になれる日が来るだろうか。そういう言葉をかけてやれる人間になれるだろうか。きっと、なれない。出来が甘すぎて、なれるわけがない。しかし忘れないでいようと思う。