花粉を飛ばすように

2006-09-27 06:38:34 | Notebook
    
鯉江良二さんという陶芸家が愛知県にいらして、その作品を拝見したのはもうずいぶん以前のこと、ある雑誌の口絵だった。斬新で、ちいさな子どもの泥遊びの趣があって楽しく、しかし美しく澄んでいた。
その口絵に添えられたご本人の言葉も素晴らしかった。とくに鮮烈なのは「作品に失敗などない」というもので、どんな焼き物も、たとえ水が漏れるような茶碗であっても、それは失敗作ではないというのだ。こういうことを言う画家はいるが、陶芸家がおなじことを言うのを聞くのははじめてだった。
それから、「花粉を飛ばすように、作品をたくさん創りたい」というようなことを言っておられた。それ以来、わたしにとって「花粉を飛ばすように」はお気に入りの言葉になった。

そのお姿を見ることができたのは、その雑誌からまもなくのこと、なんの気なしにつけたテレビに映っていた小父さんが、鯉江さんその人だった。いたずらっ子みたいな日に灼けた顔で、いつも笑顔でくしゃくしゃ。日なたの匂いのしそうな、着心地のよさそうな白いTシャツを着ておられた。
ろくろを回しながら、赤ちゃんみたいな頭を左右にまわす仕草がおもしろかった。

孫悟空が髪の毛をむしって、ふっと息を吹きかけると、小さな孫悟空がいっぱい生まれる。分身の術。鯉江さんが次々作品を生みだすようすを見ていると、孫悟空が分身をばら撒いているみたいだなと思った。

マイホームがクニを滅ぼす?

2006-09-22 16:37:32 | Notebook
     
ヘンリー・ソロー『森の生活』のなかに、不動産業者から家を購入したひとの話が出てくる。ソローの時代のアメリカにもやはり不動産業があったらしい。
その購入者には大陸先住民族の血をひく友人がいて、こう言ったそうだ。「家を買うなんて、ばかだなあ」。なぜそう思うのかとたずねると、その友人はこう答えたそうだ。
「だって、家なんか買ってしまったら、隣りに嫌なやつが引っ越してきても逃げられないじゃないか」
アメリカ先住民族のなかには、大がかりなテントのような移動式の家をもつ部族があって、たしかそれをウィグワムという。なるほどウィグワムなら、いつでも好きな場所に住むことができるわけだ。

わたしたちの住んでいるこのクニの事情はもっとタイトで、家を買うためにたいていは多額の借金をして、嫌な隣人どころか、嫌な仕事からも、嫌な役目からも逃げることはできない。それどころか、いったん仕事を辞めてしまったら行く当てもない。せまいせまい国土を、あてもなく彷徨っていれば、なんとかなるというものでもない。家のローンを払うために、ずいぶん多くのものを犠牲にしているひとは、たくさんいるんじゃないかと想像する。

わたしが青年のころのこと、ある中年のひとと酒を飲んだ帰りに、そのひとといっしょにトーキョーのイチガヤという街の住宅街を歩いたことがあった。ここは坂が多い街で、急な坂を上ったり下りたりしながら歩いていくと、古くからあるお屋敷ばかりの街角に出る。立派な門構えに、枝振りのいい巨木がたち並ぶ庭。ひっそりとした夜のお屋敷町を歩いていると、なんだかいい気分になってくる。わたしはいい気分でよそ様の庭を眺めながら歩いていた。古いお屋敷って、いいなあ。どんなひとが住んでるんだろ。入ってみたいぞ。お呼ばれしたら遊びに行っちゃうぞ。お茶会でもなんでもいいから、遠慮なく呼んでくれても、くるしゅうないぞよ(←何様?)。

ところが、いっしょに歩いていたそのひとは、こんなことを言い出した。
「いやだねえ。
こういう屋敷の一軒一軒が、このクニを駄目にしていると思うと腹が立ってくるなあ」
大きなお屋敷がいけないのですか? と訊くと、そのひとはこう言った。
「いや、屋敷にかぎらず、そもそもマイホームってやつがろくでもないんだ。このクニを駄目にしているのはマイホームだな」
またずいぶん極端なことを言う。

大きな家や他人の財産を見ただけで、「どうせろくなことで稼いでないんだろ」と言うような、ひねた野郎は大勢いる。あんまり見ていて気持ちのいいやつらじゃない。
このときも、つまらん愚痴を言うものだと呆れたが、もちろんそのひとは、そういう意味で言っているわけではない。逆に、なるほどと思うところもあった。

ながいあいだ生きていると、「背中を向けてドアから出て行く勇気」が必要なことがある。身体を張って、「否」と言わなくてはいけないときがある。感情からではなく、生き方として。そんなにあることじゃないけれど、拒否しなくてはいけない仕事だってある。しかし多額のローンをかかえていたら、そういうわけにもいかないだろう。

