原孝至の法学徒然草

司法試験予備校講師(弁護士)のブログです。

法とは何か…

2011-02-27 | 日記
何をいきなり…,というタイトルですが(笑)

ゆうべは,土曜の夜ということもあって,久しぶりにドラマにハマってしまいました。タイトルは,「遺恨あり~明治13年最後の仇討」。原作は,吉村明「最後の仇討」(新潮文庫「敵討」収録)のようです。番宣をホームページからちと引用すると…

その刃は「武士の美徳」か「殺人」か 明治維新の激動期、「仇討」は単なる「人殺し」と見なされた…

こういう内容。要するに,江戸の時代,両親を殺された武士の倅が,明治の時代(維新後)になって,その仇討をし,(第一級)殺人罪に問われる,というもの。仇討は,武士の美徳であったが,維新後の近代法治国家においては,単なる殺人罪。判事は,仇討という前法治国家的習俗に終止符を打つために,新しい「規範」を提示するために,厳罰をもって臨もうとする。しかし,それは長く我が国に根付いた「規範」(武士の美徳)に反するものであり,世論は反発し,人々は仇討を遂げた武士の倅を賛美する。そして,判事はいわばその「二重の規範」に苦悩する…。

判事が主人公の話ではないのですけどね。ここでは,あえてそういう観点から。

多くの受験生の方と同じく,私も法哲学・法思想には精通していません。そんな私でも聞いたことのあるのが,「法は最小限度の道徳である」という言葉。あるいは,「法は道徳の具体化である」とも言われるでしょうか。

では,翻って考えてみると,道徳って何なのか?誰が決定するのか?

非常に素直に考えると,道徳とは,「国民感情が良しとするもの」かなぁ,と思います。少なくとも,現在,刑事裁判においては「裁判所は,国民の処罰感情に照らして適正・妥当な刑罰権の行使をするもの」と考えられているはずですから。そして,そこにいう国民感情を判断する時的な基準は,現在(すなわち,その時)ということを想定しているのでしょう。

とすると,このドラマの判事はどうすれば良かったのか?近代化に向けて前進せねばならないという自らの信念に従って死罪(死刑)判決を下すべきなのか,あるいは,国民の世論を汲んだ判決を書くべきなのか…。注)私は日本史・法制史にもあまり精通していないのですが,どうやら,明治維新の後,仇討禁止令というものが出されて,仇討は第一級殺人罪として死罪とする,と規定されたらしい。

普段は,ドラマを見てあれやこれや考えないのですが(例えば,「24」を見ても捜査手続きの違法性は考えません:笑),刑事裁判修習で裁判員裁判を多く傍聴して,上記の点について考えてしまいました。裁判員裁判は,国民感情を判決に反映するというのも一つの目的(というか,最大の目的か)。この事件,殺人事件ですから,現在の制度では裁判員裁判になる。もし仮にそうなったら,どうなるのか??法律家の信念と国民の意思が明らかに対立した時,法律家はどのような判断をすべきなのか…?学部時代の恩師が,「法律家は法を忘れた時に,はじめて一流の法律家になる(≒法律家の判断・思考が法律云々を抜きに誰もが納得するものであってはじめて,その者は一流の法律家である)」とおっしゃっていたのですが,当然,私はその境地に達するはずもなく…。

こういう話を見ていると,故加藤周一先生が雑種文化論を提唱されたのもわかります。「民法出でて忠孝亡ぶ」とも言われたこの時代の法律家は,現在の法律家よりも繊細なバランス感覚が求められたのでしょう。

その他,このドラマ,旧刑事訴訟法にちゃんと従っていたのでしょうか,現在の刑事訴訟法と比較すると実に面白かったです。まずもって,判事が自ら捜査するという糾問的捜査観。法廷は,



こんな感じ(ちなみに,写真は札幌高等法院を再現したもの。大通り公園の突き当りにある市立博物館に当時の法廷を再現した部屋があって,昨年の夏に札幌に行った折,写真を撮ってきました。その建物,日本国憲法施行後は札幌高等裁判所として,昭和50年くらいまで使われていたそうな。現在,札幌高裁は移転して別のところにあります)。この法廷で,殺人ではあるが単独体(現在ならもちろん合議事件)で審理がされていて,もちろん公判は非公開(笑)そして,もちろん弁護人はいない(現在なら必要的弁護事件:笑)。判事が自ら起訴状を朗読して,罪状認否をさせ,被告人が「間違いありません」と告げると…

「では,本日はこれで閉廷する。判決は,次回言い渡す」

(笑)

おいおい,証拠調べはどうした?「次回」って,期日は決めないの??

