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sky is blue

言わなければよかったのに日記

エレカシ新春ライヴ @Zepp Tokyo

2006-01-08 15:14:23 | エレカシ
年が明けた! と思ったら、なんだか気が抜けてしまって、更新が止まってしまいました。ここ最近の数記事を読んでもらえれば分かる通り、そんだけ、溜まっていたマグマがドワーッ!って一気に爆発したってことなんだろうね(大げさな表現、しかも他人事のように…)。だからちょっと「ふぬけ」になってました。今後はもうちょっと定期的に書いていければなぁ。というわけで、時差を埋めていくぞ~っ!(これ、何回書いてんだ…)

去年、バックホーンを観たとき、またこういう広いところでもエレカシを観てみたいな~って書いたけど、そしたらその「ゼップ東京」で、エレカシ、新春ライヴをやってくれました。2004年のときの「新宿コマ劇場」も良かったけどね。私の2006年最初のライヴ。

あまりの時差で、新鮮な記事は書けそうにないけど、なんだか「よく分からない」ライヴではあったんだよなぁ、確か。でも、例えば、クイーン+ポール・ロジャースのときのように、そこからマイナスなイメージは受け取らなかったんだよねぇ。よく分からなかったけど、マイナスではなかった。

でもね、エレカシは「ずるい」んだよ。だって、出てきた瞬間、「持ってかれちゃう」んだもん。だから、そんな私にちゃんとした判断ができんのかって話なんだけど、でも、『ライフツアー』のときなんかは、そんな私でもマイナスな空気、感じ取ったもんなぁ(ライヴの出来不出来とは別のところでね)。だから、言わせてもらいます!

「化ケモノ青年」のとき、歌詞を忘れたのか、延々と<おい今夜は酒持ってこい>と歌ってたのがウケた(あれ?実際そういう歌だっけ?)。新春ってこともあったんだろうけど、MCもところどころ何だか変で(え?いつも?)、何と言っても、アンコール最後の曲(つまり最後の最後)「この世は最高!」で決めた後、ミヤジが「おならプップー!」という、謎に満ちているのか身も蓋もないのかよく分からない言葉を連発し、去っていったことだろう。えぇ? おならプップー!で終わりぃ? いや、ま、良いんだけど……

と、ここで重要なのは、そこで「ま、良いんだけど」と思わせる「何か」があったってことなんだよね、この日のライヴには。だって、ライヴが良くなかったら、「おならプップー!」って、冗談で済まされなくない?(笑) ま、そんな真剣に「おならプップー!」について考えなくったって良いんだけど。てか、何度も書くなって話だね。

実は、「この世は最高!」の前に「武蔵野」をやったんだけど、そのとき、ミヤジの歌が「どうしたんだろう?」ってくらい不安定になった。私の位置からは確認できなかったけど、「泣いているのかな?」って思った。で、やっぱり、泣いていたらしい。野音のときも「武蔵野」で泣いていたんだよなぁ。で、驚くことに、ギターの石君も泣いていたらしいのだ。

ここ数年、エレカシを追ってきた人なら、この「涙」の理由、何となく分かると思う。やはり、エレカシは一度(じゃないかも知れないが)、エレカシを見失いかけたんだと思う。「エレファントカシマシ」って場所は確かにある。けど、じゃあ、それをどうしたら良いのか、どうしたいのかってことを、ここ数年、模索していたように思う。そういや、『すまねえ魂 前夜』でも「『これがエレカシだ!』ってとこを探ってんのかな」とか、『すまねえ魂@リキッド』でも「エレカシがエレカシを探し、見つけていくツアーになるのかな」とか書いてたんだっけ…。

そんな生易しい業界だとは決して思わないけど、ただエレカシを継続するだけだったら、模索なんて面倒なことしなくったって、宮本浩次という人がいれば、「そこそこ」できるのかも知れない。けど、そういうことに無神経でいられるほど、宮本浩次って人は、鈍感じゃないんだもの。エレカシを継続するためにエレカシを継続したって、何の意味もない。いや、そういうことに意味があるバンドもいるのかも知れない。でも、そこに意味を見出せるようなバンドじゃ、エレカシはなかったってことだよね。きっと、エレカシを継続するためにエレカシを継続したとき、それは、エレカシじゃなくなってしまうんだ。エレカシが、他のバンドと比べて、クネクネした道を歩んでいるように見えるのは、そういうことに誰より早く気づいてしまう、自意識過剰とも言えるくらいに、自覚的なバンドだからなんでしょう。だから、エレカシを追っかけるのは疲れるのです。でも、だから、エレカシは信用できるのです。そして、そんなエレカシに、どうしようもなくドキドキワクワクゾクゾクさせられてしまうのです。(だから、私にとって特別なアーティストは、「追っかけるのが疲れる」アーティストが多いのか、はぁ)

