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sky is blue

言わなければよかったのに日記

Documentary of COUNTDOWN LIVE 2006-2007 A

2007-03-09 01:25:25 | AYU
『A BEST 2 -BLACK-』のDVDには、『BEST of COUNTDOWN LIVE 2006-2007 A』の完成までの軌跡を追ったドキュメンタリー映像が収録されている。私はそれを観て、確信したことがある。

「浜崎あゆみ」の一番の批評家でありファンは、「あゆ」だ。

これ、こうして書いてみても、「へぇ、そうなんだ」って感じかも知れないけど、私はちょっと、呆気にとられてしまったよ。

だって、一番、汗かいて、走り回って、笑って、怒って、悩んで、考えて、興奮して、感動してるのは、「あゆ」なんだもん。「何なんだこの人は!?」って思っちゃったよ。

私が一番好きなシーンに、「あゆの役を違う人がやって、会場で本番と同じように通しでリハーサルをやり、それをあゆが客席から確認する」ってのがあるんだけど(あゆ本人がやる通しリハーサルもありますよもちろん)、もうね、「ただのファン」なんだもん。ってか、「ただの無邪気な子供」じゃん! あんな「純粋無垢」な顔、私は見たことがありません。あゆは、「デビューしたばかりの新人さん」か!? グッと真剣に見ていたかと思えば、いきなり走り出して、色んな位置から確認し、ノリノリで見ていたかと思えば、いつの間にか感動して涙ぐんでるし。おいおい、この人、泣いてるよ! 自分のライヴだよ? まだリハーサルだよ? なのに、一番ノリノリなの。

そして、演奏やアレンジなどのサウンド面、ダンスの振り付け、衣装や演出など、すべてにおいて、もちろん人に任せるところは任せているけれども、誰よりも厳しい。名台詞、飛び出しまくりですよ。でも、絶妙なところで笑いをとって和ませたりして、ああ、あゆってば……。そんでもって、関わる人のことを一人一人ホントによく見てるんだよなぁ。「この中の誰か一人でも欠けていたらできなかったと思います」と、あゆはよく言うけれども、これって、嘘じゃないんだなぁ。あゆは、とんでもなく厳しいけど、でも、とんでもなく優しいんだなぁ。

歌うわ踊るわの身振り手振りぶりには、結構驚いたな~。私の中で勝手に、あゆは「頭で考える」ってイメージが強かったから、意外に「肉体派」っていうか「感覚派」っていうか、物凄い「瞬発力」。やっぱ、体に沁み込んでるもんがあるんだろうね。それは、相当のもんだと思う。色んな場数を踏んでるもんなぁ。

もう本当にね、「ドキュメンタリー」であっても、一つの「ショー」を観ているようでした。だから、つまり、こういうことなのではないだろうかと。

「浜崎あゆみが動いている」というだけで、「ショー」になり得る。

「いやいや、何をおっしゃいますやら」って笑い出す人もいるかも知れませんが、実は、このカウントダウンライヴのときにも思ったんだよね。花道をあゆがダーッと走る。たったそれだけのことで、もう客席は、ワー!キャー!あゆぅー!なんですよ。「走っている」だけですよ? 衣装だって、そのときは、ただの「TシャツGパン」ですよ。あゆのライヴは、衣装も演出も色々と凄いですが、結局は、「あゆが走るだけで大歓声」なんですよ。会場にいるのはファンだらけなんだから当たり前だっておっしゃる方もいるかも知れませんが、このような光景、私は滅多に遭遇しません。(前に、菊地成孔さんが言っていた「ボディが持つメッセージ性」ってのは、このことなのかなぁ)

