[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

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別宮利彦の『小魔人の小部屋』
こっそり垣間見てにんまり微笑んでください

Nosebleed

2005-07-29 | 日常の1コマ

  昨夜、寝ている途中に何となく目が覚め、鼻がむずがゆかったので、クチュクチュクチュ!っと鼻の上から手でこすりつけた…。そんな記憶がうっすらと頭の片隅にあるまま目覚め、洗面所へ行った。鏡を見ると、ほんの少しではあるが、鼻に赤いものがこびりついていた。鼻血が出た形跡だということは、寝起きのボーっとした頭でも容易に察しがついた。

  鼻血といっても、垂れ流すような大仰なものではなく、鼻にちょっと赤いものがついてるなというだけのものだった。多分、寝ているときにこすりつけた手が内側の粘膜に傷をつけたのだろう。その場は、軽くふき取るだけで、どうってことはなく一安心した。


  そして、ベストで昼の中3生、その次の小学生個別授業を終えた後、休憩中に、つい朝のことを忘れていて、思いっきり鼻をかんでしまった。

  「あ゛っ!! えらいこっちゃ!」

  しかし、時すでに遅し、ティッシュに赤いものがこびり付いていた。
これも、大したことではなかったが、15分後に次の授業を控えていたので、かなり焦った。。
冬場、鼻水が止まらないときにDUKE先生がするように、鼻にティッシュを詰め込んだままで、平然と授業をするというような芸当は、私には到底できるものではなかった。

  すぐに止まってくれ~という願いが、頭の中で、ある歌のフレーズを呼び覚ました。

クレイジーケンバンドの『タイガー&ドラゴン』のサビのフレーズだった。


「♪ オレの鼻血を拭(ふ)けぇ~ ♪
                    
                5拭(ふ)きだけでもいい~ ♪」

そして、ついでにもう一つ、

「♪ オレの、オレの、オレの鼻毛を抜(ぬ)け~♪ 

                     2本だけでもいい~♪」


     スイマセン、今回は汚い話題で… m(_ _)m


破壊王 永遠なれ…

2005-07-25 | 小魔人が歩んできた歴史
脳幹出血により11日に急逝した”破壊王”橋本真也選手の追悼番組が放送されました。数々の名勝負を目にし、破壊王の名の通り、壮絶な試合をやってきたんだなあと、改めて感じました。

橋本真也選手は、武藤敬司(全日本プロレス)・蝶野正洋(新日本プロレス)と共に、闘魂三銃士として、新日本プロレスの一時代を築き上げたレスラーでした。その中でも、重爆キックを武器にIWGPヘビー級のベルトを通算20回もの最多防衛を果たすなど、存在感を発揮していました。

引退をかけた小川直也戦に敗れ、2000年4月に一度引退したものの、復帰を祈願して、110万羽もの折鶴を贈られるなど、ファンからの応援を受ける形で9月に復帰しました。直後に新日本を退団し、11月に新団体ZERO-ONEを立ち上げました。その後、自身の右肩痛と経営不振により、昨年11月に活動を停止し、右肩を手術し、リングから遠ざかっていましたが、リハビリをしながら復帰を目指していた矢先に訪れた不幸でした。

小魔人は少年時代から新日本フリークでした。小魔人が小中学生時代は、新日本プロレスはテレビでゴールデンタイムに放送されていました。毎週晩御飯を食べながら見ていたものでした。今思えば、流血にまみれた激しい格闘を見ながら食事をするなんて…と、ちょっと不思議な感じもしますが、そもそも母親がアントニオ猪木のファンだったので、何の抵抗もなかったのでした。サーベルを片手にしたタイガー・ジェット・シンや上田馬之助が、リングの上で血まみれになって大暴れしている姿を見ながらも、食事はフツーに進み、チャンネルを変えようなどということは全くなかったものでした。

アニメのタイガーマスクを見て育ち、初代タイガーマスクに熱い視線が釘付けになったという世代の小魔人。少年の頃は、タイガーマスクの覆面をよく手作りしたものでした。果物を買ったときに入れてもらう茶色い紙袋を調達し、目の位置をくり抜き、極太マジックでトラの頭部の縞模様を書いて仕上げました。破れてはまた新しいものを作りで、すごい数を作ったものです。