我々からすれば,あまりにも非常識なのですが,当時はそれが常識だったのでしょうね。法は道徳や常識を具体化したものである,これ自体正しい考え方だと思うのですが,その道徳や常識が不明確だし変化しうるものなので,「法とは何か」という問題はすごく難しいのでしょう。

実に,「徒然なるままに…」書いてしまいました(笑)

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (今度から慶應のあいつ)
2011-02-27 23:47:54
また、書き込みさせていただきます。

法とは何か
そういうタイトルの本があります。早稲田の法哲学者の渡辺洋三先生が著者ですが、D大入学前に読んだ方がいいと薦められて読みました。そこでは、「法とは何か、法とは正義である」と書いてあり、なんとなく「おー、かっけー」と思ったのを思い出しました。
返信する
Unknown (はら)
2011-02-28 22:26:49
嗚呼,読んだことない…。司法試験やってると,実定法ばかり勉強しますからねー。法哲学・法思想なんかも,本当はもっと勉強するべきなんでしょうけれど…。

法とは正義…。

なるほど。では,正義とは何ぞや??

やはり,「法とは何か」という問いは難しい…。
返信する
はじめまして (53虫)
2011-03-02 14:53:54
はじめて投稿させていただきます。
「法とは何か」。大学の頃を思い出します。

日本で法学部の教育といえば「法から学ぶ」、演繹的なものがほとんどですよね。これに対しアメリカの大学では帰納的に「法とはどうあるか」を学ぶ機会が積極的に与えられるそうです。(←他人から聞いただけなので不確か。)

日本でも「法とは何か」を学ぶ機会を増やせば何か変わるのかもしれませんね。そうすれば「議会は踊る…」というような政治もマシになるのでしょうか。ともあれ今は司法試験受験にむけての勉強を頑張りたいと思います。

私はスタ短特訓講座で先生にご指導いただいていました(DVD)。何度も「そうだったのか」と目から鱗のようなものが落ちてきました。本当に感謝しております。

と同時に、先生が司法試験予備校の教壇を一時とはいえ退かれたことが残念でなりません。もっと先生の講座をとっておけばよかったと後悔しています。

具体的科目や法律の勉強法の一つ一つをここで質問することは難しいとおもいます。そこで勉強全般について、はら先生の勉強のツボ=ポイントがあれば教えていただけないでしょうか。また、「はら先生のような」司法試験予備校の講師になるにはどうすればよいのでしょうか。
返信する
Unknown (はら)
2011-03-02 19:48:29
53虫さん,はじめまして!スタ短特訓のご受講,ありがとうございます。

全くその通りで,日本の法学部の授業って,そういうもんなんですよね。私も,学部時代,ホントさっぱり法律学がわかりませんでした(涙)そういう経験をしているので,法学教育はどうあるべきか,非常に興味を持っている点でもあります。

勉強法,はい,ちょこちょこ書いていきます。有益な内容になればいいな,と思い書いていきますので,チェックしてみてください。

司法試験予備校講師,「私のような」と言われると恥ずかしいのですが(笑),まずは,合格してもらって,合格者講義に手を挙げる,というのがスタンダードな入口だと思います。よくあるのは,「上位○番の答案」みたいなシリーズですかね。そうでなくても,何か自分なりの勉強法なり,答案作成法なり,成功体験をテーマとして6~12時間くらい話すネタがあると採用されやすいと思います。自分が使ったノートなんかをレジュメ(テキスト)にするのも喜ばれるので,そういったものは試験が終わっても捨てずに持っておくのがポイントです。通常,司法試験予備校では,合格発表の直後に「仕事説明会」なるものが開催されるので,そこでスタッフを捕まえて,「私はこんな話ができる」とプレゼンする準備ができているといいと思います。その合格者講義の評判が良ければ,修習後に声がかかる,というパターンが多いんじゃないかと思います。

「私のような」って言われるとどうなんでしょう??私は上位合格者ってわけでもないので,その点を自分のセールスポイントだとは思っていません。自分がかつて誤解していた,よくわからなかった点をよく把握しておいて,そこを筋道立てて話ができるようには心がけています。また,添削をしている時に,ただ添削するんじゃなくて,受験生が間違えるポイントをノートに書いていったりしていました。要するに,「かゆいところに手が届く」話をするために,その「かゆいところ」を常にネタとしてストックするようには努めています。

私は「一発上位合格」という「切れる」タイプではなく,司法試験に苦労したので,それを活かす,というんでしょうか。それも個性であっていいと思うんですよね。上位合格者には気づかない点を話してやろう,そんなふうにどちらかと言えば強みにならない点を逆手にとってプラスの方向に作用させよう,と思っています。

あと,何だろう。あえて,他の講師よりも長けていると自信を持てる点は,10年間講師業をやってきた講義スキルであると思います。話すテンポや,板書や…。

…と,いろいろ書いてきて,一番大事だと思うのは,講義をすることが好きかどうか,熱を入れてやれるかどうか,ってことでしょうか。「好きこそものの上手なれ」っていうのは,やはりその通りだと思います。

受験生の間にできる準備は,しっかりと理解を深めておくことは当然として,成功体験と失敗経験を区別して,話せるようにしておくことでしょうか。とにもかくにも,まずは合格です!

最近は,新司世代の講師も増えてきて,活気がありますよね。大学受験予備校の勃興期もそうだったようですが,多様な講師が登場して切磋琢磨するようになると,全体のレベルアップにつながり,マーケットそのものを拡大させていく原動力になります。その意味では,とても良いことだと思います。

53虫さん,では,いずれ講師として競り合いましょう!
返信する

コメントを投稿