ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

「ケアマネジャーの存在意義と今後のあり方」(『ケアマネジャー』7月号掲載再掲、中央法規出版)

2008年06月30日 | 論説等の原稿(既発表)
 中央法規出版から出している『ケアマネジャー』が100号を記念して、ケアマネジャーの意義について書いてくれるようにとの依頼を受けた。100号とは、約8年の歴史であり、介護保険制度にケアマネジャー(介護支援専門員)を制度として導入することを契機に、始まったものである。

 この間、私のケアマネジメントに対する考えや思いと、現実の介護保険の中での現実との間で、いらいらすることも多々あった。その時は、いつも、利用者を中心に据え、本来は制度の改革を求めるべきところを、時にはケアマネジャーに無理強いをすることも多かったのではないかと反省している。

 ケアマネジャーへの、100号を記念してのメッセージは、次のような内容であり、「生活を支える」原点に回帰することを訴えた。7月号からの再掲である。

 なお、これに先だって、鹿児島国際大学の古瀬徹先生のブログ「社会福祉学何でもありBLOG」で、この原稿内容を取り上げて頂きました。心からお礼申し上げます。

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「生活を支える」という原点への回帰を

 これこそがケアマネジャーの仕事だと、その神髄を感じたことがある。平成16年10月23日午後5時56分に襲った新潟県中越大震災でのケアマネジャーの利用者への対応である。

 多くのケアマネジャーは自らも被害に遭い、ライフラインが閉ざされていたにもかかわらず、翌日の日曜日にはほぼ全員の利用者の安否を確認し、必要に応じケアプランの変更までもしていたことが現地調査から分かった。理論的には、生活状態に激しい変化が生じたわけであるからモニタリングが不可欠な状況であり、上記のような結果を願って現地入りしたが、見事にそれが成就されていたことに感激したのを今も鮮明に覚えている。

 これが意味するのは、ケアマネジャーは公的サービスに結びつけるだけの仕事をしているのではなく、まさに利用者の「生活」を守るキーパーソンであることを明らかにしたものである。さらに、ケアマネジャー自身が利用者宅や避難所を回るだけでなく、民生委員、ヘルパー、家族からの連絡によりほぼ1日で安否確認ができたことは、日頃から個々の利用者のネットワークを確立しており、緊急時にそれが機能したことを意味している。

 ケアマネジャーという仕事は、健康を取り戻せない人々が増えてくるなかで生まれてきた。たとえ治らなくとも、利用者が生き生きと在宅生活を過ごせるよう支援していく使命をケアマネジャーはもっている。そうした意味では、中越大震災での活躍を含めセーフティーネットを支えるものとして、その存在意義は極めて大きいものがある。

「おもしろくない」原因は

 ところが介護保険制度改正以降、「仕事がおもしろくなくなった」と言うケアマネジャーが多い。実際に、ケアマネジャーから元職に戻る傾向も強い。ケアマネジャーがおもしろくないと思って仕事をしているのであれば、そのケアマネジャーを介してサービスを利用している高齢者やそのご家族にご迷惑をかけることにはならないかと案じる。

 「おもしろくなくなった」主たる原因は、利用者の足に靴を合わす仕事から、靴に足を合わす仕事に戻ってしまったからではないかと考えている。口酸っぱくなるまで言っていることだが、ケアマネジメントは利用者のニーズに合わせて介護保険サービスやその他の社会資源を結びつける、利用者の足に靴を合わせる仕事であるということである。
 
 現状のケアマネジメントは、利用者のニーズを満たすことでQOL(生活の質)を高めるという本来の目的のほか、財源抑制という狙いを担わされてしまっている側面がある。特に介護予防においては、介護保険財源抑制のあおりを食って、あるいは財源抑制の使者としてケアプランを作成することから、既存のサービスに利用者をあてがう──靴に足を合わす──ことが起こっているのでないかと分析する。そのため、サービス量を減らした際に、利用者にその理由を尋ねられても、適切に答えられないのではないかと案じる。こうしたことにより、ケアマネジャーと利用者との間で築かれた信頼関係が崩れていっているのではないだろうか。利用者にはケアマネジャーが国や保険者からの回し者と映ってしまうかもしれない。こうした事態に遭遇するなか、ケアマネジャーの仕事がおもしろくなくなっていると考えるがいかがであろうか?

