[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

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別宮利彦の『小魔人の小部屋』
こっそり垣間見てにんまり微笑んでください

雑草がスター軍団に打ち勝つ!

2006-12-18 | サッカー最前線

サッカーの6大陸のクラブ王者が日本に集結したトヨタ・クラブワールドカップの決勝が行われた。

南米代表のインテルナシオナルが、1-0で欧州代表のバルセロナに勝ち、優勝した。

大方の予想ではバルセロナ勝利は当然という雰囲気だった。
私もそう思った。
しかし、試合を見て、インテルナシオナルの勝利は、幸運だったとか偶然だったとは思わない。
バルセロナが本調子ではなかったなどという見方もされているが、やはりインテルナシオナルが強かった。それに尽きる。自分たちが南米代表なんだというプライドはしっかり持っているし、スター軍団の相手に臆することなく、非常にしたたかに戦った。勝つために。改めて素晴らしいチームだという印象をもった。


聞くところによると、日本サッカー協会ではサッカーを通じた子どもの健全育成を目的とする「こころのプロジェクト」を来春から本格的にスタートさせる。そして、その一環として、現在世界最高の選手と言われるロナウジーニョ選手にメッセージを依頼したとのこと。

そして、ロナウジーニョは、いじめ問題などで悩む日本の子供たちを励ますメッセージを3枚の色紙にしたためた。

「生きろ、生きろ、生きろ。強くあれ。自殺なんかするな。」
「絶対に夢をあきらめるな。君の人生を精いっぱい生きろ。」
「人生は美しい。心にたくさんの喜びと愛を持って生きよう。」

とポルトガル語で記してある。

彼は、「試合に勝つこと、観客を魅了する素晴らしい試合をすることも大切だが、もっと大切なことは、試合を楽しむことだ。」といつも口癖のように言っている。

そして、どの選手よりもフィールドで笑顔を見せる。ロナウジーニョと言えば、あの愛嬌のある笑顔という代名詞にもなるほどだ。

これからも、もっともっと子供たちに夢を与え、憧れの存在であり続ける偉大なプレーヤーとしての活躍をしてほしいものだ。


オシムジャパンの船出

2006-08-17 | サッカー最前線

オシム監督就任後、初の公式戦となった日本が、後半のゴールで2-0の勝利を収めた。

国際サッカー連盟(FIFA)の最新世界ランキングでは、日本の49位に対し、イエメンは125位。
勝って当然というプレッシャーのある中、辛勝というところだろうか。

オシム監督になって、試合後の監督談話も楽しみにしてますが、
期待を裏切ることなく、

「私は不満だ! ディフェンスが各駅停車だ…」
などと、相変わらず個性的な比喩だ。

それにしても
気になったのが、オシムジャパンのメンバーの、あの背番号の数字のデカさ!

▽GK 川口23、山岸43
▽DF 三都主14、坪井20、加地21、闘莉王45、駒野31
▽MF 中村50、羽生51、遠藤4、鈴木55、阿部30、山瀬功56、
     佐藤勇57、田中隼58、小林大59、長谷部35
▽FW 巻36、我那覇65、佐藤寿37、田中達38、坂田67

ジーコ監督が指揮を執った2月のインド戦で予備登録に使用された42までの
番号を変更できないため、50、60番台の選手が多くなったようだ。

でも、イエメンの国民にしてみれば、ただでさえ中田や中村ぐらいしか名前を
知らないだろうに、W杯に出たメンバーが6人だけで、事もあろうに背番号が
50番台や60番台の選手がうじゃうじゃいる。

二軍・三軍のメンバーばっかり出してきやがって、日本はイエメンをナメてんのか!!

