発売してから結構たってしまいましたが、エレカシのニュー・シングル『友達がいるのさ』、椎名林檎の新バンド、東京事変のデビュー・シングル『群青日和』が出ました! 書かないわけにはいきません! しかし、両バンドともアルバムを控えているわけでして、ゴテッとした話はアルバムにとっておくとして、ここではなるべくサラ~ッと。
まず、『友達がいるのさ』。1曲目「友達がいるのさ」は、既に野音とひたちなかで聴いていて、そのときはクリスマスに合いそうだな~なんて思ったんですが、それよりもっと“日常”な感じ? 前々作で『俺の道』を宣言し、前作で『扉』を開いたエレカシの次なる一歩である今作には、ひたちなかで強く感じた“良い意味での平常心”が全編に漂っています。ライヴではイントロがあったと思うんですが、CDではいきなりミヤジの歌い出しから始まります。<東京中の電気を消して夜空を見上げてえな>って歌詞から始まるんですが、本当、東京の夜に似合いそうな曲。エレカシの素晴らしい特性でもある“日常ドラマティック”って言うんですかね、な~んでもないことをドラマティックに歌い上げてしまう歌と演奏にニンマリ。日常をすくい上げてドラマティックに描き切ってしまうのが本当うまいんだよなぁ。<出かけよう>なんて言葉をこんなドラマティックに響かせてしまうなんて凄いことだもの。だって、うっかり歌ってしまったら陳腐になってしまうだけだし、こういう言葉で勝負するのは難しいし勇気がいることだと思う。でも、それが真理だったりもする。ミヤジこと宮本浩次のエッセイ集『東京の空』にも書かれていた。「ただ生きる。生まれたからには生きる。マヌケな程当たり前のこの結論は俺をふるわせる」。宮本は、“ただ生きて行く”ことに胸をふるわせることができる人なんだと思う。素敵。でも、優れた表現者ってそういう人のことを言うんだと思う。“ただ生きて行く”ことが一番偉いし凄い。きっと…。
そして、今回のキーワードとも言える<友達>。エレカシの曲でここまでちゃんと友達の存在を歌った曲ってあっただろうか。デビュー曲「デーデ」では<友達なんかいらないさ 金があればいい>だし。これでデビューかぁ(笑)。続いて「おれのともだち」なんて曲もあったけれど、蓋を開けてみれば<「たいくつよ」おれを襲え お前こそおれのともだち>だし。「絶交の歌」では友に向かって<俺は貴様に断言しよう 貴様はだめだ せいぜい長生きしてがんばれよ>で<もう絶交だ>だし。うわ~、エレカシって嫌なバンドじゃん!(笑) って今ごろ気付くなってか?(笑) もちろん<互い肩でも組んで 歩こうぜ>と歌う「星の降るような夜に」とかもちゃんと(?)ありますけどね。でも大抵は、「DEAD OR ALIVE」(2002年12月)のように<男はひとり ゆかなきゃならん>で、オノレのことかオンナのことかって感じだった気がする。でも、ここ最近は、前々作『俺の道』の「季節はずれの男」での<ライバルで無き友よ さらば>から、前作『扉』の「地元の朝」での<トモダチを探してる 仲間達を探してるんだ>へ――。そして今回、<明日もまた出かけよう 友達がいるのさ>。やっぱり繋がってるんだろうな。『週刊プレイボーイ』のインタビューでも、今度のアルバム『風』のキーワードは「友達」と言っていて、今回ギターの人(おそらく久保田光太郎のこと)に参加してもらって、言わば、新しい友達(久保田光太郎)と出会うことによって中学からの友達(エレカシは4人中3人が中学からの友達、1人が高校からの友達)とも新たな気持ちで向き合えた…みたいなこと言ってたし。エレカシに吹いた「友達」という新しい『風』――。楽しみだ。