ケアマネジメントの原点に戻ろう

 この「おもしろくない」状態を打破していくためには、再度、足に靴を合わすというケアマネジメントの原点に戻ることが大切である。同時に、予防という美名のもとで、利用者のサービスのメニューや量を減らすのではなく、予防という視点で利用者の能力や意欲といったセルフケアを可能な限り活用していくことを含めて、必要なサービスを提供していくことが求められている。

 これはケアマネジメントの基本である、利用者のニーズに合わせた支援をすることであり(ニーズ・オリエンテッド・アプローチ)、既存のサービスに合わせて支援することではない(サービス・オリエンテッド・アプローチ)ことを、再度確認することである。その上で、例えば、要支援での週1~2回の訪問介護サービスでは、セルフケアを活用しても、なおかつ利用者のニーズを満たし得ないとすれば、ケアマネジャーが組織として国や地方自治体等に働きかけ、制度自体の改正を迫っていく必要がある。

 ただし、予防ということは大変難しいことであり、利用者の意識を変えたり意欲を高めるには、時間をかけて作り上げる信頼関係が不可欠である。同時に、人々の意識や意欲の根底にある価値観を変えることまでは、ケアマネジャーの仕事ではない。すべての利用者の意欲が高くなったり、意識が変わるわけではないという自覚も大切である。しかし、利用者の意欲や意識は変わる可能性があり、そうした機会をできる限り提供していこうとする姿勢が大事である。

 来年は介護報酬が改正される。居宅介護支援事業者が最も赤字比率が高いという調査結果が出ている。ケアマネジャーの介護報酬を大幅に上げることで、ケアマネジャーの職場での自立性を高め、専門性を一層向上させる礎を築くことが当面の課題である。

 一方で、本当にケアマネジャーの仕事は利用者一人に対し1カ月を単位とする報酬で行うものでよいのかと自問している。介護報酬といった、いわば時間を切り売りする──語弊はあるが安っぽい仕事ではなく、個々の利用者がいかに生きていくかを支えるという、極めて厳粛で、利用者によっては昼夜を問わず時間と手間のかかる重たい仕事である。その意味では、ケアマネジャーが安定した給与を保障されるなかで、この厳かな仕事を遂行できるようになることを望む。かなわぬ夢であろうか。

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして。 (2年目MSW)
2008-06-29 14:40:18
はじめまして。
2年目の医療ソーシャルワーカーです。
白澤先生がブログをやっていたなんて!
と嬉しさと驚きで、拝見させていただきました。


まだ、偉そうなことを言える経験なぞ何もない自分ですが、日々、仕事の中でケアマネージャーさんと関わる際に、思うことがたくさんあります。


協働作業、という意識が置き去りにされ
サービス調整がビシッと出来れば、素晴らしいケアプランができれば、それでOKなのだ、という方に出会うと、悲しくもあり、反面教師として、自分はそうなることなかれ、と思います。


どんな素晴らしいケアプランも
利用者の心に届かないのでは
どんなサービスも意味のないものになってしまうのではないか、と思わされるケースに今までに何度も出会いました。


利用者が、必要だと思うフェルトニーズと
○○が必要だ、という援助者側のノーマティブニーズ


この両者をすり合わせる作業
キャッチボールをしながら、テーブルの上に置かれた
ものをお互いが共通認識する作業・過程を経ることなくして「援助」などと語ることなど、恐れ多いことだと思うのです。


援助の過程の中で、
おそらく、サービスを調整し、結び付けていくことは
10あったとしたら、そのうちの1くらいなのかと思います。


重要なのは、いかにして
利用者のニーズを感じて、掴まえて、咀嚼して
言語化して返していく、という
その過程を繰り返し、積み重ねることで、
援助の過程で、関係性は構築され、
それで、やっと、協働作業の第一歩が踏み出せるのでは、と思います。


私は、医療機関で働くソーシャルワーカーですが
身を置く場所が変わろうとも、ソーシャルワークの本質は変わらないと思っています。


上記で述べたことを、自分が出来ているかと言ったら
まだまだまだ、全然ですが、常にそういった意識を持って、自分の相談援助職としてのコアをきちんと持って仕事をしていきたいと思っています。



