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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

のしゃばりお紺の読売余話16

2014年11月14日 | のしゃばりお紺の読売余話
 お紺は相も変わらず読売のねたを拾うべく、江戸府中をあちこち出庭っていた。ねたの仕入れ先は、各町内にある番太郎。大体が自身番の前にある木戸番の店である。駄菓子・蝋燭・糊・箒・草鞋などの荒物や夏には金魚、冬には焼き芋なども売っていたので、商番屋とも呼ばれていた。
 自身番に出向いた方が話は早そうなものだが、詰めている大家や差配は口が堅いばかりか、岡っ引きは何かと読売を目の敵にしているのだ。その点、番太郎は目の前の自身番での出来事を見知っており、町木戸が閉まってからの見廻りが役目なので、口は滑らかである。
 「おじさん、焼き芋でも貰おうかね」。
 歩き疲れた身体に芋の甘さが有難い。顔見知りの番太郎では、店先で焼き芋を食べお茶を貰う事も出来る。
 「おじさん。このところ、急に冷え込んできたねえ。夜回りも大変だ」。
 「ああ、そうだな。年のせいかすっかり寒さも身に染みらあ」。
 「あら嫌だ。おじさんは未だ未だ若いですよ」。
 「世辞を言っても出涸らしの茶しかねえよ」。
 そんなやり取りも板に付いたものだ。
 「ねえ、おじさん」。
 「ほれ、きなすった」。
 「ほれ、きなすったって、あたしは未だ何も言っちゃいませんよ」。
 芋よりも目当てはそっちだろうと、言う木戸番のおやじは、店先に叩きを掛けながら軽口を叩く。
 「てえした事もねえが、この先の松の湯、知ってんだろう。あすこで板の間稼ぎがあったくれえなもんさ」。
 「松の湯ったら、伝蔵親分の湯屋じゃないか」。
 伝蔵は深川冬木町界隈を縄張りとする岡っ引きである。岡っ引きに給金は年四両。これだけでは到底生計(たつき)の足しにもならず、副業を持つのが常であり、伝蔵も湯屋を営んでいた。
 「ああ、そうだ。随分ととんちきな板の間稼ぎも居たもんさ」。
 「なら直ぐにお縄かい」。
 (何だ詰まらない)。
 直ぐさまそんな思いは不謹慎であると己を戒める。人様の不幸を飯のたねにしているおの稼業が時として嫌になる事もあった。巾着切りに掛け金を盗まれ命を絶ったお店者、勾引しに合った大店の娘、心中者。数え切れない涙を瓦版に刷ってきている。そして今も、そんな不幸を探し歩いているのだ。






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のしゃばりお紺の読売余話14

2014年11月12日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「初江、武家の娘が縁組を断るなど聞いた事が無いぞ」。
 「でしたら父上は、どうあってもわたくしに嫁げとおっしゃられますか」。
 「聞き分けよ」。
 「嫌でございます」。
 平静を装っていた平三郎だが、初江の頑さには内心驚いていた。
 「父上はやはり静江の方が可愛いのですね。それで邪魔者のわたくしを追い出し、静江に跡を取らせるのでございましょう」。
 初江の目からはぽろぽろと涙が溢れ、畳にぽとりと落ちている。
 「これ、初江。父上になんと言う物言いをするのですか」。
 細君も驚きを隠せずに、平三郎に目頭を合わせる。平三郎は、先程よりも大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出すと、こう言うのだった。
 「初江、お前には掃いて捨てるように縁組がある。だがな、静江にはせめて家でもなければ嫁には行けぬのだ」。
 家付きなら冷や飯食いの二男、三男の婿取りの望みがあると。ここは是が非でも聞き分けて欲しいと、平三郎は優しく諭す。これには細君も傍らで目を丸くするのだった。幾ら何でも実の親が、娘をいや娘の器量をここまで言うのか。そういった目であった。
 「旦那様、静江は良き気質の娘にございます。そう焦らずとも良縁もございましょう」。
 細君はそう言うものの、十七になろうとしていてもただのひとつも話はない。平三郎は、それが自分のせいでもある御神酒徳利の静江が不憫なのだ。これまで初江の婿取りを躊躇ってきたのもその為であった。
 「父上はやはり静江の方が可愛いのですね。然れど、田所の跡取りはわたくし。こればかりは嫌にございます」。
 奇麗な女が本気で怒った顔は、凄みのあるものだ。温和で妹思いの初江からは想像もつかない形相である。
 「初江、お前もしや…」。
 好いた人が居るのかと、細君は言い掛けてその言葉を飲んだ。平三郎の居ない所で聞いた方が得策である。