でもって、2曲目の「DJ in my life」とも(全2曲)、バンドの演奏、各楽器がちゃんと“歌ってる”んだよね。特にトミのドラム。これまた良いタイミングでシンバルを鳴らすんだよなぁ。「友達がいるのさ」で、ミヤジの台詞から盛り上がっていく部分の太鼓の音なんか行進を促す感じで、<また出かけよう>って気持ちにさせてくれるし。後半の盛り上がりのギターのリフなんか、うっかりするとミヤジの歌のメロディよりも、そのリフのメロディを口ずさんでしまいそうになる。え? そんなのよくあることだって? いやいや、エレカシでそれは凄いことなのよ。だって“ミヤジの歌より”なんだから。ふとオアシスの「ホワットエヴァー」の後半部分のギターを思い出した。あの「タララタララ」ってやつ。「DJ in my life」も、本当ドラムが歌ってる。「間」が良い感じ。これがまた無理して出してるってんじゃなくって、“自然に出ちゃってる”って感じが良いんだよね。前作『扉』の制作現場を追った是枝裕和監督のドキュメンタリー映画『扉の向こう』(DVD化されます)で、ミヤジが石君に「デーデ(デビュー)の頃のようにはできないんだから。おじさんの良さを出そうよ」と言っていたけど、これが“おじさんの良さ”なのかな。確かに、『扉』を聴いて思ったのは「青春は終わったのかな」ってことだった。いつも「俺の青春は終わった~」とか歌ってるから、「終わってないんじゃん!」と突っ込んでたんだけど(笑)、そのときばかりは「ああ、エレカシも青春を終わらせることができたのかな」って思ったものなぁ。で、最近のライヴではその“おじさんの良さ”が出てて感動したし(ミヤジ以外の3人も確実にパワーアップしてます!)。特に初期の曲をやるとそれがジ~ンと伝わってくるんだよね。ファースト収録の「ファイティングマン」とかやると、ちゃんと「38歳のファイティングマン」になってるんだもん。かといって、おじさん臭くヨレヨレになってたってことじゃなくて(むしろ、ますますピンと張った緊張感があった)、おじさんにしか出せないオーラっちゅうんですか? なんか、そういうの。今までにない“包容力”に驚いたし。ま、まだ若輩者である私(しかも女)には分からない部分も多いんだろうけど。でも痺れたよ。“おじさんの良さ”が“自然に”出てきだしたこのバンド演奏が、アルバムではどのように進化&深化してるのかを思うと、ドキドキしてしまう。
あと、「DJ in my life」の「DJ」とは何を指すのかってことがファンの間で話題だけど、私が勝手に決めつけると…。この歌詞からすると、「でっかい人生」=「DJ」でどうっすか?(笑)
ちなみにこのシングル、7月の野音でやった「東京の空」のライヴ映像のDVD付き。トランペッターの近藤等則さんを迎えての素晴らしく濃厚な演奏でした。近藤さんとは続けて「曙光」も一緒にやったのだけど、それも入れて欲しかったなぁ。ってか、野音ライヴそのままDVDにしても…。でも、この「東京の空」だけでも十分ありがたい気もする…。いや!、やっぱり良いものはドーンと出した方が良い気がする! たくさんの人にお腹一杯なあの素晴らしかった野音ライヴを見せたいじゃないか! ま、とにかく、この「東京の空」では、エレカシの(特にミヤジの)緊張っぷりが伝わってきます。あ、“東京の夜空”繋がりで、このシングルに付けたのかな? いずれにしても、あの日のあの演奏がスペシャルだった証ではあるわな☆