なんて声が聞こえてきそうですが、どうでしょうか。


オシムの言葉

2006-08-08 | サッカー最前線

オシム・ジャパンが始動し始めた。

先日、オシムを密着取材した番組を見た。
とても興味深い番組だった。

       イビチャ・オシム 65歳(ボスニア出身)
       母国語の他にドイツ語 フランス語 英語を操る。
       好きな食べ物 : 焼き魚 デコポン
       趣味 : 料理 大相撲観戦

彼のこれまでのサッカー人生はというと、

18歳 ゼレツニカール・サラエボとプロ契約。ポジションはFW。
    華麗なドリブルテクニックとチャンスを逃さない決定力。
    すぐに地元ボスニアのスター選手になり、やがてその名はユーゴスラビア全土に知れ渡った。
23歳 東京五輪にユーゴスラビア代表として来日。日本戦では2得点をあげる。
28歳 世界選抜メンバーとして、ペレとも戦った。
29歳 ユーゴからフランスリーグへ移籍
37歳 現役生活を引退。
    現役通算85得点 イエローカードは一度も受けていない。
1990年 ユーゴスラビア代表の監督となった。(当時49歳)
            5つの民族、4つの言語、3つの宗教
            「モザイク国家」と言われたユーゴスラビアの代表メンバーを見事に束ね上げた。
    1990年イタリアワールドカップでは、 ユーゴスラビアをベスト8に導いた。
    国中が歓喜の渦に包まれ、彼はヒーローとなった。

番組の中でのインタビューで、数多く印象に残るものがあった。
以下は、私の印象に強く残ったインタビュー内容です。

監督としての信念・信条は?

  そもそも私は監督と呼ばれるのが 嫌いだ。
  私の国では監督をトレーナーと言うが、もともとの意味は調教師だ。
  馬などの動物に芸を教える調教師がサーカスにいるだろう。
  私は調教師ではない。言うならば教師だ。
  サッカーの基本や人生の基本を選手たちには教えている。
  強制と教育。そこが違う。
  もし強制する場合には、理由と効果を説明することが大切だと思っている。

なぜ 走ることを重要視するのか?

  逆に教えてほしい。
  走らないでプレーできるサッカーとは どんなサッカーなんだ?
  手で動かすゲームだって人形を走らせるだろう。

もし 監督になっていなかったら?

  教師になりたかった。
  数学が好きで、数学の教授になるのが夢だった。

監督として自信がある能力は?

  重要なのは自信ではない。他人の評価だ。
  自分自身を正しく見つめるのは難しい。
  だから自信など持たずに 足りないものが何かを知るべきだ。
  鏡に自分を映して ありのままの自分を受け入れたほうがいい。
  鏡が歪んでいるときに それを指摘してくれる友人も必要だがね。

とにかく、一言一言に知性と情熱を感じさせる人物だ。
私自身、「ああ…、おっしゃるとおり、自分もそうあらねば!」
というようにしみじみと噛み締めるべきこともあった。
学ぶべきことが多かった…。


様々な余韻を残して…

2006-07-15 | サッカー最前線

ワールドカップも終結し、お祭りムードの雰囲気も一段落した。

しかし、ワールドカップとともにやってきた熱気は、
それが終わった後も去ることはないが…。

優勝したイタリアは、その戦術においても、ガッツにおいても秀でたチームだった。
素晴らしい戦いを見せてくれた。

改めて、サッカーの素晴らしさを再認識した。

一流のプレーヤーが個人においても、チームにおいても、
見ごたえのある芸術と呼ぶに相応しいプレーを披露する。

そして、上手さと強さが完全に比例する、そんなスポーツはそうあるもんじゃない。

また次は4年待たないといけないのかと思うと、惜しいような気がするが、
4年に1度しかないからこその“重み”があるんだろう…。

けれども、やはりジダンv.sマテラッティの件では、なんともいやーなシコリが残った感じだ。


ワールドカップ ベスト4

2006-07-03 | サッカー最前線

ワールドカップもいよいよ大詰めとなってきた。

手堅いサバイバルで、順当な8強の戦いとなったが、
準々決勝では様々な波乱があり、ついにベスト4が出揃った。

私が大会前に考えていた決勝戦カードはドイツVSイングランドというものだった。
ブラジルは、イングランドに敗れるだろうと考えていた。

で、結局ベスト4に残ったのはイタリア、ドイツ、ポルトガル、フランス

今大会では、守備がいかにしっかりできているかがキーになっている。

フランスがここまで勝ち上がるという予想がしていなかったが、
準々決勝のフランスの勝利にも、ベテラン中心の組織的な守備が
ガッチリとブラジルの攻撃を防いだという感じだ。