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のしゃばりお紺の読売余話13

2014年11月10日 | のしゃばりお紺の読売余話
 八丁堀亀島町近くの組屋敷に、田所平三郎の住まいはあった。四十半ばの平三郎は、跡継ぎを決めるのが遅いくらいであるのだが、未だ決め兼ねていた。
 なぜなら、子は娘が二人。長女に婿を取るのが全うではあるが、それを躊躇わせるものがあったのだ。幾日も考え抜いた結果はひとつであった。
 「初江を呼びなさい」。
 細君にそう命じると、居住まいを正し袖に手を入れ目を瞑る。
 「初江でございますか」。
 「左様、初江だ」。
 「でしたら縁組が」。
 細君の声が弾んでいるのは、これまでどのような良縁が舞い込もうと、平三郎が首を縦に振らなかったのだ。相手には初江の病弱を理由にしていた。
 そう、初江は平三郎には似ても似つかぬ、細君似の器量良し。十五にもなると縁組は後を引かなかったが、既に十八。もうこの辺りで嫁がない事には年増と呼ばれる年になる。
 初江が部屋に入ると、平三郎はすっと息を吸い込み、一気に話し出すのだった。
 「初江、そなた与力の片山様の御子息を存じ上げてておるか」。
 初江の顔が瞬時に固まるのだった。そして直ぐに俯き、かぶりを振る。
 「左様か。既に見習いとして奉行所に上がっておられるが、中々の人物である」。
 同心の家から与力に嫁ぐとなれば、目出たい出世である。それもこれも、初江の器量望みである事は言うまでもない。
 「父上、父上はわたくしに嫁げとおっしゃられますか」。
 「と申すは」。
 「わたくしは、この田所家の長女。跡取りにございます」。
 「これ以上の良縁はないと心得ておる」。
 初江は、常に父に口答えなどしようもない大人しい娘であった。それが、目に涙を溜て、唇を噛み締め、指先は微かに震えている。
 「何が不服なのだ」。
 平三郎にはその訳が分からずにいた。与力の家に嫁げば、三十俵二人扶持で貧乏所帯を切り盛りする事もない。何より相手から望まれているのだ。
 「父上、何故にわたくしに田所の家を継がせてはくださらないのです。わたくしは嫁になど行きたくはありません。田所の家を継ぎとうございます」。
 「旦那様、初江は丈夫ではございません。わたくしもこの家で婿を取った方がよろしいかと」。
 細君が言い掛けた言葉が終わらない内に、「口出し無用」と、平三郎の声が被さる。





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のしゃばりお紺の読売余話12

2014年11月09日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「また、お前ぇさんかい」。
 お町の住まいを覗き込んでいると、後ろから声がする。振り向けばあの時の豆だ。
 「いってえ何だってのよ」。
 豆、いや太助だそうその男は、お町とおえんの喧嘩騒動の折りにも、住まいを覗き込むお紺を見咎めていたのだった。
 「いえね。お町ちゃんはどうして居るかなと思いましてね」。
 「へっ、お前ぇさん、お嬢さんの知り合いで」。
 「えっ、ええ。昔手習いが一緒だったのですが、あたしが引っ越しちまいましてね。久方振りに深川に足を運んだので、お町ちゃんを思い出したのですよ」。
 つい先日も居た。
 「へえっ。だったら入えったら良いじゃねえですかい」。
 どうやら豆いや太助には幼友だちと言う言葉の印象が強いようで固い態度を和らげる。
 「ええっ、でも本当に久方振りなので、お町ちゃんが覚えているかなぁと思いましてね」。
 「それでこの前ぇも覗込んでいなすったのけ」。
 「はい。それにこの間は取り込み中でしたし」。
 お紺はちらりと太助の顔を覗き込む。その視線を感じた太助は人差し指で鼻の下を擦るのだった。
 「まあ、入えんなよ」。
 入れる訳がない。よしんばお町が忘れていると取り繕ったとしても共通する思い出なんかありゃしないのだ。手習いの師匠の名前だって分かりゃしない。
 「そうですが…。やっぱり出直しますよ」。
 これじゃあ不信者である。





