[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

ベスト学習会 www.bestkai.com
別宮利彦の『小魔人の小部屋』
こっそり垣間見てにんまり微笑んでください

象の日

2006-04-28 | 歴史カレンダー

4月28日は 「象の日」です。

江戸時代の1729(享保14)年のこの日、交趾国(現在のベトナム)からの献上品として、清の商人によって長崎に渡来した象(徳川吉宗が中国商人に象の輸入を注文していた)が、中御門天皇の御前で披露された。

その後、江戸に運ばれ、5月27日に将軍徳川吉宗は、象を江戸城に召し、大広間の前庭において観覧した。その後10年以上にわたって浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で幕府が飼育にあたった。

徳川吉宗は、紀州藩主として治世に努力し、賢候として好い評判を得ていた。正徳2年(1712年)に6代将軍・徳川家宣が51歳で病死。後を継いだ4歳の家継も、享保元年(1716年)に8歳で病死し、徳川宗家の血統は絶え、吉宗が8代目の将軍となる。

江戸幕府8代将軍の徳川吉宗といえば、「享保の改革」を行った幕府中興の英主として知られている。質素倹約を重んじ、緊縮政策をとった。しかしながら、徳川吉宗が海外のものに強い関心を持った進取果敢な精神の持ち主でもあり、享保という時代が、鎖国体制下にありながら日本人の海外への関心が高まった時代でもあった。

生きた象が日本に渡来したのは、この享保期が初めてではなかったが、徳川吉宗自らが発注し求めたものであった。象は長崎から江戸まで陸路で運ばれ、民衆に至るまで多くの人が目にする事ができ、熱狂的な歓迎を受けた。象の糞を乾燥させ、幕府の許可を得た上で、薬として売り出しもしたともいわれている。そして、象をあしらった関連グッズ販売等、各分野で象ブームが巻き起こるなど、室町期などの過去の象の渡来とは画期的に異なるものであった。


小魔人は、かつてタイに旅行に行った折、アユタヤを訪れた。悠々と流れるチャオプラヤ川の恵みを受けるアユタヤは、17世紀には日本との朱印船貿易により、1500人が住む日本人町も形成され、山田長政が傭兵隊長として名を馳せた土地である。遺跡の宝庫ともいわれるアユタヤは、ユネスコの世界遺跡に指定されている。

そのアユタヤで、名物ともなっているエレファント・ライディングを体験した。
駅の切符売り場のような感じのところでお金を支払う。
象の背中は地面からの高さが、2メートルくらいあるので、階段を登り、
「象乗り場」と書かれたプラットホームから象に乗る。

象の首の部分に、象使いのお兄さんが座って掛け声をかけながら、象を操る。
象使いのお兄さんは、先が金属で尖ったカギ棒のような形の道具をもっていて、
象の動きを制御していた。耳の後ろやオデコのあたりを小突いて刺激するで…、
ちょっと痛そうだった。「お兄さん、急がなくていいから、そっと歩かせたげて…」と
言葉が通じるなら言いたかったのだが。

象の背中の腰掛け(鞍みたいに据え付けられたベンチ)に座った乗り心地は…。

ぽっこん、ぽっこん。ゆら~、ゆら~。
左右に激しく揺れるので、落ちないように体を支えるのが大変だった。

象の大きさを実感する。象が一歩足を運ぶ度に、体が大きく揺れる。

約30分の象乗りだったが、遺跡の点在する中を、ドシン、ドシン、と練り歩く。
象の背中の高い視線から見下ろす風景。

何とも言えない特別な感慨であった…。 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