Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

なぜ、日本は自虐史観を払拭できないのか

2007-04-30 | 歴史認識
「やおよろずブログ」さんの「日本戦後史総論  戦後体制とはなにか?」より、

戦後史を語る上で、要点がいくつかある。
(略)
1 戦時体制

 まず、戦時体制から55年体制の完成までを論じたい。
 野口悠紀夫氏をはじめとした経済論客が盛んに口にする「1940年体制」、これは、戦後体制のハード面において、大変説得力がある。
 この「1940年体制」は、連合軍の占領政策の円滑化においても、その後の工業大国化においても、大変な威力を発揮した。
 つまり、国内においてハードが完成しているため、現在のイラクのような無秩序を経ることなく、日本国として再出発することができたのである。
 ハードがあれば、占領軍がプログラミングしたソフトを起動させることで、国内の様々な操作が可能になるわけである。
 この「1940年体制」と占領政策については、また別に論じたい。

2 公職追放

 では、このプログラミングの中身はどのようなものであったのだろうか?
 まずは、戦前・戦中の指導者層の追放である。
 これにより、戦中・戦時の国内派・民族派は一掃される。
 変わって、力を得たのは、英米派と左翼である。

 戦前において、日本国内では左翼活動が大幅に制限され、脱法行為としての活動を続けるか、合法的に政府に取り込まれる形になるかを選択せねばならなかった。
 これは、17年のロシア革命の影響やソビエトの勢力の国内への浸透を防ぐものであった。
 アメリカ本土でのレッドパージが48年であったことを考えれば、日本がアメリカに先取りで実施していたことになる。
 ソビエトと満州国を経て直接に対峙していた日本にとって、共産主義の脅威は現実的な問題であり、アメリカのように、泰然としていることができなかったのである。
  
 また、英米派はアメリカとの交渉での譲歩が国内において支持を得られず、さらに、アメリカが反日政策を強化するにつれ、国内で反米機運が高まり、一層、その勢力が減退していった。
 戦時においては英米派は、国家意思決定の中枢からは外されていた。
 この点で、占領軍の公職追放により、国家中枢への返り咲きを達成することになった。

 つまり、この時期には、左翼勢力と英米派勢力とが国内を覆うことになったのである。
 両者は、資本主義・共産主義のイデオロギー闘争もあり、激しく対立したが、国内派・民族派への敵視という点で、異なるところはなかった。

3 逆コース

 官公労を中心に、大規模な労働争議が頻発し、吉田・英米派政権は、左翼勢力の攻勢の前に、崩壊寸前であった。
 そんななかで、2・1ゼネスト中止命令が発せられる。
 マッカーサーは左翼勢力には一貫して好意的な態度を示していた。
 マッカーサーは、大統領選に向けて労働組合の票を欲していたという個人的な思惑もあったが、何よりも、戦前勢力の一掃を主眼においていたため、このような態度にでた。
 英米派と戦前の各界中枢は人的交流も含め、ある程度の親和性が存在したのに対して、共産党を中心とした左翼勢力は、中枢とは断絶しており、マッカーサーから見れば、「敵の敵」であった。

 しかし、この2・1ゼネストで、態度が一変する。
 マッカーサーは左翼勢力の恐ろしさを、体感したのである。
 この2・1ゼネストを機に、占領軍主導で左翼勢力の穏健化が図られていく。
 戦後の世界的な冷戦体制の構築もあって、非共産・左翼勢力が占領軍によって構築され、左翼勢力の中心を担っていくことになる。
 朝鮮戦争が開始すると、共産党は再び抑圧され、国内は英米派と非共産・左翼とが覆うようになる。

 アメリカ本土でも、マッカーシーを中心にレッドパージが行われ、ソビエト陣営のスパイが摘発される。
 英雄であったルーズベルト大統領の側近、ハリー・ホワイトがソビエト陣営の人間であることも発覚する。

 マッカーサーは、日本国内での左翼勢力の躍進と朝鮮戦争から、ソビエト陣営の評価が一変し、また、戦前の日本首脳に対する考え方まで変化する。
 マッカーサーは、後に議会で、先の戦争が日本にとっての自衛戦争であったことを証言している。