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のしゃばりお紺の読売余話11

2014年11月07日 | のしゃばりお紺の読売余話
 お紺は白けていった。懸想していたのはおえんの方で、そして一方的に思いが膨らみ、太助の言葉尻を良いように解釈していっただけだ。茶汲み娘を生業にし終日男たちの目線を浴びていながらも、存外に初心(うぶ)なようだ。
 おえんの岡惚れと分かった以上長居は無用だが、それにしても思い込みって恐ろしいと、お紺はそう思う。すっかり白けて鼻の穴を膨らませたお紺とは裏腹に、おえんは良き聞き役を得たとばかりに、誰それに言い寄られた、自分に気が有る客が居る。待ち伏せされたと、あれやこれや自慢話が止まらない。
 おえんも「そうかい。それはそれは」。と相槌を打つが、既に心そぞろである。読売のねたどころか、のしゃばりも役に立ちそうも無い。お紺に持ってきた紅やら美人水に費やした銭が惜しくてたまらない程だ。
 「おえんさん。それじゃあ、太助さんの事はもう良いんですか」。
 そう切り出してみた。それで答えを聞いたら「さすがおえんさんだ」と、褒めて帰れる。
 「ええ、幾ら好き合っていても、あたいが身を引いた方が太助さんの為だと思いましてね。好いているからこそ、涙を飲んで別れたのさ」。
 (はいはい。そうですね)。
 「それはお辛かったでしょう。でもさすが、おえんさんだ」。
 「でもね、滅法辛かったんだよ。太助さんが、あたいと居ると時が流れるのが早いんだって。だからずっと一緒に居たいって事ったろう。それが、お町と一緒だと、時の流れるのが遅いんだそうだ。詰まらないって事ったろう。それであたいくらいの器量なら、器量望みの男が絶対居るからってさ。そうだよね。あたいなら、大店の若旦那や御武家さんだって夢じゃないんだから」。
 おえんの解釈はおかしいが、おえんと一緒だと時の流れが早く、お町となら時がゆったりと過ぎる。楽しみよりも安らぎを求めたと言う事だろう。それを、単に一方的に懸想された相手にも関わらず、丁寧な断りを入れる太助とは、存外に情のある男かも知れない。
 全くもって面白くも何ともない結末に、読売のねたにはほど遠いばかりか、決着が着いたならのしゃばる事も出来やしない。お紺は煮え切らない思いであった。
 (何処かに可笑白い話でも転がっていないもんかねぇ)。
 幾ら器量良しでも、興醒めなくらいに顔を涙でぐちゃぐちゃにしているおえんを尻目に、腰を上げたお紺。高橋を渡れば直ぐに本所だが、そのまま横網町まで帰るには少しばかり陽が高い。ついふらふらと佐賀町のお町の方へと足が向くのだった。





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のしゃばりお紺の読売余話10

2014年11月05日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「だって、3年も待ったんだよ」。
 「えっ、3年…。ちょいとおえんさん、3年って、その間に太助さんとは」。
 「太助さんは、所帯を持つ為に銭を貯めるって、それで暫く会えないって」。
 雲行きが怪しくなってきた。
 「なら3年の間、一度も会っちゃいないのですか」。
 「そうだよ。太助さんも所帯を持つ為にあたいと会うのを堪えているんだ。だから、あたいも我慢してたのさ」。
 (あいたたたた…)。
 先程からおえんは、所帯、所帯と連呼しているが、本当だろうか? 
 「太助さんは、確かに所帯を持とうって言いなすったんですね」。
 おえんは「どうしてそんな事を聞くのか」といった目をお紺に返す。
 「口にださなくったって分かるさ。太助さんとは好き合っていたんだから、所帯を持つのは当然だろう。ねえ、そうだろう」。
 思わずお紺は眉根を寄せる。太助からは所帯を持とうとは言われていなかったのだ。なら好き合っていたとは、深間にはなったのだろうか。男は所詮きれえな女を一度抱きたかっただけだったのだろう。それでおえんは、思い込んでいた。だが、ここはおえんの見方をして話を聞き出す方が得策である。大げさに、太助は情がないとお紺は言う。
 「酷い話だねえ。好いているって言っときながら、片方じゃお町さんにも言ってなすったんでしょ」。
 「止めとくれよ。太助さんは悪くないんだ。勝手に懸想したお町が悪いのさ」。
 二股を掛けられた女の大多数は、件の男よりも相手の女を恨むのが不思議である。悪いのは二股を掛けた男であって、女の方はその事実も知らない事があると言うのに。
 「じゃあ太助さんは、おえんさんと所帯を持つ為に、3年もの間働いていたんですね。その間に傍に居た頭の娘が懸想して、太助さんは断れなくなったと」。
 お紺は「3年の間」ではなく、「3年もの間」と、「も」に力を込めて言った。
 「分かるかい。そうなんだよ」。
 (分かるものか。大体、3年もの間音沙汰がなければ、察しが付こうってもんだ)。
 こうなると好き合っていたというのも怪しい。
 「だって、毎日のように通って来てくれて、あたいが茶を持って行くと、“おえんちゃんの茶は滅法界旨い”って。“きれえな娘と話しながら茶を飲めて疲れも吹っ飛ぶ”って、そう言ったんだよ。それはあたいに気が有るって事だろう。あたいを好いているって事だろう。えっ、そうだろう」。
 (そうじゃない。それはお世辞、もしくは方便というものだ)。