続いて、『群青日和』。祝・東京事変デビュー!ってことで、まずは首謀者をご紹介。
●椎名林檎(シーナリンゴ)――声弦
●晝海幹音(ヒラマミキオ)――六弦
●H是都M(エイチゼットエム)――鍵盤
●刃田綴色(ハタトシキ)――太鼓
●亀田誠治(カメダセーヂ)――四弦
「群青日和」は、CM等で結構かかってるし聴いた人も多いと思うけど、これ、H是都Mの作曲です(詞は林檎ちゃん)。今回のシングルは全3曲ですが、作曲は全曲とも林檎ちゃんじゃありません。2曲目はカヴァーだから当然だけど。ちなみに、H是都M=PE'Zのヒイズミマサユ機さんです。だから、もしかしたら「林檎節だなぁ」と思った方もいるかも知れませんが、作曲は林檎ちゃんじゃないんですよ。でも、林檎ちゃん作曲と言われてもそんなに違和感ないですよね。やはり、ヴォーカルの力が大きいのでしょうか。でも、ちょっと、明るく突き抜けた感じが今までの林檎ちゃんの作風とは違うな~と私は思ったのですが。それにね、生き生きしててね。なんと言っても今回、“やりっぱなし”って感じが良いんですよぉ。この“やりっぱなし感”が、今までの林檎ちゃんの作品にはなかったんではないでしょうか。もうとにかく“やりっぱなし”、この一言に尽きます。今までの林檎ちゃんの作品は、ここまでやりますかって言うほどの“至れり尽せり”でしたからね。だから、聴き手も良い意味で疲れちゃうところがあったかも知れませんが、これは疲れないです(笑)。どうとでもとってくれって感じで、攻撃的で潔くて爽快。林檎ちゃんも楽しそうだし。嬉しいわ~。『YAMABIKARI』で聴いたときの“初々しさ”もちゃんとあるし。今回、自分で作曲しなかったことも、バンドへの思い入れの表れだと思うし。「群青日和」はH是都M作曲だけあって、キーボードが引き立ってます。今後、林檎ちゃん含め、その他のメンバーがどのように飛び出てきて、どのようなケミストリーを起こすのか。とてもドキドキです。
2曲目はカヴァー曲で「その淑女(をんな)ふしだらにつき」。私は原曲は分からないのですが、林檎ちゃんってこういう歌謡ジャジー(?)なの好きですよね。ああ、でも色々好きか。林檎ちゃんの幅広さや奥深さには驚かされるばかりだもんなぁ。この「その淑女ふしだらにつき」では、林檎ちゃんの妖怪七変化(笑)というか変幻自在な声が炸裂してますね(いや、本当はまだまだこんなもんじゃないんだけど)。こういうの本当うまいよなぁ。いくつ声色を持ってるんだ、この人は。しかもそれを自在に操る、声の調教師(笑)だし。ビョークの「イッツ・オー・ソー・クワイエット」、もしくは『Gling-Glo』を思い出しちゃった私は単純だ。淑女としての修行が足りん! もっとふしだらにならなければ、ふしだらに!
3曲目の「顔」は、男女デュエット曲で晝海幹音さん作曲。詞は林檎ちゃんで、なかなかドキッとさせられる内容(英詞)。男性ヴォーカルは、晝海さんなのかな? ふっとキング・クリムゾンの「風に語りて」を思い出した。コーラス部分とか! なんか醸し出す雰囲気が似てる気がするんだよねぇ。ピアノが美しい。ライヴで生デュエット聴いてみたいなっ!
