Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

小泉改革と医療崩壊

2007-11-13 | 構造改革
 昨日(11/12)、関西テレビ(大阪、フジ系列)で、今年8月、奈良で起こった産科タライ回し事件を扱っていました。例によって、医療関係者の側を叩く一方的な報道だったので、ちょっとここで、振り返ってみることにします。

病院「たらい回し」で流産 赤江「救急体制に不備はなかったの?」:スーパーモーニング:J-CAST テレビウォッチより、
2007/8/30

また出産をめぐり病院タライ回しの悲劇が繰り返された。11病院に拒否されたあげくに、救急車が不運にも交通事故に遭遇、流産した悲劇を取り上げた。「救急体制に不備はなかったのでしょうかね?」(赤江珠緒キャスター)。
小児科、産科はなり手がない

報道によると、橿原市の消防の問い合わせに対し「処理中」「満員」との理由で、11の病院が受け入れを「拒否」した。

しかし中には、最初に問い合わせを受けた奈良県立医大病院のように、産婦人科には空きベッドあった、というケースもあった。さらに一般救急を原則受け入れていない高度医療を行う大阪府立母子保健総合医療センターも空き病床があったのに「拒否」した。

それぞれ拒否の理由を挙げるのだが、いずれも欠けているのは、病院、医師ほんらい自覚すべき、命にかかわる患者への基本的な責任。とくに呆れたのは、深夜にかけずり回って病院探しをしている「救急患者」に「一般救急は受け入れていない」という大阪府立母子保健総合医療センターの紋切り型の対応だ。


 スーパーモーニング(8/30)は、奈良で起こった産科タライ回し事件をこのように扱っていました。病院、医師、医療センターという医療サービスを提供する側を、叩いて事足れりとするまさに「紋切り型」の報道です。他のワイドショーでも、ほぼ同様だったのではないでしょうか。

 「やる気のない医療関係者が、妊婦を見殺しにした」という構図は確かに分かりやすいけれど、それはどうも実態とは違うような気がします。以下は、J-CASTニュース。

 
J-CASTニュース : なぜ産科医は患者を断るのか 出産費用踏み倒しに「置き去り」

妊娠しても産婦人科に行かず、陣痛が来て救急車で病院に運ばれる。これを産科医の間では「飛び込み出産」といい、こうした例が増えているらしい。ただ、妊婦の状態などの情報が全くないため「責任が取れない」と、受け入れを断る産科医も多い。さらに、「飛び込み出産」の場合、出産費用を踏み倒したり、赤ちゃんを病院に置き去りにする可能性が高いというのだ。そうした中、奈良県で、かかりつけの産科医がいない妊婦 (38)が救急車で運ばれ、受け入れる病院がなく、死産するという「事件」が起こった。
定期健診、かかりつけの産科医なし?

奈良県の「事件」は、橿原市に住む妊娠7ヶ月の女性が2007年8月29日午前2時45分頃、スーパーで買物中に体調を崩し救急車で搬送された。救急隊は12の病院に延べ16回受け入れを要請したものの「他の分娩で手が離せない」「責任を持てる状況ではない」などの理由で断られた。女性は午前 5時頃に死産した、というもの。「なぜこんなにも受け入れ拒否をするのか」と、メディアは拒否した病院や、国内の産科医不足、セーフティーネットの脆弱さを非難した。

奈良市にある「高の原中央病院」の齊藤守重理事長は、この女性が妊娠7ヵ月ということを知り「あれ?」と思ったという。当然、定期健診を受けねばならないし、分娩の予約は妊娠4ヶ月でも遅いほう。それなのにかかりつけの産科医すらいないというからだ。そして、

「全国的に産科医が不足していて、いま分娩を担当している先生方は、予約のある救急患者を24時間ぶっ通しで診療しているようなもの。そこへ何の情報もない妊婦が運ばれてきたら、もうパニックですよ」