4 55年体制

 世界的に冷戦の構図が構築されてくると、日本においても、自民党を中心とする自由主義陣営、社会党を中心とする社会主義陣営が構築される。
 これが、55年体制である。

 52年の講和により、公職追放が完全に解け、それ以前に解放された者と合わせて、戦前の国内派・民族派勢力が各界に帰ってくる。

 ここで、重要なのは各組織が、公職追放によって地位を築いたものが実権を握っていたことである。
 この各界実力者にとって、公職追放者の復帰というのは害悪以外のなにものでもない。
 日本の敗戦によって地位を得たものは、つまり、占領軍によって地位を与えられたものと同義である。
 よって、この勢力は、占領が終わった後も、擬似占領体制を欲したのである。
 つまり、占領体制の社会・歴史観は、各界実力者が地位を守るための道具となった。
 こうして、この時期の日本において、吉田保守は生まれたが、民族派保守が生まれることはなかった。
 逆の左翼陣営でも、反吉田路線を掲げながら、擬似占領体制を欲し、もう一つの戦勝国であるソビエトへの傾斜を深める。
 総評でも社会党でも、占領下では穏健派が主流であったが、占領後は社会主義派が実権を握るようになる。

 こうして、2陣営が構築され、この2陣営の中でイデオロギー対立が生じるのみで、民族派・国内派は「凍結」した状態であった。

 60年代に入り、一般に生活水準の向上により、資本主義路線の優越が日本国内でも明確化してくる。
 また、中ソ対立もあり、社会主義陣営は経済面での説得力を失う。
 そこで、左翼諸派は、プロレタリア革命運動を平和運動・社会運動に転換していく。
 これが、系譜として現在の「市民運動」につながっていく。
 これら勢力は、衣替えのたびに、一定数の支持の拡大は見られるものの、今日の「市民運動」のように一般市民に広く浸透することはなかった。
 国会勢力としては、90年代における小沢一郎の政界再編によって、議席数を激減し、一部が民主党に逃れ、党内勢力としての活動に切り替わっていった。
 社会勢力としても、小泉純一郎の北朝鮮訪問以降、小泉純一郎自身の意図とは無関係に、拉致問題が国民運動化し、北朝鮮を賛美する左翼勢力は、その言論の説得力を失う。
 これら勢力は、公務員・マスコミといった、きわめて国家により保護された世界で、「反国家」を叫ぶだけの存在となり、郵政選挙に見られるように、財政の逼迫の中で、国労と同様に、国民の支持を失っていく。
 07年東京都知事選は、これら「市民団体」・マスコミ勢力が大同団し、浅野全宮城県知事を擁立するも、現職の石原都知事に完敗、左翼勢力減退の象徴的な事件であった。
 
 さて、吉田保守勢力は自民党で中枢を占め、一時期を除き、一貫して吉田路線を継承してきた、
 つまり、国防・外交は占領軍に権限委譲し、ひたすら輸出主導の工業化路線をはしるという政治を行ってきた。
 これは、冷戦における「反共」のエクスキューズを失った今でも、大きく変わるところはない。
 これら勢力の傍流としてのみ、民族派が現れ、それが党派として、一大勢力を築けずにいる。
 共産化の脅威が薄らいだ今、資本主義陣営を支えるべき企業経営者が親中へと鞍替えしている。
 この点で、組織防衛のため平和活動に衣替えした社会主義勢力と、資本主義勢力が一致点を見出し、歴史観・国家観で、一部共闘する形になっている。

 つまり、占領軍が生んだ双子である吉田保守・戦後左翼が、「ヤルタ協定」で、戦勝国史観を共有するという形を取っているのが、現状である。

 「なぜ、日本には反日勢力が多いのか?」そう疑問を持つ方が多いと思うが、原因は、このような点にある。
 占領開始によって「反日」であることが、各界首脳に求められ、それが継承されて今日まで来ているのである。


 この「ヤルタ」勢力に対抗する勢力の台頭を渇望しているが、各界諸団体が「ヤルタ」勢力であり、なかなか難しい。

 参院選で、自公が過半数割れになれば、政界再編が起こるのだが、さて、その先に民族は勢力の登場はあるのか?ないのか? 


 GHQによる日本統治以来、自虐史観が日本人の心に鋭いとげのように刺さったまま、半世紀以上が経ちました。なぜ、日本はこれほどの長きに渡って、自虐史観を払拭できないのか?「やおよろずブログ」さんの上記エントリーは、そのヒントを与えてくれるものです。

 <占領開始によって「反日」であることが、各界首脳に求められ、それが継承されて今日まで来ているのである>

・・・戦前・戦中の日本を肯定するような意見を持つ人は占領軍によって、政界・言論界を初めとする各界から退けられ、戦前・戦中の日本に批判的な人物が、その後を受け継ぐ事になったわけで、フランスのビシー政権などと同様、占領軍のコントロール下における政権というのは全てそのようなものでしょう。

 つまり、日本国内の勢力図は、占領軍によって、戦前・戦中の日本を支えた「国内派・民族派」から、彼ら(=国内派・民族派)の圧迫を受けて逼塞していた「英米派&左翼」へと劇的に塗り替えられたわけです。