というわけで、『YAMABIKARI』な2組から届けられた、私的一大イベントな新曲についてお届けしましたが、ここからは、私ならではの分析を(?)。
「友達がいるのさ」と「群青日和」、どちらも地名から始まりますねー。<東京>と<新宿>。そんな共通点を見つけてニンマリ。しかも、よくよく読んでみると、<東京中の電気を消して>~<新宿は豪雨>。なるほど! 豪雨で停電になっちゃったのか! なるほど~、東京中の電気を消したかったら「群青日和」を聴け! 新宿が豪雨でどうなっちゃったのか知りたかったら「友達がいるのさ」を聴け! そういうことだったのですね。つまり、両方揃えて買わなければ意味がない、と。
そういやー、「芸のあるひとは生を楽しめるひとである」と林檎ちゃんも言っていた。これ、上のエレカシのとこで書いた「“ただ生きて行く”ことに胸をふるわせることができる人」ってことと一緒よね。やっぱり、紳士淑女の皆さんは、両方揃えて買わなきゃいけないみたいですね。結論、結論、それが結論。
ちなみに今日は、“友達”に会いに“新宿”に出かけてきた。
まず、『友達がいるのさ』。1曲目「友達がいるのさ」は、既に野音とひたちなかで聴いていて、そのときはクリスマスに合いそうだな~なんて思ったんですが、それよりもっと“日常”な感じ? 前々作で『俺の道』を宣言し、前作で『扉』を開いたエレカシの次なる一歩である今作には、ひたちなかで強く感じた“良い意味での平常心”が全編に漂っています。ライヴではイントロがあったと思うんですが、CDではいきなりミヤジの歌い出しから始まります。<東京中の電気を消して夜空を見上げてえな>って歌詞から始まるんですが、本当、東京の夜に似合いそうな曲。エレカシの素晴らしい特性でもある“日常ドラマティック”って言うんですかね、な~んでもないことをドラマティックに歌い上げてしまう歌と演奏にニンマリ。日常をすくい上げてドラマティックに描き切ってしまうのが本当うまいんだよなぁ。<出かけよう>なんて言葉をこんなドラマティックに響かせてしまうなんて凄いことだもの。だって、うっかり歌ってしまったら陳腐になってしまうだけだし、こういう言葉で勝負するのは難しいし勇気がいることだと思う。でも、それが真理だったりもする。ミヤジこと宮本浩次のエッセイ集『東京の空』にも書かれていた。「ただ生きる。生まれたからには生きる。マヌケな程当たり前のこの結論は俺をふるわせる」。宮本は、“ただ生きて行く”ことに胸をふるわせることができる人なんだと思う。素敵。でも、優れた表現者ってそういう人のことを言うんだと思う。“ただ生きて行く”ことが一番偉いし凄い。きっと…。
そして、今回のキーワードとも言える<友達>。エレカシの曲でここまでちゃんと友達の存在を歌った曲ってあっただろうか。デビュー曲「デーデ」では<友達なんかいらないさ 金があればいい>だし。これでデビューかぁ(笑)。続いて「おれのともだち」なんて曲もあったけれど、蓋を開けてみれば<「たいくつよ」おれを襲え お前こそおれのともだち>だし。「絶交の歌」では友に向かって<俺は貴様に断言しよう 貴様はだめだ せいぜい長生きしてがんばれよ>で<もう絶交だ>だし。うわ~、エレカシって嫌なバンドじゃん!(笑) って今ごろ気付くなってか?(笑) もちろん<互い肩でも組んで 歩こうぜ>と歌う「星の降るような夜に」とかもちゃんと(?)ありますけどね。でも大抵は、「DEAD OR ALIVE」(2002年12月)のように<男はひとり ゆかなきゃならん>で、オノレのことかオンナのことかって感じだった気がする。でも、ここ最近は、前々作『俺の道』の「季節はずれの男」での<ライバルで無き友よ さらば>から、前作『扉』の「地元の朝」での<トモダチを探してる 仲間達を探してるんだ>へ――。そして今回、<明日もまた出かけよう 友達がいるのさ>。やっぱり繋がってるんだろうな。『週刊プレイボーイ』のインタビューでも、今度のアルバム『風』のキーワードは「友達」と言っていて、今回ギターの人(おそらく久保田光太郎のこと)に参加してもらって、言わば、新しい友達(久保田光太郎)と出会うことによって中学からの友達(エレカシは4人中3人が中学からの友達、1人が高校からの友達)とも新たな気持ちで向き合えた…みたいなこと言ってたし。エレカシに吹いた「友達」という新しい『風』――。楽しみだ。
