「それはもしかしたら、政略結婚じゃない?」
と、アユミちゃんが「そうに違いない」って肯きながらいった。
「政略結婚?」
「そうそう。真木さん前に言ってたんだよね。自分が金持ちなわけじゃなくて、家が金持ちなんだって」
「そう……なの?」
真木さんは以前、アユミちゃんの勤めていたキャバクラによく行っていたので、アユミちゃんの方が真木さんとお喋りをした時間は多い。というか、真木さんと僕はあまり話しをしないので、僕は真木さんのことをよく知らない。知っているのは、真木さんのお気に入りの食べ物、お気に入りの匂い、お気に入りの……
『俺は君のその、言葉数の少ないところ、とても気に入ってるんだけどね』
ふと思い出した、真木さんのセリフ。そうだ。真木さんは僕が喋らないところ、気に入ってくれてる。だからお喋りしないのはいいんだ。だからアユミちゃんより真木さんのことを知らないのはしょうがない。
アユミちゃんが「だからさー」と言葉を継いだ。
「そういう人って、勝手に結婚相手決められてたりするじゃん」
「……そっか」
「そうだよきっと。あ、チーちゃん、腕も」
「うん」
今、アユミちゃんのマッサージ中。アユミちゃんの体はふにふにしている。真木さんの大きな滑らかな体とは全然違う。真木さんの肌は吸いつくみたいで、ぎゅっと引き締まっていて、いつまでも撫でていたくなるような感触で……なんてついつい真木さんのことばかり考えてしまう。
「………で、何かあったら私から連絡してっていうのは、結婚がちゃんと決まるまでは、男の子から連絡があるのはマズイってことなんじゃないの? 真木さんゲイだって周りに隠してるんでしょ?」
「あ……そっか」
アユミちゃんは昔から頭がいい。僕が分からない問題を何でも答えてくれる。
そっか……。真木さん、会いたくなるから電話しないって言ってたもんね……。
「ねえ、じゃあ僕、いつになったら真木さんに会えるのかな?」
「さあ? そのうち連絡あるんじゃないの?」
アユミちゃんはちょっと肩をすくめていってから、「でも」と言ってこちらを向いた。
「でも、チーちゃん。真木さんはもうやめた方がいいんじゃない?」
「どうして?」
「だって、結婚するんでしょ? 奥さんに隠れて付き合うってことでしょ? 大変だよ?」
「……………」
それは……そうだけど……
「真木さんも大変だねえ。本当の自分を隠してずっと生活していくってことだもんね。って、今も隠してるから同じか」
「…………」
本当の自分……
(あ)
急にまた思い出して、思わず、「あ」って言いそうになって引っ込めた。思い出したのは、真木さんの言葉。
『俺もお菓子の家の住人でね。ずっとそこに居続ける。グレーテルはいらない』
以前、言っていた。
『お菓子の家は、居心地の良い素敵な家。食べるものにも困らない。寒くもない。暑くもない。それを提供してくれた魔女を殺すなんて、俺にはできない』
真木さんは、お菓子の家のために政略結婚するのかな………
僕は……僕は………
「まー、でもさ!」
アユミちゃんが突然起き上がった。
「チーちゃんが略奪したいっていうなら応援してもいいよ」
「略奪?」
それは、奪うってこと?
「そうそう。頑張ってみれば? 理恵子さんみたいに」
「理恵子さん?」
父の再婚相手で、父の歯科医院で昔から働いている人だ。でも、父と理恵子さんが再婚したのは僕達が高校を卒業してからだ。ママと離婚したのは中学の時なんだから、略奪ではないような………
そう言うと、アユミちゃんはケラケラと笑いだした。
「バカねえ。チーちゃん。パパと理恵子さん、私らが小学生の時から付き合ってたんだよ!」
「え?」
そうなの?