これまでの長いプロレスの歴史の中でも、特に小魔人は、闘魂三銃士が好きだった。3人とも、切れのある、斬新な、カッコいい技を次々と見せてくれました。

蝶野と武藤と共に三銃士興行というような形で、3人がもう一度同じリングに上がる姿を見てみたかった…。

ご冥福をお祈りいたします。

「勉強は、筋トレと同じだ!」

2005-07-18 | コラム

このブログを開設してからこれまで、好き勝手に色々なことを書いてきましたが、おかげさまでだんだんとアクセス数も増え、全く見ず知らずの読者からのコメントやトラックバックをいただいたり、塾生らしき?人物からの心温まる応援コメントを頂戴し、感謝しております。
 アリ\(*^▽^*)/ガトゥ
塾生諸君!ちょっとしたコメントでも、私の勇気と活力となります。どんどん書いてね。

さて、いよいよ夏期講習に突入です。たっぷりとした時間があるように感じられる夏休みですが、実際にはあっという間に過ぎていくものです。「後悔の残らない有意義な夏」にするために、“カタチ”だけの勉強にならないようにしなければなりません。

筋トレをするときも一緒ですが、肘(ひじ)をちょこん、ちょこんと曲げるだけのダラダラとした腕立て伏せなんて、自分に返ってくるモノなんて何もないですよね。それでも「腕立て伏せをやった」と言えるかも知れません。しかし、筋肉もつかない、汗もかかない、充実感を感じることもない。

勉強は、向上心を伴っているかどうかが肝心。だから、親に促されて“しゃあないなあ~”と思いながら机に座るような家庭学習は、まさにこの、「ちょこん曲げ腕立て伏せ」のようなものです。

これまで、そんな勉強をして、「勉強、やるにはやったけど…」などと言っているってことはないですか?

ここ一番、気合の入れてやらなあかんなって時がありますね。
そのときは、床にアゴがつくまでしっかり曲げるような勉強をしないとね。
そして、暑さの汗ではなく、考えて、考えて、必死さによって流れる汗をかき、やり終えたときに、「あ~、しんどかった…」とつぶやけるような勉強を心掛けていこう。

筋トレと家庭学習の共通点は、
情熱×時間=効果(流した汗の分だけ力になる)ということ。また、何よりも持続が大切だということ。

タフな精神と身体でこの夏を乗り切ろう! 日々怠ることなく頭脳の筋力アップをはかり、夏期講習を終えたときに、「よく頑張った、エライぞ!」って、逞(たくま)しくなった自分を褒めることができるようにしよう。私も全力でバックアップしていきます。


とってもらったど~

2005-07-09 | 日常の1コマ

プロジェクト×(ペケ)

♪風の中のすばる 砂の中の銀河~ みんな何処へ行った 見送られることもなく~♪

小魔人は、一日の仕事と翌日の準備を終え帰宅の途につこうとした。塾の鍵を閉め、車に乗り込んだ。そのとき、嫌な予感がふと胸をよぎった。

ダンボールの蓋(ふた)に貼ったセロテープがはがれ、隙間ができている。

ま、まさか…。

中を覗いてみた。い、いない…。隅から隅までもう一度よく見てみた。が、跡形もなく消えていた。

悔やんだ。“もっと頑丈に、封をしていれば…”。しかし、悔やんだところで、どうなるものでもなかった。“はっ、立ち尽くしている場合ではない、行動しなければ…”と思い直し、捜索活動を開始した。

まず、車のドアをしっかりと閉め、ルームランプを点けた。何か小さな気配や物音はないかと、静かに神経を集中させた。そんな簡単に見つかるものではなかった。

額がうっすらと汗でにじんだ。暑さのせいではなく…。

携帯電話についているスポットライトで、隅々を照らした。天井、シートの下。ダッシュボードの下。本当に隅から隅まで照らした。改めて感じたことだが…、車内は、汚かった。まるでジャングルだった。コンビニの袋、カセットテープ、ポケットティッシュ、健康サンダル…。様々なものがあちこちに散乱していた。その状況が、さらに捜索を困難なものにした。