と、緊急で妊婦を受け入れるのは難しい状況だと話す。
妊婦8人のうち出産費用を払ったのはわずか2人

朝日新聞の07年8月26日の記事(神奈川県版)によれば、妊娠してから一度も検診を受けず、陣痛が来てはじめて救急車を呼ぶ「飛び込み出産」が増えているとし、

「赤ちゃんが逆子なのか、どれぐらいの大きさか、どんな感染症を持っているのかもわからない」

という医師のコメントを紹介。これでは責任が持てない、と診療を断る病院が多いと書いている。また、これとは異なる病院側のリスクとして、神奈川県立子供医療センターの例を挙げている。

「1~4月に来た飛び込み出産の妊婦8人のうち、出産費用を払ったのはわずか2人しかいなかった。なかには生まれた赤ちゃんをおいていってしまった女性もいたという」

これまで「飛び込み出産」は不法滞在の外国人や、10代で妊娠したために親に相談できなかったなどの事情がある妊婦だったが、最近はほとんどが日本人なのだそうだ。こんなことが続くのなら、ますます受け入れ拒否の病院が増えていく。奈良の妊婦死産「事件」の背景と、こうした実態は無関係とは言えないだろう。


 「妊娠しても産婦人科に行かず、陣痛が来て救急車で病院に運ばれる。これを産科医の間では「飛び込み出産」といい、こうした例が増えているらしい」とJ-CASTニュースは報じています。

 「ネットゲリラ」さんも、「爆弾妊婦の自爆テロ」で、以下のような病院側の嘆きを伝えています。
「病院や役所ばかり責められるけど、妊娠六カ月まで医者に行かない妊婦がそもそも悪い」
 札幌市内の総合病院の産婦人科で働く四十代男性医師は、奈良の女性の自己責任を問う。
 奈良の女性も、札幌で五回以上断られた女性五人も、全員に産科受診歴が無かった。
 「妊娠したかなと思ってから出産まで約二百八十日。その間、一度も受診しないというのは確信犯ですよ」。札幌市産婦人科医会の遠藤一行会長も語気を強めた。
 遠藤医師が「確信犯」と嘆く患者の大半は国保の保険料が未納、または無保険者という。
 保険料未納なら、失業や災害など特別な事情がない限り一時金は差し止められる。保険を使えないので妊娠しても産科にかからず、陣痛が始まってから119番通報する。
 「救急車に乗れば必ずどこかの病院に行けますから。無事産んだら、退院する段になってお金がない、と。ひどい場合は子供を置いて失踪する。病院はやってられませんよ」。遠藤医師は嘆く。


 どうやら、国保の未納者、または無保険者が、保険を使えないので妊娠しても産科にかからず、陣痛が始まってから119番通報するという事情があるようです。奈良の女性の場合も産科受診歴が無かったそうです。

 こういうことは、人のプライバシーにかかわることであり、また、結果的に死んだ人に対する批判になるので、テレビ局は、あまり触れたくないことなのかもしれません。(それとも、何の事情も調べずに適当なことを報道しているのか)

 しかしながら、一方的に医療関係者を悪者にしてすましているテレビ局のいい加減さについては、もっと、批判がなされるべきでしょう。

 「飛び込み出産」が増えたのも、小泉改革による国民の貧困化が遠因にあります(改革論者からは、何でもかんでも改革のせいにするなと言われそうですけど)。貧困層はすでに保険料が払えず、「国民皆保険」の理念が崩壊し始めているのです。

 さて、ここまでは、主に妊婦側の現状でしたが、医療側の現状はどうなっているのか・・・。

 「産科医療のこれから」さんが、文藝春秋10月号の「ルポ医療崩壊 病院を壊すのは誰だ 医師が逃げ、診療科は閉鎖。再生への処方箋は 奥野修司 (文藝春秋 2007年10月号 p174-183)」を転載されているので、読んでください。一部、孫引きさせてもらいます。

