鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

14.「言葉への信頼感」が「しるし」で飛躍

2018年11月02日 | 鬱を打破する聖書の論理
 
 
前回、聖書の持つ「人間は永続する」」という思想を形成する聖句群が、自価意識を根底から崩す無常観を和らげると述べた。
今回から、その効果をさらに飛躍させる要素である超自然的事象~奇跡~について考えていこう。
 
 
 
<漠然とした意識を言葉で明確化>

聖書が与える人間永続感を、要約しておこう。
聖書は人類に「永遠」といいう概念を導入している。
人間は「ず-と続く」といった意識を漠然とした気分として抱くこともある。
だが、聖書は「人間は永続する」という思想をはじめて言葉として明確に示したのだ。
  
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具体的には、聖書は人間には霊があると教える。
そして霊は死後も永続する、と教える。
その思想は世界観の中で論理的に示されている。
それを示す言葉(聖句)に繰り返し触れていると無常観は和らげられていく。
 
 
<セルフバリュー感も供給する>
  
永続感に加えて聖書はまた、「人間は存在価値ある」という思想もふんだんに提示している。
それを全知である創造神からの言葉として、発信する。
これは人の自価意識に直接プラスに働きかける。
 

<「パンのみで生きるにあらず」とは?>
 
このことはイエスの有名な言葉「人はパンのみにて生くるものに非ず」の意味をもシャープに浮上させてくれる。
 
荒野(あらの)で断食中のイエスを悪魔は誘いをかける。
 
「あなたが創造神の子なら、この石がパンになるように明示なさいよ」             」
 
これに対してイエスは「人はパンのみによって生きるのでなく、創造神の言葉をも食べて生きる」と応じて誘惑を退ける。(マタイによる福音書、4章1~4節)

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この意味は従来、漠然と理解されている。
「神様の言葉に導かれて生きるのだよ」といったように。
 
だが、より詳細には「創造神の言葉は人に自価意識を与える。これを吸収して自価意識を保つことによって、人は生きられるのだよ」と筆者は解する。

 
<創造神の子が永続の言葉を証拠づける>

けれども言葉というのは人間が自由に操れるものでもある。
我々は自分の魂の経験から、それを知っている。
それが、聖書の言葉についても「口だけなら何でも言えるサ」という意識を大きく心に存在させ続ける。
だが、これに対処する方法をも聖書~新約聖書~は提供している
 
新約聖書では、創造神のひとり子イエスが出てくる。
彼は「人間は永続する」という教えを、人の姿をとって地上にきて明確に宣べる。
また「諸君(人間)は存在価値ある」という思想を、行為でふんだんに示す。
 
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イエスはまた自分の行為はすべて「父なる創造神の御旨」と一致している、という。(ヨハネ、5:19)

つまり、創造神ご自身も人間を存在価値あるものとしておられる、というのだ。
  
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これらの言葉は、相応の影響力を持ってうつ心理を和らげる。
だが、言葉にはまた相応の限界もある。
人間観を言う宗教教義は、世の中に沢山あって、みなそれぞれもっともらしい教えを展開している。我々はそれを五感経験で知っている。
だから前述の「人は口だけでなら何とでも言えるサ」という思いも抱く。
 
けれどもこれに対して、イエスは自らの教えが事実であることを奇跡〔しるしと不思議)で根拠づけるのだ。

 
<奇跡の心理効果>
 
奇跡というのは、強烈な心理効果を持っている。
「人間、死んでおしまいでない。あなたを創造神は存在価値あるものとしておられるのだ」といった言葉に、奇跡が伴ったらどうなるか。
その宣言に人間の抱く信頼感は急増する。

宣言の中身を目に見えるようにしてあげるのではない。ただ、超自然的な事象をあらわす。それで否定感情が劇的に粉砕される。人間の心理はそういうふうにつくられていようだ。
 
 
 
<奇跡を表す方法もいい遺していく>
 
また、イエスは自ら奇跡を現しただけではない。信じる者すべてがしるしを現す方法もいい遺していった。
これが実現されるところでは、この世の人々の永続確信も飛躍するだろう。
実際に実現可能性があるなら、これは人類への夢のプレゼントだ。

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 イエスはその方法を「ヨハネ伝」の中で、ずばり結論的に宣言している。
 
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「(Ⅰ)「諸君がわたしの言葉に留まり、(II)わたしの言葉が諸君の内に留まるなら、(III)求めるものはすべて与えられます」
(ヨハネによる福音書、15章7節)
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~後の解説のために、各フレーズに筆者が番号を付けている~
 
この聖句は。単に「ことば」を証明するという効果を超えたものを持っている。

この方法自体が、直接うつを打破する用具ともなりうるのだ。
だって、求めるものをなんでもあたえる、というのだから。
「なんでも」は「鬱が晴れた爽快な心理状態」も、含むはずだから。
 

とはいえ、この夢のような言葉は、そのままでは使えない。
これは結論的な宣言なので抽象度が高い。
意味の解読が必要だ。それがないと、聖句はたんなる「おまじない」の言葉と人の心の内ではなってしまう。

説明は聖書に触れてきてない人には難しいと思うが、吟味するしかない。
筆者も大胆にやるしかない。
 
次回からそれに突入するよ。
 
もう、やらないことには、日本もあなたも「どうせ死んでおしまい」の意識にさいなまれ続けるのみだからね。
 
だがこの方法が理解できたら、人生変わるからね!
自分の人生だけでなく、他の人々の人生も助けることができるからね。
では、いざ~。





 
コメント
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