ビエラ、マケレレの存在感は素晴らしいものだった。彼らの活躍があってこそ、
激しい争いを制してフランスがブラジルを下し、準決勝への切符を手に入れた。

イングランドは残念ながら敗退してしまった。
その戦いぶりが期待はずれだったという声もささやかれている。
史上屈指のメンバーと言われ、個々のスマートでカッコいいプレーに期待が大きすぎたのかもしれないが…、

ベッカムは代表の主将の座を降りると告げた。
年齢的にも微妙なところなので、
次のワールドカップではピッチに立っているのだろうか…。

 (もしも、私がハム屋を経営したとすれば、これを着るのだが…)
              クダラネエ… ((*。´_ゝ`*))ノ【スンマセン】


しかし、イングランドの選手には同情するなあ…。
オーウェンは故障離脱で悔いが残る。
ベッカムは負傷退場で最後まで戦えず、PKも祈りながら見物するだけになってしまった。
PKを失敗したランパード、ジェラード、キャラガーも呪われた悪夢という思いであろう。

それぞれが、『こんな悔しい終わり方になるなんて…』と、大いに嘆き悲しんでいるはずだ。
その辛さを晴らすために4年間待たなければならないというのも残酷な話だ。

しかし、優勝するチームのスーパースターよりも、悔し涙を流した選手の方が
明日へ向かって一段と苦難と努力の道を歩み、大きく成長するだろう。

それは日本のサムライたちも同じだ…。


クロアチア

2006-06-17 | サッカー最前線

さあ、明日は サッカーワールドカップ2006ドイツ大会
崖っぷちジーコ・ジャパンの第2戦!

対戦相手のクロアチアは、ブラジル戦でも臆すことなく、非常にいい勝負をした。

このクロアチアって、一体どんな国なんだろう?
雑学的なことも含めて紹介する。

クロアチアは、1992年に独立国として認められるまではユーゴスラビアと呼ばれていた。
ユーゴスラビアは、歴史の教科書では、「ヨーロッパの火薬庫」でおなじみのバルカン半島の大部分を占め、
クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツゴビナ、セルビア・モンテネグロ、マケドニアに分裂した。

イタリアとアドリア海を挟んで右対面に位置し、緯度は日本の北海道とほぼ同じ。
国の面積は九州の約1.5倍しかない小さな国土。

その海の美しさは世界有数で「アドリア海の真珠」と呼ばれ、観光客も多く訪れる。
首都のザグレブは、古い建物が並び緑に包まれ、路面電車が縦横に走る、落ち着いた街で、
「小ウイーン」とも言われれている。

クロアチアにまつわるトリビア

◆ 『東方見聞録』で、"黄金の国ジパング"を初めてヨーロッパに紹介したマルコ=ポーロ。
イタリアのヴェネチア生まれという説もあるが、クロアチアではアドリア海の
コルチュラ島で生まれたクロアチア人である、と堅く信じられている。
"マルコポーロの家"は現在も残されていて、博物館になっている。
 
◆ クロアチアはネクタイ発祥の地である
ネクタイという言葉は英語の Necktie で、縮めて Tie と表現することが多い。
英国以外のほとんどのヨーロッパ諸国では、ネクタイのことCravat(クラヴァト)という。
これはクロアチア人を意味するクロアットに由来するのだそうだ。

そもそもは、17世紀前半、クロアチアの騎兵軍団が戦場に出るとき、
妻や恋人が出陣する兵士の無事を祈って首にスカーフを巻いて送り出しことから
が始まり。そして、クロアチアの軍装は、美しいスカーフを首の周りに巻くのが伝統となった。

1656年にクロアチア人の兵隊がパリにやってきた時のこと、彼らが首にリンネル(亜麻の繊維)で
できた布を巻いていたのが、おしゃれ好きなルイ14世の目に止まり、それ以降ファッションとして
登場し流行した。