あるライヴで、その人が動いているだけで観客が熱狂しているってことで、「人力がすべてに勝っている!」と評していた人がいたけど、まさにそれかも知れないなぁ。

えっと、話を戻すと、こういう「制作現場を追ったドキュメンタリー」って、「こんなに苦労して作ってるんです!」とか「作っていく過程を見せてクリエイティヴィティをアピール!」とか、妙に鼻につく感じになってしまって、ワザとらしかったり嫌味っぽくなってしまったりすることもあると思うんだけど、これはもうなんか、変な言い方だけど、「自然」に感じられちゃったんだよなぁ。「これが舞台裏です!特別に見せちゃいます!」って感じもなければ、作られた感もない。あきらかに非日常であるはずなのに、日常的にすら感じられてしまう。

私はそれを不思議に思っていたのだけど、やっと分かってきた。それはきっと、「浜崎あゆみが動いているだけでショーになり得てしまう」からなのだ。だから、ワザとらしくないし、作られた感じもしない。だって、表も裏もなく、すべてが「ショー」なのだから。

******

カウントダウンライヴが行われた2006年12月31日、あゆは『紅白歌合戦』に出演した。前日の30日もライヴで、当日もリハーサルの合間を縫っての出演だ。私はTVで鑑賞していたのだが、「あゆ、喉辛そうだな」と思って観ていた。後日、視聴率のグラフを見たが、あゆは、「倖田來未」や「ドリカム」、「SMAP」に負けていた。

あゆは、今さら新しいファンを獲得しなくったって、従来からのファンだけで、もう十分にやっていけるのかも知れない。『紅白』にだって、出る必要もないのかも知れない。

でも、あゆは、『紅白』で、カウントダウンライヴでも歌わなかった「JEWEL」をわざわざ歌い、しかも、カウントダウンライヴ以上とも言える、気合の入った衣装やらネイルやらで登場した。私、登場した瞬間、吹き出しちゃったもん。更に、同日放送された『CDTV』の特番では、あゆは、まだどこでも披露していない「1 LOVE」を初披露してのけたのだった。

私は、『CDTV』を見逃してしまった。ごめん、あゆ。私は、何かを見落としていたよ。

何故、あゆは、『紅白歌合戦』で、カウントダウンライヴでも歌わなかった「JEWEL」を歌ったのか。
何故、カウントダウンライヴ以上とも言える、気合の入りまくった衣装&ネイルで出てきたのか。
何故、『CDTV』で、どこでも披露していない「1 LOVE」をやったのか。

あゆは、視聴率では、倖田來未やドリカムに負けた。
それが、「現実」なのだろう。
しかし、それだけでは見えない、「真実」というのもある。

かつて、<真実と現実の全てから目を反らさずに>と歌っていた彼女は、そのときから何も変わっていない。そこで戦い続ける彼女だからこそ、私は惹かれたのではなかったか。

今回のベスト、『A BEST 2』でも、あゆは私に色々なことを教えてくれた。

そして、『ASIA TOUR 2007 A ~Tour Of Secret~』へと続いていく。


A BEST 2 が描き出した物語

2007-03-08 23:31:48 | AYU
そして、『A BEST 2 -BLACK-』と『A BEST 2 -WHITE-』が発売された。発売日当日には『めざましテレビ』などの6番組に本人自ら生出演して“電波ジャック”するほどの気合の入りようだった。

今回のベストで、まず最初に驚いたのは、「形態」だった。第一に、「BLACK」と「WHITE」という2種類に分かれている点。第二に、「DVD付き」には、「収録曲のプロモクリップ集」と「『BEST of COUNTDOWN LIVE 2006-2007 A』の完成までの軌跡を追ったドキュメンタリー映像(BLACK)/同ライヴの模様(WHITE)」の2枚のDVDがそれぞれ付く点。

2種類に分けられているのは、単純に曲数が多いから1枚に入らないという理由もあるだろうが、そこで2枚組にするのではなく、1枚ずつにパッケージを分け、更に、時代順で分けるのではなく、「BLACK」と「WHITE」という「作品の色」による分け方が選ばれている。「CDのみ」と「DVD付き」を出すのはエイベックスお得意の方法ではあるが、そこに、カウントダウンライヴ関連の映像まで付けるとは……。