  「産科医療のこれから」「ルポ医療崩壊 病院を壊すのは誰だ」より、

まずは、阪南市立病院の現状
この病院を襲った最初の危機は今年の一月だった。それまで内科の常勤医は六人いたが、医師を派遣している和歌山県立医大から一人を引き揚げたいといってきたのだ。五人体制に変えたが、三月にまた一人が開業のために辞意を表明。残された四人は、これでは仕事が過重になるといって、六月末で全員辞めてしまった。三島秀雄院長は言う。
「内科は病院の核ですから、これがないとどうしようもありません。病院の収入の約四割が内科でした。内科の休止で収入は五割がた落ち込んでいます。内科休止の影響がこれほど大きいとは……。現在は、外科や整形外科、小児科など、常勤医師十二人で診療を続けています。交代で一人ずつ当直に当たっていますが、夜間に来る患者はあまりいません。消防もこの病院には内科がないことを知っていますので、内科系の患者が運び込まれることはまれです」


岩手県立宮古病院の場合。
病院の玄関を入ると、掲示板に
「九月から内科医師一名が常勤体制から非常勤になります」
「眼科は四月から休診しています」
「七月から循環器科医師不在となるため当分の間救急のみとします」
と書かれた紙がところ狭しと張られ、医師不足の深刻ざがリアルに伝わってくる。
「三年前まで、一般内科の先生は四人いたのですが、いま常勤医は一人です。消化器系など内科全体で一日の息者は二百五十人。このうち一般内科は百人で、これを一人で診ているんです」
菅野千治院長は言う。この四月まで、やはり医師不足が深刻で、緊急医師派遣システムの対象となった県立大船渡病院の院長をしていたという。
 辞めた医師の中には、大学の医局が引き揚げた医師もいれば開業した医師もいる。辞める理由は、「仕事がきつい」「自分の時間が持てない」からだという。
「病院の敷地に医師たちの官舎がありますが、毎日、官舎と病院の往復で終わりです。科長になると、土日も病院に出ますから休みはなし。休ませてあげたいけど、そんな贅沢は言ってられません。当直した日は、朝そのまま診察にはいりますし、診察がないときでも、呼び出されたらすぐ駆けつけられるよう、一時間以内のところで待機しています。そうすると、山と海に囲まれている宮古から出られない。家族サービスといっても、近くの海岸をドライブして終わりです。まるで囚人ですよ。学会にもなかなか出られません。出ても年にせいぜい一、二回でしょうか。先日、名古屋の学会に出るのに飛行機に乗ったのですが、もう呼ぱれても戻れないな、と思うとやっと落ち着くんです」

 
国の政策が医師不足を生んだ

 全国自治体病院協議会の小山田恵会長は、医師不足が、どれほど医師の過童労働を招いているかを、バスの運転手にたとえた。
「夜通し長距離バスを違転した上で、朝の通勤・通学バスを運転していたら、みんな何と言いますか。乗客の命と安全を軽視するのか。同じことが医師に起きているんです。厚労省の調査では、勤務医の勤務時間は週平均六十三・三時間。超過勤務は月九十三・二時間。労災に認定される超過勤務は月八十時間が基準ですから、動務医のほとんどは死ねば全員過労死に認定されるような状況で働いているのです。ではどれくらい足りないのか。
 勤務医の総数が十六万七千人で、これが週六十三・三時間働いている。これを週四十八時間、つまり週休一日で八時間勤務にするには、現状では五万五千人が足りないことがわかります」
OECD(経済協力開発機構)、によれば、人口千人あたりの医師数は、0ECD加盟国の平均は三人だが、日本は二人で三十カ国中二十七位である。
 医療経済や公共経済が専門の日野秀逸東北大学教授によれば、この医師不足は「明らかに政策によって引き起こされた」という。
 七〇年代、日本の医師の数は世界的水準の半分だった。そこで田中内閣は「一県一医大構想」を打ち上げる。これで順調に医師が増えていくのだが、八○年代の第二臨調、いわゆる土光臨調で大きく
変わる。大槻文平日経連会長(三菱鉱業セメント会長)の主導で、社会保険を引き締める答申を出したのだ。「医師が増えれば医療費も増える」と、八七年から十年で七・七%、医学部の定員を減らした。」それから十年後、さらなる医師抑制の閣議決定がなされる。このときの厚生大臣が小泉純一郎だった。
「経済界の意向が強く反映されてきたのが、現在の医師不足につながってきているのです」(日野氏)


