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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

のしゃばりお紺の読売余話30

2014年12月13日 | のしゃばりお紺の読売余話
 人様の不幸ばかりを飯の種にしている訳ではないが、それが多いのも事実である。時には読売を拵えるのに胸を痛める事もある。
 あの優しかった姉の静江を見る目が冷ややかになった。
 「母上の差し金ですか。母上は、わたくしが疎ましいのです」。
 初江は、目頭に涙をにじませながら、平三郎に詰め寄った。
 「静江に家督を継がせたいのです」。
 平三郎が幾ら説いても、初江は頑に聞き入れない。初江の産みの母は産褥の後に初江を残し世を去っていた。乳飲み子を抱えた平三郎は周囲の勧めも有って後添えを迎えたのである。そして静江が産まれたのだ。
 「初江、そなたはそのように思うていたのか」。
 「いいえ、今の今迄は母上を実の母と慕ってまいりました。ですが、跡取りであるわたくしを嫁に出し、実の娘と暮らしたいと思おておいでのご様子」。
 「そうではない。これはわしの一存ぞ」。
 「ならば、何故、初江に田所の家を継がせてはくれないのです」。
 三十表二人扶持の同心よりも、格上の与力の家に入った方が幸せであると平三郎は信じている。その幸福を初江は掴めるのだ。それを頑なまでに拒む訳が分からなかった。
 一方の初江にとっては、子どもの頃から己が継ぐ筈の家督を静江に奪われた気持ちでいた。やはり己よりも静江の方が可愛いのだ。そう頭から思い込んでいたのである。
 「わたくしは承服し兼ねます」。
 頑な初江に、ついに平三郎は本音を洩らす。
 初江であれば、幾らでも良縁があるが、平三郎に御神酒徳利の静江は、家付きでもなければ嫁の口がないのだと。
 それでも初江は承服はしない。 
 「父上は、静江を第一にお考えですか」。
 そうではない、そうではないのだが、与力との縁組を喜びこそすれ、これ程迄嫌がるとは思ってもいなかった。
 相手は見てくれこそぱっとしないが、人知にも優れ、ゆくゆくは筆頭与力との声も高い人物である。何より、初江を嫁にと懇願しているのだ。これ程の幸せがあろうかと、平三郎は膝を打って喜んだものであった。
 「ええい、初江、見苦しいぞ。武家の娘が縁組に異を唱えるなどもってのほか」。




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のしゃばりお紺の読売余話29

2014年12月11日 | のしゃばりお紺の読売余話
 だが、お紺が手を引いたのは、理由が分からなかったからではなく、むしろ知ってしまったからである。静江の辛い心境を察し、他人が面白おかしく噂するべきではないと感じ入っていた。
 真実を掴んだのは、絵師の朝太郎。どこでどう耳にしたのか、この男は得体の知れないところがあった。あの日も、良い男と評判の金次の顔を見に行くのだと、お紺と離れてから、その翌朝にはお紺にこう言ったのだ。
 「お紺ちゃん。どうにも面白くないねえ」。
 「何がさ」。
 名前に似ず、朝太郎には珍しく、お紺が井戸っ端で米を研いでいる時分の訪いだった。
 「あの、お武家の娘さんの飛び込みさ」。
 人の生き死にである。そりゃあ面白い筈がない。
 「だから、あたしは手を引くよ」。
 そう言いながら、ほつれた鬢を撫で付ける。
 「手を引くよって、一度引き受けた仕事を断るなんざ、朝さんらしくもない。それよりも、面白くないってえのは、何か分かったんだろう」。
 よくよく見れば朝太郎の目の下には隈が出来ている。夜っぴいて調べてその足で来たのだろう。
 「まあね。人様には色々事情ってもんがあるってことよ」。
 「そんなことは分かってるさ。身を投げたんだ。事情が無い方がおかしいじゃないか」。
 もったいぶった朝太郎に、お紺は思わず米粒を投げ付けたくなった。
 「良いかえ、人様に知られちゃ拙いことには蓋をしながらも、霞が掛かったかのように書いて、それでいて、人様の気を引くように仕上げていくのがいくのが読売さ。あたしだってそこんとこは分かっているさ。さあ、話しておくれな」。
 気を持たせるのは好きではない。白か黒かはっきりさせないことには気が済まない質である。
 「んじゃあ、言うけど、絶対に読売にしねえって約定出来るかい」。
 朝太郎は端正な顔の目を引き締める。その目の奥には有無を言わさぬ光を宿しながら。読売に出来ないなら知ったところで何ら意味もない。ところだが、のしゃばりと噂されるだけあり、首を突っ込まずにはいられないお紺。取り敢えずは知りたいのだ。
 「それは出来ないね。読売にしてなんぼの商売じゃないか」。
 「なら話せねえな」。