もう、あきらめて、自ら出頭するまで放っておくか…。そんな声が、脳裏にかすかに浮かび、“捜索はもはやこれまで”と観念しそうになった。

しかし、翌日の日中の炎天下で、閉じ込められた車内の灼熱地獄に小さな命が耐えられるわけがない。

こんなところで諦めるわけにはいかないのだ…。

セリヌンティウスが待っている。「走れ、小魔人!」
いやいや、走らんでもええから、探せちゅうねん! (; ̄ ̄)ノ(ノ_ _)ノ

その後、疲労感と焦りが入り混じった懸命の捜索活動の結果…、っていうか、たまたま「ガサゴソ」とう音が聞こえたので、そちらに目をやると、コンビニ袋にからまって、もがいていた。
フゥ~!

ダンボール隙間をはい出て、どこともなく姿をくらましたものは、カブトムシ…。少し小振りで、シンボルである角も、どこか遠慮がちな控えめなものであった。

こいつは、塾生のY君が塾に来るとき、近くの駐車場で見つけて採ってきたものであった。もちろん、私のためにというわけではなかったが、なんだかんだと経緯があって、私がオーナーとなったのである。

帰宅するまでの間、とりあえず車の中で留守番していてもらおうと、小さなダンボールの中にいれて、軽く蓋をして、セロテープを貼っていたのだが、見事に脱走されてしまった。

捜索しながら、小学4年生の頃に経験した「ヤドカリ失踪事件」を思い出した。夜店の露店でGETしたヤドカリを、少しだけ水を入れた洗面器に一晩置いておいた。翌朝、「オッハヨー!」と元気よく洗面器を覗き込んだ表情は、一瞬にして凍りついた。ズガ━━(==)━━ン!

初めて手に入れたヤドカリだったので、予想される行動範囲、隠れそうなところをくまなく探した。今回のカブトムシ以上に…。

ア・リ・エ・ナ・イ…。ヤドカリがどうやって洗面器の高い壁を越えるのか。

恐るべし、小動物たち…。決してあなどってはいけない。


黄色いざるそば

2005-07-02 | 小魔人が歩んできた歴史
「おっちゃあ~ん! 黄色いざるそばあぁぁぁぁぁぁ!」
勢いよく駆け込んできて、カウンター席に腰掛けるのが早いか、注文が先かという少年時代の小魔人の姿がそこにあった。

「またかあ~! たまには黒いざるそばも食べえや…」
「いやや! 僕は黄色いのがいっちゃん好きやねん。ごちゃごちゃ言わんと作ってえな。」

「はい、お待ち!」月見のオッチャンが器を置くと、すでに割り箸を割って臨戦態勢で構えていた小魔人は、「ありがとっ!」と小声で答えるのだが、すでに、口はもごもご言っているのである。(;^_^A

「…、ズルズルズル、…」
「坊主、それ何食うてんねや?」
一つ席を挟んだ隣の席に陣取って注文を待つ、見知らぬオッチャンが聞いてくる。

「…、ズルズルズル、…、ズルズルズル、…」
小学生時代の小魔人の食べ始めの勢いは、知らんオッチャンからのどうでもええような質問に答える余地をはさませないのである。

「ああ、それ、この子のオリジナルのメニューや…」
と、しょうがなしに月見のオッチャンが返答する。

この、月見のオッチャンとは、このカウンター席だけのうどん屋「更科(さらしな)」の店主である。客の誰かが月見うどんを注文した際、必ずといっていいほど、「つ・き・み…」と復唱しながら、ただでさえ大きな目を、「オイオイ、こぼれるで…」と心配するくらいひんむいているのである。誰かが月見うどんを注文するたびに、小魔人は月見のオッチャンの顔を凝視した。しばらくだれも注文しないときには、寂しくなって、別に対して好きではないのに、自ら月見うどんを注文するのだった。そんな店主に、面と向かって言っていたわけではないが、いつも心の中で、「月見のオッチャン」とつぶやいていたのだった。小学生時代の小魔人には、まだ、面と向かって口にするほどの勇気は持ち合わせてはいなかった。