私は、この形態に不満を感じた。ベストというのは、ファンじゃない人も手に取りやすい形にすべきだと思うから、 1種類にまとめた方が良いと思うし、「BLACK」と「WHITE」という分け方も、時代順による分け方よりも混乱すると思ったから。DVDを2枚も付けるというやり方も、商品価値を下げてしまうような気がしてイヤだった。まぁ、こういうことに正解はないのだろうし、CDが売れなくなったり音楽配信が登場したりしたから、レコード会社も試行錯誤し、混乱しているのだろう。

しかし、DVDに収録されているライヴからして『BEST of ~』と銘打たれている点やその内容を考えてみるに、もっと積極的な方向で今回の形態にしたのではないかと思えてきた。そして、これらの作品を鑑賞しているうちに、分かってきた。

あゆは、楽曲、PV、ライヴ、ライヴ(作品)を作っていく過程に至るまで、すべてを含めて「浜崎あゆみ」なのだと、すべてが「浜崎あゆみの表現」なのだと、そう言いたかったのではないだろうか。

CDだけでは売れなくなったとか、ファンは全曲持ってるからライヴ映像も付けないと売れないとか、そんな消極的な理由ではないのだ。や、仮にそんな理由があったとしても、それだけの理由であんなライヴをするまでしないと思うし、何よりも作品がそれを凌駕している。そうでなければ、これらの作品が持っている「説得力」が説明つかない。(ま、それでも、同じPVを何回買わせるんだ!とは思いますけどね…苦笑)

分かりやすく時代順で分けるのではなく、「BLACK」と「WHITE」という「作品に新たな意味を与える」分け方をしたのも、「過去の寄せ集め」であるベストであっても、これも「現在進行形の表現」なんだという意思表示を感じる。実際、時代順に分けるよりもズッと手間のかかるやり方だろう。

そして、このやり方が、確かに新しい「物語」を紡いでいることに、私は驚いてしまった。

曲順は、発売順ではなく、時代としてはバラバラに並べられているのだけど、曲目を見ただけの時点では、私はそのことに不安を覚えたんだ。以前の記事で、「あゆの曲は、まだ『浜崎あゆみ』の手を離れられないでいる」などと書いたが、つまり、あゆの曲は、「浜崎あゆみの物語」なくしては成立しないところがあるのではないかと感じていたので、時代をバラバラにしてしまうと、その「物語性」が崩れてしまって、作品としての魅力に乏しくなってしまうのではないかと思ったからだ。要は、あゆのことを、作品だけで物語を描くところまではいっていないと思っていたわけだが、それが見事に覆されてしまった。

『WHITE』は、「evolution」で始まり、「A Song is born」で終わる。「evolution」は、「M」の次のシングルだし、始まりにピッタリの曲である。で、聴き進めていくうちに、時代がバラバラでありながら、ずっと繋がっている「流れ」を感じることに私は驚き、「Humming 7/4」から「UNITE!」への流れなどには、初めて聴くような印象を受け、興奮してしまった。そして、「A Song is born」になって、ハッと気付かされた。「evolution」で、まるで産声を上げるように、<この地球(ホシ)に生まれついた日>~<こんな時代(トキ)に生まれついたよ>と歌い始まったこの旅が終わる頃には、「A Song is born」で<僕らの地球(ホシ)のあるべき姿>や<泣きながらも生まれついた>ことを<もう一度だけ思い出して>と歌っているのだ。