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のしゃばりお紺の読売余話28

2014年12月09日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「お嬢様、未だ話す気になれねえなら、話したくなるまで待ちやす。こんな所でやすが、それまで気兼ねなく居てくだせえ」。
 金次が口火を切った。するとしくしくと瞼を濡らしていた鈴江が、堰を切ったかのように嗚咽を洩らしたのだった。
 「あっしじゃあ、お力になれやしやせんか」。
 懐手で、膝を揃えた金次の前で、静江は押し殺していた声を次第に洩らし、涙をほろほろと流す。金次は目を閉じ、静江の嗚咽が収まるのをじっと待ち、お町に熱い茶を運ばせた。気持ちが落ち着かなくては話す気にもなれないだろうといった心遣いである。
 泣くだけ泣いた静江は、放心したかのように一点に目をやるが、そこには何も見えてはいないだろう。
 静江の口は重かった。金治が事次第を知ったのは、ひと回りの後。よって、お紺の読売は尻切れとんぼで、静江についてが書かれる事は二度と無かったのである。
 
 「んで、そのお武家の娘さんは、お屋敷に帰ぇったけ」。
 お紺の幼馴染みの重蔵は、お紺の読売よりも先に知りたくてたまらないのが常で、度々売り物の青物などを携えて訪うのだった。
 「あの読売は、火消しの若頭が川に飛び込んで助けたって事でお仕舞いさ」。
 お紺は口を尖らせる。翌日には飛び込んだ訳を調べて第二弾を大々的に売り込もうと意気込んだものの、縁組が整っており、命を絶つ訳なぞ知る由もなかったのだ。
 気にそぐわない相手だったと、安直に思い巡らせない事もないが、当の相手は町屋の娘も熱を上げる程の美男であり、同心の娘からの縁組の申し出も数多有ったと聞く。
 そんな中で静江を選んだのだ。誉れであれこそ、身を投げる理由になどなろう筈もない。
 それが同心同士の縁組なれば、下手を打つ事も出来ず、金次に話を聞こうと試みたが、それもつれなくされて断念したのだった。
 静江のその後は知る由もない。
 「でもよぉ。だったら尚更、気になるじゃねえかい」。
 のしゃばりお紺らしくもないと、重蔵。
 「いくらあたしがのしゃばりでも、これ以上保持繰り返して、面白おかしくは出来ないじゃないか」。
 縁組に傷でも付けたら大変だとお紺。だから「甘い」と父親の庄吉からは言われている。誰がどうなろうとも、読売は「売れでなんぼ」が、庄吉の信念なのだ。こんな時、お紺は実の父親ながら、その非情ぶりに嫌気がさすのだった。




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のしゃばりお紺の読売余話27

2014年12月07日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「何故だ。静江、泣いてばかりでは分からぬではないか」。
 田所平三郎は途方に暮れていた。この事が明るみに出れば外聞が悪いばかりか、漸く整った初江の祝言にも差し障りがあろうかと言うものである。幸いに、静江だと分かっているのは三組の若頭の金次と町医者の玄庵、そして岡っ引きのみである。いずれも口は固いので知れている。
 それにしても、静江が身投げをしようとまで思い詰める訳が思い当たらないのだ。
 「静江殿、そなたは某との縁組が不服なのであろうか」。
 平三郎と共に駆け付けた許嫁の松本真之介は、端正な顔立ちの眉を吊り上げている。
 真之介は平三郎と同じ、町方同心の家の三男であり、この度田所家との養子縁組が整ったばかりであった。冷や飯食いの三男坊が婿入りをするのは至極当然の事である。
 だが、静江との縁組が整う迄に紆余曲折があったのである。それを真之介は忘れたかのように、静江を責める。
 伊予曲折…いちも二もなく飛びつくであろう筈の縁組に、真之介は断りを入れたのだ。それもその筈、美男で偉丈夫な真之介は女子(おなご)に人気があり、婿入り先は数多あったのである。それを全て断ったのは、思い人が居るからだろうと噂されていた。
 言い交わした相手が居るなら仕方ない。だが、その存在を明かす事なく、ただただ、「未だ早し」とだけ、断り続けた真之介が、突然に静江との縁組に首を縦にふったのだった。
 だからといって、一度ならず断られた相手に静江が素直に頷ける筈もないが、家督相続が一番の武家にあって、女子の思いなどは二の次である。とんとん拍子に話は進み、真之介の養子縁組は整い、見習同心として役所に出仕が適っていた。
 そこまでが玄庵宅の下女が語った話である。
 「縁組を嫌っていたからといって、身を投げる程の嫌な相手なのでしょうかね」。
 そこ迄思い詰めるものだろうかとお紺は不思議でならない。
 「まさか、あれ程のお相手なら、あたしなんぞはいちも二もなく承諾するさ」。
 下女は、うっとりと目を潤ませる。一度見たら忘れられないくらいの美男だったそうだ。
 「言っちゃあ何だけど、釣り合わぬは不縁の素って事じゃないかねえ」。
 悲しいかな人は先ず、見目形で判断される。気立てなどはその次なのだ。見目形が良いからこそ、次に気立てに目がいくというものである。特に女子の場合は産まれながらに運の八割りが決まっていると言っても過言ではない。
 (器量と家付き…。男はどっちを選ぶのか…待てよ、どっかで聞いた話じゃないか)。
 お紺は、火消しの娘と茶屋娘の一件を思い出していた。 