でもって、2曲目の「DJ in my life」とも(全2曲)、バンドの演奏、各楽器がちゃんと“歌ってる”んだよね。特にトミのドラム。これまた良いタイミングでシンバルを鳴らすんだよなぁ。「友達がいるのさ」で、ミヤジの台詞から盛り上がっていく部分の太鼓の音なんか行進を促す感じで、<また出かけよう>って気持ちにさせてくれるし。後半の盛り上がりのギターのリフなんか、うっかりするとミヤジの歌のメロディよりも、そのリフのメロディを口ずさんでしまいそうになる。え? そんなのよくあることだって? いやいや、エレカシでそれは凄いことなのよ。だって“ミヤジの歌より”なんだから。ふとオアシスの「ホワットエヴァー」の後半部分のギターを思い出した。あの「タララタララ」ってやつ。「DJ in my life」も、本当ドラムが歌ってる。「間」が良い感じ。これがまた無理して出してるってんじゃなくって、“自然に出ちゃってる”って感じが良いんだよね。前作『扉』の制作現場を追った是枝裕和監督のドキュメンタリー映画『扉の向こう』(DVD化されます)で、ミヤジが石君に「デーデ(デビュー)の頃のようにはできないんだから。おじさんの良さを出そうよ」と言っていたけど、これが“おじさんの良さ”なのかな。確かに、『扉』を聴いて思ったのは「青春は終わったのかな」ってことだった。いつも「俺の青春は終わった~」とか歌ってるから、「終わってないんじゃん!」と突っ込んでたんだけど(笑)、そのときばかりは「ああ、エレカシも青春を終わらせることができたのかな」って思ったものなぁ。で、最近のライヴではその“おじさんの良さ”が出てて感動したし(ミヤジ以外の3人も確実にパワーアップしてます!)。特に初期の曲をやるとそれがジ~ンと伝わってくるんだよね。ファースト収録の「ファイティングマン」とかやると、ちゃんと「38歳のファイティングマン」になってるんだもん。かといって、おじさん臭くヨレヨレになってたってことじゃなくて(むしろ、ますますピンと張った緊張感があった)、おじさんにしか出せないオーラっちゅうんですか? なんか、そういうの。今までにない“包容力”に驚いたし。ま、まだ若輩者である私(しかも女)には分からない部分も多いんだろうけど。でも痺れたよ。“おじさんの良さ”が“自然に”出てきだしたこのバンド演奏が、アルバムではどのように進化&深化してるのかを思うと、ドキドキしてしまう。
あと、「DJ in my life」の「DJ」とは何を指すのかってことがファンの間で話題だけど、私が勝手に決めつけると…。この歌詞からすると、「でっかい人生」=「DJ」でどうっすか?(笑)
ちなみにこのシングル、7月の野音でやった「東京の空」のライヴ映像のDVD付き。トランペッターの近藤等則さんを迎えての素晴らしく濃厚な演奏でした。近藤さんとは続けて「曙光」も一緒にやったのだけど、それも入れて欲しかったなぁ。ってか、野音ライヴそのままDVDにしても…。でも、この「東京の空」だけでも十分ありがたい気もする…。いや!、やっぱり良いものはドーンと出した方が良い気がする! たくさんの人にお腹一杯なあの素晴らしかった野音ライヴを見せたいじゃないか! ま、とにかく、この「東京の空」では、エレカシの(特にミヤジの)緊張っぷりが伝わってきます。あ、“東京の夜空”繋がりで、このシングルに付けたのかな? いずれにしても、あの日のあの演奏がスペシャルだった証ではあるわな☆
続いて、『群青日和』。祝・東京事変デビュー!ってことで、まずは首謀者をご紹介。
●椎名林檎(シーナリンゴ)――声弦
●晝海幹音(ヒラマミキオ)――六弦
●H是都M(エイチゼットエム)――鍵盤
