[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

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別宮利彦の『小魔人の小部屋』
こっそり垣間見てにんまり微笑んでください

ガソリン!

2008-04-29 | ちょっと気になる最近の話題

駆け込み給油かあ…

世間がかなりそわそわしており、
取り敢えず入れとかな~というムードに誘われ、

車を走らせ、付近で最安のガソリンスタンドへ出陣。

訪れたスタンドは、通常22時まで営業しているが、
19時過ぎに行ったにも関わらず、看板の電気が消えていた。
でも、スタンドには車がいっぱい、

「えらいこっちゃあ~、一歩遅かったかあ…」
と思いきや、

入口を赤いコーンで遮っていた店員のお兄さんが近寄ってきて、
「もう、在庫が切れてまいそうなんですけど…」
と言われ、

「まあ、あかんかったらしゃあないわ~」
と思いながら、列に並んだ。

少し待たされたけれども、無事満タンにできた。
「goooooooo!」
不安を覆す結果になったので、なんか得した気分。


1分間偉人伝

2008-04-28 | 頭の栄養になるテレビ番組

ためになる娯楽教養番組 『熱血!平成教育学院』

新学期の新授業として“1分間偉人伝”が登場した。
名前を聞けば誰もが知ってる超有名人だが、いざ何をした人かを聞かれると???
そんな、知っているようで知らない偉人の成し遂げた意外な実績を題材にした出題に
生徒たちが答えるというものだ。

正解発表の際に、偉人たちの人生を1分間でコンパクトにまとめてわかりやすく解説する。

今回は、二宮金次郎(尊徳)が取り上げられていた。

「二宮金次郎は今で言うとどんな仕事をしていたか?」という問題であった。

薪を背負い、歩きながら読書をする小学校の銅像のイメージ、学問を大切にし、勤勉の象徴
という認識は誰にも共通するところであると思うが…

正解は、経営コンサルタント(農村復興政策を指導)。

江戸後期の実践的農政家「二宮尊徳(幼名:金次郎/生没1787-1856)」は、父を14歳で母を16歳で亡くし、伯父の家で苦しい農耕をしながら「論語」「大学」「中庸」等を独自に学び、青年期に家を再興。独特の農法・農村改良策によって、小田原藩等の615の村を財政破綻から救った。農民の勤勉と倹約によって、荒廃した農村の振興に貢献した。

   彼は、勤労、分度(倹)、推譲を人々に勧めた。
  勤労とは   徳に報いるために働く、
  分度とは   収入の範囲内で支出を定めること
  推譲とは   勤労、分度をしてたまった物を将来のために残したり、人に及ぼしたりする事。

彼が遺した素晴らしい格言がある。
 『 積小為大 』 
小さなことを積み上げていって、やがて偉大なることを成し遂げる、という強い意志を伴うもの。
コツコツと小さなことを為していったら、気が付いてみると、結果的に大きなことが出来る。
また、偉大なることを為すために、目の前の小さなことを強い意志力を持って、すぐに開始し、
コツコツと意識して積み上げていくことが肝心だというもの。

実体験に基づいたものだからこそ、重みがあるなあと思う。


まきふん公園

2008-04-27 | あるある探検隊


噂の聖地に行ってきました。



『 ホームレス中学生 』で有名になった、麒麟 田村裕 の家。

休日に豊中まで出かける用事があり、
「あっ、そういえば…」
とネットで検索してみると、
近い場所のようなので、行ってみた。

通称:まきふん公園

公園の正式名称は「山田西第2公園」。イズミヤに隣接する中規模の公園。
(実際、イズミヤを目指して探し当てた…)

地元のチビッ子たちのための公園

ある程度予想はしていたが、現在、この場所は観光名所化しており、
カメラ片手の人が多かった。

「この場所はかつて…」などという看板でも立ってるのかなとも思っていたが
やはり公共のものだけあって、そんなものは一切存在しなかった。



残念なことに、観光名所化して落書きが増えているようだ。
これは吹田市民の宝であり、田村氏の故郷なんだから、
来訪の記念に、などと落書きなどとんでもないことだ。



しかし、このまきふんの滑り台。
もひとつ構造がよくわからない。

戯れているビギナーのチビッ子たちは、みな「???」。
まあ、ありきたりではなく不思議な感じがいいのかもしれない。

人知れず寝れそうかなって感じはなんとなくわかった。


桜の通り抜け

2008-04-21 | 日常の1コマ


日曜日、造幣局の桜の通り抜けに行ってきた。

 

 

 

 

 



何年ぶりか忘れてしまったというくらいの久し振り。

造幣局の桜は「桜の通り抜け」という愛称で親しまれているのだが、
これは、混雑緩和のために一方通行の規制をしていることから

「通り抜け」って言うようになったんだって…。




 

 



 


 

そういえば、「立ち止まらないで進んでくださーい」というアナウンス
の中を、南口から北口まで、トコロテンのように押し流されると
いう感じが、まさに通り抜け。ホント混雑してた。







 

 

 

 

 


時期が遅くないのかなあと思ったが、八重桜が多いので、他の桜の
名所よりも開花の時期は遅く、ちょうど見頃だった。

明治から始まって今年で125年だと!