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のしゃばりお紺の読売余話26

2014年12月05日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「気付にも効く薬があるのですか」。
 お紺は内心、「しめた」と、ほくそ笑んだ。
 「ありますとも。先日だって…いえ」。
 (ほうら、きたきた)。
 「先日どうなすったのですか」。
 女中は急に顔付きをきりりと引き締め、患者の事は話せないなどと真面目腐るが、その実は何か言いた気に小鼻を膨らませているではないか。こういった場合は、後ひと押しすれば、結んだ口元も緩むというものだ。
 「あたしもね、人ごみなんぞに入ると、つと気が遠くなっちまう質なんですよ。そんなに効く薬なら、貰っていこうかしらねえ」。
 「そりゃあ、何たってうちの先生は長崎帰りですからね」。
 「へえっ、長崎。これは良いお医師を紹介されたもんです」。
 田所平三郎に勧められたと、お紺は大嘘を付く。すると女中は待ってましたとばかりに。お紺の方へと身を乗り出し、滑るように舌を動かすのだった。
 「その、田所様のお嬢様だって、先生の気付け薬で直ぐに良くなったんですけどね、それからが大変でしてね」。
 静江はただ、ほろほろと目尻に涙を流すばかりで、駆け付けた田所が叱咤しても、なだめすかしても、頑として口を開かなかったのだと言う。
 そして、組屋敷へ戻るのだけは嫌だと首を縦に振らなかった為、居合わせた金次が引き受けたのだと。
 「まあ、良く田所の旦那が御承知なすったもんですねえ」。 
 「田所様には心当たりでもおありだったんじゃないかねえ」。
 「でしたらお姉様の方が、大層仲がよろしかったですものねえ」。
 先程、番太の女房から姉が居る事は聞いていた。
 「お姉様ですか。お出でになられたのは田所様と、許嫁の方だけでしたけどねえ」。
 「い、許嫁」。
 お紺は本当に気付薬が必要なくらいに、驚いた。
 「ここだけの話ですよ。他所で喋っちゃいけませんよ」。
 女中はこう言いながら、何度人に話したのだろう。流暢に当時の様子をお紺に聞かせるのだった。いや、話し相手が現れるのを待ち構えていたのかも知れない。ちょっと水を向けただけで口角に泡を溜めて女中は喋る続けるのだった。玄庵が居たら、さぞやこっぴどく叱られた事だろう。





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のしゃばりお紺の読売余話25

2014年12月03日 | のしゃばりお紺の読売余話
 番太の女房の話によれば、田所静江にはひとつ違いの姉が居るのだが、この姉が静江とは似ても似つかぬ器量良し。縁組も降るようにあると言う。だが、静江に至っては、「可哀想な程」父の平三郎に瓜二つなのだそうだ。
 「まあ、あすこまで似てない姉妹も珍しいさね」。
 だが、姉妹仲は良いそうだと付け加える。
 「それが身投げとどいいった関係なんです」。
 器量などは産まれてからこのかた、毎日の事。それが急に身投げに繋がるとは思えないお紺である。
 「詳しい話はわかりゃしないけどね、年頃になって姉さんと比べられるのが嫌になったってもっぱらの評判だよ」。
 自分がそう思っているのではなく、第三者の誰かが言っているのだという物言いは、女特有のものだが、お紺は好きではない。仮に誰かが言っていても己の口に出した瞬間に、己の思いになるのだと思う。
 番太の女房も、静江の器量を多少は哀れんでいながらも、見栄えが悪いと思っているのだ。
 「あれじゃあ、嫁入り先も侭ならないって噂だよ」。
 「噂…噂ねえっ」。
 お紺の胸がむかむかしてきたのは、芋の食べ過ぎのせいばかりではない。これ以上番太小屋には用はない。お紺は思い切って町医者の玄庵を訪う事に決めた。
 玄庵の住まいは番太小屋から然程遠くない佐賀町にあった。場所は、番太の女房に、風邪っ引きでと言って聞いてある。
 生憎と玄庵は、丁度一区切りついて往診に行っているのだと、女中らしき年かさの女が告げる。
 「どうにも頭が痛くてねえ」。
 「先生も直に戻るでしょうから、少しお待ちになりますか」。
 赤いほっぺのでっぷりとした太り肉(じし)の女はに促され、お紺は診察室らしき座敷に通された。
 そこには薬莢入れたら擂鉢やらが整然と並び、当たり前だがつーんと薬草の匂いが立ち込めていた。
 お紺を置いて、女は猫の額程の庭先に出る。そこは丁度診療室の東側に当たり、障子を開けると見える位置であった。
 「お庭のお手入れですか」。
 お紺に振り向きいた女の手には笊があった。
 「いえね、先生がお育ての薬草を摘み取っているのですよ」。
 「薬草…」。
 「気付や熱冷まし、腹痛なんかに使う薬ですよ」。
 薬種問屋からも仕入れるが、玄庵自らが育てる種類も多いと言う。




