大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

のしゃばりお紺の読売余話5

2014年10月28日 | のしゃばりお紺の読売余話
 先程までの勢いが嘘のように消え、無性におかしくてたまらなくなったお紺。
 (豆を取り合ってたのか。まあどっちみち、読売にしたって売れないねぇ。それにしても金次ってえのは良い男だったねぇ)。
 のしゃばりのお紺の出る幕はなかった。

 「あーあ、勾引しか押し込みでもないかねぇ」。
 刷毛で掃いた様な雲が浮かぶ青天である。これからは、いち年で一番良い季節になる春初めであった。
 「これお紺ちゃん、滅相もない事を言うもんじゃねえぜ」。
 「だって、こう何も起こらないとおまんまの喰い上げだよ」。
 「だからって、人様の不幸を願うなんて罰があたらあ」。
 表長屋の前を掃きながら、お紺の独り言を聞き止めたのは隣の八百重の重蔵である。お紺とは幼馴染みな事から気心が知れていた。最も、弱い19歳にもなって縁組みのひとつもないお紺とは裏腹に、23歳の重蔵は既に2人の子持ちである。浮いた間柄ではない。
 「お父っつあんなんか、火事でもあった日には、喜び勇んで飛び出して行ったものさ」。
 「そうさなあ。お前ぇの父っつあんは、ネタを嗅ぎ付ける鼻を持ってた。ところでその父っつあんの具合はどうよ」。
 お紺の父・庄吉は戯作者を目指しながら、版元の手代を勤めていたが、芽が出ないばかりか、どちらも疎かとなり、自ら戯作者を諦め読売稼業を始めたのだった。それでも物を書く事には代わりが無いと、腐る事なく続けていくうちに、様々な事件に出会し、そして人間模様を知るところとなると、読売書きも楽しく思えるから不思議であった。「作りもんの戯作よりも本もんの方がずっと面白れぇ」が、口癖となっていった。
 だが齢には勝てず、このところ寝たり起きたりが続いている。
 「温かくなりゃ、良くなるんじゃないかって、玄庵先生も言ってくだすってるんだけどねぇ」。
 庄吉は読売を初めてから所帯を持ったので、お紺は、随分と年がいってからの子種である。お紺が6つの時に、母親は流行病で呆気なく死に、それからは父娘方を寄せ合って暮らしてきた。
 庄吉が張り込みに入ると、ひとりぼっちの寂しい夜を幾晩も過ごした事もあり、それは幼い子どもには大層心細いものだったが、そんな時にあれこれと面倒を見てくれたのが重蔵の一家だった。





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