(ちなみに、日本人初のネクタイということでは、
文献に出てくる、はじめてネクタイを締めた日本人は、漂流した末アメリカ船に助けられ
アメリカにまで渡ったジョン万次郎(中浜万次郎)で、1841(天保12)年のこと。 )

◆ 101匹ワンちゃんで有名なダルメシアン犬の産地である。
クロアチアのダルマチア地方を原産とする中型犬で、
18世紀中頃からダルメシアンの名で知られるようになった。
 
◆ クロアチアにまつわる有名人
柔道、空手、合気道等の日本の武道に対する関心も高く、中でも格闘技、K-1、プライドで
活躍している “ミルコ・クロコップ” は国の英雄。国会議員でもある。
リング上でのパンツは赤白のチェッカー模様。
サッカー代表のユニホームも同じ模様で、中世より使われている、クロアチアの象徴である。

サッカーでは、クロアチアには12のクラブチームがあり、その中の名門「ディナモ・ザグレブ」には
かつて日本のカズ(三浦和良)も在籍していた。このザグレブには、ズラトコ・クラニチャール監督
もかつてFWとして活躍し、英雄的な存在であった。息子で、司令塔のニコ・クラニチャール(21)
も同クラブ下部組織でプレーし、18歳で主将を務めた。

「えこひいき」だという批判の声もあったが、息子のニコ・クラニチャールはしっかりと役割を果たし、
文句を言わせない働きをしている。日本との対決でも、恐ろしい存在となるだろう。


ジーコ・ジャパン W杯メンバー発表

2006-05-16 | サッカー最前線

W杯ドイツ大会(6月9日開幕)の日本代表メンバー23人が決定した。

深夜のテレビで、画面にかじりついて見た。
事前にだれにもメンバーを漏らすことなく、会見場でジーコ監督はゆっくりと1人ずつ名前を読み上げた。

最後に読み上げた「巻」の声には、報道陣の中から「うおーーっ」と声が挙がった。

落選した久保はとても気の毒だが、まあしょうがないかなあと思う。
1試合目で、激しいタックルを喰らって、『うがあああああ…、腰がァ…』ってなりそうな気がするもんなァ。

松井(フランス・ルマン)も、選ばれてほしかったけど、じゃあ、誰を外すっていうMFがいない。
まあ、まだ若いし、しょうがないから、2010年の南アフリカ共和国大会に期待するか…。

巻誠一郎の選出はなかなかナイスだと思う。長身を活かした前線での競り合い。ゴン中山ばりに献身的にファイトできる根性。
彼はきっと何かやってくれるだろう。

最後の10分で、何とか1点をもぎ取らねばっていう土壇場になったら、
奥の手として、大黒・巻をツートップにしたら面白いだろう。
どちらもワンダーボーイ的な要素を備えている。

選ばれたのは以下のメンバー。

選手名   生年月日 身長 体重  所属
GK
土肥 洋一 1973.7.25 184cm 84kg FC東京
川口 能活 1975.8.15 179cm 78kg 磐田
楢崎 正剛 1976.4.15 185cm 76kg 名古屋
DF
田中  誠 1975.8.8 178cm 74kg 磐田
宮本 恒靖 1977.2.7 176cm 72kg G大阪
三都主アレサンドロ 1977.7.20 178cm 69kg 浦和
中沢 佑二 1978.2.25 187cm 78kg 横浜M
中田 浩二 1979.7.9 182cm 74kg バーゼル
坪井 慶介 1979.9.16 179cm 67kg 浦和
加地  亮 1980.1.13 177cm 73kg G大阪
駒野 友一 1981.7.25 171cm 73kg 広島
FW
柳沢  敦 1977.5.27 177cm 75kg 鹿島
高原 直泰 1979.6.4 181cm 75kg ハンブルガーSV →フランクフルトに移籍予定
玉田 圭司 1980.4.11 173cm 63kg 名古屋
大黒 将志 1980.5.4 177cm 74kg グルノーブル
巻 誠一郎 1980.8.7 184cm 81kg 千葉
MF
福西 崇史 1976.9.1 181cm 77kg 磐田
中田 英寿 1977.1.22 175cm 72kg ボルトン
中村 俊輔 1978.6.24 178cm 73kg セルティック
小笠原満男 1979.4.5 173cm 72kg 鹿島
稲本 潤一 1979.9.18 181cm 75kg ウエストブロミッチ
小野 伸二 1979.9.27 175cm 74kg 浦和
遠藤 保仁 1980.1.28 178cm 75kg G大阪
デイビッド・ベックム? 1967.9.25 171cm 63kg レアル・マドギーワ