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のしゃばりお紺の読売余話24

2014年12月01日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「そうだねえ。娘さんが助かって何よりでしたよ」。
 「まあ、田所の旦那も安堵したこったろうよ」。
 (田所…田所の旦那…。何処かで聞いた様な)。
 話を合わせておいたほうが良い。
 「田所の旦那のお嬢さんでしたか」。
 (田所って誰だっけ)。
 「それがねぇ、八丁堀の娘が身投げなんか外聞が悪いってんで、足を滑らせたって話になっているんだけどね、欄干から足なんか滑るもんかね」。
 話に熱がこもり、番太の女房は身を乗り出してきた。
 「しかし何でまた身投げなんかなすったんでしょうね」。
 お紺は出涸らしの茶で喉をうるおし、ほっと溜め息をつく。
 「詳しい事は分からないけどね、まあ、人には色々あるってこった」。
 その詳しい事が知りたいのである。
 「あたしら町屋のもんには分からない、御武家さんには御武家さんの悩みってえのがあるんでしょうね」。
 「そうさねえ。まあ、あのお嬢さん…」。
 女房は何か言いた気だが、口をもぐもぐさせて語尾を濁す。
 こういった場合、「お嬢さんがどうかしたのですか」。などと聞き返してはいけない。さも知った振りをして、同調するのが話を聞き出すこつだ。
 「そうかも知れませんね」。
 何がそうかもか分からないが。
 「そうだよねぇ」。
 (もうひと押しだ)。
 「聞いた話ですけどね、あのお嬢さん、何かこう引っ掛かるものがあったらしいじゃないですか」。
 お紺は、胸を押さえながら水を向ける。焼き芋をもう一本追加するのも忘れずに。
 すると、女房の重い口が少しだけ、滑らかになる。
 「こういっちゃあ、何だけど。いえね、噂だよ。あたしはちっともそうは思っちゃいないけど、気立ては良いらしいけどねぇ」。
 こういう言い回しは女独特である。飽くまでも自分は悪者にはならず、逃げ道を作っておくものだ。聞いた話でも、口に出した瞬間、己の意見にあるとお紺はそう思う。
 (思い出した。火消しの娘と茶汲み娘の喧嘩の際に居た武家娘だ)。
 「そうかも知れませんね」。
 こういった手合いには、同調仕様ものなら噂の発信源にされ兼ねない。どっち付かずの返答が良い。