現状を無視した小泉改革

 医師の間では、「医療崩壌」をイギリスのサッチャー政権の改草になぞらえることが常識になっている。
 イギリスでは、NHS(国民保険サービス)という側度によって医療を国民に無料で提供してきた。ところが次第に財政負担が重くなり、サツチャー政権は医療費の総額を抑えたうえで、NHSを四百あまりの独立行政法人に分割して競争させたのである。その結果どうなったか、前出の小山田氏は言う。
「価格競争が起こって医療の質が確保されるはずが、医師の労働条件の悪化を招いたのです。誇りと勤労意欲を奪われた医師たちは、海外(アメリカ、カナダ、オーストラリア)に逃避し、極端な医師不足が起こりました。ブレア政権で見直しが図られたのですが、そのときの目標が、救急都門の最大待機時間を四時間、病院外来患者の予約の最大待機期間を三カ月にすることですから驚きです。普通に病院へ行くと、まず診てもらえるのは景低でも二日後です」

  
 この青写真を描いたのが、全英にチェーン展開しているスーパーマーケット「セインズベリー」のグリフィス会長だった、という。小泉政権で、医療改草の重点を〈公的医療費の伸びの抑制〉におき、アメリカ型の・医療を目指したのが経済財政諮問会議だったという点でもよく似ている。
 小泉政権の改草がいかにひどかったか、旧厚生省の「医療保険審議会」の委員も務めた医享評論家の水野肇氏が言う。
「小泉改草での医療費削減は無茶書茶でした。一律何%カットというやり方だったのですから、医療の現状を無視しています。結局は、弱者に全部ツケが回ってくる改革だったのです」
病院の商品単価である診療報酬ですら、経営が存続できなくなるまで下げてしまうのだから、「今度の診療報酬改定が期待外れなら、全国の医師はもう黙ってない」と憤る医師も少なくない。


 最後に、奥野修司氏はこう締めくくっています。

 本気で医療費を削減するなら、予防医療に力を入れるぺきだろう。実際に医療費払削減した自治体もある。だが国レベルでは、予防医療の指標である乳ガン検診のマンモグラフィー受診率が四.一%(『OECD Health Data2007』)と最下位であることをみても、予防医療にまったく関心がないことを示している。前出の水野肇氏によれば、
「財務省は予防医療など金をドプに捨てるようなものだという考えですから、まず予算はつかないでしょうね」
という。いったいこの国の医療はどうなっていくのだろう。ビジョンを持たない指導者を戴いた日本は、本当に泥船に乗ってしまったのだろうか。医療崩壊の現場を数多く見てきた長氏ば、怒りを込めて言った。
「教育と医療が崩壌したら、その国家は崩壕するといわれています。すでに教育が崩壊しているのに、このうえ医療が崩壌したら、ほんとに日本は駄目な国になってしまいます」

 
 小泉・竹中等の改革論者は、「金を削っても、医療関係者を酷使すれば何とかなる」、「現場に泣いてもらえばいい」とでも、考えていたのでしょうか。

 彼らがやっていることは、「金がないからと言って、子供(=医療制度)に必要な栄養を与えずに衰弱死させようとしている母親」の虐待行為によく似ています。

 日本がこれまで守ってきた医療制度や年金制度といったセーフティ・ネットを、「改革」と称しながら、結果的にぼろぼろにしているのが「小泉改革」なのです。

 改革推進者は、「経費節減のためには、安全をも犠牲にする」という「耐震強度偽装事件」のヒューザーと同様の行いをしているのです。

 

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6 コメント

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Unknown (ビリー・ザ・マッド)
2007-11-14 00:10:50
管理人さんのプログを読ませていただきますと
俗に言う「大きな政府」を推進するべき
だという印象を受けますが
いかがなものでしょう?
返信する
Unknown (上田真司)
2007-11-14 00:59:31
ビリー・ザ・マッドさん。

>管理人さんのプログを読ませていただきますと
>俗に言う「大きな政府」を推進するべき
>だという印象を受けますが
>いかがなものでしょう?