「ねえシンちゃん、ちょっとさあ、例のあのクニから核兵器を密輸するんだけど、ちょろっと手伝ってくんない?」
「報酬は?」
「少なくて悪いけど、ざっと50億くらいでどう?」
「うーん、安いなあ。考えておくわ」
その晩、わたしは苦悩する。窓から夜景を見下ろし、ポートワインの入ったクリスタルのグラスをもてあそびながら、葉巻をくゆらせる。葉巻はロミオ・アンド・ジュリエットの最高級品だ。核兵器密輸なんかに関わっていなければ、いまこうして贅沢な暮らしをしている自分はなかったろう。しかし、もうこんなダーティな仕事からは足を洗いたい。
わたしは決心する。その晩、38人目の妻に向かって、こう切り出すのだ。
「なあ、もう辞めようかと思うんだ。明日からまた貧乏なデザイナーに戻ろうと思う。時給600円くらいで死ぬまで働くような生活に戻るよ」
「じゃあ、この家はどうなるの?」
「手放すことになるだろう。なにもかも」
「明日からは、どこへ」
「トーキョーの真ん中の、杉並区というところの一角に、梅里中央公園という素敵なところがある。当分のあいだは身を隠す必要もあるし、そこのベンチで寝泊まりだな。明日からは健康的なアウトドア生活だ」
「まあ、すてき」
というわけにはいかない。

いや、これは深刻な問題なのである。
なるほど、マイホームがクニを滅ぼす、か。

いっぱしの顔

2006-09-21 09:46:27 | Notebook
     
オヤジになってくると、それなりに「いっぱし」の顔つきになってくる。これがすごく困る。中味をともなわないからである。

小さな会社の社長みたいな、商店のオヤジみたいな、でも文化系の遊び人みたいな、いいかげんな風情のわたしが知らないところへ顔を出すと、勘違いされることがある。

たとえばコンサート会場やライブハウス。
会場のスタッフなどが、目ざとくわたしの視線をキャッチして、目を合わせて微笑みかけてくることがある。とりあえず仕事の面で関係があるひとかどうかを探ってくるような目だ。こういうことは青年のときには経験しない。
そこまでいかなくとも、同じ年代の方なら経験があるかもしれないが、若い方々に交じって会場にいると、スタッフの方が気を利かせてくれて、前のほうの席へ案内されることがある。もちろん丁重にお断りする。若者たちと同じ料金を払っているわけだし、べつに身体が不自由なわけでもないし、老人でもないので、特別な扱いを受ける理由がないからだ。

逆に、ホテルのフロントなどでは軽くあしらわれる。へらっとした服装もいけないのだろう。同じように、しっかりと仕立てのよさそうな地味なスーツを着た、カタギの集まりに出向いていくと、当然ながら相手にされない。名刺をもらえないことさえある。これはすごくホッとする。適切な扱いを受けているからだ。ホームレス同然の、風前のともしびみたいなオヤジとして、身の丈にあった扱いを受ける。これはとても、いいことだ。
しかし、いつもそういう扱いを受けるわけではない。

ようするに、この顔がいけない。黙っていると貫禄さえ漂ってくる。それがそもそも、間違っている。心のなかはいつも、こんなにドキドキ、ハラハラしているというのにっ。見かけの偉そうなオヤジなんて、みんな、そんなもんですよ。

そんなわけで、どこへ行ってもできるだけヘラヘラする必要があって、疲れる。ふつうに黙っていると気難しそうで偉そうに見えるから、そうならないように口を開け、ヘラヘラ、ニコニコする。あいまいな笑みを絶やさない。疲れる。ばかみたいである。近所の犬は怪しんで吠える。勘違いした若者が、なめきったような態度を見せることもある。そろそろやめようかと思う。

ところで、この「いっぱしの顔」を最大限に利用して、仕事を都合良く進めようとするタイプのオヤジもいる。わたしと逆のことをやっているわけだ。
威圧的に相手に接し、偉そうな態度で仕事を進める。過度に父権的なリーダーシップをとる。ほんとうは自分がわるいのに、相手を怒鳴りつけたりする。かなり失礼なことをしているくせに、他人の失礼は許さなかったりする。いい気なもんである。

仕事を効率よく進めるために、チンピラみたいな品のないサングラスをかけ、坊主狩りにし、スポーツジムに通ってムキムキになるひとだっている。日焼けサロンに通うことも忘れない。そうして苦虫噛みつぶしたような表情をつくる。彼の言うことをきかないと殴られそうな雰囲気である。冗談みたいだが、こうするとみんなコワがって、口ごたえしなくなる。おまけに信頼もあつくなる。いいことづくめだ。男たちの人間関係というものは、小学校低学年の時代から一歩も進歩しないのだな、と呆れることがある。

