[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

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別宮利彦の『小魔人の小部屋』
こっそり垣間見てにんまり微笑んでください

ジョン レノンの命日

2005-12-08 | 小魔人が歩んできた歴史
深夜いつものように塾を出、帰宅の途につこうと車のエンジンをかけると、カーラジオから「ハッピー・クリスマス」のメロディが流れてきた。曲を終えるとすぐに、次は「イマジン」が…

あっ、そっか、今日(12月8日)はレノンズデー(Lennon's day)か…。と気付いた。
ジョン・レノンの25回目の命日だ。ジョン・レノンが亡くなってから早くも四半世紀が経つ。

1980(昭和55)年、ビートルズの中心メンバーであったジョン・レノンはニューヨークの自宅アパート前で熱狂的なファン、マーク・チャプマンの放った凶弾に倒れたのだった。後続のミュージシャンに大きな影響を与え、今も与え続けているという意味でとても偉大な存在だ。どの曲を聴いても、古臭いという感じが全然しない。

小魔人は、少年期から何かとジョン・レノンと関わってきた。小学校5年の時くらいだったか、初めて購入したLP(“LP”って、懐かしい響きや…)はビートルズの「アビーロード」だった。その他も、ビートルズ後期の曲を好んで聴いたものだ。

その後、ビートルズCINEクラブというファンクラブに入会した。断っておくが、白黒テレビに映し出される、「しらっじゅ、いぇ~いぇ~いぇ~!」っていう音楽とともに熱狂する女性ファンが卒倒するというような、そんな時代をリアルタイムに経験したわけじゃありません。そんなにオッサンとちゃうわい!(`Д´メ)

CINEクラブというのは、ビートルズ解散後のファンクラブで、映画やフィルムを通じてファンが集うというものだった。小学生のガキのくせに、中ノ島の中央公会堂まで友人とフィルムフェスティバルというイベントに行ったものだった。さすがに小学生は僕たちだけだった。

中学での英語の勉強なんてものは、洋楽をもっと理解し、歌詞を口ずさんだりできるようにと、必死になって勉強したものだ。とても充実感があった。今の中学生の子ども達は、残念ながら、私たちの世代の多くが経験した、音楽と英語の勉強を結びつけるということがなかなかないのが残念だ。洋楽や洋画への憧れは、モティベーションを高めてくれたものなのだが…。

高校生の時は、音楽選択の授業の自由楽器のテストで、「LET・IT・BE」や「Imagine」を弾き語った。イキってただけで、自己満足の域を脱しないのだが…

ところで、“ファンクラブ”ということでは、私は生涯に、4つ経験したことがある。
① 「近鉄バッファローズ」小4~5年くらいかな? 今思えば、別に近鉄が好きなわけでもなかったが、当時、同級生は8割が近鉄の帽子をかぶっていた。 ノリで入らなしゃあないってかんじだった。ニッセイ球場や藤井寺球場にも何度か通ったものだ。

② 「サイボーグ009ファンクラブ」小5? なんでこんなのに入ったのか、今だによくわからない。たぶん、アニメ好きの友人に引き込まれただけだと思う。

③ 「ビートルズCINEクラブ」小5~6年?

④ 「Jリーグ・ガンバ大阪」 これは大人になってから…

2005年は、ジョン・レノンの生誕65年・没後25年の節目で、ジョン・レノン・アニヴァーサリー・イヤーを記念し、オリジナル・アルバムが発売された。早速聞いてみることにしよう。

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