長文・乱文、申し訳ありません。
どうしても日々の疑問を、お聞きしてみたい、聞いていただきたいと思い書き込みをさせていただきました。
お目通しいただき、どうもありがとうございました。

ご多忙と存じます。
お体、ご自愛ください。
著書、楽しみにしています。
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ケアプランって? (どりーむ)
2008-06-29 16:47:24
2年目MSWさん

「すばらしいケアプラン」ってどういったプランなのでしょう?
私が思う「すばらしいケアプラン」は、2年目MSWさんの言葉を借りれば、利用者との協働作業により利用者の心に心に届くケアプランです。

ケアマネ側の勝手な思いでのケアプランも困りものですが、せっかく利用者と協働作業でよい関係ができているにもかかわらず、書面に書き表すことができずにいることが多いのも現実です。

私は、ケアプランはアセスメントの結果の記録として、形として「すばらしい」ものであることも大切だと思っています。そして、ケアプランを継続して作成していくことで、その方を知らない人も、その人の生活がイメージしていけるようなケアプランが立てていきたいと思っています。

(すみません・・・。ちょっと、自分がケアプランに拘っているので、書かせて頂きました。)


返信する
すばらしい「ケアプラン」とは (白澤政和)
2008-06-29 19:49:26
 私のケアプランに対する思いは以下の通りです。ご意見下さい。

 ケアプランは、利用者と一緒に作ることが大切です。とりわけ、ケアプランに先立つ(実際は後になる場合もある)今後どのような生活をしていくのかの大きな生活目標を一緒にたて、次に生活の課題(ニーズ)を一緒に考えることです。しかしながら、これが難しいのです。

 利用者の考えについていけない、利用者が思いを発言してくれない、認知症等でニードを言ってくれない、家族と本人の考えが違う、本人と事業者の考えが違う、といったことが生じます。そこで、両者で一致したケアプランを作ることで苦労するのです。あるいは、このことが専門性ですし、面白いところでもあります。

 そのため、私は、利用者に「見てもらいたい」と思うケアプランを作りましょう、とよく言います。

 もう一つは、以前の相談は、サービスをあてがうような相談が多かったと言えます。具体的には、まず、どのような社会資源が地域にあるかを捉え、そのようなサービスを使われたらいかがかという相談です。そのために、私は、利用者の困っていることやしたくてできないといったニーズから捉えることで、ケアプランを作ることが大切だと思っています。そのため、現在、介護保険で使っているケアプラン用紙である「居宅介護計画書(2)」とほぼ同じものを私が20数年前に作ったのです。だから、厚生労働省は、パクッタとも言えますが、逆に良い用紙なので使ってくれたと考えています。

 さらには、ここでは言いませんが、利用者の良さを活かしたケアプランが大切だと思います。そうすれば、利用者に渡したくなりますから。

 さらに、こうしたプランを、分かりやすい表や文書にするよう苦心してきました。その理由は、利用者にも分かってもらい、自らの役割を理解してほしいからであります。さらに、社会からも、ケアマネジャーや社会福祉士(ソーシャルワーカー)の仕事を理解してもらうことが大切であると思っています。そうでないと、こうした専門職の仕事を広く社会に伝えていけないからです。

 以上ですが、私は、地域を変えるケアプラン用紙を検討中です。但し、これも手段なり道具であり、地域住民と一緒に作成することが基本です。

 なにか、講義のようになりました。失礼しました。
返信する
ありがとうございました! (二年目MSW)
2008-06-29 21:23:09
>>どりーむさん
ありがとうございます。
言葉足らずで申し訳ありません。

すばらしいケアプランは、
「傍から見て、その方のニーズに対し、必要なものが揃えられている」という意味で使わせていただきました。
私自身、ケアマネージャーとしての経験はもちろんないので、自身で定義する「すばらしいケアプラン」についての言語化は出来ていません。


関係が築けていても
ケアプランを作る、という
互いの目に見えるものを作る、可視化する
というところの難しさというものがあるのかなぁ
と、どりーむさんから頂いた言葉を見て、思いました。

日々、そういったところまで、想いを馳せることがないので、自分の中の装置としてのとっかかりを増やすきっかけになりました。
どうもありがとうございます!
そして、偉そうにすみません。


>>白澤先生
ご教授どうもありがとうございます。


ケアプランについては、私自身まだまだ未熟なため、
これから勉強していかなければいけないと思ってしますし、そこに関わるケアマネージャーさんたちの想い、拠って立つところが、どういったものなのか、ということにも、歩み寄り、理解していく・教えてもらう、という姿勢を持って仕事をしていきたいと思って
います。


いつも疑問に思うのは
援助関係を築く、ということを考えたとき
何が、最初の一歩なのか。ということです。


関係性というのは、ケアプランを作る過程で、築かれていくものなんでしょうか?
継続して、作成していくことで、強化されていくものなのでしょうか?
関わりの時間が、関係を強化し、協働作業を確固たるモノにするのでしょうか?