「で、中学の時にバレて、ママが出ていっちゃって、結局離婚したんじゃん。執念の略奪だよ」
「………え?」
バレて出ていった? え? ちょっと待って………
「違うよアユミちゃん」
口の中が乾いて、うまく言葉にならない。
「ママが出ていったのは、僕がママと似てなくなったからでしょう?」
ママもそう言って出ていったし、アユミちゃんだって、何度もそう言ってた。
「え? あー、あ。そうそう。そうだったそうだった」
「………」
あはは、と笑ったアユミちゃん。
何か、おかしい。なんで。どうして……
「ねえ……アユミちゃん」
「何よ」
「アユミちゃん……」
「だからなに」
眉を寄せたアユミちゃんはちょっと怖い。でも、聞きたい。
「ママが出て行ったのは理恵子さんのせいなの?」
「………」
「僕のせいじゃ……、痛っ」
いきなり、いつもの足の付け根のところをグーで叩かれて、グッと息が詰まる。
「アユ……」
「チーちゃんのせいだよっ」
「…っ」
でも、叩かれた僕よりも、叩いたアユミちゃんの方がもっと痛そうな顔をして、叫ぶように言った。
「チーちゃんがかわいいせいだよ! だからママはチーちゃんにお仕事させるために毎日、あたしとパパを置いて出かけてさっ」
「………っ」
「それで、パパは理恵子さんにふらふら~っていっちゃって、あたしはいつも一人ぼっちでっ」
「アユミちゃん……」
ばんっばんって叩く音とアユミちゃんの大きな声が部屋にこだましている。
「チーちゃんのせいだからね。全部チーちゃんが悪いんだから」
「…………」
アユミちゃんの目に涙がたまってる。
「チーちゃんが声変わりしないで、背も高くならないで、パパみたいな大人の男にならないで、ずっとずっとママに似たままだったら、ママだって出ていかなかったかもしれないのにっ」
「アユミちゃん……」
叩くのをやめたアユミちゃんの息遣いだけが耳にこだましている。
アユミちゃんがつらいのは僕のせい。だから……だから。
(アユミちゃん……)
長い長い沈黙のあと……
「ま、もういいんだけどね」
「え」
ふいっと、顔をあげたアユミちゃんは、もう涙目じゃないスッキリしたような表情をしている。「次、足」といって、僕の方に足を投げ出してきたので、慌ててオイルを塗ってマッサージを再開した。これは足が細くなるオイル、だそうだ。
「……ママも時々帰ってくるようになったしね」
ポツン、と言ったアユミちゃん。ママは一度帰ってきて以来、時々、うちにくるようになった。
「理恵子さんも、一緒に働いてみたら、別に嫌な人じゃないって分かったし。ていうか、むしろ、良い人だし。ヒステリーママより、ずっと良い人だし」
「…………」
「パパも、私が歯医者さんになったこと、あちこちで自慢してるらしいし」
「…………」
「患者さんも、私みたいな若くて美人の先生が増えて喜んでるし」
「…………」
「昨日もさー、美人先生食べてって、患者さんがプリン買ってきてくれちゃってさ。他の女の先生たちが、若いっていいわねーって僻んでたけど、若いだけじゃないっつの。美人だからだっての!」
アハハハハと笑うアユミちゃん。さっきまで怒っていたのがウソみたい。
アユミちゃんは、昔から、スイッチ一つで切り替わるみたいに突然怒ったり笑ったり泣いたりする。それはママも同じだ。
「まあ……さ」
ひとしきり笑ったあと、アユミちゃんが、ふ、と口調を改めた。
「美人なのはチーちゃんのおかげだけどね」
「え」
顔をあげると、アユミちゃんの真っ直ぐな目がそこにはあった。
「チーちゃんがお金出してくれたおかげだもんね」
「そんなこと全然ないよ」
慌ててブンブン首をふる。
「それに真木さんもアユミちゃんはスタイルが良いって言ってたけどそれはアユミちゃんが毎日体操とかして頑張ってるからで僕は何も」
「ああ……まあ、そうね」
うふふ、と笑ったアユミちゃんが嬉しそうに言葉を継いだ。
「私、真木さんにも感謝してるよ? お客さんいっぱい紹介してくれたおかげでキャバでもナンバー3になれたしね」
「うん。すごいね。アユミちゃん」
「ね」
うふふ、とまた笑うアユミちゃん。アユミちゃんが嬉しそうなのは僕もすごく嬉しい。
「まー、だから、話戻すけどさ」
アユミちゃんが真面目な顔になって言った。
「真木さんのこと、奪う覚悟があるなら、早めに奪いなよ? 結婚してからじゃ、不幸な人が増えるだけだよ」
「…………」
「それが出来ないなら、きっぱり諦めな」
「………諦める?」
真木さんを、諦める……?