23人の『青きサムライ』たちよ。ドイツでの活躍を期待してるぞ!

フレーヾ( ̄0 ̄ゞ)( 尸ー ̄)尸_フレー


ようガンバった!

2005-12-04 | サッカー最前線
冷や冷やものだった。終盤のまさかの連敗でずいぶん心配させよってからに…。

首位攻防の混沌とした中で行われた3日の<J1>最終節。ガンバは負傷で離脱していた大黒、出場停止のアラウージョが戻り、ようやくベストメンバーがそろった。首位セレッソ大阪から5位千葉まで5チームに優勝の可能性が残る歴史的ともいえる大混戦となったのも面白かった。

ガンバはFWアラウージョが先制し、後半2-2の同点に追いつかれたものの、MF遠藤のPKで勝ち越し。さらにアラウージョが追加点を決めて、4―2で川崎フロンターレを振り切った。セレッソ大阪が同点で試合を終えたため、逆転での劇的な優勝となった。

勝てば文句なしの優勝となる首位C大阪は、ホームで東京に2-1とリードしながら、後半44分59秒の終了間際に同点弾を突き刺された。セレッソの選手とサポーターにすれば、ドーハの悲劇の再来という思いであっただろう。気の毒ではあるが、後半戦をかなり盛り上げてくれたことに敬意を表する。来年またがんばってくれ…。

西日本勢として初のJ年間王者の座についたガンバは、93年のJリーグ初年度に参加した10クラブの中で、唯一タイトルがなかった。ついに悲願の初戴冠である。93年の開幕年にはファンクラブに加入し、これまでずっと応援し続けていた私にとっても悲願であった。でも、阪神優勝みたいな経済効果はないんやろなあと思う。

試合後、祝勝会を終えた主力選手たちがいくつもの深夜のテレビ番組に出演していた。いつも感じることだが、宮本と大黒のコメントのコントラストには笑える。聡明で大人びた発言で、キャプテンらしい貫禄を感じさせる宮本の発言と対照的に、大黒はコテコテの関西人。
 「まー、そーすね…」「僕、どっちかっていうと醤油よりソースね…」
っていう感じ。でもいいぞ、大胆で無頓着にどんどん大口をたたけ。お前の口調なら許されるぞ…。

得点王となったアラウージョや大黒も含め、J1最多の82ゴールを記録した今年のガンバ大阪の攻撃サッカーは魅力的だった。優勝したことによってガンバ大阪は来年のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)出場権を手にした。来年3月8日から始まるACLでの活躍も期待したい。

かっこええぞ!中田…

2005-08-24 | サッカー最前線
中田ヒデが、サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)フィオレンティナからイングランド・プレミアリーグのボルトンへ1年間の期限付きで移籍しました。入団記者会見では、全く通訳を介さず、滑らかな英語で答えていてビックリしました。用意された文章を読み上げるくらいならいざ知らず、30分間の質疑応答でサポート役として同席したマネジャーに全く出番がないほどのものでした。

質問を聞き取って、すぐに返す。発音もきれいでした。思わず硬直して聞き入ってしまいました。以前から、プレミアリーグに関心を寄せていたようですが、同時に、英語の準備もしっかりしていたんですね。さすが…。発音もさることながら、スピーチしている内容もカッコよかったですね。「大事な決断は、いつも自分でします」、「キャリアのために、サッカーをやっているわけじゃない」とか、立派やなあ。世界に誇れる日本人やなあと思えました。日本人は、曖昧で自分の意志をはっきり言えないというイメージを持たれがちですが、中田選手のような人が前線で活躍し、その国の言葉で会見するというのは、日本のイメージアップにもつながりますね。いや、立派です。