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のしゃばりお紺の読売余話9

2014年11月03日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「悪いけど、あたいの話を聞いちゃくれないかい」。
 (そうこなくっちゃ。聞きますと、聞かせてくおくれな。聞かなきゃ夜も落ち問い眠れない)。
 もはや読売はどこへやら、この金棒引きっぷりが、お紺がのしゃばりと言われる所以である。
 おえんの話は概ねは見たとおりで、夫婦約束をした太助に、頭の娘との縁組みが持ち上がると、そちらに寝返ったというものだった。
 (やっぱりね。男なんて所詮そんなものだ。待てよ、女だって棒手振りと大店の跡継ぎだったら、天秤は大店に傾こうってもんだ)。
 お紺だったら、傾き過ぎて引きちぎれる程だろう。
 「それで、太助さんってえお人は何と言っていなさるんです」。
 「あたいとは所帯は持てないって」。
 「んっまあっ。だって所帯を持とうって言ってなすったんでしょ」。
 おえんの目からほろほろと涙が零れ落ちるが、一向に構わずに鼻を啜り上げるのだった。
 「それは、お町さんと言い交わす前の話だと言うのさ」。
 「前の話…」。
 事の成り行きが若干の狂いを生じ、お紺は思わず前のめりに身を屈め、おえんを覗き込む。
 「なら、おえんさんとは切れて、それからお町さんと」。
 「うえーん」と、おえんが盛大に鳴き声を上げ、その声は長屋中を吹き飛ばすのじゃないかと思える程だ。
 「だって、だって…」。
 声に成らない。
 「ゆっくりとお言いなまし」。
 「あたい、あたい…」。
 「はい」。
 「あたいは、太助さんが、所帯を持つのは暫くまっとくれって言うから…」。
 「だから待っていたのでしょ」。
 おえんは、こくりと頷く。
 「おえんさんを待たせておいて、お町さんにちょっかいを出した。万が一お町さんと巧くいかなかったら、おえんさんに戻る気ずもりだったんですよ。そんな情のない男、熨斗を付けてあげてしまいないさいまし」。
 会った事も見た事もない太助に、お紺は腹立たしさを覚えていた。




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のしゃばりお紺の読売余話8

2014年11月01日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「ご免くださいまし」。
 おえんのねぐらは、冬木町の裏長屋。軒割りの侘しいものだった。所々屋ぶれた油障子には、保護紙で継ぎが当てられている。
 「ご免くださいまし」。
 何度か目の訪いで漸く油障子を開けたおえんの目は赤く腫れ上がり、鼻をしゅんと啜っていた。
 「誰だい」。
 「いえね、この近くに小間物屋を開いたものですから。評判のおえんさんに是非とも試してもらえればと思いましてね」。
 こういう出任せはお紺の得意とするところである。
 「悪いけど、今はそんな気分じゃないんだ」。
 心無しか声も震えている。
 「あいすみません。何かございましたか」。
 「あんたの知ったこっちゃないよ」。
 「はいおっしゃるとおりでございますが、女は女同士、あたしでお役に立つ事はありませんか」。
 お紺は袂から手巾を出すと、おえんに渡す。そして如何にも心配顔で「誰にでも人に言えない辛い事はありますからね」などと、言ってみたりする。
 「あんたにもあるのかい」。
 「ええ。そりゃあありますよ。ついこの間ですがね、所帯を持とうと言っていた男に、ほかにも夫婦約束をしていた女がおりましてね」。
 ここで、おえんがえっといった顔付きで、まじまじとお紺を見詰めるのだった。
 「それでどうなったんだい」。
 「そんな男はきっぱりとくれてやりましたとも」。
 「あんたが手を引いたのかい」。
 「手を引くも何も、仮に所帯を持ったとしても、そんな男は直ぐに浮気をするもんですよ。そん時になって(相手の女が)泣けば良いんだと、思うようにしたら、ちっとも惜しくはなくなりましたよ」。
 しゅんと鼻を啜ったおえんは、お紺を招き入れるのだった。部屋の中は赤茶けた畳にも関わらず、存外に片付いている。古びた鍋釜も磨き上げられ、晩のお菜にでもするのか、水を切った青菜が笊に揚げられていた。
 あながち器量自慢だけではないようだ。