あの大きな腕に包まれることがもうなくなるってこと? それは、嫌だ。
でも……でも。
***
真木さんに会えたのは、その数日後のことだった。
会えた、というより、見た、というのが正しい。具合が悪くなったレイちゃんの代わりに急にアルバイトに出ることになって、そこで、真木さんを見ることができたのだ。
(真木さん……)
その背の高い後ろ姿にきゅんって、胸の中が温かくなった。
でも、真木さんが視線を僕に向けることは一度もなくて……
真木さんと一緒にいたのは、当然のように環様だった。そして、環様のお父さんらしき人……
レイちゃんがいないのだから、環様のテーブルには僕がつくと思ったのに、フロアマネージャーに止められてしまった。環様が女性を希望されている、とのことだった。
(真木さん……)
仕事中にも関わらず、ついついチラチラと真木さんの方を見てしまう。
(ああ……嫌だ)
体中に「嫌」って気持ちがグルグル回って叫びだしたくなってしまう。
真木さんが優しい目で環様を見ているのが嫌。
環様が楽しそうに真木さんに話しかけているのが嫌。
二人がお似合いのカップルなのがすごくすごく嫌。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
だったら見なければいいのに、どうしてもそちらに目がいってしまう。
ああ……嫌。嫌だ……。
(でも………)
二人とも、幸せそうだ。
僕の存在は、幸せな二人の邪魔をすることになるんじゃないだろうか。
本当に、どこからどう見ても、お似合いの二人。
僕は……
僕は……
「ヒロ君」
「!」
いきなり耳元で声がして、飛び上がってしまった。慌てて振り返ると、
「あ、わ、は、花岡さん……」
オーナーの花岡さんがにこやかに立っていた。ママの共同経営者。いつもニコニコしている、髭が素敵な中年男性。
「仕事に身が入ってないみたいだねえ?」
「あ……」
ばれてた……
「す……すみません……」
「ちょっと休む? おいで?」
いいよね?と花岡さんがフロアマネージャーに視線をやると、フロアマネージャーがちょっと苦い顔をして肯いた。僕が集中できていないこと、フロアマネージャーも気が付いてたってことかな。ああ……仕事中なのに。ダメだな僕……
トボトボと花岡さんの後ろについて、控室に入った途端、花岡さんに「チヒロ君」と名前を呼ばれた。お店での呼び名の「ヒロ」ではなく「チヒロ」と言われて、これはお説教の前触れだ、と余計に身構えていると、花岡さんがぷっと吹き出した。
「別に、お説教とかじゃないよ?」
「………」
じゃあ、なんだろう、と思っていたら、花岡さんはコーヒーを差し出してくれながら、あっさりと、言った。
「君の狙いは真木様?」
「!」
目を見開いてしまった。これでは肯定したのも同然だ。すると花岡さんは、納得したように肯いて、
「ああ、やっぱりそうなんだ? でも、彼、結婚するらしいね」
「……………」
うっと胸が痛くなる。お似合いの二人の姿を思い出して、痛くなる……
「そこで提案なんだけど」
コンッと花岡さんがカップをテーブルに置いた音が部屋に妙に響いた。
「失恋に効くのは次の恋。しかも楽しい恋。とりあえずの一時の恋」
「?」
ニコニコしながら言う花岡さん。言ってる意味が分からない……
「あの……」
「チヒロ君、デートクラブの方のアルバイトもしてみない?」
「……………え?」
デート、クラブ? 何それ?
きょとんとしてしまったけど、花岡さんは構わず話を続けてきた。
「うちは秘密厳守のデートクラブだからね。信用できる子にしか働いてもらってないんだけど、チヒロ君は大丈夫そうだから」
「え………」
「今までも何人かのお客さんに、ヒロ君はいつリストに入るんだって聞かれてたんだよ。だからチヒロ君がOKなら、すぐにお客さん紹介できるよ」
お客さん……?
「男性の会員さんも女性の会員さんもいるけど、君は女性はNGなのかな? 女性経験はある?」
「ない……です」
「男性は?ある?」
「…………」
コクリ、とうなずくと、花岡さんもふむ、と肯いた。
「そう。じゃあ男性限定ね」
にっこりとした花岡さん。
「真木様クラスの方だって紹介できるよ。良い話だと思うけど?」
「え………」
真木様クラスの方って……。真木さんは、真木さんだから真木さんで……クラスって……
「まあ、考えておいて」
「あ………」
「ママには内緒でね。君のママ、何かとウルサイから」
あはは、と笑いながら、花岡さんは控室を出て行ってしまった。
取り残された僕……とりあえずコーヒーを飲む。
「…………薄い」
従業員用のコーヒーは薄い。真木さんと一緒に飲むコーヒーはいつも少し濃いめで、でも程よい苦さの美味しい……美味しい……
「真木さん……」
真木さんに会いたい。今店に行ったら会えるけど、でもそうじゃなくて、その真木さんじゃなくて……
真木さん。真木さんに会いたい。
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次回、金曜日に更新予定です。お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。
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