[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

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別宮利彦の『小魔人の小部屋』
こっそり垣間見てにんまり微笑んでください

「漢字」はどこへ行く?

2008-06-29 | コラム

昨今の漢字を用いずに平仮名で表記する風潮は、非常に不可解だ。

漢字には漢字の大切な役割がある。

特に固有名詞には、漢字だからこそ分かる名称の由来、漢字の中に生きる歴史があるというものだ。
アルファベットと同じく、平仮名は表音文字で、文字そのものには何の意味もないのだが、
漢字は表意文字であるから、一つ一つの文字にそれぞれ固有の意味が存在している。

人名の漢字には、その人物の印象がマークとして宿っている。
例えば、川多と河田、坂本と阪元、和男と一雄、勇二と祐司は全く異なるのだ。

また、名前には、親の願いや想いが込められている。
それは、多くの場合、音ではなく、漢字に込められていると思う。
そして、大切につけられた漢字は個性の一部となる。

自治体名や地名での平仮名奨励のムードは、先人をないがしろにするものだとも言える。

選挙の際の候補者のポスターでは難解な漢字だけでなく、平易な漢字も平仮名にしているものが非常に目立つ。
ルビを振るならともかく、元の漢字を記載せずに平仮名だけというケースが多い。
小学生が投票するんじゃないねんから…

少子化とともに、各地で高校の統廃合が進んでいるが、新設の校名に平仮名がすごく多い。
これは大反対だ。アホっぽく思えてしかたがない。

市町村合併の際にも、親しみやすさか何だか知らないが、あちらこちらで平仮名で新名称が誕生している。
ほんとうに「どんどん」というペースだから恐ろしい。

例えば、日本初のひらがな市名をつけた『青森県むつ市』。
青森の下北半島の先端部中央付近にある市で、北は太平洋、南はホタテの養殖で有名な陸奥湾に面している。
漢字の【陸奥】だと、本州最北端の陸続きの一番遠いところなんだなというイメージが簡単に想像できるが、
平仮名の【むつ】だと、おむつしか連想しない。

 “こゆうのぶんかをけいしょうし、いくせいしていくというはっそうはうしなわれていくのだろうか?”

 近年、欧米で漢字ブームが起こっているというのも皮肉なことだ…。

「ブリットニー・スピアーズ」も漢字のタトゥーをお尻の近くに入れているそうだ。
彼女は「mysterious」という意味だと信じ込んで、ある漢字一字を彫ったらしいのだが、
後にその漢字の意味は「strange」だと判明して怒り狂ったそうだ。

なんて漢字だかわかりますか?

       ↓ 


       ↓ 


       ↓ 


   「奇」 なんだって。


漢字指定

2008-06-28 | コラム

期末テストの時期に入っているが、
前回の中間テストで出題された問題で、気になるものがあった。

ある中学校の3年生の社会で歴史からの出題だったのだが、

問題の冒頭に解答の際の注意事項として、
「漢字指定は漢字が書けていなければ×です。それ以外の解答は、漢字で書けていなくてもOKです。
ただし、漢字とふりがなを同時にかくことは認めません。最後まで全力を尽くしましょう。」
が書かれてあった。

そのテストは、全部で92問解答欄があったのだが、
漢字指定とされていたのは、たったの5問。
驚きだ。

大日本帝国(憲法)」  「下関(条約)」  「日英(同盟)」  「辛亥(革命)」  「治安維持法

たったこれだけ。

あとは、オール平仮名でいい。

なんて《親切》なテストなんだ?!

国語の先生からは、「漢字は大切だぞ」と言われるのに、
社会の先生からは、「漢字なんてどおでもええぞ」と言われているに等しい。

生徒の方から、
「バカにすんな!、教師という仕事をなんやと思うてんねん!」
というような声が発せられることはないのだろうか。

学校の、教師個人の問題なのだろうか、

あるいは、

昨今の平仮名ムードの蔓延とゆとり教育がもたらした弊害なのだろうか。


京都ぶらり

2008-06-02 | 日常の1コマ

好天に恵まれた日曜日、京都を訪れた。

円山公園に行くと、大道芸人がストリートパフォーマンスを披露していた。

ちょっと覗いてみよっかな…と足を止める。

すぐに立ち去るつもりだったが、
「なんか、このニイちゃんやるなあ!」と感心し、
結局最後まで見入った。

「大道芸人.ひろと」
http://www.shochikugeino.co.jp/talents/05/post-442.html

帰宅してからググってみると、やはり数々の受賞歴のあるスゴ腕の
持ち主だった。技ももちろんだが、トークと間が素晴らしかった。

その後、テクテクと 「知恩院」 へ

おおお、大勢の人だ~


これが、国宝となっている三門
元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠公によって建立されたもので、
高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚というからビックリ。
わが国現存の木造建築として最大の楼門。



おお~、この景観、テレビでよく見るよなあ…

 

とにかくスケールが大きい。 外人さんもたくさん来ていた。

そして、
京都散策のしめくくりは、「流れ橋」

 

 
以前、「流れ橋」については
このブログ内で記述したことがある。
http://blog.goo.ne.jp/shomajin/e/c181248373832fefeaf938dac6b7625a

「これは行かにゃあかんなあ。」
と言ってから、一年が経っていた。

 

 夕暮れ時のしんみりした時間帯を狙って行ったが、
やはりこの時間がベストだと実感した。

和服を着て歩いてみたいもんやなあと思った。