「○○さんは、私がいらないというのに手すりをつけるのを勧める」と話せれた方。
ケアマネージャーが、「相談に乗ってくれる人」という認識のない方。

ヘルパー、訪問看護師さんが入りましたが、退院後一月も経たず入院され、暴飲暴食をし、利尿剤を飲んでおらず、「電動車椅子だけ借りれればいい。ヘルパーも看護師も必要ない。」とおしゃった方。
話を伺うと、ケアマネージャーがケアプランを作り
それに則って、サービスが組まれていることも
ご存じありませんでした。


もちろん、こういうケースばかりではありませんが、ケアプランはある。進行形の関わりもある。
ですが、実際は、利用者と、援助者の間には乖離が起きている。
「必要のないものを、押し付けられている。
私はいらないと思っているのに。」
というケースもあることは確かです。


そのたびに、自分にも問う意味で、
協働作業、とは一体何なのか。何ありき、なのか。
と思うのです。

ニーズをズバッと見抜いて、サービスをあてがう。
これを成すことも、非常に技術のいることだと思います。ですが、それだけじゃない。それが全てではないと思うのですが、今の自分にはうまく表現できません…。


今感じている疑問を、きちんと言語化し、実践に結び付けていけるように精進していきたいと思います。


2年目のぺーぺーが偉そうにすみませんでした。
ですが、若輩者が感じる今を、大先輩方にぶつけることで、それは違うということや、気づかされること、教えていただくことは、非常に大きいものだと思っています。
どうもありがとうございました!
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ケアマネジメントもソーシャルワークもパーソナルな支援 (白澤政和)
2008-06-29 22:31:48
 ケアマネジメントもソーシャルワークも対人的な支援です。そのため、利用者との関係性が重要です。

 ただ、これが必要不可欠であるが、これだけでは質の高い支援にはならないと思う。そこに、向かうべき目標が必要です。これについてはplaned changeということで、ブログに書いてありますので、御覧ください。
返信する
『ケアマネジャー8月号』 中央法規出版 (高木知里)
2008-07-02 21:04:40
いつもお邪魔しております。高木です。
ケアマネジャー 7月号 ってタイトルに反応して書きこみさせていただきます。実は、私の所属している介護支援専門員協会(最上支部)が『ケアマネジャー8月号』 中央法規出版 に 支部紹介されます。副編集長 柳川さん、カメラマン 横山さん が支部研修会に取材に来ていただきました。
今年度の支部研修会は「原点に帰ろう」ということで 実務研修テキストにあるような事例をアセスメント、サービス担当者会議、プラン作成などをグループで行っています。ただ、その打合せを行っていたときに、モニタリングまで研修したら、最後は講師をお呼びして研修したい・・。との声がありました。
そんな時に山形県介護支援専門員協会で研修担当をさせていただくことになり「白澤先生」に講師をお願いしたい。と提案させていただきました。「白澤先生を介護報酬改定前に山形にお呼びしたい」と私に気づかせてくたのは支部活動でした。会員の声なき声を形にできたかな?などと思っています。
偶然ではありますが、7月号に白澤先生の「原点回帰」が掲載され、8月号には私の支部活動が紹介されることを小さな支部活動と白澤先生が繋がっているようでうれしくなりました。そして、白澤先生が常に先々をみていらしゃることに当たり前ながら敬服しております。
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お会いすることを楽しみにしています (白澤政和)
2008-07-02 22:38:09
 先を見ているわけではありません。

 私は単純な人間だと思います。その単純さは、利用者やその支援者が大切にされることが大切であると願っており、それを文章にしているだけだ思います。

 山形でお会いできることを、楽しみにしています。
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