毎年、「今年の花」があるそうです。

造幣局は、みんな桜の通り抜けでは行くけど、

通り抜けている横にレンガ造りの立派な建物で、
造幣博物館ってのがある。

一年前くらいにいったが、なかなかいいスポットです。
しかも、入館料は無料。

造幣局の歴史  日本の貨幣  外国の貨幣
古代、江戸時代の貨幣製造方法などなど。

「コイン、コイン、コイン…」って感じでした。

ギザジュウコレクターの世界ランキングに名を連ねる
(現在56位)
私、小魔人としては、すごく満喫できたところでした。

みなさんもどうぞ行ってみて下さい。桜よりいいかもよ。


小魔人のマラソン

2008-04-16 | 小魔人が歩んできた歴史

前回、ロンドンマラソンに出場したマサイ族に関する情報をお伝えしましたが、
マラソンと言えば、

小魔人も大学生の時、一度だけだが、フルマラソンを経験している。

フルマラソンはおろか、ハーフマラソンすら未体験だった私だが、
小さい頃から第二寝屋川の土手を走りまくっていたので、
足には自信があった。

一生に一回は、42.195km走らななあと、漠然と思い描いていた。
そして、どうせなら、国内ではなくて派手にいこう…と、
友人2人を引き連れてホノルルマラソンに挑戦することになった。

大会当日、まだ夜明け前の暗い中をスタート地点のアラモアナ公園にたどり着いた。
スタートラインに並ぶ、と言うより群衆の中に紛れ込む、と言った表現の方がしっくりいく。
午前5時にスタートの号砲とともに何発もの大きな花火が打ち上げられた。

皆一斉にスタートを切って…と、言いたいとこだが走り出さない。

あまりの人数に、まずスタートラインに向かってじわじわ動き出したのが精一杯。
けれども、気分はすごくハイテンションだった。

ワイキキを通りダイヤモンドヘッドやきれいなビーチを眺めながらの素晴らしい
コースを走ることができるのがこの大会のいいところだ。

もちろん、悠長に景色を楽しんでいる余裕なんてないのだが、
おいしい空気を吸って走れるのが何よりだ。

住宅街では住民の方々が沿道へ出て応援してくれ、非常に励みになる。
もう駄目、ここまでかと頭をよぎった時にも、
「異国から来た、見ず知らずの素人ランナーのために一生懸命応援してくれ
ている人の目の前で足を止めるわけにはいかない」と、勇気が湧いてくる。
メロスになった気分だ。

最後まで何とか足を止めることなくゴールに辿り着いたときには、
ふらふらだった。とにかく全員無事完走できてよかった。

ホノルルマラソンを完走した人「フィニッシャー」のみに与えられる
フィニッシャーTシャツは、今でも大切な宝だ。

翌日のホノルルの街には、
まともに歩けず、ロボットのようにギー、ガチャン、とかいう感じで
音が鳴ってそうな、筋肉痛の若者たちの姿を大勢目にしたのが印象的だった。


マサイ族のマラソン

2008-04-15 | 心温まる話題

タンザニア北部に暮らすマサイ族の戦士6人が4月13日に開催されたロンドン・マラソンに出場した。


目的は村に井戸をつくる資金集めだという。


彼らの村では水が足りず、赤ちゃんの3人に2人が亡くなっているとのこと。


マサイ戦士は干ばつが深刻な村にいつでも水がくめる井戸を作るための、
チャリティー資金を目的に参加した。


古タイヤで作ったシューズを履き、盾とやりを手に伝統的な衣装をまとったまま、マラソンに参加した。
オチャラケの仮装集団と思われてしまったかもしれないが、彼らは至って真剣であったろう。


盾にゼッケンナンバーを張り、途中の給水所で水を誰も飲まず、リーダーの男性は中間点で気分が
悪くなり病院へ運ばれた。もう1人も付き添うためにレースをリタイヤ。


給水所で水を飲まないのは、水不足を訴えるためなのだということだ。


出場する6名は全員初めてのマラソンであったが、6人のうち4人が5時間24分47秒で完走した。
お見事!


さて、目的の募金の方はどうだったのでしょうか?

これで寄付が集まり、きれいな水が確保できればいいのですが…


里帰り

2008-04-14 | 日常の1コマ

この週末、愛媛県の新居浜市で、母方の親戚の伯母さんが他界し、
葬儀に出席するために里帰りした。

それから、私の生まれた故郷である今治市へも行った。


私が子供の頃は、愛媛への里帰りというと、船に乗って、
文字通り『旅』という感じだったが…、
今はというと、
本州と結ぶ橋が3本もでき、(3本もいらんがな!という声が多いが
父母両方とも愛媛が里である私にとっては、とってもありがたい)、

各地を結ぶ高速道路が非常に便利になり、ETCでスイスイ。

ほんとうに楽になったもんだと改めて実感した。

もはや、『旅』ではなく、『ドライブ』という感覚でも行くことができる。

5、6年ぶりかという久々の里帰りであったが、
楽しい目的の帰省でなくて残念だった。

でも故郷って、いいもんです。

改めて、ゆっくり行きたいもんです…。