 「英米派」も「左翼」も、いわば敗戦利得者(日本敗戦によって、得をした者たち)であり、彼らの利得を正当化する理屈が自虐史観であるわけです。

 彼らにしてみれば、アメリカが、「国内派・民族派」に牛耳られていた日本を解放してくれた解放者だというのがまさに実感なのではないでしょうか。「英米派」も「左翼」も、戦前の日本は酷かったという認識では一致しています。

 話は変わりますが、某テレビ番組で勝谷氏が、「戦前の日本は全体主義などではなかった」と発言したのに対し、三宅氏が、「その頃、生まれてもいないのにいい加減な事を言うな」と叱ったあと、「昭和15年以降の日本は、紛れも無く全体主義・軍国主義だった」と反論していました。しかしながら、昭和15年以降の日本というのは、まさに戦争必至の状況下にあったわけで、「全体主義」・「軍国主義」と表現するより、「戦時体制」と表現する方が適切な気がします。

 何処の国でも、「戦時体制」ともなれば、国論の統一を図ろうとする力が強くなるのは当然ではないでしょうか。自由の国アメリカでも、イギリスでもそれは同じでしょう。自国の危急存亡の時に、個人の自由だとか、人権だとかがある程度制限されるのも仕方のないことです。という事で、「戦前の日本は酷かった」というのは、事実であるにしても、当時の日本が置かれていた状況を勘案すれば、ある程度、割り引いて考える必要があるのではと思います。

 それはそれとして。占領軍の当初の目論見どおりに日本は進み、戦後60年、ずっと、「英米派」(=親米保守)と「左翼」の天下でした。彼らは、今後とも、不遇をかこっていた戦前の日本を肯定することはないし、自虐史観から抜け出そうとする積極的な意欲もないでしょう。自虐史観を払拭出来るのは、戦後一貫して冷遇されてきた国内派・民族派のみではないのでしょうか。


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8 コメント

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いつもながら勉強になります (鮎川龍人)
2007-05-01 14:35:33
戦勝国史観≒反日≒非愛国ということで、捉えられそうですね。
本当に人類史上稀に見る国家規模の洗脳であったと思います。
ホロコーストを反証しようとするだけで罪になる、ドイツ等の状況も悲惨ですけれど。

真に国際法の精神に則った戦後処理(戦後再評価?)が行われるのは、いつになるんでしょうか。

しかし、悲しいのは、日本周囲の、あまりに厳しすぎる(異常な)現実。

アメリカの位置を補完し得る、誠実で実力ある国家があれば良いのですけれど。

こればかりは、なかなかですね。
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Re:いつもながら勉強になります (上田真司)
2007-05-01 20:45:29
こんにちは、鮎川龍人さん。

>戦勝国史観≒反日≒非愛国ということで、捉えられそうですね。

そうかもしれませんね。
私は、戦前の日本の指導者が、「中国を植民地にして搾取してやろう」というような邪な考えを持っていたとは思っていません。明治・大正世代の日本人というのは、今の日本人などよりずっと偉大だったような気がします。
その当時の日本人の思いというものに、もっとシンパシーを持って再評価をすべきなのではないでしょうか。

>本当に人類史上稀に見る国家規模の洗脳であったと思います。
>ホロコーストを反証しようとするだけで罪になる、ドイツ等の状況も悲惨ですけれど。

考えてみれば、本当にアメリカというのは恐ろしい国です。洗脳によって、刃向かった国(=日本&ドイツ)を未来永劫、無力化してしまおうと企てたのですから。敗戦国に対してこれほど酷いことを行った国もないでしょうね。
アメリカは、日本人の命だけでなく、魂も名誉も奪ったのです。

>真に国際法の精神に則った戦後処理(戦後再評価?)が行われるのは、いつになるんでしょうか。

アメリカが解体しない限り無理なのではないでしょうか。

>しかし、悲しいのは、日本周囲の、あまりに厳しすぎる(異常な)現実。

アメリカが本当に、日本を守るというのなら、竹島周辺海域の調査や、東シナ海のガス田の試掘のとき、日本の船を第七艦隊の艦船で守ってくれるぐらいのことをして欲しいものです。
アメリカの、「日本を守る」というのも、なんだかリップサービスに過ぎないような気がしています。