●刃田綴色(ハタトシキ)――太鼓
●亀田誠治(カメダセーヂ)――四弦
「群青日和」は、CM等で結構かかってるし聴いた人も多いと思うけど、これ、H是都Mの作曲です(詞は林檎ちゃん)。今回のシングルは全3曲ですが、作曲は全曲とも林檎ちゃんじゃありません。2曲目はカヴァーだから当然だけど。ちなみに、H是都M=PE'Zのヒイズミマサユ機さんです。だから、もしかしたら「林檎節だなぁ」と思った方もいるかも知れませんが、作曲は林檎ちゃんじゃないんですよ。でも、林檎ちゃん作曲と言われてもそんなに違和感ないですよね。やはり、ヴォーカルの力が大きいのでしょうか。でも、ちょっと、明るく突き抜けた感じが今までの林檎ちゃんの作風とは違うな~と私は思ったのですが。それにね、生き生きしててね。なんと言っても今回、“やりっぱなし”って感じが良いんですよぉ。この“やりっぱなし感”が、今までの林檎ちゃんの作品にはなかったんではないでしょうか。もうとにかく“やりっぱなし”、この一言に尽きます。今までの林檎ちゃんの作品は、ここまでやりますかって言うほどの“至れり尽せり”でしたからね。だから、聴き手も良い意味で疲れちゃうところがあったかも知れませんが、これは疲れないです(笑)。どうとでもとってくれって感じで、攻撃的で潔くて爽快。林檎ちゃんも楽しそうだし。嬉しいわ~。『YAMABIKARI』で聴いたときの“初々しさ”もちゃんとあるし。今回、自分で作曲しなかったことも、バンドへの思い入れの表れだと思うし。「群青日和」はH是都M作曲だけあって、キーボードが引き立ってます。今後、林檎ちゃん含め、その他のメンバーがどのように飛び出てきて、どのようなケミストリーを起こすのか。とてもドキドキです。
2曲目はカヴァー曲で「その淑女(をんな)ふしだらにつき」。私は原曲は分からないのですが、林檎ちゃんってこういう歌謡ジャジー(?)なの好きですよね。ああ、でも色々好きか。林檎ちゃんの幅広さや奥深さには驚かされるばかりだもんなぁ。この「その淑女ふしだらにつき」では、林檎ちゃんの妖怪七変化(笑)というか変幻自在な声が炸裂してますね(いや、本当はまだまだこんなもんじゃないんだけど)。こういうの本当うまいよなぁ。いくつ声色を持ってるんだ、この人は。しかもそれを自在に操る、声の調教師(笑)だし。ビョークの「イッツ・オー・ソー・クワイエット」、もしくは『Gling-Glo』を思い出しちゃった私は単純だ。淑女としての修行が足りん! もっとふしだらにならなければ、ふしだらに!
3曲目の「顔」は、男女デュエット曲で晝海幹音さん作曲。詞は林檎ちゃんで、なかなかドキッとさせられる内容(英詞)。男性ヴォーカルは、晝海さんなのかな? ふっとキング・クリムゾンの「風に語りて」を思い出した。コーラス部分とか! なんか醸し出す雰囲気が似てる気がするんだよねぇ。ピアノが美しい。ライヴで生デュエット聴いてみたいなっ!
というわけで、『YAMABIKARI』な2組から届けられた、私的一大イベントな新曲についてお届けしましたが、ここからは、私ならではの分析を(?)。
「友達がいるのさ」と「群青日和」、どちらも地名から始まりますねー。<東京>と<新宿>。そんな共通点を見つけてニンマリ。しかも、よくよく読んでみると、<東京中の電気を消して>~<新宿は豪雨>。なるほど! 豪雨で停電になっちゃったのか! なるほど~、東京中の電気を消したかったら「群青日和」を聴け! 新宿が豪雨でどうなっちゃったのか知りたかったら「友達がいるのさ」を聴け! そういうことだったのですね。つまり、両方揃えて買わなければ意味がない、と。
そういやー、「芸のあるひとは生を楽しめるひとである」と林檎ちゃんも言っていた。これ、上のエレカシのとこで書いた「“ただ生きて行く”ことに胸をふるわせることができる人」ってことと一緒よね。やっぱり、紳士淑女の皆さんは、両方揃えて買わなきゃいけないみたいですね。結論、結論、それが結論。
ちなみに今日は、“友達”に会いに“新宿”に出かけてきた。