Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

反対陣営にいる人たちは、「馬鹿」か「嘘吐き」にしか見えない

2007-11-01 | 考察
■反対陣営にいる人たちは、「馬鹿」か「嘘吐き」にしか見えない
 【コラム】正直でも頭が良いわけでもない「左派勢力」(下)より、
 かつて哲学者・社会学者・国際政治学者・経済学者などとして知られたレイモン・アロンという多才なフランス人学者がいた。そのアロンが紹介した左派識別法はとても明快だ。それは「正直でありながらも、頭の良い人は左派にはなれない」というものだ。言い換えれば、「正直な左派は頭が悪く、頭が良い左派は正直ではない」ということになる。


 半年ぐらい前に、自称保守が好んで取り上げていた朝鮮日報のコラムです。

 レイモン・アロンというフランス人学者が説いた左派識別法は「正直でありながらも、頭の良い人は左派にはなれない」というものだという他愛のない話です。

 右派と左派というのはその信じるところが全く逆で、竹村健一がよく言っている「日本の常識は世界の非常識。世界の常識は日本の非常識」と同様、「右派の常識は左派の非常識。左派の常識は右派の非常識」ということもまた、言えるのではないでしょうか。

 そう考えると、レイモン・アロンという多分、右派だった人から見れば、左派は、本気で非常識なことを言う「馬鹿」か、或いは何らかの意図により、非常識なことが分かっていながら、その非常識を主張する「嘘吐き」のいずれにしか見えなかったのでしょう。

 「そうだそうだ、左派は『馬鹿』と『嘘吐き』しかいないのだ」と自称保守派は、喝采をあげていましたが、もし、レイモン・アロンという人が左派だったなら、「正直な右派は頭が悪く、頭が良い右派は正直ではない」と述べたことでしょう。単にそれだけの話です。このコラムを読んで「右派」は「左派」より優れているのだと確信したとするなら「釣られやすい人」であることを自認すべきです。

 お互いに真逆のことを信じている場合は、相手のことを「馬鹿」か「嘘吐き」にしか見えないのです。そして、相手の言っていることが「デンパ」や「愚論」にしか聞こえないのです。

 「デン波をかき分け真っ直ぐ進むのは大変です」と、「自分こそは『正論』を言っているのだ」と言わんばかりの人がいますが、反対側から見れば、あなたが『正論』と信じて疑わないものが実は『デンパ』そのものなのです。

 まあ、いずれにせよ全ての主張は、時期がきて真相が明らかにならない限りは、相対的な仮説に過ぎないわけです。

 「自分はこう思う」とか、「あの人の主張は間違っている」とかと論じることは、一向に差し支えありませんが、「私が今、自明のことのように思っていることは、実は仮説に過ぎないのだ」と客観的に振り返れる余裕は残しておきたいものです。

 実は私のこのブログも、ネットのあるところでは、「共感できない」というタグは貼られていたりします。反対側にいる人から見れば、私は多分、「奇妙な主張をするキモい奴」なのでしょう。

 逆に私から見れば、「運スレ」やその賛同者が、「奇妙な主張をするキモい奴」に見えてしょうがないのです。

■反対側の人とどうつきあうか

 さて、表現の自由という観点から言えば、自分の表現の自由を主張するのならば、反対側にいる「主観的にいえば、キモい奴」の「主観的にいえば、デンパ発言」に対しても、表現の自由を守らなければいけません。

 また、「相手の主張に対する自らの反論」をする自由を守ろうとするためには「自分の主張に対する相手から反論」する自由を守らなければいけません。

 「煩悩是道場」さんはこう書いておられます。
2007-10-29 - 煩悩是道場さんより、
自らを表現者であると考え、表現したいから表現するのだと考え、なんらかの反応があった時にその中にネガティブな要素が含まれていたとしても自分が行った表現がその人の心を動かし、表現のコラボレーションを産みだしたのだと考えると良いのではないだろうか。


 お互いの主張がお互いに「非常識」と反発しあう間柄であっても、自分が行った表現がその人の心を「反論しよう」という方向に動かし、表現のコラボレーションを産みだしたのだと積極的に評価してもいいのかも知れません。

 お互いに「やっさもっさ」と反論をしあうことも、ネットの世界におけるアートを共同制作しているのだという見方もできそうです。

■以前あったトラブルを振り返る

 いずれにせよ、あまり、相手の主張や自分に対する反論によって、「アドレナリン」を過剰に放出しない事が肝心ですね。体に変調をきたすところまでは、相手も望んではいないはずです。

 以前、某ブログのコメント欄に書きこんだ私のコメントで、「私は、涙が止まりません」とレスを返したブロガーがいました。私のコメントがその人を予想以上に追いつめたようですが、少なくとも、そういうのは私の本意ではありませんでした。

 あれは私にとっては、中傷でも何でもなく、「私はこう思った」ということを述べたに過ぎません。私の冷静に書いたつもりのコメントに対して、あのような感情的な返事が返ってきたことに大いに驚きました。

 「誤解を生じた個所について謝ったらどうですか」とあくまでもアドバイスのつもりで言ったことを、「上田は謝罪要求をしろ」と言ったと決めつけられて、私もずいぶん頭にきましたが・・・。

 このブロガーは、私なんかよりずっと文才がありますが、惜しむらくは、自分がちやほやされていなければ気が済まないタイプであることです。そして、ちょっと苦言を呈すると、途端に仇敵にされてしまう。

 私は、意見の違いがあっても、仲良く喧嘩するような関係で有りたかったのですけどね。

 今回、久々に私のエントリー「増税派と成長派」に対して、反論のエントリーをお書きになりましたが、「もうこれきりにしてね」という不干渉依頼は反故になったのですか。

 そうだとしたら、また遠慮なく反論させてもらいます。






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