じっさい都会の仕事の現場では「謙虚さ」が似合わないことがある。市井の生活の場では、謙虚さは美しい。しかし仕事の場で謙虚でいると、なぜか誤解される。
職種にもよるだろうが、仕事の場ではなぜか謙虚さが謙虚に見えず、たんにイジイジと、暗く、弱々しく見える。これはゆゆしきことだと思う。青年のころのことだが、正直に謙虚に、ちゃんと事情を話したら、へんな誤解をされて困ったことになった、という経験がわたしにはある。とくにある種の女性は、ペコペコと頭を下げる男はダメに見えるらしい。逆に、過度に偉そうにしていると信頼してくれる。態度が大きく声がでかく、はっきりものを言うと、そういう女性は好感を抱いてくれる。男性にたいして何か夢を見ているらしい。

でもやっぱり人間同士だから、じかに人間性を見ながらつきあってくれる相手だって、ちゃんといる。相手をちゃんとまっすぐ見てくれるひと。よく見て、生かそうとするひと。そういうひとが稀にいて、そういうひとでないと付き合う価値はないのだと思い知るのだが、そんなこと言ってると相手がいなくなってしまうので、しかたがない。ぬえのような相手とも、つきあう。

態度が大きかろうが、いっぱしの顔つきだろうが、どうであろうが、そこになにか「嘘」があると、その嘘が、なぜか蓄積されていくようだ。これがあんがい恐ろしい。この嘘の蓄積は、世間知らずの子どもでさえ瞬時に気づく。なんだか、うさんくさいオヤジだな、笑顔が嘘くさいな、と感じるときは、どこかにこの嘘の蓄積があるものだ。

年をとるごとに、余裕がなくなるのか本性が出てくるのか、ようすがおかしくなっていくひともいる。これはもともと素晴らしかったひとたちが凋落していく姿を見せられるので、すごく悲しい。四十代五十代になってくると、なんだかずいぶん偉いやつになったものだな、と呆れるような人物がけっこう現われる。ひとの仕事への敬意を忘れている。若い未熟なひとへの敬意も忘れている。なにもかも使い捨てである。利用価値のないひととは話もしない。そういう人物にかぎって「いっぱしの顔」を堂々と前へ持ってくる。まるで魔除けのお面みたいだ。

こういうひとは簡単にひとの仕事をボツにしておいて、すまん金は払うなどと平気で言うことがあるが、丁重にお断りする。失礼な話だからだ。それでもこちらは相手との人間のつきあいを大切にしたくて、お金はいらないけど、その代わりに飯でもおごってくださいな、と言うことがある。報酬を無にしてまでの、からだを張った涙ぐましい気づかい、気配り。ところが、それっきり、返事もくれない。はじめは嫌われているのか、あるいは煙たがられているのか、と思ったが、どうやら、そういうことではないらしい。わたしの予想していた範囲より、もっとずっとくだらない、情けない理由のようである。

ときどき、すみきったような老人に出会うことがある。きたならしい爺さんなんだけど、とても綺麗な目をしている。嘘のない表情をしている。そんな顔をひとつふたつ、思い浮かべてみて気づくのは、どの顔もひとつとして「いっぱし」なんかではないということだ。
いっぱしの顔であろうが、なさけない顔であろうが、何だろうが、なにか嘘をついた顔をさらしていたら、ああいう爺さんにはなれないのだろうと思う。

聖なるかな

2006-09-17 10:04:49 | Notebook
    
words by Allen Ginsberg
translation by SleepyShin(笑)