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のしゃばりお紺の読売余話7

2014年10月30日 | のしゃばりお紺の読売余話
 深川八幡境内に、何故か重蔵がお紺の隣に居た。「おえんを見に行くなら、店を閉めても一緒に行く」と、譲らなかったからである。
 「おえん、居ねえな」。
 おえんの姿はそこになかった。
 「ちょいと、姐さん。今日はおえんさんはどうなすったんで」。
 重蔵はほかの茶汲み娘を捕まえると、すかさず尋ねると、おえんは風邪を引いたとかで休んでいるとか。
 「て事は、火消しの娘さんに軍配が挙ったようだねぇ」。
 お紺は霰湯を啜り、ほうっと息を吐く。
 「もったいねえ話だぜ。おえんに懸想されてもなびかねえとはな」。
 「おや、重ちゃんだったらなびくってえのかい」。
 「そりゃあ…。いや、ひとり身だったらの話さ」。
 重蔵は取り繕うにそう言う。
 「やっぱり所帯を持つとなると、器量よりも家柄なのかねえ。重ちゃん、どうだえ」。
 「そうとは言えねえけど、頭の娘じゃ断れねえってのが本心なんじゃねえか」。
 「でもさ、ほかに女が居た男と夫婦になるかね」。
 色恋沙汰にとんと疎いお紺には、それが不思議でならない。もし、自分がお町であったなら、許嫁にほかに女が居たら嫌だ。おえんの立場であったなら、「裏切り者」と罵るだけでは済ませない。どうしておえんは、当の太助ではなくお町に喰って掛かったのかが理解出来ないのだ。重蔵は、「女の悋気はそんなもんだ」と、言うのだが。 
 「どうであれ、お仕舞ぇってこったな」。
 勝手に抜け出して来たからか、女房怖さからか、重蔵は緋毛氈の敷かれた床几から、既に腰を上げていた。
 「あたし、ちょいと調べてみるよ」。
 慌てて霰湯を飲み干したお紺は、先程の茶汲み娘に、おえんの幼馴染みで久し振りに訪ねて来たとか何だとか嘘八百を並べて、やさを聞き出したのだった。もちろん、茶汲み娘の袂には銭を滑り込ませてある。
 「おい、お紺、あんまりのしゃばるなよ」。
 重蔵の声を背に受けて、お紺は足早に歩み出すのだった。





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のしゃばりお紺の読売余話5

2014年10月28日 | のしゃばりお紺の読売余話
 先程までの勢いが嘘のように消え、無性におかしくてたまらなくなったお紺。
 (豆を取り合ってたのか。まあどっちみち、読売にしたって売れないねぇ。それにしても金次ってえのは良い男だったねぇ)。
 のしゃばりのお紺の出る幕はなかった。

 「あーあ、勾引しか押し込みでもないかねぇ」。
 刷毛で掃いた様な雲が浮かぶ青天である。これからは、いち年で一番良い季節になる春初めであった。
 「これお紺ちゃん、滅相もない事を言うもんじゃねえぜ」。
 「だって、こう何も起こらないとおまんまの喰い上げだよ」。
 「だからって、人様の不幸を願うなんて罰があたらあ」。
 表長屋の前を掃きながら、お紺の独り言を聞き止めたのは隣の八百重の重蔵である。お紺とは幼馴染みな事から気心が知れていた。最も、弱い19歳にもなって縁組みのひとつもないお紺とは裏腹に、23歳の重蔵は既に2人の子持ちである。浮いた間柄ではない。
 「お父っつあんなんか、火事でもあった日には、喜び勇んで飛び出して行ったものさ」。
 「そうさなあ。お前ぇの父っつあんは、ネタを嗅ぎ付ける鼻を持ってた。ところでその父っつあんの具合はどうよ」。
 お紺の父・庄吉は戯作者を目指しながら、版元の手代を勤めていたが、芽が出ないばかりか、どちらも疎かとなり、自ら戯作者を諦め読売稼業を始めたのだった。それでも物を書く事には代わりが無いと、腐る事なく続けていくうちに、様々な事件に出会し、そして人間模様を知るところとなると、読売書きも楽しく思えるから不思議であった。「作りもんの戯作よりも本もんの方がずっと面白れぇ」が、口癖となっていった。
 だが齢には勝てず、このところ寝たり起きたりが続いている。
 「温かくなりゃ、良くなるんじゃないかって、玄庵先生も言ってくだすってるんだけどねぇ」。
 庄吉は読売を初めてから所帯を持ったので、お紺は、随分と年がいってからの子種である。お紺が6つの時に、母親は流行病で呆気なく死に、それからは父娘方を寄せ合って暮らしてきた。
 庄吉が張り込みに入ると、ひとりぼっちの寂しい夜を幾晩も過ごした事もあり、それは幼い子どもには大層心細いものだったが、そんな時にあれこれと面倒を見てくれたのが重蔵の一家だった。





