2004年夏
【早坂さん視点】
ある入院患者が亡くなった。
彼女は健気に戦い、そして穏やかな最期を迎えた。誰のせいでもない。そういう運命だった、と、皆が言った。彼女の両親でさえ、深い悲しみの中でその運命を受け入れようとしていた。
でも、渋谷先生は………
渋谷先生は、ひたすら自分を責め続けていた。一週間経っても、日常業務に支障をきたすほど、様子がおかしかった。
「あれだけ忠告したのに……」
自動販売機のコーナーの前を通りかかった時に、峰先生が苦々しく言っているのが聞こえてきて、思わず立ち止まってしまった。
「お前、患者に近づきすぎなんだよ」
「……………すみません」
小さな声。相手は渋谷先生だ……
「お前はやるべきことはすべてやった。充分、役目は果たした」
「…………でも」
渋谷先生の消え入るような声……
「おれじゃなくて、峰先生が担当医だったら……」
「同じだ、バカ」
バシッと叩かれたような音。
「医者が何でもできると思うなよ。だいたいなあ……」
峰先生の愛のお説教はまだまだ続きそう……
一緒に立ち聞きしていた同僚の1人が、その場を離れてから「あのー」と声をかけてきた。
「渋谷先生って、患者さん亡くなった経験、初めてなんですか?」
聞いてきたのは、先月小児科に配属されたばかりの橋本さん。即座にベテランの大貫さんが首を振った。
「そんなことはないんだけど……、先生が自分一人で受け持った担当患者からは、初めて……なんだよね。付き合いも深かったし……」
「ああ………」
みんなで胸に手を当てて、渋谷先生の気持ちを慮る。
渋谷先生は、はたから見ていても、やりすぎじゃないか、というくらい、患者さんに寄り添おうとしていた。先輩医師の峰先生にそれを何度か注意されていたのもみんな知っている。
「渋谷先生はまだ若いから張り切ってるんだよね。いいじゃないのよねえ」
なんて、看護師の間では峰先生の注意が笑い話になっていたけれど……、こうなってしまっては、峰先生の忠告こそが正しかった、と思えた。どこかで線を引かなければ、精神的にやられてしまう。それで仕事ができなくなるのでは本末転倒だ。
でも……気持ちはわかる。
「あとで発表になるけど……、渋谷先生にはしばらく休みを取ってもらうって」
大貫さんが「まだ内緒よ」と口に指をあてながらいった。
「ちょうど夏休み期間だしね……。頭切り換えてきてくれるといいんだけど……」
「でも………」
思わず言葉が出てしまう。
「そのまま辞めちゃったり………」
「…………」
「…………」
みんなで顔を見合わせ……首を振った。
渋谷先生……カッコ良くて優しくて、みんなのアイドルだったのに……
どうか乗り越えて帰ってきてくれますように…………
そんなみんなの願いが通じたのか、渋谷先生は10日間の休みのあと、ちゃんと復帰してきた。
「ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げた渋谷先生。
「今後ともよろしくお願いします」
「…………っ」
その眼差しに、女性陣から「きゃあっ」みたいな声が上がった。きゅんとさせられるような瞳……
「なんかますますかっこよくなったね~」
「一皮むけていい感じ~」
挨拶の後、みんなはそんな話をしていたけれど………
(…………違う)
私は、違和感を感じていた。
(渋谷先生……人形みたい……)
今までのオーラが情熱の赤、だったとしたら、今は……透明に近い青……
もう大人なんだから、こう言うのは変なのかもしれないけど、「大人っぽくなった」という言葉が一番当てはまるかもしれない。
少年のようにキラキラしていた瞳は、落ち着いた透明感のある光に変わっていて………完璧に整った容姿はそのままなのに、まるで雰囲気が違う……
(先生、大丈夫………?)