『BLACK』は、「Dearest」で始まる。サビで<いつか永遠の眠りにつく日まで>と歌われ、『WHITE』の冒頭「evolution」とは対照的に、終わり(永遠の眠りにつく日)を感じさせるものではあるが、終わりがあることを踏まえた上での“始まり”と言った方がしっくりくるだろう。「HANABI」なんか、オリジナルアルバムのときとはまた違って聴こえてくるから不思議だ。そして、ラスト3曲(正確には4曲だが)。「NEVER EVER」で、<もしも君に差し出せるモノがあるとすれば>と繰り返し歌われた後に、「HEAVEN」がきたとき、私は、ヤラレタ~と思ってしまった。<最期に君が微笑んで 真っすぐに差し出したものは>と始まるこの曲は、今回この位置に入れるためにあったかのように響いてきた。彼女は、6年前からこのことを知っていたのか?? まるで、「NEVER EVER」の主人公を見守るかのように…。「HEAVEN」は、愛する人に先立たれた、言わば“死=永遠の眠り”を歌った曲でもあり、「Dearest」とも繋がっている。

『WHITE』『BLACK』ともに、時代がバラバラでありながら(つまり、浜崎あゆみの物語から切り離されていながら)、ちゃんと「物語」を描いているではないか! そして、この「物語」は、ここで終わらない。

そう。「HEAVEN」の後には、新曲「part of Me」が収録されている。“死”を歌った「HEAVEN」の後に配され、<生まれるずっと前>から<僕達は生まれ変わったら>と歌うこの曲のテーマは、“生まれ変わり”とも言えるだろう。あゆ自身、最新作『Secret』の裏タイトルを「Reborn」と言っていたし、今、彼女の中で何かが“生まれ変わり”つつあるに違いない。
(更にこの後、シークレットトラックがあるのだが)

と、最初から最後まで、見事な「繋がり」である。何度も書いてしまうが、あゆの楽曲が、時代をバラバラにしても、ここまでの「物語」を描けるとは、正直驚いてしまった。更に言えば、『A BEST』で「何かが生まれようとしている」ところで終わっていると書いたが、そこからもちゃんと繋がっている。ホント驚いてばっかだが、ここまで「つじつまが合っている」ことに、私は驚きを隠せません。それだけあゆの表現に、「一貫性(芯)」があるということなんだろうなぁ。その場しのぎのことをやっていたら、こんな物語は描けないはず。

更に、今回のベストは、「全曲リマスタリング」されています。マスタリング・エンジニアが、ブライアン・“ビッグ・ベース”・ガードナーとのことで、私は知らなかったのだが、エミネム、クリスティーナ・アギレラ、ナイン・インチ・ネイルズ、浜田省吾、HYDE等を手がける人らしい。そのリマスタリングの影響なのか、改めてサウンドの魅力に気付かされたりもした。やはり、あゆは、様々なサウンドのスタイルに挑戦しているよ。また、そのアプローチの仕方も、尖っているというか、先鋭的なものだったりする。「ジャンルなんて関係ない!」とか「ジャンルの壁を壊す!」とか言って、実際にどれだけの人がそれを実現できているのか。あゆは、色々なスタイルに挑戦しながらも、結局は、「J-POPとしか言い様のないサウンド」になっていると思うのだが、それは逆に、本当の意味で「ジャンルレスな音楽」をやっているからではないのか。日本人にとっては「J-POP」こそが、「ジャンルレス」な音楽ではないのか? ま、いーや。

そしてまた、どの曲も「古くさく」感じなかった。嬉しいよ。私はホントに嬉しいよ。

そんでまた、今回のベストは、心と体が一体となったって感じがするんだよね。自己表現と音楽が結び付いたっていうかね。そんなパワーやエネルギーが伝わってきたから。

って、こんなにも長くなってしまったよ!