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のしゃばりお紺の読売余話23

2014年11月29日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「なあ、お紺ちゃん」。
 朝太郎が、猫なで声を出した時は要注意。良からぬ事を考えているのだ。
 「行きませんよ」。
 お紺は冷たく言い放つ。
 「何でい。未だ何も言っちゃしないじゃないか」。
 「言わずとも、分かっているというもんさ。どうせ金次ってえお人をひと目見ようって腹積もりだろう」。
 すると朝太郎は、月代をぺしゃりと叩き、「なら話が早い」とか何とか。折角深川くんだりまで足を伸ばしたのだから、是が非でもひと目お目に掛からなくては帰れないのだそうだ。
 「一緒に深川迄来ておくれ」と、頼んだ覚えはない。
 「駄目だよ、あたしはこれから昨日の娘さんが、どうして身投げしたのかを聞かなくちゃならないのよ。お父っつあんにそう言われているの」。
 「ふーん、ならあたしはひとりで行ってみるさ」。
 朝太郎は、ひとりで三組の火消しの屋まで行くのだと言ってきかないのだから仕方ない、お紺は番太の元へと足を運んだ。
 幸いな事に、向井の自身番には同心も岡っ引きも立ち寄ってはおらず、月番の差配と、書役が所在な気に将棋なぞを指している。
 「ご免んなさいよ」。
 お紺の訪いの声に人の良さそうな番太の女房が顔を出す。
 「お芋くださいな」。
 「はいはい。如何程でしょうか」。
 「ちょいと小腹が空いたので、一本で良いんだけど、ここで食べたいけど言いかえ」。
 ならばと、茶を入れてくれた。
 「おかみさん、昨日は大変な騒ぎでしたねえ」。
 大抵の女は、金棒引きだ。ちょっと水を向ければ乗ってくる。
 「そうだねえ。けど大事にならなくて良かったよ」。
 と言う事は、娘は助かった。
 「それは良かった。あたしもね、たまたま通りがかったもんで、どうなったのか気を揉んでいたところですよ」。
 通りがかってなんぞいない。
 「そうかえ。だったら金次さんも見たかえ。さすが火消しだ。ここが違うよ」。
 女房は、胸を掌で数度叩く。




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のしゃばりお紺の読売余話22

2014年11月27日 | のしゃばりお紺の読売余話
 そこに「ご免よ」と、庄吉が訪いを入れる。
 「やっぱり思ったとおりだ。お紺、いつも言ってるじゃねかい。読売ってえの早さが勝負なのよ。つまらねえとこで引っ掛かってるんじゃねえ」。
 「だって、お父っつあん、若頭の顔が似ていなくちゃ意味がないじゃないか」。
 「そんなもんはな、赤筋半纏を着せて、大きな字で名前を入れときゃ、そう見えるってもんだ」。
 「そうだ。そうだ」と、朝太郎が囃し立てる。
 「ですがね親方、あたしは深川三組の印半纏ってえのを知らないんですよ」。
 庄吉と朝太郎の視線がお紺に向けられる。
 「あ、あたしも知らない」。
 「たはーっ。お前ぇは何処に目を付けてるんだか」。
 だっら、飛び込もうと欄干に立ち、脱ぎ捨てた印半纏が宙を浮いている図柄にしろと庄吉。
 「半纏が翻って裏が見えてるようにすりゃあ良い。裏地は派手な龍の図柄にでもしときゃ良いだろう」。
 鶴のひと声で、ああでもないこうでもないの論争に終止符が打たれた。 
 「朝、こっちはもう出来て、版木彫りに回しとくから、お前ぇは、この空いたところの大きさに合わせて描いてくんな」。
 「あいよっ」。  

 翌日は講釈入りで読売を売り歩く。常なら神田から日本橋や浅草辺りを流しているが、この度は両国、深川で売り切ろうと朝から出庭っていた。売り子はお紺のほかに伝助と佐吉が受け持つが、たっての望みで両国、深川へはお紺と、そして何故か朝太郎の姿も合った。
 「だって、そんなに良い男なら、一度お目に掛かりたいじゃないか」。
 別に衆道でも念者という訳でもないのだが、「奇麗ぇなものは何でも好き」なのだそうだ。
 娘が何故に身投げをしたのかは元より、娘の素性も知れず、よくよく考えれば取り立てるような事柄でもないのだが、読売は、正に飛ぶように売れた。
 お紺は、改めて火消しの人気を思い知る。



