八郎の言葉が、何を意味しているのか、暫し返事に迷う千代であった。
今でこそ、会津藩預かりの新撰組ではあるが、そもそもは壬生狼と陰口を叩かれていた。口さがない者は、人斬り集団とも呼んでいる。
現に幕閣の勝海舟でさえ、表向きはともかく、その実、快く思っていない事は明らかである。
新撰組の縁者と知れば、八郎の態度も変わるのではないだろうか。そんな女心が、躊躇させたのである。
「確か千代さんは御火の番でしたね。それなら、あなたも天然理心流を」。
江戸城大奥において、御火の番は警備も担う為、武芸に秀でた者が就く役目になっていた。
「はい。私は山本満次郎先生の道場で習いました」。
「あの武州下原刀の刀匠の、山本先生ですか」。
これは頼もしいと、八郎が目を輝かせる。
「では、次は是非にお手合わせ願いたい」。
「とんでもございません」。
思わず顔を赤らめる千代であった。
「良いですね千代さん。約束だ」。
八郎は、近いうちに試衛館を訪ねる旨、千代と約定を交わすと、腕を磨いておくように悪戯っぽい笑みを向けるのだった。
眩しい。人の笑顔を眩しいと感じたのは、これが始めてであった千代。胸の奥がざわ付くのを感じるのであった。
行き掛り上ではあったが、図らずも試衛館に逗留する事になった千代。早々に京での話になる。
「近藤先生も歳三も元気だったか」。
それは何よりだと彦五郎。
「はい。私のおりました間は、何事もございませんでしたが、大変なお役目だそうにございます」。
「そうだろうな。歳三は、血の付いた鉢金を送って寄越したくらいだ」。
ふうと溜め息を洩らす彦五郎。
「叔父様、私は、剣術の立ち合いの約定を交わしてしまいました」。
千代は、八郎との経緯を語る。すると、今道場に寺尾安次郎が顔を出しているので、稽古を付けて貰えと、暢気に笑うのだった。
「ほう、伊庭君とですか」。
千代に話を聞いた安次郎。それは無謀だと、これまた一笑に伏す。
「伊庭様は、それほどお強いのでございますか」。
「強いも何も、元講武所の剣術指南方だ。それに、心形刀流宗家の練武館の嫡男。そこでも、伊庭の小天狗と呼ばれてたくらいだ。まあ、男でも相当な腕でなければ適うまい」。
まあと、大きく開いた口を手で覆った千代。
「伊庭様は、そのような事は一言も申されませんでした」。
「大方、からかわれたのでしょう。そういった面のある男だ」。
からかわれた。言われてみれば出会ったばかりの男の言葉を鵜呑みにし、多摩へ帰らずに、試衛館を訪ねた己の浅はかさを思うと、顔が赤らむと同時に、胸の奥の熱さが急激に冷めていくのを感じていた。
「まあ、千代さん。そう気落ちなされるな。伊庭君は必ず来ますよ。ただ剣術ではなくこの時節だ。花見にでも行こうと誘う筈です」。
剣術の立ち合いなど、千代に会う為のただの口実。安次郎は、目を細めるのであった。
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今でこそ、会津藩預かりの新撰組ではあるが、そもそもは壬生狼と陰口を叩かれていた。口さがない者は、人斬り集団とも呼んでいる。
現に幕閣の勝海舟でさえ、表向きはともかく、その実、快く思っていない事は明らかである。
新撰組の縁者と知れば、八郎の態度も変わるのではないだろうか。そんな女心が、躊躇させたのである。
「確か千代さんは御火の番でしたね。それなら、あなたも天然理心流を」。
江戸城大奥において、御火の番は警備も担う為、武芸に秀でた者が就く役目になっていた。
「はい。私は山本満次郎先生の道場で習いました」。
「あの武州下原刀の刀匠の、山本先生ですか」。
これは頼もしいと、八郎が目を輝かせる。
「では、次は是非にお手合わせ願いたい」。
「とんでもございません」。
思わず顔を赤らめる千代であった。
「良いですね千代さん。約束だ」。
八郎は、近いうちに試衛館を訪ねる旨、千代と約定を交わすと、腕を磨いておくように悪戯っぽい笑みを向けるのだった。
眩しい。人の笑顔を眩しいと感じたのは、これが始めてであった千代。胸の奥がざわ付くのを感じるのであった。
行き掛り上ではあったが、図らずも試衛館に逗留する事になった千代。早々に京での話になる。
「近藤先生も歳三も元気だったか」。
それは何よりだと彦五郎。
「はい。私のおりました間は、何事もございませんでしたが、大変なお役目だそうにございます」。
「そうだろうな。歳三は、血の付いた鉢金を送って寄越したくらいだ」。
ふうと溜め息を洩らす彦五郎。
「叔父様、私は、剣術の立ち合いの約定を交わしてしまいました」。
千代は、八郎との経緯を語る。すると、今道場に寺尾安次郎が顔を出しているので、稽古を付けて貰えと、暢気に笑うのだった。
「ほう、伊庭君とですか」。
千代に話を聞いた安次郎。それは無謀だと、これまた一笑に伏す。
「伊庭様は、それほどお強いのでございますか」。
「強いも何も、元講武所の剣術指南方だ。それに、心形刀流宗家の練武館の嫡男。そこでも、伊庭の小天狗と呼ばれてたくらいだ。まあ、男でも相当な腕でなければ適うまい」。
まあと、大きく開いた口を手で覆った千代。
「伊庭様は、そのような事は一言も申されませんでした」。
「大方、からかわれたのでしょう。そういった面のある男だ」。
からかわれた。言われてみれば出会ったばかりの男の言葉を鵜呑みにし、多摩へ帰らずに、試衛館を訪ねた己の浅はかさを思うと、顔が赤らむと同時に、胸の奥の熱さが急激に冷めていくのを感じていた。
「まあ、千代さん。そう気落ちなされるな。伊庭君は必ず来ますよ。ただ剣術ではなくこの時節だ。花見にでも行こうと誘う筈です」。
剣術の立ち合いなど、千代に会う為のただの口実。安次郎は、目を細めるのであった。
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