「更科」は、当時、20店舗ほどの個人商店が軒を連ねる、“スーパー名店街”の一角にあったうどん屋で、小魔人の親も、この中で、蒲鉾屋を細々と営んでいた。うどん屋といっても、今の時代と比較するとかなりアウトローな側面があった。メニューには焼飯や焼きそばがあるわ、常連客のオッチャンは注文を済ませて、向かいの寿司屋で巻き寿司を買ってきて、うどんと一緒に堂々と頬張っているわというようなアットホーム?な雰囲気でした。
小学生にもかかわらずえらそうな最年少常連客であった小魔人も、「カマボコいらんから、てんかすたっぷりな!」とオーダーした素うどんに、自分の店から持参した“平天”や“生姜天”を浮かべて食べたものでした。別に苦情を言うこともない月見のオッチャンのことをいい人だと思っていましたが、今思えば、腹の中は煮えくり返っていたことでしょうね。


何がきっかけで、思いついたのかは定かではないが、ふと、「黄色いざるそば」を久々に食べてみたいなと心に浮かんだ。レジが並ぶ現代の“スーパー”で中華そばの麺を買い求め、20数年振りに食してみた。そこには、少年時代の勢いはなく、恐る恐る一口ずつかみしめてという具合だった。

しかし、その味覚が、長年封じられていた玉手箱の紐をほどいたかのように、ほとんど完全に記憶から失せていた、「更科」の店の名、店主の顔をはじめとして、コンロの形状といった細部に至るまで、鮮明な記憶として一気に蘇ってきた。
これは、文字として記録しておかねば…、という衝動に駆られ、ここに、自伝的ノンフィクションとして、小魔人の少年時代を記すこととなったのです。

このブログを目にした方は、ぜひ一度、お試しあれ…
レシピを紹介しておき…
などというような大袈裟なものではなく、どこにでもある中華そばの麺を湯がき、どこにでもあるそばつゆ(めんつゆ)を使って、普通のざるそばを食べるのと同じ要領で食べるだけです。

じゃあ一度とトライしてみた方は、よければ、コメントにて一言感想をお願いします。

「そんなんやったら、冷やし中華の方が… 」
「ぶわっかも~ん!」(小魔人が目をむきながら)
(ノ`m´)ノ ~
   ┻━┻ (/o\)

中華麺のほんのり甘い味と、純和風のつゆのハーモニーが何とも言えない絶妙な味を引き出すのです。

嗚呼、もしもできることなら、月見のオッチャンがつくった、ホンモノの「黄色いざるそば」をまた食べてみたいもんやなあ~

シャラポワ 敗退

2005-07-01 | コラム

 久々にテニスに釘付けになりました。ウィンブルドン選手権での女子シングルス準決勝で、昨年大会優勝者のマリア・シャラポワ(ロシア)がビーナス・ウィリアムズ(米国)に6―7、1―6で敗れました。 
 連覇を逃した18歳のシャラポワは、大きく肩を落として記者会見に臨んでいましたが、「私はもっと強くなる必要がある。これから何年もある。やれることはすべてやりたい」とあくまで前向きの姿勢を示し、来年の雪辱を誓いました。いや~、18歳とは思えぬ立派さですね…。
 シャラポワといえば、ショットを打つたびにあげる“雄たけび”ですが、非公式「うなり声計測器」によると101.2デシベルだったとか。電車の走るガード下やパトカーのサイレンに匹敵するくらいの騒音だというから驚きです。

もしも、シャラポワと福原愛とレイザーラモン住谷が対戦したら…

「ウリャ~!」 リターン  「チャ~!」 リターン 「フゥ~!!!」

IN
フゥ~!!おっけ~~~♪」
「フゥ~フフフフフフゥ~~~~~!!!!!!!」

怖い…