『A BEST 2』については、もうちょっとだけ書きたいと思います。


Not yet

2007-03-07 23:15:53 | AYU
2007年2月28日、浜崎あゆみは、第2弾となるベストアルバム、『A BEST 2 -BLACK-』と『A BEST 2 -WHITE-』をリリースした。

今回のベストは、カウントダウンライヴで発売を知ったときから、私には、「来るべくして来た」という印象があった。オリジナルアルバムでは前々作に当たる『MY STORY』(2004/12/15)のときから、自身の道を振り返るような作品という意味で「ベストアルバムのような内容だなぁ」と感じていたし、ここで、「『A BEST』以降の活動をまとめる」という作業を彼女自身が欲したというか、必要だったんじゃないかと思ったからだ。当然、レコード会社からの云々というのもあったのだろうが、今回のベストには、自然な成り行きというか、「必然性」を感じた。

そして私は、ワクワクした。

思えば、最初のベスト『A BEST』(2001/3/28)の頃のあゆは、「浜崎あゆみをやってる自分を恥じてた」とか「(自分のことを)音楽の“お”の字も、今も分かってない」とか「(ミリオンいった「M」のことを)あんなに売れちゃいけないと思ってた」とか、とてもじゃないけどベストを出す人の言葉とは思えない「ネガティヴ」な発言をしていた。自分のことを「洋楽邦楽問わず、全然知識とかがない」とまで言い切った彼女は、きっと、他の誰が指摘するよりも先に、自分に「音楽的コンプレックス」を感じていたのだと思う。だって、あの頃の彼女といったら、街を歩けば必ず一回は「浜崎あゆみ」の曲なりポスターなりを見聞きするほどの社会現象になっていたのだから。当然、ポップ・アイコンとして、物凄い勢いで分析され、批評され、宇多田ヒカルから椎名林檎、鈴木あみ、Cocco、モーニング娘。など、ありとあらゆるものと比較されまくっていたし、シーンの最前線にいれば、ありとあらゆる「現実」を嫌でも突き付けられるのだから。

『A BEST』には、初めて自身で作曲したという「M」までが収録されている。私は後追いで『A BEST』を聴いたのだが、それでも分かるくらいに、この「M」だけが居心地悪そうに入っているのが印象的だった。後追いで聴いた私でさえも分かるくらいに、「M」を聴いて、「何かが生まれようとしている」というのを感じたのだ。つまり、前回のベスト『A BEST』は、何かが生まれようとしているところで終わっているのです。

「音楽の“お”の字も分かってない」と自覚したところから、あゆの中で何かが始まったのだと思う。そして私は、そこからスタートしているからこそ、彼女を信じてみたいと思ったのです。

今や彼女は、「私から歌を取り上げたら何も残らない」とまで言っている。「音楽の“お”の字も分かってない」から、「Music is everything!」とまで言えるようになるまでのあゆの道のりが、『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 -WHITE-』には詰まっているはずだ。そしてそれは、私がこのブログで書いてきたようなこととも繋がっているのではないかな~なんて。

君は見つけるかな ここにある秘密を
君は信じるかな ここにある奇跡を


とにかく私は、ワクワクした。


Do You Want To Know A Secret

2007-03-01 22:40:12 | AYU
ふと思う。
私は、あゆに、パワーをもらっているのか、パワーを奪われているのか。

以前、スターには「変人性」が必要で、その中でも、

・その変人性が故に、周りのエネルギーを破壊する事によってスターになる者
・その変人性が故に、周りにエネルギーを与えてスターになる者

というのがあると思う……という文章を読んだことがある。なるほど。納得である。

そこで、あゆの場合を考えてみるに、私は当然「後者」だと思っているのだけど、しかしそこで、ふと立ち止まってしまった。

あゆは、人のパワーを奪うことによって、人気を得ているのか。
それとも、人にパワーを与えることによって、人気を得ているのか。

当然、後者の方が良いなとは思う。
しかし、スターには、前者と後者、両方の側面があるんじゃないだろうか。

例えば、ポール・マッカートニーだったら、迷わず「後者」だと思う。エレカシでもそうだ。しかし、考えてみれば、エレカシだって、初期の頃は、前者的な要素が大いにあったんじゃなかろうか。ポールなんて、ものすごくアヴァンギャルドだったりするわけで。

