3月11日(金)のPM2時50分前? 突然激しい揺れに見舞われた。
私は、福島市にある会社社屋に居た。
実際にどれだけの時間揺れ続けたか分からないが、1分や2分で治まる様なものではなかった。
記憶が曖昧だが、強弱を繰り返しながら何十分も揺れ続けたかもしれない。
30年ちょっと前に宮城県沖地震を岩手県南(実家)で経験したことはあった。
その時も激しい揺れだったが、今回の地震は当時とは全く比較にならないほど、とにかく・とにかく激しい揺れだった。
会社社屋は、鉄骨作りの2階建て。
倒壊しないことを信じて、そのまま屋内(2F)に留まり、重要な物を机ごと必至に押さえつけながら、激しい揺れに耐え続けた。
ある程度揺れが治まった所で、部屋の中を一通り確認したが、スチール製の戸棚などが崩れ落ちて、一部ガラスが割れて散乱するなどメチャクチャな状態。
幸い最重要物は難を逃れたが、しばらく言葉を失った。
強い余震が続く中ではあったが、外に出て辺りの様子を確認した。
明らかに火災と思われる黒煙が南方方向から上がっているのが見えた。
同方向に高速道路が通っているのだが、そちらに目を向けると、なんと車が走っているではないか! どうみても危険だ! なぜ停止しない? 停止するんだ! 停止しろー!!(心の中で叫んだ)
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自宅も心配。
たまたま妻が休みだったので、自宅にいるはず。
慌ててケータイで呼び出しを試みるも接続不可。(メールもだめ)
そうこうしているうちに、妻から電話が掛かってきた。(たまたま電話が通じた感じ)
子供は、普段よりも下校時間が早かったらしく、全員自宅にいて無事との事。
自宅の状態を尋ねたところ、
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・食器棚からガラスや陶器製の食器類が床に落下し散乱している
・2Fのトイレのタンク(陶器製)が割れて水びたし
・クロスが何箇所かひび割れ
・一番心配だった電気温水(外に設置)は、転倒していない(セーフ)
・その他は、大丈夫かも
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この後、重要なものだけを余震の影響を受け難い状態にしてから、PM4時半頃に会社を後にした。
私の自宅は会社から更に東へ向かったところ。(走行距離は20km弱)
車で戻るにしても、停電による影響で信号機が全く機能していない。
比較的田舎道を辿ったが、それでも交差点付近は、のろのろ運転が続く。
車でラジオとTVで情報収集すると、被害の甚大さに唖然。
相馬に7.5mの津波だとか、仙台空港に津波が押し寄せているとか・・・
本当に想像を絶する状態となっている様だった。(この時、もっともっととんでもないことが起きている事など知る由も無く・・・)
なんとかPM5時過ぎぐらいに自宅に到着。
なぜか妻がいない。 どうやら実家の様子を見に行った様だ。
とりあえず、自宅周辺を点検。
やはり妻から連絡を受けていた通りの状態。
それでも、家全体には大きな損傷はなかったので、内心ホッと・・・
しかし、この後が・・・・・
ライフラインは完全に寸断された。
電気も水道も電話もダメ。 ケータイ電話であっても役に立たない。
食料と飲み物は、ある程度蓄えがあったので、1週間ぐらいは大丈夫。
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まだまだお伝えしたいことはあるが・・・・・
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本日、3月14日(月)のAM1時ごろ? とりあえず、電気が復旧。
これで、ケータイ電話のバッテリーの充電が可能となった。
水道の復旧は、早くて今週末らしい? 実際のところ、その信憑性は???
水が出ないとトイレが大変。
今日は、家の片付けを優先させて会社を休んだ。
掃除機が使えるようになったので、一気に片付いた。
明日は出社するつもりだが、ガソリンが残り少ないので、正直厳しい。
多くの人は、ガソリンを求めてガソリンスタンドは長蛇の列。
各スタンドは、今日でほとんどすっからかん???
この先も、ガソリン不足が続くようなら輸送システムが機能しなくなるので、本当に大変なことになるのでは???
食料そのた生活必需品は品薄状態になるのは必至。
仕事にも影響が! 出勤できず会社そのものが全く機能しなくなり、体力の無い会社はどうなる???
最後に、安否を心配して連絡をくださった方々には、この場をかりて改めて御礼申し上げます。
最後の最後に・・・
今回の震災で、多数の方々がお亡くなりになられましたこと、心よりご冥福お祈り申し上げます。
それから、沿岸部の方々を最優先で救済して欲しいと切に願っております。