地元記者に対しても、「英語のうまさに驚いた。静かで抑えめだが、とてもプロフェッショナルだった」と印象づけたようです。出席した日本メディアからの質問も英語に限られ、記者会見では日本人同士が英語でやりとりをしていた。その日本人記者の「今後も日本語は使わないのか」とのトンチンカンな質問にも「自分たちがどこにいるかを考えなければいけない」と応じた。ふゥ~、おっけ~!『さすがに一流のアスリートはちゃうなあ』と感心した。

「I just want to enjoy.That’s all.(楽しんでプレーしたい。それがすべて)」と語っていた通り、ベンチではなく、フィールドで大暴れして欲しいものですね。

語学力で驚いたと言えば、卓球の福原愛ちゃんの中国語やF1レーサーの佐藤琢磨の英語もホント、見ていて素晴らしいですね。これから世界での活躍を目指すアスリートたちも、カッコいい語学力を身に付けて欲しいものです。ヤンキースの松井も…、いや、松井は無理せんでええわ…。

Jリーグ通算10000ゴール達成

2005-05-16 | サッカー最前線
93年にJリーグが開幕し、はや13年目。もう1万ゴールも決まったのかと思うと感慨深い限りです。メモリアルゴールとなる一発をゲットしたのはリーグ戦わずか5試合目のルーキー、ガンバ大阪のMF前田雅文(22)でした。ホームの万博記念競技場に名古屋を迎え、後半31分、FW大黒将志からのスルーパスを受け、通算1万ゴールとなるプロ初ゴールを決めました。前田選手は、強運の持ち主で、関西大学1年の初出場試合では、ファーストタッチで得点を決めたという。そして、そのゴールが関大を関西学生リーグ1部残留に導いたというからびっくりです。そして、J初得点が1万ゴール。こんな人っているんですねえ。

Jリーグで「1万ゴール目を決める選手を当てる」というプレゼント付のキャンペーンをやってました。私も応募しようかなと思ってましたが、結局せずじまいでした。まあ、まさかというような結果だったので当たりはしなかったでしょうが…

前田選手は日本サッカー史の金字塔を打ち立てましたが、1得点で人生が変わったということでは、2月のW杯アジア最終予選・北朝鮮戦の決勝ゴールで英雄となったチームメートの大黒将志もそうですね。強運男がそろうガンバ大阪の今後の活躍に期待したいです。

そういう私は、実は長年のガンバ大阪サポーターなのです。13年前、Jリーグ開幕時はガンバ大阪のファンクラブのメンバーとなり、足繁く万博記念競技場に通ったものです。今でも、ちょこちょこ長居にも万博にも出没しております。最近、長居スタジアムで塾生に出くわしたこともありました。

まだまだベッカムの時代

2005-05-03 | サッカー最前線
 フランスのサッカー専門誌が、恒例の世界のサッカー選手「長者番付」を発表しました。それによると、イングランド代表主将のデイビッド・ベッカム(レアル・マドリード)が1位となりました。年俸では最高額ではなかったが、CM出演、肖像権ビジネスなどで推定年収2500万ユーロ(約34億円)を稼ぎ出したとのこと。

 また、ベッカムは資産でもイングランドのサッカー界「長者番付」の選手部門1位でもあり、その資産は推定6500万ポンド(約130億円)に上るというからビックリ。
 イングランド・プレミアリーグのアーセナルに所属するオランダ人FWのベルカンプが、3700万ポンド(約74億円)で2位。イングランド代表のオーウェン(Rマドリード)が3000万ポンド(約60億円)で3位で、大きく差が開いています。
 オーナー部門では、ロシアの大富豪でチェルシーを保有するアブラモビッチ氏が断然トップでした。資産総額は75億ポンド(約1兆5000億円)と推定されています。

【いやあ…、さすがスーパースターのベッカム様という感じですね。 私、デイビッド・ベックムとしてもうれしい限りですなあ。】