何でこんなことを書いているのかというと、あゆの「ヘヴィさ」について考えていたからなのである。

あゆの曲は、どれも大抵「ヘヴィ」だ。しかも、それが売れていて、どうしてこんな曲がこんなに売れているんだろう?と思ってしまうくらいだ。歌番組やチャート番組などを見ていても、何だかあゆは浮いているような気すらしてしまう時がある。そこを、彼女自身の持っている魅力が、ポップ・ミュージックとして成り立せている。そんな気がする。

前置きが長くなってしまったが、2006年11月、あゆはアルバム『Secret』を出した。このアルバムを聴いて私が真っ先に思ったことは、聴きやすい!ってことだった。それもそのはず、前作『(miss)understood』では約66分あった収録時間も、今回は約55分と短くなっている。もともとはミニアルバムの予定だったのを急遽フルアルバムに変更したというのもあるのだろうが、ちょうど聴きやすい、集中力が切れない時間になっている。しかしこれは、収録時間の問題だけではない。曲自体も、どこかコンパクトというか、潔いというか、収まり良く収まっているような印象があり、アルバム全体としても、非常にスッキリとした印象がある。

彼女の持っている「ヘヴィネス」がここまで削ぎ落とされているのは、初めてのことだと思う。まず、そのことに驚いた。あゆの持っている「ヘヴィネス」は、良くも悪くも彼女の作品にずっと付いてくるものだと思っていたから。しかし、じゃあ、今度の作品が「ヘヴィ」じゃないのかと訊かれれば、そういうわけでもない。やっぱり、ちゃんと「ヘヴィ」だ。

アーティストが、自身の欠点や弱点を克服しようとする場合には、同時に、魅力が失われてしまう危険性を常に孕んでいると思う。何故なら、その欠点こそが魅力であったり個性であったりするからだ。しかし、自覚的なアーティストであればあるほど、そこに甘んじ続けることを許さなかったりもするのだろう。あゆが自分の持っている「ヘヴィネス」を欠点だと思っているかどうかはともかく、彼女は、この『Secret』で、何らかの折り合いをつけたと感じた。

それは、最終曲「Secret」を聴いて、より確信へと変わった。この曲は、ファースト収録のあゆの原点中の原点と言える曲「A Song for ××」のアンサーソングと言える内容で、私はこれを聴いて、ああ、あゆは「浜崎あゆみ」と折り合いをつけたんだと思った。『Secret』は、あゆが初めて「浜崎あゆみ」と折り合いをつけた最初のアルバムになるのかも知れない。

その後、彼女は、ベストアルバムの発売に踏み切り、カウントダウンライヴでもこれまでの集大成的なライヴを行った。やっぱり、彼女の中で何かが吹っ切れたというか、何かに踏ん切りをつけたのだとしか思えない。

ここで、最初の話に戻るようだが、今や「浜崎あゆみ」と言えば知らない人を見つけることの方が困難なくらいなのに、じゃあ一体、どれだけの人が「浜崎あゆみの曲」を知っているというのだろうか。一曲でも良いから歌える曲は? 題名と曲が一致する曲は? 「浜崎あゆみの曲」の認知度は、「浜崎あゆみ」の認知度からすると、驚くほど少ないのかも知れない。これをCDが売れなくなった時代のせいにすることは簡単だけど、どうもそれだけじゃないような気もしてくる。例えば、大塚愛といったら「さくらんぼ」とか、MISIAといったら「Everything」とか、名刺代わりとなるような曲ってあるでしょう? でも、あゆの代表曲って言ったら、一体どの曲になるんだろう? 「M」? 「SEASONS」? 「Dearest」? 何だかイマイチこれ!ってのがないような気がする。別にないのがいけないというわけじゃなく、これだけ有名なのにそれがパッと思い浮かばないのも不思議なことのような気がして。ただ、そのアーティストのイメージを決定づける決定打といった曲がなかったことが、あゆの場合は良かったのかも知れないとも思う。もしくは、あゆ自身がそれを避けていたところもあったのだろうか。(意外にあゆはキャッチーじゃないのかも!?)