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のしゃばりお紺の読売余話21

2014年11月25日 | のしゃばりお紺の読売余話
 お紺の住まいからほど近い、割り長屋の奥に朝太郎のやさはある。
 「朝さん、居るかえ」。
 油障子に手を掛ける前に声を掛けないと、機嫌が悪いのだ。「奇麗ぇな姐さんと睦まじい事をしていたら困る」が、朝太郎の言い分なのだが、雌猫一匹居た試しがない。
 「ああい、居るよ」。
 朝太郎の暢気な声が返ってくる。お紺は油障子を開け、通い慣れた朝太郎のやさに入った。相も変わらず、あちこちに子どもの下駄やら凧やらが散らばり、その隙き間に身を小さくして座り込んで絵付けの最中。
 「朝さん、少しは片付けたら」。
 「片付いているよ」。
 「片付いていないから、そんな隅っこに小さくなってしゃがんでいるんじゃないかい」。
 「嫌だねえ。ここが居心地が良いのさ」。
 こういうずぼらなところが歌川派の「性に合わなかった」のだろう。歌川派で修行をしてのが真ならばであるが。
 お紺は、永代橋の身投げの件を話しを身振り手振りを交えて、如何にも見て来たかのように伝えると、金次の顔形を伝える。
 「もっと、こう眉がきりりとして濃くもなく細くもなく。目は涼やかで切れ長のひと皮目で、そうそう。鼻筋は、すっとして。えっ、顔形かい、そうだねえ、細面だけれど長くはなく…。口元はきりりと端が上を向いて、程良い形で」。
 そう言いながらお紺は、眩しい層な目を宙に走らせる。
 「おい、お紺ちゃん。それじゃあ、ちっとも分からねえよ。でいち、永代橋から飛び込むとこを描きゃ良いんだろ。だったら赤筋入りの半纏を着せりゃあ良い話だ。何も似面絵にしなくても良いんじゃねえかい」。
 「駄目だよ。三組の若頭って言やあ、本所、深川の娘たちが放って置かない色男さ。その若頭が載ってこその読売じゃないか」。
 お紺も一枚欲しい。
 「じゃあよ、役者で例えるなら誰よ」。
 「そうさねえ、團十朗よりもすっとしていて、海老蔵よりも色気が合って、幸四郎よりも優男さ」。
 「何でぃそらあ。増々分からねえ」。
 朝太郎は、月代をぺしりと叩く。
 「だったら今から見に行くかい」。
 「おきゃあがれ。今から深川くんだりまで行ってたら版木彫りが間に合わねえじゃねえかい。でいと、お前ぇがしっかりと見とかねえから…」。
 言い掛けて止めた。






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のしゃばりお紺の読売余話20

2014年11月23日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「じゃあ、お父っつあんは、火消しの若頭が人助けをしたってだけじゃ、読売にならないってんだね」。
 「そうは言っちゃいねえ。その火消しってえのは大層な色男なんだろ」。
 「そりゃあ、滅法界良い男っぷりさ」。
 一度見ただけで鮮明に覚えているくらいだ。
 「だったら明日はそれでいってみな。だがよ、お紺、次はその娘がなでまた身投げしたんだってえのが気になるのが人情だ。そっちも調べて明後日には出しな」。
 とどのつまりが、お紺と同じ考えである。
 それにしても人の生き死にで大喜びするなぞ、お紺には到底出来そうも無いばかりか、その主が己の親かと思うと情けなくもなるのだ。
 だが、読売の親方には、そのような者でなければなれないのかも知れないと、ふと思う。
 (やっぱり読売を継ごうなんて考えないで、嫁入りした方があたしには似合っているのかも知れないね)。
 残念ながら嫁入り先の宛などない。
 「じゃあ、明日に間に合わせるからお父っつあん、書いといておくれよ。あたしは絵師の先生のとこ行って来るからさ」。
 父親の庄吉は、若い頃戯作者を目指した事もあり、読売は己の手で書いていた。早い話が戯作の夢が破れて読売稼業を始めたのだ。
 絵師の朝太郎は、歌川派で一時修行をしたと本人は言っているが、歌川某の雅号はない。本人は「性に合わなくておん出たのよ」と、言っているが、概ね、女でしくじったのだろうと、お紺は思っている。
 普段は、玩具絵や凧の絵つけなどを生業としているが、風景画も似面絵も腕は中々のもので、市井に埋もれさせるには惜しい逸材なのだ。
 だが、この男も庄吉同様にひと癖もふた癖もあり、それが災いしているのは言うまでもない。





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のしゃばりお紺の読売余話19

2014年11月21日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「まあよ。どぼんと大っきな音がしてよ。見りゃあ若けえ娘が真っ逆さまよ。んでよ、おらぁ、取る物も取り敢えず船を漕いだって寸法よ」。
 船頭は鼻の下を人差し指で誇らし気に擦る。
 「さすがだねえ。それで兄さんが近付いている間に、三組の若頭が飛び込んだんだね」。
 「おう。おったまげたぜ。橋の欄干によじ上るとよ、そっからどぼんだ」。
 娘の方は真っ逆さまということは、欄干から身を乗り出して落ちたのだろう。金次は、欄干の上に立ち、足から飛び込んだ。
 (絵になるじゃないか)。
 お紺は小躍りしたいくらいだ。
 「で、川面に顔を出した時は、娘さんも一緒かえ」。
 「おうよ、娘を抱えてこう、持ち上げてよ」。
 船頭は身振り手振りで様子を再現する。娘を引き揚げたのは自分であり、その後に自分が手を差し伸べなければ金次は危うかったと話すが、ここは脚色もあるだろう。
 お紺の脳裏には、ぐったりする娘を船頭に預け、さっそうと船に手を掛ける金次の姿が浮かぶ。
 (水も滴る良い男ってこの事じゃないかい)。
 絵師に描いて貰うのは、金次が欄干を蹴って飛び込む瞬間だ。娘の飛び込みよりも、それを助けたのが火消しの若頭で、それがまた滅法界良い男だというのが売りだ。
 ここまで固まれば、一刻も早く帰って、明日迄に瓦版を刷り上げなくてはならない。幸いな事に一度会った金次の顔は鮮明に覚えている。絵師には金次の似面絵を描かせ、金次の男っぷりを売りにするのだ。