>アメリカの位置を補完し得る、誠実で実力ある国家があれば良いのですけれど。
>こればかりは、なかなかですね。

アメリカに「おんぶにだっこ」状態の日本である限り、日本は良い様に利用されるだけです。アメリカの代わりに中国を選んでも、それは同じか、もっと悲惨かもしれません。
地理的に言えば、東南アジア諸国連合やインドと同盟を結んで、中国の脅威に対抗することが望ましいのではと思います。
素人の戯言ですが。
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なるほど! (圭人)
2007-05-02 00:38:46
非常に参考になりました。
よく考えてみれば、当然の話なのかも知れませんが、戦後の米国の占領政策が日本の為であった訳がない。
米国にとっては、日本が再び誇りを持つ必要はなく、ただただ米国に都合のいい国であるべきだった。
それが「米英派」と「左翼」の存在であり、60年経った今もなお残っていると考えれば、戦後の日本の世論の移り変わりも理解できそうです。

私は親米派です。が、これは米国に盲従することを意味しません。
米国は日本の重要な同盟国ですが、なんでも米国がやってくれるなど、独立国家の国民の考え方ではありません。
日本が自分で日本を守ろうとしない限り、米国が日本の利益を慮って動いてくれることなど無いし、彼らにその義務もありません。
そもそも、私は、日本と米国は、価値観が近い国だとは思えないのです。まだ、英国の方が近いのではないかと思います。

米国に代わる同盟可能な国家が存在すれば良いのですが、日本と対等の軍事同盟を結べる国は、アジアには少ない。中国との同盟など泥沼にしかならないでしょう。
日米関係において、兵器分野での「互いの依存度」は非常に高いですから、米国と縁を切るというのも考えにくい(米国の兵器は日本の技術と製品がなければ成り立たない)。
となれば、豪州やインドとの関係を発展させて、中国を牽制しつつ、米国依存度を減らしていくというのが現実的なのでしょうか(インドも問題はありますが・・・)。
遠交近攻の考え方で、「昔の日英同盟」のようなものができれば良いかも知れません。
返信する
田中保守 (やおよろず)
2007-05-02 06:15:56

 駄文を解説していただきありがとうございます。

 私は、いわゆる親米保守を吉田保守としましたが、小泉時代に出てきた保守を「小泉保守」と呼ぶ事にしております。

 私自身は「田中保守」を自任しております。

 田中についてはあれこれあるんですが、この話題と関連して「親中」問題についてコメントさせていただきます。

 アメリカはダメということで、中国へ傾斜する誘導がメディアでなされていますが、これは誤りであり、かなり危険なことだと思います。

 「日中は裏安保」というのが、田中の日中回復についての見解です。
 つまり、「日中は戦争をしない」というもの。
 最大の中国ロビーであった田中にして、この程度の親中意識。
 現在の加藤・二階ら、いわゆる「親中派」の異常な傾倒ぶりがうかがい知れるというものです。

 冷戦は終わると見越した田中の対ソ外交・中東外交は、よく知られたところであり、これが「ロッキード」陰謀説に繋がるところであります。
 キッシンジャーが日本を封じ込める「ビンのふた」論を中国に伝えたのも、核武装のきっけん制を訴えたのも、この時期です。

 さて、吉田保守にしろ、左翼勢力にしろ、冷戦は永続してもらいたいわけです。
 よって、田中は、吉田保守側から見ても、左翼勢力から見ても、敵なわけです。
 左翼の敵は、「反動」吉田勢力ではなく、アメリカでもなく、田中なわけです。
 
 世界的に冷戦が終結した今、日本でのみ冷戦が続くという、アホらしい構造は終わりにしてもらいたいものです。 
  
返信する
Re:なるほど! (上田真司)
2007-05-02 09:10:12
圭人さん、ようこそ。

>米国にとっては、日本が再び誇りを持つ必要はなく、ただただ米国に都合のいい国であるべきだった。

日本を「米国に都合のいい国」にしようとした占領軍の計画というのは大成功だったと言えますね。

>私は親米派です。が、これは米国に盲従することを意味しません。

「アメリカと仲良くすべき」という本来の意味での親米派であれば、私もその範疇に入りますよ。

>米国は日本の重要な同盟国ですが、なんでも米国がやってくれるなど、独立国家の国民の考え方ではありません。
>日本が自分で日本を守ろうとしない限り、米国が日本の利益を慮って動いてくれることなど無いし、彼らにその義務もありません。