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のしゃばりお紺の読売余話6

2014年10月28日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「それはそうと、昨日深川まで足を伸ばしたのだけど、重ちゃん。三組の火消し知ってるかい」。
 「知ってるも何も、深川の三組って言やあ、そりゃあ気っ風に良い、滅法男前の若頭が有名よ」。
 お紺の脳裏に、昨日の涼やかな金次が直ぐに浮かんだ。
 「金次ってえお人かえ」。
 「何でぃ。知っているじゃねえか。若けえ頃は纏持ちで鳴らしたもんでよぉ。初出の梯子なんかは、うっとりするくれえだったぜ」。
 重蔵は「男が惚れ込む男だ」と、目を輝かせる。
 「読売のお紺ともあろうもんが、知らなかったのけぇ」。
 「うん。火事場には行く事があってもさ、火消しの人相まで目に入らないよ」。
 「だな」。
 どうして金次を知ったのかと重蔵がしつこいので、昨日の一部始終を話して聞かせると、やはり重蔵も男であった。深川八幡のおえんと言えば錦絵にもなろうかと言う程の別嬪で、おえん目当ての客で水茶屋は大層な繁盛だとか。
 「で、そのおえんが惚れてる太助ってえのはどんな男よ」。
 「それが、はっきりそうとは言い切れないんだけど、豆みたいだった」。
 「……豆」。
 「うん。目も鼻も口も豆。おまけに体付きもね」。
 「なんだそりゃあ」。
 全てが小振りに出来ていて、似面絵を書いたなら、全てが○になるとお紺はそう感じていた。
 「で、のしゃばりお紺としては、顛末が気になるってえのかい」。
 「まあね。読売には出来ないけど、気になるじゃないか」。
 「だったらよ、おえんの水茶屋に行ってみりゃあ良いんだ。今日、おえんがどんな顔してるか見りゃ分かるってもんさ」。





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のしゃばりお紺の読売余話4

2014年10月26日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「静江、お前が金棒引きだったとは、恥を知りなさい」。
 「旦那様、お嬢様はお稽古の帰りにたまたま騒ぎに出会しただけで」。
 下男が取り繕うも、同心の眉間には皺が寄る。
 「旦那、違ぇます。お嬢様は、喧嘩の仲裁をしてくだすったんで」。
 金治も静江を庇うが、武家の娘が町屋の揉め事に顔を突っ込むなど、恥と考えるのが通例。同心の怒りは収まりようもなく、静江は、ただ「申し訳ございません」と、俯くのみである。
 「早く帰りなさい。後は戻ってからだ」。
 言われてみれば、同心と静江の顔は御神徳利。
 (八丁堀の娘と火消しの娘と茶屋娘。顔触れに不足はないのだが、これでお開くでは、読売にしても売れそうもないや)。
 矢立てを懐に仕舞い込むお紺であったが、そこは読売屋。事の顛末が気になって仕方ない。
 皆が去ってから、金次とお町、おえんが潜った油障子をそっと開けて覗き込むのだった。
 すると内所から、ところどころではあるが、聞き取れなくはない声がする。
 「だからよ、おえん。お前ぇと太助の事は知らなかったのよ。けどよ、太助にゃあ、お町を無理強いして押っ付けた訳じゃねえぜ。太助もお町を嫁さんにしてぇって言ったのよ」。
 「そりゃあ、頭の娘だもの。頭に言われて逆らえる訳ないじゃないか」。
 「もう、止めてよ。太助さんがおえんさんと言い交わしていたなら、あたしの横恋慕だ。もう良いよ」。
 「お町、お前ぇ、本当にそれで良いのかい」。
 「だって兄さん仕方ないじゃないか」。
 「待っとくれよ。それじゃあ、あたいが悪者じゃないか。あたいだって…あたいだって、好き好んで茶汲み女なんかしているんじゃないさ…だって仕方ないだろう。お父っつあんも、お母さんも死んじまって…」。
 おえんらしき嗚咽が聞こえる。
 そしてしゃくり上げながらこう言うのだった。
 「もう良いよ。お町さん済まなかったねえ。ちょいと悋気を起こしちまったよ」。
 要するに二人とも太助という男を諦める事に話が進んでいるようだ。
 (なんだ詰まらない)。
 お紺が踵を返そうとした時、息を弾ませた若い男が肩越しに「何か用ですかい」と、声を掛けるのだった。
 (豆みたいな男だなあ)。
 「いえ…何でもありませんよ」。
 「何でもねえって、お前ぇさん、覗き込んでたじゃねえですかい」。
 「覗き込んでたなんて…、ちょいと火消しの纏を見たかったのさ」。
 纏なんかない。纏は自身番に置いてあるのだ。だが、それしか言い訳が見付からない。
 お紺は、後ろを振り向かずに小走りに去るのだった。
 (もしかしたらあの豆が、太助…)。