 「ふーん。そんでお前ぇは、喜んで帰ぇって来たってか」。
 だから女は甘いのだと、父親の庄吉は苦虫を噛み潰したかのような顔である。
 「どうしてさ、良いじゃないか。若い娘が大騒ぎするよ」。
 折角のねたをこけ下ろされ、お紺の小鼻がぷくっと膨れる。
 「良いか、読売稼業ってえのはな、そこで娘も助けに入ぇったお人もお陀仏になって、初めて大喜びしなくちゃなんねえのよ」。
 「そんなお父っつあん。それじゃあ、あんまりじゃないか」。
 「そうさ、あんまりだ。そんでもよ、情を挟んじゃなんえねのが読売ってえもんだ」。
 因果な稼業であると、庄吉は顔色も変えずに続ける。
 「それが嫌なら早ぇとこ嫁にでも行きな。おっと、明日嫁入りしてももう遅ぇくらいだけどな」。
 「本当に、お父っつあんの憎まれ口は天下一品だ。だけどあたしは未だ十九だよ」。
 「もう十九だ。年が明けりゃあ、年増って言われるぜ」。
 角の豆腐屋のお美代坊は十六で婿を取ったの、小間物屋のおとしは、十九の時には二人の子持ちだったの、よくもまあ、実の娘に言えたもんだと、お紺は呆れるが、庄吉の肉忌まれ口は居間に始まった事ではない。この気質合っての読売とも言えるだろう。




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のしゃばりお紺の読売余話18

2014年11月20日 | のしゃばりお紺の読売余話
 その矢先に、目の前の自身番が急に慌ただしくなった。岡っ引きの伝蔵が飛び出して行ったのだ。それを目の当たりにしたら、人様の不幸うんぬんなど何処へやら。
 気が付けば岡っ引きの跡を追って走り出している自分が居た。
 息を切らせながらも見失わないように懸命に走り、辿り着いたのは永代橋。結構な距離である。そこには、既に人だかりの垣根が出来、割って入る岡っ引きに遅れを取るまいかとお紺も前へとしゃしゃり出る。
 が、そこには何もなく、ただ猪牙船がもやっているだけだった。
 耳をそばだて伝蔵の聞き込みを、付かず離れず聞いていると、飛び込みがあったらしい。
 「んで、身元は分からねえのけぇ」。
 「へえ。たった今、三組の若頭が玄庵先生のとこに担ぎ込んだのよ」。
 水夫が言うには、飛び込んだのは若い武家娘であった。そしてたまたま居合わせた本所・深川南組の火消し三組の若頭が、自らも橋の欄干から飛び込んで救い上げたと。そして、猪牙船の船頭を促して船を近付けると、その船に引き揚げたと言う。
 「んで、玄庵先生のとこってえ事は、助かったんだな」。
 「さあ。青ぇ顔してぐったりしていなすったんで」。
 「何でぇ頼りねえな」。
 (遅かった)。
 番太の見世で、焼き芋なんか頬張っている場合ではなかったのだ。ひと足早ければ、飛び込んだ瞬間を絵師に描かせ、大した読売ねたに成るところだった。しかも助けたのが火消しとあれば江戸っ子にはたまらない話だ。
 (んっ、三組の若頭)。
 「親分、三組の若頭ってえのは、苦みばしったお男ですかね」。
 「おう、そうさ。この辺りで金次を知らねえもんはいねえよ」。
 (しめた。これは売れる)。
 そうとなったらぐずぐずはしていられない。飛び込んだ時の様子を探らなくてはと、お紺の読売魂に火が付いた。こうなると、のしゃばりお紺の腕の見せどころだ。
 「ちょいと兄さん。兄さんが二人を助けなすったんでしょ」。
 幾ら飛び込んでも船がなければ助からなかったの、船を漕ぎ出した判断はさすがだの船頭を持ち上げる事仕切り。そうなると船頭とて悪い気はしない。自ずと口も滑らかになろうというものだ。




