江戸時代中期、
備前児島八濱 出身の 櫻屋(浮田)幸吉 は
空を飛んでしまって所払いとなる。
岡山城下を追われた 幸吉 は、
八濱 に帰り、船乗りとなった。
その後、
駿府江川町へ居を移し
『備前屋幸吉』 という店を開き
備前の塩や醤油を商い、繁盛したという。
しかし、
その後、
50歳となった 幸吉 は、
またまた、空を飛んでしまって所払いとなる。
駿府城下を追われた 幸吉 は、
香具師の親分の招きで
見附宿(磐田市見付) に居を移し、
91歳まで長寿を全うしたという。
その 櫻屋幸吉 の墓が
磐田市見附 大見寺 にある。
八濱 出身の 櫻屋(浮田)幸吉 の
墓参りをする私も 八濱 出身であることは感慨深い。
櫻屋幸吉 ・・・・ まさしく 八濱漂泊傳 なのである。
しかしなぜ、
江戸時代中期の時代に
浮田(宇喜多) 姓を名乗るのだろうか?
八濱 宇喜多 南朝 児島高徳 ・・・・
謎は多い。