いずれにせよ、例えば、「どんなときも。」とか「愛は勝つ」とか「LOVE LOVE LOVE」とかのレベルで、もう好き嫌いに関わらず、誰もが知っているであろう曲というのが、あゆにはないということは言えるだろう。

それが、一番最初に書いた「エネルギーを破壊する/与える」であったり、「ヘヴィさ」であったり、そういうことと関係しているのかなとふと思ったのである。

つまり、エレカシでいえば、あゆはまだ、「悲しみの果て」とか『ココロに花を』とか「今宵の月のように」とかいった作品を作れていないんじゃないだろうか、ということなのだ。うーん、これじゃあ、エレカシのことをよく知らない人からしたら、何のことやら分からないか(苦笑)。エレカシは、今挙げたような曲やアルバムで、世間一般に向けてアピールし、また、認知されたのだが。えっと、だから、あゆはまだ若いというか(笑)、自身の中にある破壊的なエネルギーやヘヴィネスと格闘している最中なんじゃないかと。もちろん、そんなものはずっと続いていくわけなのだけれども。

ただし、あゆがエレカシと決定的に違うのは、その時点で、もう名前が知れ渡ってしまっているということなのだ。まぁ、だから、「浜崎あゆみの曲」よりも先に「浜崎あゆみ」が知られてしまったというか、「作品」よりも先に「名前」が知られてしまったというか。もちろん、「浜崎あゆみの曲(作品)」なくしては、「浜崎あゆみ(名前)」もまた、ここまで知られることはなかったのだけれども。

「どんなときも。」や「愛は勝つ」や「LOVE LOVE LOVE」といった曲は、もう槇原敬之やKANやドリカムの手を離れて独り立ちしている曲だと言えるだろう。しかし、あゆの曲は、まだ「浜崎あゆみ」の手を離れられないでいるような気がしてならない。もちろん、「どんなときも。」のような曲を作ることがすべてではないし、それが良いことだとも悪いことだとも言っていないのだけれども。

しかし、これだけは言えそうだ。

あゆのライバルは、他でもない、「浜崎あゆみ」なのだと。

もし、あゆが、代表曲と言えるような曲を作ろうとするならば、それは、「浜崎あゆみ」を超えるような曲を作らなければならないのだろう。これは、とても難しいことのように思える。何故なら、世間の中では「浜崎あゆみ」は完成されてしまっているような気がするからだ。しかし、あゆはまだまだ「未完成」なのだ。

『Secret』で、あゆが「浜崎あゆみ」と初めて折り合いをつけられたのだとしたら、それはとても大きな一歩であるに違いない。


walking proud

2007-02-28 00:39:54 | AYU
※この記事は「2007年4月16日」に書いています。

これまで、表面上は、頑ななまでに“日付通り”を守ってきた当ブログですが、今回ばかりは、そんなこと言ってられません。3月10日から始まった『ayumi hamasaki ASIA TOUR 2007 A ~Tour of Secret~』。私は既にさいたまスーパーアリーナ公演に行ってきたのですが、そのことを書く前に、今回の件について書きたいと思います。

「あゆは口パク」発言にファン激怒!CD不買運動の動きさえ―香港

ファンならば、こんなことにはなるべく触れたくないというのが心情だと思いますが、逆に、ファンだからこそ、何かを言うべきだと思ったので、今までの頑なな“日付通り”を破って、書きたいと思います。だって、やっぱり、“実際にライヴに足を運んでいる人”こそ、今、物を言うべきだと思うから。

先に言っておきますが、私は、「口パク」を一概にNGだとは思っていません。演出上、どうしても必要なときだってあると思うし、国内アーティストに限らず、海外アーティストだって、その方法をとっている人もいます。でも、大事なのは、そういう口パク云々を超えて、結果的には、人々を熱狂させているということだと思うのです。もちろん、結果オーライで何でも良いと思っているわけではないですが、歌っていればそれで良いということでもないと思います。エンタテインメントとして、そのへんの線引きというのはとても難しいところであると思いますし、それに携わる人達は、日々そういった部分で戦っているんだと思います。