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のしゃばりお紺の読売余話17

2014年11月18日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「どうしておとっつあんは、こんな稼業をしているの」。
 子どもの頃、そう聞いた事も合った。
 「それはな、同じ事を繰り返さない為よ」。
 「繰り返さない」。
 「そうさ、悪い事をすりゃあお天と様が見てらあ。必ずお縄になるのよ。だからよ、それを世間様の知ら示して、同じ事をする者んが居なくなるようにさ」。
 父親の庄吉はそう言っていたが、悪事を働く者は一向に居なくならない。
 「おじさん。おじさんはどうして夜回りをしているのかって考えた事があるかい」。
 「どうしてって、火事を出さねえ為さ」。
 現に、付け火を見付け大事に至らなかった事もあった。付け火ではなくても不注意からの火事は多い。それを未然に防ぐ為にも夜回りは必要なのだ。また、町木戸が閉まってからの急な通行にそれを開閉するのも番太の務めである。
 「そうだねえ。でもさ、人様が寝静まった時刻まで働くのは嫌じゃないかい」。
 「嫌も何もねえよ。誰かがやらなきゃなんねえんだ」。
 (誰かがやらなくてはならないか。読売もそうだろうか。誰かがやらなくてはならないのだろうか。読売なんか無くても生きていくに障りはない)。
 どうしてそんな子を聞くのかといった顔を向けられ、お紺は深い溜め息をつく。
 「どうしてい、お紺ちゃんらしくもねえ」。
 元気だけが取り柄と言わんばかり。
 「あたしだって、たまにはさ、どうして読売なんかやっているのかって考えちまうのさ」。
 そう、他人の色恋沙汰に首を突っ込んでばかりで、己に浮いた話のひとつもないのは、年頃ともなれば寂しい限りである。
 お町とおえんの一件で、太助がおえんに言ったとされる、おえんと居ると時が流れるのが早く、お町と一緒だと、時の流れるのが遅いという言葉。言うなれば、おえんには楽しさを、お町には安らぎを求めているのではないか。だとすれば、男は遊ぶ分には見目形を気にするが所帯を持つとなれば、ほっと出来る女である。
 自分は男の目にどう写っているのだろう。
 「おじさん、おじさんはあたしと話をしていて楽しいかい。それともほっとするかい」。
 「何でぇ。薮から棒によ」。
 とまどいながらも番太は、「楽しいよ」と軽く言う。
 「時が流れるのが遅くはないかい」。
 「おう、遅きゃなぁ。そうすりゃ夜回りの刻限も遅くならぁ」。
 駄目だ、こりゃあ。話が通じていない。当たり前だけれど。




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のしゃばりお紺の読売余話15

2014年11月14日 | のしゃばりお紺の読売余話
 初江は妹を可愛がっていた。周囲が言う程静江が不器量だとも思わない。それは、仕草や気質の良さも加味されての事だと思う。だが、己が静江の容姿だったら、そう思うと母親に似た事に感謝をするのだった。
 幼い頃より姉妹に着物を誂えると、母は決まって、「静江は、何を着せても似合いませんね」と、ぽつりと洩らすのを聞きとがめたものである。
 父が自分に似た静江を可愛がるように、母似の初江は母に可愛がられていたのだと思う。
 だが今は、本来継ぐべきの家名をその静江の為に、諦めろと言われたのだ。静江は家付き娘でなければ、嫁ぐのは難義だと父が言う事も分からなくはない。だがそれは初江が自身の運命を変えてまで従わなくてはならないのだろうか。
 静江の為に犠牲にはなれない。初江は胸から得体の知れない物が沸き上がるのを感じていた。
 「姉上、父上からはお話はどのような事だったのですか」。
 何も知らない静江の無邪気な声が癇に障る。
 「あなたには関わりのない事です」。
 冷ややかな声を返すと初江は、夜具の中に頭まで潜り込んだ。
 一夜明けても、静江の顔を見ると胸がつかえるようであった。静江は何も悪くない。それは良く分かっている。だが、静江さえ居なければ。 そう思ってしまう自身が嫌で溜まらない。 
 これまで静江が容姿をからかわれると庇ってきたが、心のどこかに哀れみや同情の思いはあった。そしてほんの少しのばかり、優位な気持ちも。だがそれが今、覆されようとしているのだ。器量良しに産まれたばかりに。
 夜具の中で、初江の目頭から熱い物が零れ落ちた。
 静江が事の次第を知ったのは、ひと周りも過ぎた頃だった。あの優しかった姉が急に冷たくなった訳も、姉から笑顔が消えた訳も悟ると、無邪気に姉の嫁入りを喜んでいた己が腹立たしくもあった。だが全てが遅過ぎた。姉は直に与力の家へ嫁ぐのだ。今更破談など出来よう筈もない。
 静江は、どうしようもない罪悪感に襲われ、己を責めていた矢先にお町とおえんのいざこざに出会したのであった。
 それはまるで、姉と自分の心の中を見透かしたかの様な、争いでもあった。



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