儚げ……ともいえる雰囲気に心配が募る。
先生はこの休みの間に、遠距離恋愛中の彼女に会いにいった、という噂だ。そこでも何か大きな変化があったのだろう。そうでなかったら、こんなに変わるわけがない。
別れた……のかな……
(先生………)
遠くにいる彼女より、近くにいる私の方が、先生を支えてあげられる……
(私が、支えます)
勝手な決意を胸に、ぎゅっと両手を握りしめた。
【浩介視点】
ケニアに来てから、夢を見る回数が減った。不眠症だったのが嘘のように、気がついたら寝ている、という毎日を過ごしていた。それだけ疲れているのだろう。
それでも、数少ない夢の中に出てくるのは、当然慶の姿で………。日中も、ふとしたときに、すぐ近くに慶がいるような感覚に陥って、しめつけられるような愛しさと寂しさにとらわれていた。
そんな中……、本当に、本物の慶が会いに来てくれた。
1年4ヶ月ぶりに触れる慶の頬………
あらためて思い知る。こんなにもいとおしい。こんなにも愛してる……
「急に夏休みが取れたから遊びに来た」
慶はそう言ったけれど、何かあったことは明白だった。慶、やつれてる………
シーナとアマラのいる母屋では、気丈に明るくふるまっていた慶。離れのおれの部屋に入った途端、ふうっと大きくため息をついた。
「お前はすごいな……」
狭いおれの部屋の中に、慶の良く通る声が小さく響く。
「生徒だけじゃなくて、村の人にまで頼られて……」
慶は自分の手のひらをジッと見つめてから、ポツリ、とつぶやいた。
「それに比べて…………おれは、無力だ」
「そんなこと……」
何があったのかは分からない。でも、痛いほど、辛い、ということだけは伝わってくる……
何を言えばいいんだろう……
「………おれがこの国に来る勇気を持てたのは慶のおかげだよ?」
迷った末にそれだけ言うと、慶は目を伏せて……
「………浩介」
ぎゅっと抱きついてきた。愛しい感触……
「慶……」
そのまま、狭いベッドになだれ込み、1年4ヶ月分のキスをした。
**
さすがになんの用意もなく最後まですることは躊躇われたので、初めての時のように、お互いを高めあ……………ったのは、いいんだけど……二人して、あっという間に達してしまって……
「ご、ごめん、久しぶりすぎて……」
「おれも……」
あまりにも早すぎだし、半端ない量が出るしで、思わず、顔を見合わせ、笑いだしてしまった。
「あー……おかしい」
「だねー……久しぶりだとこんな風になるんだね」
慶もおれと離れてからは、自分で抜くこともほとんどしていなかったそうだ。おれも同じだ。なんかそんな気分にならなくて……
笑いながらまた唇を合わせる。
「慶、大好き」
「うん」
「大好きだよ」
「ん」
ぎゅうっと抱きしめながら、何度も何度も囁いていたら、慶がすーっと眠りに落ちた気配がした。愛しい慶……
(慶……)
何があったのかは分からないけれど…
『しばらくこちらにいます』
シーナに『いつまでいるの?』と聞かれ、慶はそう答えていたので、まだ時間はあるということだ。そのうち教えてくれるかな……
と、いうか、
(しばらく、じゃなくて、ずっとここにいればいい)
そんな辛い顔をさせる日本なんかさっさと棄てて、ここにいればいい。おれと一緒にいればいい。
もしかして、慶もそのつもりで来たのではないだろうか……
「慶……」
そっとその額にキスをすると、おれも安心したからか急激な睡魔に襲われ、そのまま眠ってしまった。
そして、朝が来て………
慶がいなくなっていることに気がついた。
慶はおれには何も言わず、日本に帰ってしまったのだ。
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お読みくださりありがとうございました!
峰先生の「患者に近づきすぎるな」。これから10年以上後のお話になる『たずさえて』でも、そう言って戸田先生に説教しておりました。あのセリフの下地には、上記の慶の一件もあったのでした……
次回は9月19日(火)更新予定です。よろしくお願いいたします。
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おかげで続きを書くことができております。暗い話が続きますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします…
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