今回のことを、闇雲に「口パクじゃない!」と言って終わりにしてしまうこともできます。ですが、ファンだからこそ、一度冷静になって、見つめ直してみたいと思います。

私が、あゆの単独公演に行った回数は、「10回」です。そのうち、同じツアーのものもありますが、口パクかな?と思ったことは、一度もなかった……と言いたいところですが、そう言ってしまったら、嘘になります。本当はこんな野暮なこと言いたくないけれど、あゆが好きだからこそ、正直に書きたいと思います。今までライヴに行った中で、私の中で、口パクかな?と思った曲が、1~3曲ありました。もちろん、これは、私が間違っている可能性もあるので、どのツアーのどの曲かは書きませんが、演出上とても凝っていたものであり、歌うのが困難であろう状態かつ曲でした。ですが、それでさえ、もしかして?と思うレベルです。ですから、実際はちゃんと歌っていたのかも知れません。だとしたら、本当にあゆに申し訳ないのですが、ここでは、敢えて、自分の気持ちを正直に書きます。そして、その1~3曲も、そういうことを抜きにして、非常に私を興奮させるものであったことも付け加えておきます。

ですが、今回のツアーでは、口パクだなんて、一回も感じなかったし、考えもしませんでした。それを「3分の1口パク」ですか……。私が今まで10回行ってきた中でだって、もしかして?と思ったのは、1~3曲だというのに。それも、間違いかも知れないし。逆に、私が口パクに気づかなかったということも考えられるわけですけどね。

もちろん、その人がそう感じたのなら、それをとやかく言うつもりはありません。曲数がどうのこうのという問題じゃないのかも知れない。ただ、悔しいのは、それを聞いた、特にファンでもない人が、自分で見聞きしたり感じたりもせずに、「あゆは口パクなんだ」と思ってしまうことです。私だって、ファンじゃなければ、そうなのかなって思ってしまうかも知れない。

信頼は、壊すのは簡単だけど、築くのは大変だとよく聞きます。悲しいかな。こういう発言が、人が苦労して築き上げてきたものを、いとも簡単に傷つけてしまうのです。

「言うは易く、行うは難し」

今回のこと、あゆもスタッフもファンも、悔しくないわけがない。下らないと言って笑い飛ばすこともできるけど、みんな、「誇り」を持ってやっているんだもの。悔しさがないと言ったら、そんなの嘘になるよ。でも、一番悔しいのはあゆに決まっている。なのに、あゆはきっと、ファンやスタッフのことを真っ先に考えていそうだよ。

だから、あゆファンとして、まだまだの私だけど、これだけは声を大にして言いたい。

「あゆは、いつだって、全身全霊、心の底から、歌っている!」

だから私は、「浜崎あゆみ」を好きなんだもん。

でもね、これでますます、あゆ、やる気になっちゃったかもね(笑)。

以上、取り乱し気味の文章になってしまいましたが、当ブログのルールを破ってまで、書きたかったのです。

でもね、これを読んだら、吹き飛んじゃったというか、救われたよ。(特に最後の方ね)

http://blog.honeyee.com/mnoguchi/archives/2007/04/tour_of_secret.html

ミカジョン、ありがとう。
「ヒミツ」を教えてくれて。

やっぱり、私が告白した「ヒミツ」の1~3曲っていうのは、間違いだったのかもなぁ(汗)。
ちっ、あゆに騙されちったぜ。
いやいや、あゆ、ごめん。
出直してきます。

というか、あゆスゲー。

あのね、一回で良いから、あゆのライヴ、観てみなよ。

はっきり言って、ぶっ飛ぶよ。

さてと、私もがんばらなくっちゃ。