エレカシを見失いかけたと書いたのは、エレカシってバンドを組んでる意味だとか、エレカシって名乗ってる意味だとか、エレカシにはメンバーが4人いるんだけどその意味だとか、そういう、大きく言ってしまうと「エレカシの存在理由」みたいなものを、見失うとまではいかなくても、もう一度考えざるを得ない状況になったのではないかってことです。具体的には、『グッド・モーニング』で打ち込みに走ったり、『ライフ』でプロデューサー(小林武史)に頼ったり、それはすべて「エレカシが選択したこと」に変わりはないけど、その結果、「エレカシをやる意味」について考えさせられたんじゃないかなぁ、やっぱり。だからこその、『DEAD OR ALIVE』~『俺の道』での原点回帰だったと思うし、『扉』~『風』で、そのときのバンドでできるベストを見せてくれたんだと思うもの。そして、何より、演奏技術のことなどよく分からない私にもビンビン伝わってくるくらいに、石君、成ちゃん、トミの3人がパワーアップしていったんだもの。少なくとも、「ミヤジについていく3人」ではなくなっていた。そうして、一度は見失いかけたのにも関わらず、やっぱり「エレカシ」しかなかったこと、そしてそれが、後ろ向きのマイナスな選択ではなく、前を向いたプラスの選択であることが、何より嬉しい。ライヴや音源から、それは伝わってくるからね。4人の中から「エレカシの存在理由」は、まだまだ全然、消える気配はなさそうだ!

だから、ここ数年のエレカシを追ってきた人なら、「涙」の理由、何となく分かると思うのだ(全然違ったらゴメンなさい)。「おならプップー!」は、その「涙」の「照れ隠し」なのかな。

だから思うよ。エレカシがそんな「涙」流さなくなったとき、そんな「照れ隠し」必要としなくなったとき、そのときこそ、もっともっとカッコ良くなるって。

よく分からないライヴではあったけど、そこからマイナスな要素を感じなかったのは、よく分からないながらもプラスを感じたのは、きっと、今のエレカシ4人が、前を向いていたからだと思う。だって、「涙」や「照れ隠し」の向こうに、「もっとカッコ良くなる」が見えたんだもの。エレカシ、今年もひとつ、よろしく頼むぜー!

*** 追記 ***

そんなエレカシ、3月29日にニューアルバム『町を見下ろす丘』を発表しました! 今作は、『ココロに花を』や『明日に向かって走れ』という、エレカシがドドーンとメジャーになるキッカケとなった作品を手がけた佐久間正英氏が8年ぶりにプロデュースを担当しているって話です(だから最近、『ココロに花を』や『明日に向かって走れ』の曲をよく演奏してたのかな)。そんな情報だけでも、エレカシ、勝負に出てきてる感じがする。「感じがする」だなんて曖昧に書いたのは、なかなか時間が作れなくて、まだニューアルバムを聴いてないからなんだよぅ!

にしても、新作リリースに伴うインタビューを立読みしたんだんだけど(後で買うつもりだけど)、「スタートライン」って書いてあって、吹き出しそうになってしまった。だ~って、ここ数作、いつも「スタートライン」って言ってない? いやね、そこが好きなんだけどさ。だって、それは、毎回毎回、何かを破壊して何かを創造してるってことでしょ? 結婚式とか、スポーツ選手とか、何かを成し遂げた人がよく言うじゃない。「これはゴールではない。スタートだ」って。そしたらさ、『J-CD』のインタビューでも言ってたよ。「第1弾」って。これが、88年デビュー、16枚目のアルバムを発表する人の言う台詞ですか? 今までは何だったんだよ~! いやいや、なかなか言えないと思うよ?、そんな台詞。何度目のスタートライン(ゴールライン)だ! パワー・イン・ザ・ワールド! ああ、エレカシが描いた何度目かのスタートライン(ゴールライン)、早く聴きたい…。