大きいとか小さいとかというのは、相対的なものでしかありません。

背の高い人とか背の低い人というのと同様で、論理的な言葉ではありません。

それはともかく、北欧程の大きな政府は、税金の負担が大きいので考えものですが、小さければいいというものでもありません。

国民が安心して暮らせる程度のセーフティ・ネットは、これからも維持していく必要があると考えます。

返信する
Unknown (ビリー・ザ・マッド)
2007-11-17 22:17:11
実際のところ
「国が面倒をみる」範疇を増やすべきなのでは?
と私も思うのですが・・・

>国民が安心して暮らせる程度のセーフティ・ネット

これって
「大きな政府」に移行していかないと
実際無理なのでは?
返信する
Unknown (上田真司)
2007-11-18 09:07:04
ビリー・ザ・マッドさん。

>実際のところ
「国が面倒をみる」範疇を増やすべきなのでは?
と私も思うのですが・・・

>>国民が安心して暮らせる程度のセーフティ・ネット

>これって
「大きな政府」に移行していかないと
実際無理なのでは?

まず、最初に私は、日本が「大きな政府」であったことは一度もなかったと思っています。「大きな政府」というのは北欧諸国のような、収入の半分を税金で納めるような国のことだと考えています。

さて、竹中平蔵が、しきりに「大きな政府」批判を繰り返したおかげで、「大きな政府=悪」という風潮になりました。

しかし、こういう決め付けは、少なくとも医療に関しては無意味だと思います。

たとえば、「大きな政府」で、年間50万円で済んだものが、「小さな政府」になったら、年間100万円払うことになったとすれば、結果的に「大きな政府」の方が良かったということになります。問題は、家計からどれだけの金が医療費として出て行ったかであり、「大きな政府」「小さな政府」とは直接の関係はありません。

2003年の統計では、日本の医療費は31兆円、GDP比にして7.9%、そのうち公的医療費支出の割合は、81.0%です。

国際的に見て、日本の医療は安上がりで、かつ、医療の質もいいのです。

(参考)「ある経営コンサルタント」さんのブログ: 医療の国際比較
http://aruconsultant.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_a63c.html

私は、今の医療制度を壊して、自由競争にしたら、一挙に日本の医療費は跳ね上がると思っています。アメリカのように。

最後になりますが、「国民が安心して暮らせないような国」に、国としての存在価値などないと私は思っています。


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至言 (ろろ)
2007-11-20 08:37:01
>「国民が安心して暮らせないような国」に、国としての存在価値などないと私は思っています。

  全く以てその通りですね。

  政府の大きい小さいなどというカテゴライズにこだわる人は、右翼と左翼の違いに拘泥する人と似ている気がします。
  まあ、自分がまだ収奪される立場にない、もしくは収奪されていても「美しい国」とか「カイカクを止めるな」とかいう麻薬で頭がラリっていて気づかないのか、どちらかだと思います。
返信する
Re:至言 (上田真司)
2007-11-20 09:14:09
ろろさん、コメントありがとうございます。

>政府の大きい小さいなどというカテゴライズにこだわる人は、右翼と左翼の違いに拘泥する人と似ている気がします。

私もそう思います。

形にこだわっているうちに、本質的なものを見失ってしまうような気がします。

>まあ、自分がまだ収奪される立場にない、もしくは収奪されていても「美しい国」とか「カイカクを止めるな」とかいう麻薬で頭がラリっていて気づかないのか、どちらかだと思います。

「日本のシステムは間違っている」という80年代から日経などが流し続けたネガティブキャンペーンが、効果を上げてきたのでしょう。嘘も百回つけば、本当になるとか言いますから。

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