Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

原爆投下は「日本の植民地支配から解放」?

2007-06-01 | 歴史認識
資料館展示見直しに中韓の声 '07/5/31
 原爆資料館(広島市中区)を運営する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は30日、館の展示内容を見直す検討委員会に、中国、韓国人らアジア出身の委員を起用する方針を明らかにした。リーパー理事長は中国新聞のインタビューに、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と述べた。


 「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアって一体どこの事を言っているのでしょうかね。中国・韓国のことでしょうかね。

 この人は、今年4月23日に、広島市の秋葉忠利市長から選ばれて、原爆資料館を運営する広島平和文化センター理事長就任しています。5月16日の毎日のインタビューでは以下のように述べています。↓

ひと:スティーブン・リーパーさん=広島平和文化センター初の外国人理事長

 ◇世界覆う戦争文化から、平和文化への転換を


 原爆を投下した米国の国籍を持つだけに、広島市の秋葉忠利市長から就任の打診を受けた際、とまどいもあった。しかし、「僕の中に逆に偏見があったかも。ヒロシマが復讐(ふくしゅう)でなく、和解を重視する証拠です」と滑らかな日本語で話す。

 父の仕事の関係で、子どものころは東京で育った。帰国後、大学時代はフロリダ州で過ごした。当時はベトナム戦争真っ最中。戦場に送られないため、国に認められれば徴兵を回避できる「平和主義者宣言」をした。認められたが、「本当の平和主義者としての宣言ではなかった」と振り返る。「すべての戦争が悪とは考えず、戦場への怖さもあった」と告白する。

 日本語を学ぶため84年に来日。友人を頼って広島市に来て、翻訳・通訳会社を設立した。原爆投下については「戦争を早く終結させてよかった」と思っていたが、核問題の本の翻訳や被爆者の証言の通訳などを通じて被爆の実態を知り、考えが変わっていった。

 98年に反核市民団体「グローバル・ピースメーカーズ・アソシエーション」を結成。00年には、核実験をしたインドとパキスタンを訪問。大学などで被爆の実態を説明し、核廃絶を訴えた。これからは母国でも活動を始める。「大統領選前に全米各地で原爆展を開きたい」と意欲を見せる。

 「世界で初めて原爆が投下された日本だからこそ、核兵器廃絶を訴える力がある。日本からうねりを作りたい」。希望に満ちた緑色の瞳が輝いた。<文・吉川雄策/写真・小松雄介>

==============

 ■人物略歴

 米イリノイ州出身。平和市長会議事務局員などの実績が評価され、4月23日、原爆資料館を運営する広島平和文化センター理事長就任。59歳。

毎日新聞 2007年5月16日 東京朝刊


 <原爆投下については「戦争を早く終結させてよかった」と思っていたが、核問題の本の翻訳や被爆者の証言の通訳などを通じて被爆の実態を知り、考えが変わっていった
・・・少しも変わっとらんぞ。

 「原爆投下」は戦時国際法違反の重大犯罪であるわけで、「原爆投下」に関与した連中は「ナチス党員」以上の極悪人として断罪しないと「戦時国際法」の意味が無いと私は思います。

 その原爆を、「日本の植民地支配から解放した」と肯定しようとするような輩が、よりにもよって、広島平和文化センター理事長をやっているとはね。

 この人が言っていることは、「原爆投下が一概に悪いとは言えない」、「広島の原爆は(植民地支配から解放するために投下された)良い原爆」と言っているのと同様。

 広島は、核廃絶を目指しているんではなかったの。これじゃ、正当な理由さえあれば、原爆使用OKと言ってるのと同じではないのかい。

 結局、「原爆投下」といい、「従軍慰安婦問題」といいアメリカは、戦勝国のご都合主義的歴史解釈を日本に押し付けようとするわけだ。

 最近の日本は、左翼が衰退して、中国や韓国の言う事を聞かなくなったから、それまで、背後に控えていたアメリカ自らが、「戦勝国史観」の固定化に乗り出してきたのかもしれません。

 今後は、アメリカの意向に従おうとする媚米派が媚中派に協力して、「戦勝国史観」の維持に努めるようになるのでしょうか。岡崎氏のように。

最新の画像もっと見る