聖なるかな、
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな

世界は聖なるかな
魂は聖なるかな
皮膚は聖なるかな

鼻よ、聖なるかな
舌よ、ペニスよ、手よ、肛門よ、聖なるかな

すべては聖なるかな
すべてのひとは聖なるかな
すべての場所は聖なるかな

日々はすべて永遠
人間はすべてエンジン
セラフィム天使のように神聖に燃え上がる

狂人は聖なるかな、あなたのように
わたしの魂とおなじように、それ以上に

タイプライターよ、聖なるかな
詩よ、聖なるかな
声よ、聖なるかな
恐怖よ、聖なるかな
エクスタシーよ、聖なるかな

聖なるピーターよ、聖なるアレンよ
聖なるソロモンよ、聖なるルシアンよ
聖なるクラックよ、聖なるハンキーよ
聖なるバールズよ、聖なるキャシディよ

そして見知らぬ愚者よ、聖なるかな
苦痛にあえぐ貧者よ、聖なるかな
忌まわしい侮蔑を受けた者よ、聖なるかな
発狂して病院にいる、わたしの母よ

聖なるかな、公園よ
そしてカンサスの祖父たちよ
聖なるかな、うなりをあげるサキソフォンよ
聖なるかな……

聖なるかな、ジャズバンドよ
マリファナよ、ヒップスターよ
ピースよ、中毒よ、夢よ

聖なるかな、孤独な高層ビルよ
そして歩道よ
聖なるかな、カフェテリアよ
幾百万人がひしめいて

聖なるかな、神秘の河
路面の下の悲しみよ
聖なるかな、孤高のクリシュナ神よ
聖なるかな、中産階級の膨大な子羊たちよ
聖なるかな、反体制の狂った羊飼いは
ロスアンジェルスはロスアンジェルスにすぎないと決定する

聖なるかなニューヨークよ、聖なるかなサンフランシスコよ
聖なるかなペオリアよ、聖なるかなシアトルよ
聖なるかなパリよ、聖なるかなタンジールよ
聖なるかなモスクワよ、聖なるかなイスタンプールよ

聖なるかな、時間よ、そして永遠よ
肉体よ、聖なる永遠よ、そして時間よ

聖なるかな、場の時計よ
聖なるかな、四次元よ
聖なるかな、五つめの国際関係よ
聖なるかな、天使よ
聖なるかな海よ、聖なるかな砂漠よ
聖なるかな、鉄道よ
聖なるかな、列車よ
聖なるかな、ヴィジョンよ
聖なるかな、幻覚よ
聖なるかな、あつかましい警察よ
聖なるかな、眼球よ
聖なるかな、奈落の底よ
聖なるかな、寛容さよ
慈悲よ、慈善よ、信頼よ
聖なるかな時間よ、肉体よ、苦痛よ
高潔さよ
聖なるかな、超自然よ

このうえなく聡明な知能よ
魂のやさしさよ


※この詩の素晴らしい朗読を、パティ・スミスのアルバム『Peace and Noise』で聴くことができる

故郷の川

2006-09-16 01:37:19 | Notebook
    
わたしはトウキョウのタチカワというところで幼少期をすごした。わたしが子どものころ、つまり60年代後半は、日本の都市部の河川はいちばん汚染されていたと思う。タチカワの南側には多摩川が流れているが、この川で大きな魚を見た覚えがない。まれに釣り糸をたれるひとを見かけることはあったから鮒くらいは棲んでいたと思うのだが、なにしろ川が汚れていて底が見えず、ヘドロがたまっていて、いやな匂いがした。冗談にきこえるかもしれないが、川岸に立つと心がすさんだ。いやな気持ちになったものだ。

それでも子どもは無理をして遊ぶ。えたいのしれない川底のヘドロをさらっていくと、ときどきトノサマガエルやアメリカザリガニが見つかる。見つかる生き物はそれくらいのものである。
毎年のように川へ行ってみて、やっとある日、大きなオタマジャクシを捕まえて大喜びした覚えがある。たぶんウシガエルの子どもだろう。しかしそんなものでも、見たのはただ一度きりのことだった。ウシガエルを見たこともなかった。

小学校低学年のころ、ある日、友人が川の底で足を切った。ほんの小さな傷だったが、なにしろ川がきたないので大事になった。彼は次の日、手術を受けて入院することになった。何日も学校を休んだ彼の運命に、わたしはおびえた。ちょっと足を切ったくらいで手術かよ、と東京の川に対して絶望した覚えがある。

中学生になって、もう川なんかでは遊ばなくなってしまってから、ふとある日気が向いて、自転車で多摩川まで行ってみたことがあった。秋の夕暮れごろのことだ。ずいぶん久しぶりに見る多摩川はあいかわらず汚くて、秋風がさむざむと身に応えた。5、6歳くらいの女の子が独りで遊んでいて、彼女は錆びた空き缶に生き物を集めていた。わたしが声をかけると、彼女は無邪気な笑顔をたたえながら空き缶の中味を見せてくれたが、中には水がすこし入っていて、イトミミズとヒルがうごめいていた。わたしは胸が悪くなった。



今年の夏、故郷の川を見る機会があった。数十年ぶりに、タチカワの南東に流れる小川を通りかかって、わたしは驚愕した。

むかしはヘドロで汚れていたはずの小川が、すっかり変わっていたのである。水草が豊かに波打ち、水面は清らかに輝いている。小さな子どもを連れた若いお母さんが、流れに足をひたして休んでいる。子どもは裸になって川に入り、水浴びをしている。小川は、すっかり息を吹き返しているのであった。

小さな橋のそばに立て看があって、こんなことが書かれていた。
「この川には、ホタルがすんでいます。みんなで大切にしましょう」
わたしはかなり感動した。