同感です。なんでも米国に頼りきりの対米依存論者は、媚米派であって、親米派ではないと思います。

>そもそも、私は、日本と米国は、価値観が近い国だとは思えないのです。

私もそう思います。ソ連は「平等原理主義」の実験国家でしたが、それと同じで、アメリカは、「自由原理主義」の実験国家のようなものに見えます。

>まだ、英国の方が近いのではないかと思います。

比べればそうかもしれませんね。ただ、イギリスは、貴族が未だに幅を利かせているところが、日本とは異なるところかと。

>豪州やインドとの関係を発展させて、中国を牽制しつつ、米国依存度を減らしていくというのが現実的なのでしょうか(インドも問題はありますが・・・)。

おっしゃるように、中国と距離を置き、米国依存度を減らしていくというのがベストでしょうね。

>遠交近攻の考え方で、「昔の日英同盟」のようなものができれば良いかも知れません。

フランス・ドイツ・ロシアあたりと、もっと距離を縮めた方が良いのではと思ったりします。
返信する
Re:田中保守 (上田真司)
2007-05-02 09:16:59
はじめまして、やおよろずさん。

>駄文を解説していただきありがとうございます。

いえ、非常に参考になりました。有難うございます。

>私自身は「田中保守」を自任しております。

田中角栄を評価されているという事でしょうか。
そうであるなら、私の見解と同じです。

>最大の中国ロビーであった田中にして、この程度の親中意識。

田中角栄も、中国に対しては、甘い見方をしていたという事なのでしょうか。

>キッシンジャーが日本を封じ込める「ビンのふた」論を中国に伝えたのも、核武装のきっけん制を訴えたのも、この時期です。

アメリカの「日本脅威論」と日本封じ込め政策の始まりだったのかもしれませんね。

>よって、田中は、吉田保守側から見ても、左翼勢力から見ても、敵なわけです。
>左翼の敵は、「反動」吉田勢力ではなく、アメリカでもなく、田中なわけです。

日本が戦前のような自立国家に戻ることに対しては、左翼だけでなく、いわゆる親米保守も抵抗を示すでしょうね。

>世界的に冷戦が終結した今、日本でのみ冷戦が続くという、アホらしい構造は終わりにしてもらいたいものです。

そうですね。
返信する
補足 (やおよろず)
2007-05-02 16:09:42

>>私自身は「田中保守」を自任しております。

>田中角栄を評価されているという事でしょうか。
そうであるなら、私の見解と同じです。

 冷戦が終結するという前提で行動できていたのは、田中だけ。
 そういう観点から、田中は戦後政治の中でも特筆すべき人物だと思います。
 「吉田保守」と書きましたが、吉田・池田・佐藤など歴代首相も、その時代背景の中では、大変な功績を残したと思います。
 侮蔑的に取り扱っているのは、半世紀も前の時代状況そのままの論調を続ける、現在の「吉田保守」です。



>>最大の中国ロビーであった田中にして、この程度の親中意識。

>田中角栄も、中国に対しては、甘い見方をしていたという事なのでしょうか。

 これは、親中といわれている田中ですら、日中「友好」の意味を「戦争しない」という程度に捉えていたということです。
 当然、歴史認識の共有とか100万人交流とか、そういうアホ企画からはかけ離れたものであったということを示したかったわけです。
 いまの親中派は異常だよと。

返信する
RE:補足 (上田真司)
2007-05-03 07:40:13
やおよろずさん、どうも。

>>>私自身は「田中保守」を自任しております。

>>田中角栄を評価されているという事でしょうか。
そうであるなら、私の見解と同じです。

> 冷戦が終結するという前提で行動できていたのは、田中だけ。
> そういう観点から、田中は戦後政治の中でも特筆すべき人物だと思います。

私が、田中角栄を評価するのは、彼がアメリカから自立しようとしていたからです。
捉え方が違うだけで、やおよろずさんと同じ事を言ってるのかもしれませんね。

> 「吉田保守」と書きましたが、吉田・池田・佐藤など歴代首相も、その時代背景の中では、大変な功績を残したと思います。
> 侮蔑的に取り扱っているのは、半世紀も前の時代状況そのままの論調を続ける、現在の「吉田保守」です。

冷戦時という時代背景の中では、「吉田保守」(=親米保守)のやり方が有効だったけれど、冷戦などとっくに終わっているのに、未だに対米従属を唱える親米保守の論調はおかしい・・・と思っておられるのなら私の考えと同じです。

>>>最大の中国ロビーであった田中にして、この程度の親中意識。

>>田中角栄も、中国に対しては、甘い見方をしていたという事なのでしょうか。

>これは、親中といわれている田中ですら、日中「友好」の意味を「戦争しない」という程度に捉えていたということです。
>当然、歴史認識の共有とか100万人交流とか、そういうアホ企画からはかけ離れたものであったということを示したかったわけです。
>いまの親中派は異常だよと。

親中と言っても、田中角栄の親中は、現在の親中派のような媚中・屈中ではなかったと、おっしゃりたかったのですね。よく分かりました。

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