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のしゃばりお紺の読売余話3

2014年10月25日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「何だい。妹の肩を持とうってえのかい」。
 「そうじゃねえよ。お前ぇとお町がやり合うのは仕方ねえが、こちら様に八つ当たりもいい加減にしねえかって言ってるんでい」。
 男の澄んだ声が、おえんの滑らかな悪口を遮った。と、同時にお紺は、男とお町の顔を見比べるのだった。
 (兄妹で、御面相が逆だったら良かったものを)。
 お町もおえんが言う程不器量ではない。ふくよかな頬に、濃い眉が八の字を描き、鼻も口も大振りな愛嬌のある顔である。反して男は、きりりと引き締まった涼やかな顔立ちであった。
 男の出現と同時に、金棒引きたちの中から、「よっ、金次」と大向こうの声が掛かる。
 「金次さんってえのは…」。
 お紺は隣の金棒引きに尋ねるのだった。
 「三組の火消しの若頭さ」
 (やったあ。町娘同士の喧嘩に武家娘が絡んで、更に二枚目ときた。こりゃあ良い)。
 思わず口元が緩んだお紺。慌てて口元をもぐもぐと元に戻す。
 「お町、おえん。こっから先は中に入ぇってやんな。直に太助も戻るからよ」。
 金次は二人をそう促すと、武家娘に頭を垂れる。
 「どうにも口が悪くって。申し訳ございやせん」。
 「いえ、わたくしの方こそ出過ぎた真似を致しました」。
 「あっしは、は本所・深川南・三組の火消しで金次と申しやす。どうかあっしに免じてお許しくだせぇ」。
 「いえ、わたくしは…」。
 金棒引きたちは、女子同士の掴み合いが見られずに不満顔で、「もう終わりかい」などと口々に声を上げているその時に、漸く岡っ引きと同心が駆け付けたのだった。
 「さあ、仕舞ぇだ。散った、散った」。
 と岡っ引きが十手をちらつかせれば、四方に散るしかない。
 すかさず金次は同心の耳元で「旦那、御足労でござんした。済みやした」と囁きながら袂に幾許かの銭を滑り込ませるのだった。
 「うむ」と、頷く同心の目が止まる。
 「静江。何故このようなところに」。
 視線の先には俯いた先程の武家娘が居る。双方を見比べるお紺。金次も同様であった。
 「父上…」。
 (父上だってぇ)。





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のしゃばりお紺の読売余話2

2014年10月22日 | のしゃばりお紺の読売余話
 掴み合いの最中に、八丁堀が駆け付け、二人を自身番に連れて行く。そうすれば、金棒引き立ちは事の顛末を知らず仕舞である。岡っ引きに幾許かの銭を握らせて自身番の様子を聞き出せば良いだけである。
 (これは売れるよ)。 
 ひとりほくそ笑むお紺であった。
 そんなお紺の企み、いや言葉を代えよう。お紺の思惑を裏切るかのごとく、白いまるくげの帯締めが凛とした、ひとりの武家娘が二人の間に割って入ったのだ。
 「お二方供、お止めなさいませ」。
 「誰だい、あんた」。
 おえんの冷えた声が向けられる。
 「先程から様子を伺っておりましたが、そろそろ潮時でございましょう」。
 娘は冷静におえんとお町の顔色を伺う。
 「潮時だって。一体誰が決めるのさ。御武家のお嬢さんは引っ込んでな」。
 おえんの伝法な物言いに眉根を寄せながらも、娘は未だも喰い下がる。
 (可笑白(おかしろ)くなってきたじゃないか。御武家さんまで絡んできたよ)。
 「そうさ。こちとら町屋のもんの話さ。御武家さんには分かりませんさね」。
 お町がおえんに同調するおかしな雲行きとなっていった。
 「失礼致しました。ただ、どなたもお二方の間に割って入られないものですので」。
 「そうかい、だけどね。誰に何を言われようとも、はい、そうですかって引き下がれることじゃないのさ」。
 「差し出がましいのですが、こちら様は先程から器量自慢をなさっておいでですが、それは天分。あちら様のお家も天分。せんも無い話でございましょう」。
 諭すように語る武家娘の横では、下男と思しき年配の男が困惑の表情で「お嬢様」と声を掛けている。
 「ふーん。天分だってえ」。
 おえんが、武家娘の足下から目線を頭まで走らせ、口元を緩ませるのだった。
 「御武家さんなら、御面相に関わりなく、お家ってえもんで縁組み出来るんだろう。だけどね、町屋じゃあそうはいかないんだ。きれえな女が一番なんだよ」。
 今度は武家娘の耳までもが朱を帯びる。
 「お前さん、失礼じゃないか」。
 下男が割って入るが、おえんの口は留まらない。
 「だからさあ、どんな御面相でも、お家が縁組みを決めてくれる御武家様の出る幕じゃないんだよ」。
 その武家娘はお世辞にも奇麗と言い難く、下駄のように張った輪郭に、線のように細い一皮目。鼻と唇がこじんまりとしているところが、未だ救われているが、むしろ気の毒なくらいの顔付きでだった。
 (言い過ぎだ)。
 お紺は懸命に走らせていた筆を止めた。
 「おい、おえん。いい加減にしねえか」。
 お紺の後ろからするりとひとりの男が前に歩み出る。
 おえんとお町の視線が男に注がれた。





