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日本外国特派員協会講演3

2008年07月31日 | 雲の日記
字数制限により質疑応答の続きを掲載します。


Q 次の裁判の勝算は。書記長、委員長時代にやりすぎたという発言があったが、今後、自分が過去にしたことまで含めて明らかにするつもりはあるか。

矢野 裁判については、東京高裁では勝てると思っている。一審では私も油断があった。相手の出してきた反訳をべースにたたかうつもりだ。
 学会および関係者に対する裁判はこれからのことなだ。この裁判を起こすに当たって、私は相当に悩んだ。手帳の裁判は学会相手の裁判ではないので。約半年にわたって検討してもらった。完全に勝てるという確信のもとに訴訟を起こした。これから、新しい事実もどんどん出てくるだろう。
 私が過去においてやりすぎたことは、この当時は、私は池田名誉会長に育てられ、ずいぶんとかわいがっていただいた。その当時の学会というのは、私にとっては本当に庶民の組織であり、もっと昔はただで動くのは創価学会員と地震という冗談があるぐらい、学会は本当にお金を集めない。そういう点がはっきりした会だった。
 昭和50年代後半から、財務というものが、私から言わせれば暴走しだした。そういったことについても、池田先生にはお世話になったという思いはありつつも、これでいいのかという。その過渡期において、学会にとって非常に危機的な重要な案件が次から次と出てきた。先ほど緩々申し上げたような事実。それについて、党側は、私として担当して、学会側とヤギノ?弁護士、そういった方々と、ほぼ1週間に3、4回打ち合わせをして、また情報を集め、大きな声では言えないようないろんな工作も、殺人とか泥棒とか謀略めいたことでないが、問題解決のためにいかに行政機関、政党に働きかけるかということが中心だ。
 大きな声では言いたくない。やりすぎたかなと思う。残念なことは、それでなんとか収まって、それでそれを教訓にして運営が改善されていくということであれば、あんまり後味のいいことではないが、それはそれで意味があった。しかし、先ほど申したように、昔の創価学会から変わってきた。そうすると、私は、その都度、やっかいなことを解決する便利屋にすぎなかったと。ま、そうなのかもしれません。もう一遍これは教訓にしてもらう昼用があると思っている。今後、機会があれば、どういう構造の元で、どのような創価学会の暗い部分があるか、私は中傷の意味ではなくて、客観的な意味で世間に知っていただいて、そのことによって学会が改めていただければ、それにすぐるものはない。
 いまでも学会員は大好きだ。もっと正しい運営の宗教団体になってもらいたい。なかば無理やりに選挙活動にかりだしていく。あるいは、なかば無理やりにお金集めを一生懸命やる。そして公明党という政治勢力を持って、政治に対してかなりの影響力をもっている。反対するもの、気にくれない者に対しては口を極めて悪口を言い、批判する。論争するなとは言わないが、悪口雑言。そういうものは外国でどのような扱いを受けるのか。そういうものは極めて危険な団体であると外国ではされている国もあると聞いている。
 内部で荒行、寄付もする。外部に対する強烈な働きかけをしないというのであれば、宗教の自由と。それでも行き過ぎということはある。そういう実態を特派員のみなさんにご理解いただいて、池田名誉会長は諸外国から名誉博士号や勲章をもらったりするのはおめでたいことだと。
 そのこと自体を批判するつもりはない。しかし、世界のSGIがロビー活動やるなかで、正しい実態というものが諸外国の方々、教育者の方々、マスコミに伝わっているのかどうか。
 一方的なロビー活動だけで、誤った判断だけで表彰しているのではないか。そのことを僕は批判しているわけではないか、やはり正しい情報・実態を知っていただきたい。創価学会はその批判に耐え、賞賛される組織になってほしい。

以上
“矢野絢也 日本外国特派員協会講演 全文掲載”




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