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のしゃばりお紺の読売余話1

2014年10月21日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「ちょいと、言い掛かりはやめとくれ」。
 「太助さんはあんたの家に色気を出しただけだなんだ。真底好いているのはあたいなんだよ」。
 「へえーっ。あんたには、太助さんの真底が分かるってえのかい。だったら教えて欲しいもんだねえ」。
 金棒引きが弧を描く中心で言い合っているのは、二人の町娘。その口調から、太助と呼ばれる男を取り合っているらしいことが容易に分かるが、肝心の太助の姿はそこにはない。
 鼻息も荒い娘のひとりは、本所・深川十六組南組に属し、佐賀町辺、熊井町辺、西永代町辺、一宮町辺を守る町火消し三組の頭の娘・お町。喰って掛かっているのは、水茶屋の茶汲み娘・おえんであった。
 「ふん。あんたは頭の娘さ。それを傘にきて太助さんに迫ったんだろうよ。そうでなきゃ…」。
 「そうでなきゃなんだってえんだい。えっ、はっきり言っとくれ」。
 面付き合わせた二人の娘は正に一触即発。どちらかが一寸でも動けばその均衡が破れ、掴み合いにも成り兼ねない勢いである。
 「えっ、そうでなきゃ、太助さんがあたしとは一緒にならないってえのかい」。
 濁した言葉尻を言い当てられ、おえんはすっと息を吸うと、堰を切る。
 「だったら言ってやるよ。太助さんはあんたが頭の娘だから一緒になるって話を断り切れなかったのさ。そうさ、そうでなきゃ、誰が好き好んであんたみたいな女と一緒になんかなるもんかね。そうだろう」。
 おえんが太々しい顔付きで、金棒引きたちを見渡し同意を求めると、どこからかぷっと吹き出す笑いが漏れる。
 既にお町の顔は真っ赤に染まり、仁王様の如き。そして握った拳がぶるぶると震えているのだった。
 「どういう意味さ。えっ」。
 「ああ、はっきり言ってやるよ。男ってえのは誰だってきれえな女が好きなのさ。あんたが頭の娘じゃなかったら見向きもされないってことさ」。
 「あたしが火消しの娘じゃなかったら、太助さんはあんたと一緒になるってえのかい」。
 「そうさ。分かってるじゃないか」。
 要するに、きれえな女と顔に難ありの女。家付き娘とそうではない娘。太助という男が天秤に掛けたといったところか。
 「ふん。あんたはなにかってえと、きれえだなんだ言っているけど、その厚化粧の下はどうなっているやら。第一、水茶屋の女なんか…」。
 思わず口をついて出た言葉に、お町はしまったという顔付きになる。今度はおえんの顔色がみるみる朱に染まっていく。
 それにしても、往来でのこんな騒動を誰も収めようとしないとは。
 「水茶屋の女がどうしたってえのさ、あたいは立派に自分の力で稼いでいるのさ。親掛かりのあんたになんか難癖付けられたくないね」。
 「ふん。男に媚び打ってなにが立派なもんかね。その紅はなんだい。お里が知れるってえもんさね」。
 お町の反撃が始まったようである。
 「そうかい、今流行の色なんだがねえ。最も、あんたの御面相じゃあ紅をさしてもどうにもならないだろうがね」。
 (あちゃーっ。とうとう言ってはならない一線を超えてしまったようだね)。
 二人の言い合いを矢立てで書き付けていたお紺でさえ、思わず顔をしかめた言葉だった。それにしても当の本人が何時までやって来ないのが腑に落ちない。そもそも、そういった手前ぇのけつも拭けない男なのだろう。
 (早く、早く。八丁堀の旦那が駆け付けて来る前に、掴み合いをやっとくれな。髷なんぞを掴んだら良いんだがねえ)。
 囃し立てる訳ではないが、器量自慢の茶汲み娘と威光尽(いこうずく)の火消しの頭の娘が、花形である纏持ちを取り合う大立ち回りといった図が、お紺の頭の中で出来上がっていった。太助という男が、纏持ちかどうかなど分かりはしないが、纏持ちの方が派手で良い。
 読売なんてそんなものだ。






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